• ベストアンサー

大相撲の取り組み編成について

dark-sideの回答

  • dark-side
  • ベストアンサー率26% (38/146)
回答No.2

相撲とは、最強の者を決める事を目的とする純粋なスポーツ、とは違うからだと思います。 一種の伝統行事であり、文化であり、興行でもあります。 元々は神事であったという話しもあります。(詳しくは知りません) それ故、形にこだわる部分があります。 下位力士が連勝したからといって、すぐに横綱、大関と対戦させたりしないのも、そういう所に基づいた考えだと思います。 過去の平幕優勝の例では、 平成3年名古屋場所で、琴富士が優勝した時には、横綱1人としか対戦していません。 千秋楽には、琴富士ともう1人の横綱を対戦させるべきだという意見もある中、結局千秋楽の結びには、(優勝争いには関係の無い)横綱同士の対戦が組まれました。 優勝の重みよりも、伝統の形式を選んだ訳です。 そもそも幕内力士が約40人いるのに、15人としか対戦しない訳ですから、絶対に平等にはなりません。横綱、大関全員に当てた所で、序盤に下位力士から星を稼いだ事実は残ります。 どうしてもと言うなら、上から16人ずつグループを作って、リーグ戦にでもすればいいのですが、それはそれで別物になってしまう気がします。 それ以前に、番付なる物が、形式にこだわっている証拠ですし、裸にまわし1つで、ちょんまげ結って、塩撒いて・・・明らかに勝負以外の部分が重視されています。 確かに上位力士との対戦が少ない者が優勝すると、チョットずるいような気がしたりもします。 だからといって、少し連勝したからといって、すぐに上位とどんどん対戦させるのも、番組編成として品が無いようにも感じます。 違和感を感じさせずに、上手く上位と当てるのが、番組編成担当者の腕の見せ所ではあり、そういう意味では、後でこの対戦が無かったのは・・・と思わせるようでは、失敗だった言えない事も無いのですが。 その辺のジレンマを解消するための考え方として、 優勝とは、その場所で1番強かった力士、ではなく、その場所で1番多く勝った力士、という風に理解すればどうでしょうか。 個人的な考えとしては、見る側が、たまにはこんな事もある、と受け入れるのも、1つの文化だと思います。

marinet
質問者

お礼

ありがとうございます。琴富士の優勝は私も覚えておりますが、千秋楽の取り組みにそういう裏話しがあったとは。。。回答をくださったお二人のご意見は、私の想像とほぼ一致しており、納得することができました。ただ、番付下位の力士が優勝争いに食い込んだとき、もちろん序盤は下位の力士から白星を重ねるのでしょうが、少なくとも横綱大関とは全員当たることを可能とするようきちっと逆算をして(ちょっと連勝したからすぐ上位と当てる、という感じではない)取り組みを作ることは可能なのではないか、いまでもそう考えています。

関連するQ&A

  • 大相撲の取組編成について

    白鵬と豊ノ島が1敗を守り、明日の千秋楽で優勝が決まることになりますが、結局、本割では直接対決はありません。もし豊ノ島が優勝した場合、横綱や大関全員と当たっての優勝ではないので、幕の内最高優勝と呼ぶにはどうも納得がいかない気がします。どうして、優勝する可能性が出てきた時点で、上位と早めに勝負させないのでしょうか。上位全員と勝負して初めて優勝の価値があるのではないしょうか。一方では、大関同士の取組がなくなったりもしていて、中途半端でもあると思うのです。過去にも同様のケースはあると思います。これは、平幕力士が優勝する場合、上位全員と当たらなくとも価値が下がることはないということに、何か根拠があるのでしょうか。それとも、取組編成担当者のミスなのでしょうか。

  • 大相撲番付、取組の規定

    大相撲に詳しい方お願いします。 1.【番付編成】横綱と対戦した力士は十両に落ちないというのはよく聞きますが、一部で「横綱または大関と対戦した力士は十両に落ちない」と聞いたことがあります。正確にはどちらでしょう。 2.【取組編成】現在で言えば北桜、豊桜のように兄弟は別の部屋でも対戦しません。これは相撲協会の規定に明文化されているのでしょうか。それとも単なる慣例でしょうか。

  • 大相撲

    大相撲で平幕(前頭○枚目という番付)の力士が横綱に勝った時に"金星"、大関に勝った時に"銀星"と言われますが、大関経験者がその後成績不振・ケガ等で平幕に落ちて横綱・大関と対戦して勝った時も"金星""銀星"になるのでしょうか。

  • 相撲の取り組みは誰がどのようにして決める?

    大相撲もいよいよ大詰めになってきましたが、毎場所、一番大事な時期とも言える10日目を過ぎたあたりから、何となく横綱には 有利な前頭クラスの力士との取り組みが目立つ一方で、大関以下の優勝候補はかなりきつい取り組みになってくる、という感じが してなりません。協会は横綱を優勝させたいのかと勘ぐりたくなりますが、これは私の気のせいでしょうか。 そしていつもこの時期に思うことは、「相撲の取り組みって、誰が決めてるの?どういうルールで決めるの?いろいろな人の思惑 が反映されないようにコンピュータで決める?などなど、疑問が湧いてきます。 どなたか私のこの疑問を解いていただけませんか?

  • 大相撲の優勝回数

    例えば 白鵬の優勝回数は横綱になってからだけの回数でしょうか? それとも平幕とか大関とかの時代も含めての回数を言うのでしょうか?

  • 大相撲について

    私は22歳ですが、大相撲が大好きです。しかし、昔と比べると随分レベルが落ちたと思います。平成10年5月の若乃花以来、8年以上も日本人横綱が誕生していません。武蔵丸が横綱に昇進した年に大関になった千代大海、翌年大関の武双山、魁皇、雅山、更に翌年、新大関で初優勝した栃東…ポスト武蔵丸は誰かと誰もが期待した事でしょう!しかし、ポスト武蔵丸は、武蔵丸が横綱に昇進した場所、まだ入門3場所目だった朝青龍でした…朝青龍は平成14年11月、15年1月に2場所連続で大関で14勝1敗で優勝!普通なら文句なしの昇進ですが、この昇進を納得したファンは少なかった事でしょう…なぜなら15年1月は貴乃花の引退、更に横綱武蔵丸、東西の正大関魁皇、千代大海、大関栃東が初日から休場で朝青龍以外の大関は武双山だけ…大関昇進以降、2桁勝利が数える程しかない武双山が朝青龍にかなうハズありません…非常に中身のない14勝です。審議委員会では満場一致だったものの、「あまりに土俵上での態度が悪い。続くようであれば降格させてもいいのでは?」と言う、いわく付きの昇進だったのです。現在では非常に落ち着きのある横綱ですが、ポスト朝青龍は誰でしょう?私としては、白鵬にもあまり期待できないと思います。最近は、大関昇進までは期待が大きくても、大関昇進後に裏切られるパターンが目立ちます。1年前、朝青龍が大記録を樹立した時、師匠高砂親方は「数字だけ見れば立派だが、ずっと1人横綱でこれと言った強敵のいない中での記録だからな…」受けがいいとは言えなかったようです。確かに今の相撲界で毎場所安定しているのは、横綱朝青龍しかいません。朝青龍が強過ぎるのではなく、他が弱過ぎるのでは?皆さんはどう思いますか?

  • 素朴な疑問!十両優勝の星が低いのは何時から常態化?

    最近の十両優勝は、全勝や14勝はなく、12勝前後が多い。 その為、巴戦や優勝決定戦があり、それなりに楽しみでもあるのだが・・・ 何か、ずば抜けた逸材や近い将来の横綱&大関候補の大本命が観れない淋しさも感じる。 この十両優勝の水準が低くなり始めたのは→(1)何時から? (2)理由は? ※推論  <順不同> ◇超大物(学生横綱とか外国人力士)逸材が少ない。 ◇幕内と違い、実力者は幕内に直ぐに昇進するし、逆に不調&故障持ちは幕下に陥落するので、十両で大勝&優勝するような十両のチャンピオンとして君臨しているような力士は少ない。 ◇取り組みで、前半戦で勝ちが先行していると、十両上位並びに幕内との取り組みを割り付けされる。

  • 大相撲の優勝の決め方

    大相撲で、昨日、旭天鵬が優勝しました。 規則により、勝ち星の一番多い力士を、優勝と決める、となっていると思います。 しかし、彼が実際に、今場所、最高の成績を残したのか、疑問が残ります。 横綱・大関との対戦数は次のとおりです。 旭天鵬は12勝3敗ですが、横綱・大関との対戦は、1人のみ。 栃煌山は12勝3敗で、対戦は3人 稀勢の里は11勝4敗で、全員(6人)。 私は、一応実力者である横綱・大関とある程度対戦した力士のなかで、勝ち星が一番多い力士が優勝となるのが、自然だと思います。 したがって、今場所は、勝ち星が1つ少ないが、全員と対戦した稀勢の里を優勝と薦めたい、と思います。 なぜこんなに不自然な優勝制度があるのでしょうか?

  • 相撲 暗黙の了解

    21日の取り組みで某力士がつっぱりと言うか 見た目ではむちゃくちゃに張り手、ビンタをバッコンバッコン受けていました。 見た方はわかると思います。 たまに取り組みを見るんですが大関以下、平幕の力士って 特に横綱には絶対むちゃくちゃに張り手、ビンタしないですよね。 やっぱり怖いんでしょうか? 暗黙の了解でしないのでしょうか?

  • 相撲の質問

    (1)過去に新入幕でいきなり優勝した人はいますか? あるいは新入幕力士の最高記録は何勝ですか? (2)幕内で番付が一番下の力士で優勝したのは誰でその時は前頭何枚目でしたか? (3)横綱の誕生頻度は何場所にひとりくらいですか?前回の朝青龍の横綱誕生時はその前からは何場所目くらいだったでしょうか?