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昭和10年代の陸軍士官学校について
昭和10年代の日本の陸軍士官学校の歩兵科の修業期間は何年だったのでしょうか? 調べてみると飛び級もあるような事が書かれていたので大体の相場を、 もしくは詳しいシステムが分かる方は、そのシステムを教えて頂けるとありがたいです。 宜しくお願いします。
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No.1です。 「私は陸軍士官学校と陸軍予科士官学校とは違うルートだと考えていましたが」 質問者さんは「陸軍予科士官学校」と「陸軍予備士官学校」を混同しているのではないですか?名前が似ていますが、全く違う学校です。 陸軍の、正規の現役将校養成コースは、時代によって変化がありますが、最終的には 「陸軍地方幼年学校、または一般の中学校 → 陸軍予科士官学校 → 陸軍士官学校」 です。No.1で説明したとおりです。 === 一方で、陸軍では、高等教育を受けている人材を、「幹部候補生試験」によって将校に任用し、戦時に大量に必要になる下級将校(少尉~大尉クラス)を補充していました。 高等教育を受け、軍事教練修了証を交付されている青年は、徴兵により二等兵として陸軍に入って、しばらくすると、幹部候補生試験を受験しました。 幹部候補生試験に合格すると、「将校に適する者」「下士官に適する者」に振り分けられ、「将校に適する者」は、 「陸軍予備士官学校」 に入学、卒業して、見習士官を経て陸軍少尉に任官しました。 いわゆる「学徒出陣」で陸軍に入った人は、高等教育を受けている貴重な人材ですから、ほとんどがこのコースで将校になりました。 === 「中国からの留学生で、中国で日本の中学4年修了相当の学力を持っている人間だったら他の日本人たちと同じ条件で受験、入学はできたのでしょうか?」 できません。中国人は、大日本帝国陸軍軍人になれないからです。 日本の陸軍士官学校には、明治時代から敗戦に至るまで、外国からの留学生を受け入れるコースが存在しました。これは 「日本と友好関係にある国の青年将校が、アジア随一の軍事先進国である日本に留学して軍事学を学ぶ便宜を与える」 ものであり、陸軍士官学校の通常の将校養成過程とは全く別です。
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- buchi-dog
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旧制中学校は五年制ですが、四年修了の時から、上級学校(旧制高校、旧制専門学校、陸軍士官学校<厳密には陸軍予科士官学校>、海軍兵学校など)を受験・進学可能でした。 ただし、四年修了で上級学校に進学した場合は「四修(よんしゅう)で進学した」などと表現し、「飛び級で進学した」とは表現しませんでした。 また、旧制中学校と旧制高等学校を一体化させた「七年制高校」がいくつか存在しました。 (例) 成蹊高等学校 (旧制) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E8%B9%8A%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1_(%E6%97%A7%E5%88%B6) 小学校を卒業して七年制高等学校に入ると、中学校課程は四年ですので、全員が「四修」で高等学校過程(三年)に進み、卒業後はどこかの帝国大学・官立医科大学に進学できるという「おいしい学校」でした。 (全国の旧制高等学校の定員が、全国の帝国大学と官立医科大学の定員と等しかったようです) 戦前は、今の一流大学の入試に相当するのが旧制高等学校の入試で、現在と同じく熾烈な受験戦争が繰り広げられていました。 受験戦争を回避して、さらに普通より1年早く、帝国大学卒業の学歴を獲得できる七年制高校は、ほとんどが私立でしたので学費がかさみましたが、人気があったようです。 質問からやや離れますが「四修」について説明しました。
- shin1417
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一点だけ。 「飛び級」についてですが、陸軍士官学校に「飛び級」はありませんよ。 士官学校に入るのには「飛び級」はありましたけど。 旧制中学は5年制でしたが、陸軍士官学校は中学4年修了時で入学資格が得られます。 この中学4年で合格して入学すると「飛び級」で入学と言われました。 (中学5年をすっ飛ばしている訳ですから) これとごっちゃにしていませんか?
お礼
そうなんですね。 私の頭の中で色々と混同していたみたいです。 とても参考になりました。ありがとうございます。
- buchi-dog
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陸軍の現役将校を養成するメインコースである「士官候補生制度」で、飛び級はありません。 開戦の後に少尉(歩兵科)に任官した、村上兵衛氏の年譜はこうなっています。 昭和11年4月 東京府立四中に入学。 昭和13年4月 広島陸軍幼年学校に入学。 幼年学校の受験は、13歳の学齢・14歳の学齢に限られました。中学1年在学時、または中学2年在学時に受験して合格するのが普通でした。村上氏は、中学1年時の受験は落第し、中学2年次の受験で合格しました。 幼年学校生徒は、軍人ではありません。なので、幼年学校は月謝を支払う必要があり、退学する自由がありました。普通の学校と同じです。 昭和16年4月 陸軍予科士官学校に入学。ここで、中学校出身者(中学4年修了から受験資格あり)と合流。この時点で「軍人」となり、学校の命令以外では退学できません。 予科士官学校に入学する時点では兵科は未定で、入校から1年経過した所で兵科が決まり、村上氏は希望どおり歩兵科となりました。 昭和17年4月から、予科士官学校で兵科別の教育に別れました。航空兵科になった者は、この時点で陸軍航空士官学校(埼玉県・入間)に移りました。 昭和17年7月 士官候補生(57期)となり、上等兵の階級となり、近衛歩兵第一聯隊附。3ヶ月の隊付勤務。 昭和17年10月 伍長に進級して、陸軍士官学校(神奈川県・座間)に入校。 昭和19年3月 陸軍士官学校を卒業。 昭和19年4月 見習士官となり、近衛歩兵第六聯隊附。 昭和19年7月 陸軍少尉に任官、引き続き近衛歩兵第六聯隊附。 広島陸軍幼年学校入学からは6年3ヶ月、陸軍予科士官学校入学からは3年3ヶ月での少尉任官です。 参考文献:「桜と剣」村上兵衛 光人社NF文庫 http://www.amazon.co.jp/dp/4769820267/
補足
回答ありがとうございます。 ちなみになんですが、私は陸軍士官学校と陸軍予科士官学校とは違うルートだと考えていましたが この方の経歴を見ると予科士官学校→士官学校となっているようなので、 そういったルートを辿っていく人間は多かったのでしょうか? もし中国からの留学生で、中国で日本の中学4年修了相当の学力を持っている人間だったら 他の日本人たちと同じ条件で受験、入学はできたのでしょうか? 出来るだけ細かく知りたいので、もしご存知でしたら御回答頂けるとありがたいです。 長くなってすいませんが、是非宜しくお願いします。
お礼
丁寧で、かつ分かりやすい御回答ありがとうございます。 色々と混同していたもの、不透明だったものがやっと整理できてきました。 回答者様に大変感謝です。