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大相撲の取り組み編成について

きのうまで11連勝が4人と、久しぶりに盛り上がっている大相撲ですが、番付編成に関して以前から腑に落ちない点があります。平幕の朝赤龍が、いわゆる「割壊し」で今日から大関陣と当たる形になっていますが、朝赤龍が明日千代大海に当たることで、千代大海-武双山の大関対決が今場所は組まれないことになると思われます。朝赤龍はきのうまで全勝で優勝争いをしていますので、横綱・大関全員と当たって優勝してこそ幕内総合優勝と呼べるものでしょう(同部屋なので横綱対決はないが)。だとしても、場所中の取り組みの目玉である大関対決をなくすくらいなら、どうしてもう少し早く、朝赤龍の優勝争いを予期して、大関対決がなくならないような取り組みをつくらないのでしょうか。また逆に、過去には平幕力士が横綱大関全員と当たらないのに優勝してしまった(これも取り組み編成の失敗と思われる)こともあったように思います。この点がどうも納得できないのですが、ご説明いただけませんでしょうか。

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  • songbook
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回答No.1

説明するも何も、ほとんどmarinetさんのお考えのとおりで、正鵠をいていると思いますよ。 取り組みの編成会議が、あわてて後手後手に回った結果の、苦肉の策だったといえます。失敗、といってしまうと、毎日苦労している編成の方たち(確か、呼び出しさんたちだったと思います)が不憫ですので…。 個人的には、多くのお客さんは、優勝争いに、より強い興味を持っていると思うので、大関同士の対決よりも、「平幕力士が、大関(横綱)と戦って優勝することで納得」という客の意識を優先せざるを得なかったと解釈します。 過去の平幕優勝ですか?これはいろいろあったと聞いています。 (1)かつては、幕尻は、どれほど勝ち星が多くても、大関、横綱と対戦することはしなかった。(つまり、番付相応の相手としか戦わない。)よって、上位陣と戦わないままの平幕優勝もあったようです。 横綱佐田の山がまだ幕尻のころに初優勝していますが、その時代がそれに該当するのでは?(もう40年昔のことです。) (2)その頃までは、上位力士と幕尻力士が優勝合い星だった場合、なんと優勝決定戦は行わず、自動的に上位力士の優勝になっていたといいます。 ただ、どこからを上位と考え、どこからを下位と考えるか、境目があいまいだったことなどから、この制度も廃止されていったようです。 (3)わたしの記憶の中では、蔵前国技館最後の場所に(昭和59年?)多賀竜が幕尻優勝しています。この時も編成会議はあわてたようで、終盤に、大関北天佑と対戦させています。 で、多賀竜関は勝ってしまい、優勝を手にしました。(千秋楽はほかの大関に負けたのかな?)場所前の多賀竜関の家庭のご不幸、大関に勝ったこと、蔵前最後の場所、などが重なり、お客さんは納得の上の、大変感動的な優勝であったことを覚えています。 どうもその後、幕尻だろうがなんだろうが、優勝しそうになったら平気で大関、横綱と対戦させる、ということが定着したようです。 大相撲は番付がすべての、模擬的な封建社会ですので、昔(わたしの幼かった頃を含む)は、幕尻が上位と対戦せずに優勝してしまうことも、一種のハプニングとして楽しんでいた風潮があったように思います。 幕内はみな平等、というような意識は、最近になってからだと思います。いいことなのかどうなのか…。

marinet
質問者

お礼

ありがとうございます。多賀竜の優勝は私も記憶にのこっており、中学1年のときだったと思います。ご家庭の事情などは初めて知りました。ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • dark-side
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回答No.2

相撲とは、最強の者を決める事を目的とする純粋なスポーツ、とは違うからだと思います。 一種の伝統行事であり、文化であり、興行でもあります。 元々は神事であったという話しもあります。(詳しくは知りません) それ故、形にこだわる部分があります。 下位力士が連勝したからといって、すぐに横綱、大関と対戦させたりしないのも、そういう所に基づいた考えだと思います。 過去の平幕優勝の例では、 平成3年名古屋場所で、琴富士が優勝した時には、横綱1人としか対戦していません。 千秋楽には、琴富士ともう1人の横綱を対戦させるべきだという意見もある中、結局千秋楽の結びには、(優勝争いには関係の無い)横綱同士の対戦が組まれました。 優勝の重みよりも、伝統の形式を選んだ訳です。 そもそも幕内力士が約40人いるのに、15人としか対戦しない訳ですから、絶対に平等にはなりません。横綱、大関全員に当てた所で、序盤に下位力士から星を稼いだ事実は残ります。 どうしてもと言うなら、上から16人ずつグループを作って、リーグ戦にでもすればいいのですが、それはそれで別物になってしまう気がします。 それ以前に、番付なる物が、形式にこだわっている証拠ですし、裸にまわし1つで、ちょんまげ結って、塩撒いて・・・明らかに勝負以外の部分が重視されています。 確かに上位力士との対戦が少ない者が優勝すると、チョットずるいような気がしたりもします。 だからといって、少し連勝したからといって、すぐに上位とどんどん対戦させるのも、番組編成として品が無いようにも感じます。 違和感を感じさせずに、上手く上位と当てるのが、番組編成担当者の腕の見せ所ではあり、そういう意味では、後でこの対戦が無かったのは・・・と思わせるようでは、失敗だった言えない事も無いのですが。 その辺のジレンマを解消するための考え方として、 優勝とは、その場所で1番強かった力士、ではなく、その場所で1番多く勝った力士、という風に理解すればどうでしょうか。 個人的な考えとしては、見る側が、たまにはこんな事もある、と受け入れるのも、1つの文化だと思います。

marinet
質問者

お礼

ありがとうございます。琴富士の優勝は私も覚えておりますが、千秋楽の取り組みにそういう裏話しがあったとは。。。回答をくださったお二人のご意見は、私の想像とほぼ一致しており、納得することができました。ただ、番付下位の力士が優勝争いに食い込んだとき、もちろん序盤は下位の力士から白星を重ねるのでしょうが、少なくとも横綱大関とは全員当たることを可能とするようきちっと逆算をして(ちょっと連勝したからすぐ上位と当てる、という感じではない)取り組みを作ることは可能なのではないか、いまでもそう考えています。

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