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論理的に考えるとはどういう事?

論理的に考えるとはどういう事何ですか? 筋道を立てて考えることだ、なんて答えを求めているのではない。 小6でも分かるようになるべく具体例を挙げながら説明をしてほしい。

みんなの回答

  • dropyork
  • ベストアンサー率15% (13/85)
回答No.14

NO.13の方へ ざっと、回答に、目を通した結果、貴殿の回答は、有意と思われる。 私の、場合は、「現実に即した記述である」が、回と思われる。 「論理的に考える」というのは、情緒的な先入的 判断を排し、厳密に定義された要素を、定義されたルールに 則って演算する(論理式にする)事である。 これは、算術に当てはまるのみと、思われる。 現象的な多様性を原理的な要素の相互作用と して捉え、より単純な原理的法則性の展開に還元する事である。 これは、知恵の産声と、思われる。ただ、論理知の上に人知がある。

回答No.13

「論理的に正しい」という場合、「論理的に整合性がある」と いう場合と、「現実に即した記述である」という場合がある。 前者の場合、「論理的に考える」というのは、情緒的な先入的 判断を排し、厳密に定義された要素を、定義されたルールに 則って演算する(論理式にする)事である。 後者の場合、現象的な多様性を原理的な要素の相互作用と して捉え、より単純な原理的法則性の展開に還元する事である。

回答No.12

本当に小6なのか疑問だが、いい問いだね。 こういうのは法律に例が多いから殺人を考えてみる。 1 夫婦のAとBが喧嘩になり、BがAに頭を強く殴られて死んでしまった。 Bの両親はAは殺人犯だと非難した。だが、Aは殺すつもりはなかったんだと警察官に話した。 2 夫婦のCとDが喧嘩になり、Cは咄嗟にキッチンにあったナイフでDの腹を数回刺したらDは死んだ。 Dの両親はCは殺人犯だと非難した。だが、Cは殺すつもりはなかったんだと警察官に話した。 似たような話だけど、1のAは傷害致死罪、2のCは殺人罪で処罰される。 では、なぜ1ではBの両親の非難は通らず、2ではDの両親の非難は通るのか。 同じように相手を傷つける意図で結果として死なせてるのに何が違うのか。 ↑↑↑ こういう風になぜと問いかけ、それを原因や理由と結果のような因果関係で説明するとき、これを論理的であるという。従って、論理的に考えるとはなぜと問いかけ、それに原因や理由をつけて結果や行為を説明するような考え方・思考という風にいえるかな。 似たような犯罪なのになぜ違うのか。そもそも殺人とは何なのか。 殺人とは (1)相手を殺す、死に至らしめることを意図して (2)それに足る方法・手段を用いて (3)実際に相手を死に至らしめること の3条件を満たす犯罪行為をいう。 ↑↑↑ つまり X:ある行為が(1)と(2)と(3)を満たしているとき、その行為は殺人であるという。 X:例1の行為は(1)を満たしていない。 Y:それゆえ、例1の行為は殺人ではない。  Xが理由、Yが結果。これでXだからYという原因と結果の説明ができた。 こういうのを論理的であると表現し、このように考えることを論理的に考えるという。 つまり「殺人とは(1)(2)(3)を満たす行為をいうが、例1のAの行為は(1)を満たさないからAの行為は殺人ではない」。 傷害致死になぜなるのかとか、例2がなぜ殺人になるかは細かいから省略。 だから論理的に考えたいなら、いつもなぜなのかを問わないといけないね。

回答No.11

他の皆様よりも、ずーーーっとわかりやすく、お話ししてあげるね。おにーさんはね~、図画工作の先生でね、小4~小6のお友達に、おもしろ~~い笑える授業をやっています。まるでテレビ芸人さんみたく! マジや! >論理的に考えるとはどういう事ですか? 「原因」--だから-->「結果」こうなる(日本語では) 「結果(を先に言う)」<--なぜなら--「原因(だから)(英語では) ※お兄さんのセンパイはね、論理学なんてのを学んでいたよ。センパイが言うには「因果律(いん-が-りつ)」・・・て言葉があってね、「いん(【もと】となること)」+「が(もと-->へんか-->もとと異なる状態になる)」+「りつ(ほうそく)」、という意味で「1+1=2」は因果律が成り立ち、「 1+2=4」は因果律が成り立たない。と言葉で表す習慣があるのだ。 【~だから~】の関係を、まず頭にイメージしましょう。 >「筋道を立てて考えること」だ、なんて答えを求めているのではない。 【~だから~】の関係はね、「筋道を立てて考えること」と言えると思うよ。 >小6でも分かるように「なるべく具体例」を挙げながら説明をしてほしい。 >「論理的に考える」とはどういう事ですか? 君のボールがあると思うけどー、高い所から手を離すと、下へおちる。これは「ほうそく」と呼ばれる。じゃあ、お兄さんが「正しく論理的に考えて」みるから~、 物(どんな物でも)はね、小さな粒でできているのだ。 その粒は「引き寄せるちから」をもっている。 つまり、君のボールは磁石みたいに「引き寄せているのだ、いつも」。 で、じゃあ、なぜ手を離すと地面に落ちるか?説明できるかい? 君のボールが引き寄せるちからと、この地球というドデカイ玉が引き寄せるちからの「ちからくらべ」が起きるのだ(うでずもうみたいなもん)。 で、「君のボール」対「地球」の、つなひきで、地球の方が粒の数が多いから、それだけ強く君のボールを、ひっぱりんこ! さてさて、この勝負「地球(は粒が多いから)」が勝った。 ~だから~ 君のボールは、下に落ちていったのだ。 (おわり) だいじな事はね「面白くなくちゃ、考えてもツマラン!」てこと。 このお兄さんの話の中に「つなひき」がでてきたでしょ? 君のボールも頑張って引っ張ったのだよ、地球を。でも、負けた。なぜなら、粒(つぶ)の数が、地球より少なかったからだよ。もしも、君のボールが粒が多くて「つなひき」に勝ったならば、「地球」が「君のボール」へと落ちていくのです。ホントだぜー! たぶん、君は「筋道を立てて考えること」はツマラン! と思っているね? でもね、それはね、教えるお兄さん達によって決まる事。お兄さんのセンパイはね、話が面白いから「筋道を立てて考えること」はオモシロイ!! てなったよ。。。それまではね、お兄さんも、オモシロクナーイ!と思っていたんだけどさ。つまり、センパイは、お兄さんに「ワオ!マジカヨ!」て、ここの掲示板に面白い話を聞かせてくれるんだよーー。そのセンパイをここで探してごらん。誰よりも、楽しい「論理的に考える」文章をかいているよ!!!

  • kurinal
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回答No.10

こんばんは。 A「親分、どう見ても、コイツ(D)が下手人(犯人)に違いありませんぜ」 B「・・・いや、彼にはアリバイがある(から、下手人ではありえない)」 勿論、Bの考え方が「論理的な考え」です。 (中略) A「そんなあ。Cにそんな事が出来るとは、これっぽっちも思いませんでした」 B「ここに、逃れられぬ証拠がある」 勿論、Bの考え方が「論理的な考え」です。

noname#194996
noname#194996
回答No.9

>論理的に考えるとはどういう事何ですか? まあ、こんな質問文を書いていては論理的な考えは出来ませんね。 「論理的に考えるとはどういう事ですか?」 あるいは 「論理的に考えるとはどういう事なのですか?」 こういうふうに、正しく文を作らねばなりません。 論理というのはおおかたが文章で作られるものだからです。 ですから 論理的に考えるとはどういう事なのかというと、 正しい文章をこしらえて、それによって考えを進めること、と言っていいと思います。 正しい文章とは何でしょうか。 誰が読んでも間違いなく理解できる文章のことです。 首記の文章を見てみましょう。 >論理的に考えるとはどういう事何ですか? は、たとえば 論理的に考えるとはどういう事(って)何ですか? と解釈することも出来ます。 わけが分かりません。 最後の”何ですか?” の解釈は至難です。なんだか叱られている気分がします。 幸いわたしを除く回答者の方々はずいぶん鷹揚な方々ばかりで、こういったことを指摘されるまでもなくストレートに主旨へ入られる寛容さを備えておられましたが。 具体例を示しながら回答させていただきました。 ご参考になれば。

  • 35fa8e3c
  • ベストアンサー率39% (9/23)
回答No.8

興奮せず,冷静にお話することです. これが出来たらあなたはすごくエラいですよ. 残念ながら私の周りにはあまり居ません.

noname#183015
noname#183015
回答No.7

こんつは。 チミは心から理解をしたいと思って質問ステ居る? では、論理的に考えるとはどういう事なのかを セチメイをしましょ。 論理とは?的にとは?考えるとは?どういう事なのか? を調べてください。 ホラ!理解できたでしょ。 えらソ~に、 筋道を立てて考えることだ、 なんて答えを求めているのではない。との事で有るが それが、 小6の態度ですか?「でも」と書かれていますが 「でも」の言葉は日本の小6に大変失礼にあたる。 分かるように?とあるが、果たしてワタスのセチメイで チミに理解が出来るのか?はなはだ心配をするものである。 それは、なるべく具体例を挙げながら説明をしてほしい。 とチミが理解力の無い事を表している事に起因する。 今後、質問されるときには○○を論理的に考えると… と質問をされることです。 しかも、チミの考え方を述べる事を忘れないでチョ~ 宿題 論理的に考えるとはどういう事なのかを論理的に述べよ。

回答No.6

 こんにちは。  1. 或るものとほかの或るものとは 同じか 違うか? どう同じで どう違うか? これを見究めることから 論理は始まると思われます。  2. わたしとは何か? と問うた場合 さしづめ次のような見究めが必要になります。  (1) 《わたし》という言葉は どういう意味か? 《ぼく》や《おれ》などとどう違うか?  (2) 自分みづからのことをみながそれぞれ《わたし》と呼んでいる。ならば そのように呼んでいるものは 互いに同じか違うか?  (3) どうやらそのものは 《ひと》とか《人間》とかという言葉で表わされるようだけれど そのようなヒトなる存在はみな互いに同じか違うか? どう同じでどう違うか?  (4) けれどもいまこのように話をしているワタシが自分のことを《わたし》と呼んでいる。そのワタシが《わたし》であると言ってよいのか?  (5) どうやら 言ってよいと感じる。つまり 《わたしは わたしである》である。  (6) ほかの人たちはそれぞれやはり 《わたしはわたしである》と思っているか?  (7) そのようなほかの人びとというのは ワタシとどう違うのか?  (8) ワタシは自分の親とは どう同じでどう違うか? この家族の一人ひとりとたとえば安倍晋三とは どう同じでどう違うか?  ・・・  3. 《同じこと》は 同じだと表わし 《違うこと》は 違うと表わす。このことを決まりとしてよいはずです。そしてこの決まりにのっとって おのれの思うところを言葉にして表現する。――これが 論理的な考えであり その自己表現だと考えます。  4. ところが 《にんげん》は 論理だけでは済まないように出来ているようで 中には 《わたしは わたしではない》と言う人が出て来るようです。となると 論理は ずるがしこくならねばならないとも考えられます。  5. 特に問題となるのは あの時あの場所であなたはワタシと会っていたぢゃないですかと問うと 相手は いいえ それはわたしではありませんと言う人も出て来ることです。  6. いかに事情があるからかも知れないとしても つまりはウソをつきイツワリを語るという場合があります。  7. つまりは 時にはひとは《同じことを同じだ》とは言わず《違うことを違う》とは言わない場合があります。――なぜそうなるのか? これを考え突きとめるのも 論理です。なぜウソを言ったかです。  8. このようにして 人と社会とがどのように成り立っているのか その生活するさまに沿って考えて行きます。

noname#210533
noname#210533
回答No.5

当たり前のことですが、文章として組み立てること。 誰が/いつ/どこで/何を/誰に/どんな目的で/どう行動したのか と、論理の部品をはっきりさせます。とりあえず、構文化、と呼んでおきましょう。 例:友達の●君が/先週の月曜日に/塾で/僕に/目的不明/消しゴムをぶつけた このように、部分的に空欄でもかまいません。 次に、答えを見つけたい「疑問」をはっきりさせます。 疑問が実は複数ある、ということが多いので、それぞれ別々の 疑問として箇条書きにします。 なぜ消しゴムをぶつけたのか? 僕だけなのか? またぶつけるのか? 学校でもやるのか? やめさせることはできないか? などなど、です。  書いていくうちに、疑問が膨れ上がって増えることは 論理的に考える上で大切なことです。 何故なら、疑問を複数出すこと自体が、「なぜ?」という 考える作業を重ねていることになるからです。 この疑問の群れは、それぞれが仮定の答えや連想を産みます。 なぜ消しゴムをぶつけたのか?/いじわるではないか/何か伝えたかったのか 僕だけなのか?/よく知らない。観察したり他の人に聞いてみようか またぶつけるのか?/いじわるならまたやるだろう。本人に聞くか 学校でもやるのか?/今までは(やられた・やられなかった)→なぜ? やめさせることはできないか?/親や先生に言いつける・本人と対決する などなど、書いていくことで論理的に考える「部品」がどんどん増えます。 書いたことが連想や仮定の答えを産み、その連想や仮定の答えが また別の連想や仮定を産む。 これを自分でよいと思うまで繰り返します。 次に、増えたものを整理します。 具体的に整理する方法はいくつもありますが、例えば大きめの紙に 先ほどの構文化した文章と、そこから産み出された疑問や連想を 自分なりに分類して書いていきます。 慣れれば頭の中で出来るようになりますが、「書くこと」は大切な 思考そのものなので、常に文章としてきちんとなりたつかどうかを 注意しながらものごとを考えます。 このまま続けていくと、どんどん広がってしまって収拾がつかなく なることもあるので、自分で「ここは今回はここまでにしておこう」と 考える範囲を決めます。 こうやって一通り考えた内容を振り返り、答えを出したいところ、 あるいは、テーマを決めます。 先ほどの疑問について「こういう理由でこうなんじゃないかな?」という 予想を立てます。 これを仮定と言いますが、これを基にして理想形を 考えます。「こうなったらいいのにな」というようなことです。 そして、「ならばこうすればよいのではないかな?」と対策や方法を考えます。 簡単な文章なら疑問も一つ二つで終わるでしょうけれど、複雑な問題、 たとえば社会問題とか人間関係とか、実用レベルの問題については とても考える範囲が広くなります。 なので、「世界を100人の村に例えたら」というように、わかりやすく 簡略化したりします。 これをモデル化、と言います。 さらにいくつもの問題の中からテーマにしたいものを絞り込んで こういう条件だったら、という限定で整理して考えるのです。 長々と書いてしまいましたが、要点だけ述べると、きちんとした 文章にして書きながら整理して考える、ということです。 ちょうど、将棋やチェスのように、こうならばこうする、ここら辺に 王様を追い込む、そのためにはこういう戦いの筋道を立てる、と いうように全体の流れ(戦略)と個々のつばぜり合いでの戦い方 (戦術)を一緒に考えながら一つの答えを導き出す物語を書く作業だ、と 云う事が出来るでしょう。 ただし、自分で考えたことが他の人から見たらおかしかったら その論理は問題があります。 例えば、つじつまが合わない、矛盾。 例えば、根拠がないのに決めつけられている、強弁。 全体として物語として成り立っていない、破たん。 勿論、それをガチガチに難く考えずに架空を前提に組み立てれば それは小説にもなります。 論理的に思考する上で大切なのは、他人にきちんと説明して 理解してもらえる「考えを表した文」にまとめることなので、 時々、周囲の意見や考えを聞いたり、自分の書いたものに 「もしそうではなかったら」という反論を生み出し、その答えを 用意したりして論理を補強していくのです。 小学生に判りやすい参考書は、まさしく国語の教科書なのです。 同時に、小説や随筆などを、「なぜ、どうして?」という目で読むことも 論理的思考能力を高めるのにとても役に立ちます。

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