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中国共産党と大日本帝国の関係
- 中国共産党と大日本帝国は盟友ではない
- 日本と中華人民共和国は戦争していない
- 中国共産党が大日本帝国と戦った
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質問者が選んだベストアンサー
日中戦争時の中国は,清帝国の後釜を狙っての内戦状態でもありました。 だからこそ,日本はもちろんヨーロッパ諸国に対して国力を挙げて反抗することが出来なかったわけです。 で,それじゃイカンということで中国国民党(中華民国(現・台湾))と中国共産党(中華人民共和国)の間で共闘戦線を組もうという流れがでてきました。 これを世に「国共合作」と言います。 「国共合作」は何度かに分かれて(つまり,くっついたり対立したりしつつ)行われました。 清帝国が弱体化し,ついに辛亥革命が起こると南京で中華民国が形成されました。 これを作ったのが袁世凱です。 袁世凱は南京で反旗の旗を上げると,周囲の軍閥を取り込みながら一大勢力にのし上がりました。 そして,国際的に政府として認められていた清政府と交渉し宣統帝退位、臨時大総統職の孫文から袁世凱への移譲などを勝ち取りました。 そして清帝国同様に首都を北京に定めました。 後の蒋介石中心の中華民国と分けるために「北京政府」と称されることもあります。 袁世凱は強固な独裁体制をしき,列強諸国もこれを支持しました。 ところが,第一次世界大戦によってヨーロッパ諸国の目が届かなくなると,徐々に袁世凱に対する不満が噴出し始めます。(この時期に日本が対華21カ条要求を行い,袁世凱は受け入れています) この北京政府に対抗する為に生まれたのが,「国共合作」といわれる国民党と共産党の共同戦線です。 国民党は1919年に孫文がロシア革命に影響されて作られた政党です。 第1次世界大戦後,「反日運動」が巻き起こると,その先頭に立って党勢力を拡大しました。 ところが,1921年に中国共産党がコミンテルンによって作られると,「民族主義」を掲げる国民党との軋轢が生まれました。 両党はコミンテルンの中心であるソ連との関係を重視するという点では一致していたものの,共産主義を巡って決定的に対立していました。 それでも,呉越同舟という言葉があるように,北京政府打倒・反列強・反日帝と言った点で一致し、「国共合作」を実施します。 紆余曲折を経て,当初の目的である北京政府打倒(北伐)は,1928年に張作霖を追放することで決着。北京政府は崩壊しました。 時期が前後しますが,1927年4月に国民党右派による共産党弾圧事件(通称・上海クーデター)が起こると,両者の関係悪化は決定的となり,第一次国共合作は崩壊し国共内戦と言われる内戦に突入します。 さらに下ると,劣勢に立たされた共産党勢力は,ソ連の意向もあって国民党と再び「国共合作」を成立させ生き残りをはかります。 また,北京盧溝橋事件をはじめ主要都市での日本軍との衝突もあって蒋介石も「国共合作」を視野に入れます。 そして1937年7月に第二次国共合作が成立します。 今回の目的は,抗日運動が名目でした。 その後は日本との徹底抗戦を主張する共産党側(毛沢東側)主導で抗日戦線が張られました。 これには,米・ソなどが裏から支援していました。 戦後,統一戦線の大義名分がなくなると,国共内戦が再開されます。 ソ連の支援と,日中戦争で温存された形になった共産党軍側が優位に戦線展開し,1949年に中華人民共和国が成立します。 とまぁ、当時の中国大陸は清帝国(満州帝国)・国民党・共産党・日本(関東軍)・ソ連・列強ヨーロッパ諸国・米国などが入り乱れて複雑な相関関係と因果関係を築いています。 まぁ,取り敢えず中国国民党と中国共産党は呉越同舟で日本を始めとした列強に抵抗,その後内戦で共産党が勝利したと簡単に覚えておけば良いかと思います。 とはいえ,少し不謹慎かもしれませんが,中国史として見た時,最も興味深い時期でもあるので色々と調べてみるのも面白いと思います。
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- uen_sap
- ベストアンサー率16% (67/407)
ヒドイ! 疎いのではなく、無知。 日本の侵攻は支配者階級を取り込むことを第一としました。 結果として、中国人民と敵対したのです。 もちろんそれに抵抗する支配者階級も多かったことは多いのですが、 圧倒的多数は人民です。 日本帝国主義は中国人民の敵です。
お礼
ヒドイ! 中国人民? 清国、中華民国、中華人民共和国の区別もつかいないってのはヒドイ! 疎いのではなく、無知。
補足
以前、旧社会党が訪中した際に、 「日本は戦争により中国に多大な迷惑をおかけしました」と謝ったことがありました。 これに対して、その国の国家主席は「なにも謝ることはない。日本軍は我々に大きな利益をもたらした。日本軍のおかげで我々はこの国を手に入れることができた」と応えています。 これは時の中国共産党で国家主席だった人が、大日本異国のおかげで共産党が現在の地位をきづくことができたと言うことを認めている史実だとおもいます。 やはり、中国人民を支配する中国共産党と大日本帝国は盟友ではないかと思うのですが、、、。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
ド素人です。 1。 イデオロギー 大日本帝国がドイツ、イタリアと結んだ三国同盟の柱の一本は「防共」、すなわち共産主義反対でした。 2。 生命財産保護 大日本帝国は国策として満州ヘの移民を薦めました、このような外部からの侵入者の生命や財産を奪うのは「匪賊」とか「馬賊」とか呼ばれた、やがて中国の中核をなす集団でした。 3。兄弟牆に鬩ぐも外其の務を禦ぐ 中華民国と中国共産党は、国の中では喧嘩をするが、外部から日本が攻めて来ると共同戦線を張る、という、『詩経』のことばが当てはまるような気がします。 まあこんな理由から、大日本帝国は、「中国人民の敵」だったわけで、中国共産党にとって共通の敵と戦った盟友ではないとおもいます。
お礼
投稿ありがとうございます。 『詩経』のことばってのがヒントになるのかもしれませんね。 なぜ英国などの侵略者に対して反英教育をしないのに、共通の敵ロシアと戦い、ロシアの南下を防いだ日本国ばかり対象にして反日教育するののか、いまだに不可解ではあります。 中国共産党はアヘン戦争をどう評価しているのでしょうか?
- ithi
- ベストアンサー率20% (1973/9603)
Mokuzo100nenn さん、こんにちわ。 中華民国時代に日中戦争がありましたが、この時、中華民国時代に国民党と手を組み共産党も日本軍と戦いました。だから、日本軍と中国共産党とは敵同士だったのです。もちろん、私自身、戦前日本がどういう外交や権益獲得を行い、中国の人々を苦しめたかはまだ、多少理解しているつもりですが、よくつかめてはいません。 日本が敗戦すると、中国共産党は国民党を台湾へ追い出し、中華人民共和国を建国しますが、その段階でもでも日本とは国交を持たない日本についてあまりいい印象を持たない国でした。72年になって国交を開きますが、それでも、戦前の記憶から中国人民にとって日本にはあまりいい印象を持っていませんでした。江沢民政権になってから戦後教育として日本との戦争を露骨に教育し始めました。だから、中国の若者はことあるごとに戦争中のことを引き合いに出して、援助を無心したり、悪感情をむき出しにしたりしているのです。
お礼
回答ありがとうございます。 ジャン・ツォーミン(江沢民)が作りだした「敵国」が実は共産党への不信感を回避するためのスケープ・ゴートだと言う事実に中国人民が気づく日が来るのでしょうか。
- suicyo
- ベストアンサー率43% (83/193)
どこの国(民族)にも自分たちにとって都合の良い建国神話があります。 で、中華人民共和国の場合、偉大なる共産党の指導のもと、中国人民が一丸となって侵略者の日本を打破した!というのが建国神話です。「偉大なる共産党の指導」が要であり、国共合作とか連合国とかは、聞かれればテキトーに答える程度の付け足しの扱いです。
お礼
神話と歴史を混同するなんて、まるで極東の半島国家のレベルですねぇ。 私が知っている中国人の知人はみな頭脳明晰な人ばかりですから、半島の人みたいに「何時までも洗脳されたまま」ということは考えにくいです。 賢い中国人のことですから、やがて、共産党がつくった仮想敵は、実は敵では無いということに気づく日が来るのかもしれませんんね。 回答ありがとうございました。
- kuni-chan
- ベストアンサー率22% (678/3074)
中国共産党と大日本帝国は盟友ではないのですか? この質問に関しては明確に違うと言えます。 中国共産党は天安門事件において一般市民を無差別大量虐殺しています。中国共産党は否定していますが、その主張が正しいなら言論統制は不要です。 他にも中国共産党に殺された人は数えきれません。 市民を虐殺する政府は悪になりますが、そう言われないためにはもっと大きな悪が必要です。 そこで日本を悪の国家として小さい時から教育しています。 反日なら何をしても良いという雰囲気を作っているのも中国共産党です。 反日デモの多くは中国共産党が動員している証拠も出回っています。 中国共産党が中国を支配する事で利権を独占できます。 今の動向を見ますと国民の幸せより中国(=中国共産党)が繁栄する事が重要で、そのためには国民が喜んで犠牲になる国家体制を目指しているとしか思えません。中国国民はバカではありませんからいつか間違いに気付くでしょう。 昔からずっと盟友ではありません。
お礼
共産党が、自ら実施した人民虐殺行為を国家の歴史から隠蔽・抹消するために、建国以前にいざこざがあった日本を国家の敵として定義し、日本を敵視することで、中国人民が共産党に対して敵対しないようにする戦略ですかね。 日本国は中華人民共和国と戦争もした事が無いのに悪者扱いされて可哀そうですね。 回答ありがとうございました。
- kraftkraut
- ベストアンサー率45% (190/422)
開戦時は国民党対日本軍だったわけですが 劣勢だった国民党は共産党と協定を結び、協力し合って対日戦線を張ったわけです。 国共合作というやつですね。 資本主義を掲げる国民党と共産主義の共産党は当然不仲でしたが 日本に対抗するために仕方なかった。 けれど当時国民党の方が、共産党より圧倒的に軍事力があったので 共闘と言っても、共産党が国民党軍に編入するかたちでした。 だから共産党軍は国民党第八路軍=八路軍と呼ばれていたわけです。 つまり日本にとっては、敵は常に国民党だったわけですね。 国民党内部の八路軍と日本とは当然交戦もありました。 その後日本の敗戦、国共の対立の末共産党が勝利し 中華人民共和国が成立したのはご存知の通りです。 共産党にとっては、日本は敵と言えば敵ですが 国民党を利用して日本にぶつけ、双方を弱らせるのが本来の目的だったと思われます。 戦後の世界は戦勝国によって動かされていますが 今の中国=中国共産党は厳密には戦勝国とは言えないかもしれません。 しかし戦後、常任理事国として国連で力を持つためには戦勝国でなければならない。 なので殊更日本に勝った戦勝国をアピールして、反日的態度を続けているのだと思われます。 ちなみに中国共産党は社会主義ではないです。名前の通り共産主義ですが 現在は資本主義経済も取り入れているので共産主義でもないです。 名前ばかりが残った、中国の一党独裁政権ですね。
お礼
回答ありがとうございます。 中華人民共和国は国家として戦争した事のない日本ではありますが、国家成立前に共産党(八路軍)が戦った事がある日本を国家の敵として反日運動の対象にしているのですね。 共産党が進める反日教育は、国家の為というよりも、共産党の為と考えると理解が深まりますね。
- syousuhanisinri
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日本が中国に侵略した時、相手は蒋介石の中華民国でした。 でも、途中から毛沢東率いる中国共産党とも戦ったのです。 『中国家の蒋介石君と毛沢東君兄弟は仲が悪かったけど、 中国家に土足で入り込んだ強盗に二人で立ち向かった。』 こんなところですかね。 強盗をやっつけた後にまだ兄弟喧嘩は続き、蒋介石君は家を追い出された。 が、結末です。 だから中国は蒋介石が追い出された後の1949年に共産党によって平定されたのです。 でも、支配政党が変わっても国民(人民)は同じです。 日本軍に苛められた事は忘れません。 本当はすでに忘れていますが、共産党への攻撃をかわす為に 日本軍の事をいつまでも問題にして人民の怒りの矛先をかわしているのです。 人民も馬鹿ではないので、共産党が潰されるのも近いうちでしょう。 中国や韓半島は、何千年も同じ歴史を繰り返しているだけなのです。
お礼
『中国家の蒋介石君と毛沢東君兄弟は仲が悪かったけど、 中国家に土足で入り込んだ強盗に二人で立ち向かった。』 大変わかりやすい解説ありがとうございます。 毛沢東兄は、宿敵蒋介石弟を追放したが、その弟を非難するのはやめて、蒋介石弟と戦った日本を非難する事にしたというわけですね。
お礼
中国近代史にお詳しい方からの包括的なご説明を頂きありがとうございます。 国共合作ということばは聞いたことがありましたが、国民党と共産党の協力作戦のとことを意味するのですね。 日中戦争を理解するためには、「国家」という単位にこだわってはいけないのかもしれませんね。 国共合作、国共内戦をキーワードに少し調べてみることにします。
補足
以前、旧社会党が訪中した際に、 「日本は戦争により中国に多大な迷惑をおかけしました」と謝ったことがありました。 これに対して、その国の国家主席は「なにも謝ることはない。日本軍は我々に大きな利益をもたらした。日本軍のおかげで我々はこの国を手に入れることができた」と応えています。 これは時の中国共産党で国家主席だった人が、大日本異国のおかげで共産党が現在の地位をきづくことができたと言うことを認めている史実だとおもいます。 やはり、中国人民を支配する中国共産党と大日本帝国は盟友ではないかと思うのですが、、、。