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英語を勉強するなら、交換留学に一歩近づくことになるでしょう
- 外国人に「次の文の誤っている箇所または不適切な箇所を訂正せよ」という問題を解説しているちに、難しく考えすぎているせいか混乱してしまいました。
- 「英語を勉強するなら、交換留学に一歩近づくことになるでしょう」は、どこをどのように訂正するべきなのでしょうか、または適切な文なのでしょうか。
- 最初は「英語を勉強すれば~」とか「英語を勉強すると~」にするのかなと思ってしまいましたが、よく考えると「するなら」と「すれば」「すると」は、いずれも同じ意味のような気がします。恥ずかしいことですがそのあたりのことを考えているうちにすっかり混乱して、自分でも何を考えているのかわからなくなってしまいましたので、教えていただきたく存じます。
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こんにちは。No.4のsaburooです。 私が勉強した専門家の本から引用します。 蓮沼・有田・前田(2001)『セルフマスターシリーズ7 条件表現』くろしお出版 著者の有田と前田は、ともに条件表現の研究で博士号を得た専門家です。 この本は、「条件表現」の日本語教育用参考書としてもっともまとまったものだと思います。 そこから引用します。 まとめ3 ナラとタラ・バ (p.72-75) I 基本形+ナラ、名詞+ナラには会話中に相手が言ったことを事実として認めて、その内容を Xに表す用法がある。 この用法にはノナラも使うことができる。タラ、バを使うことはできない。 「明日のコンサートに行くことにしたよ」 「あなたが行くなら、私も行くわ」 ○行くノナラ ×行っタラ ×行けバ 「最近お隣に泥棒が入ったのよ」 「まあ、知らなかったわ。お隣に入ったナラ、あなたのところも気をつけないといけな いわね」 ○入ったノナラ ×入っタラ ×入れバ II 名詞+ナラ、基本形+ナラには、先行する談話の内容、会話中に相手が言った内容や、その 内容から予測できるようなことを主題として表す用法がある。 基本形+ノナラを使った場合は、主題の意味ではなく、特定の人の行為の意味になる。 ビールナラ ビアガーデンに限る。 ビールを飲むナラ ※「飲むノナラ」の場合「飲む」の主語は「聞き手」で、主題ではなく、Iの 用法になる。 III 基本形+ナラには、未来の出来事に関する予測・現在の状態に関する予測・相手の意志や予 定を表す用法がある。XナラY・XノナラYは、出来事が実際に起こる順序がX→Yの場合も Y→Xの場合も使うことができるが、タラ、バは、X→Yの場合しか使うことができない。 今月末に引っ越しするナラ、そろそろ挨拶に来るはずだ。(未来の予測) ○引っ越しするノナラ ×引っ越しすれバ 「引っ越し←挨拶」のようにX←Yになっている ×引っ越ししタラ ので、バ、タラは使えない。 時間があるナラ、家に来るだろう。 (現在の予測) ○時間があるノナラ ○時間があれバ ○時間があっタラ デパートに行くナラ、おいしそうなお菓子を買ってきてね。 (相手の意志) ○行くノナラ 「デパートに行っタラ」を使った場合は、単なる仮定の意味になる。 「デパートに行けバ」は、Yが行為の遂行の表現の場合に、バが動作性述語に続くこと ができないという制限があるため使えない。 IV 基本形+ナラには過去の出来事を表す用法がある。Xが事実であることを認める用法と、 Xが事実でないことを主張する用法がある。ノナラも使うことができる。 海外勤務になるナラ、もっと英語を勉強すべきだった。 (事実であることを認める) ○海外勤務になるノナラ ×海外勤務になれバ ×海外勤務になっタラ 写真をとられて困るナラ、カメラマンからフィルムを奪っただろう。 (事実でないことを主張) ○困るノナラ ×困れバ ×困っタラ 心理動詞の場合、バ・タラは使えない。 学校で勉強しただけでわかるナラ、塾に行くはずがない。 (事実でないことを主張) ○わかるノナラ ○わかれバ ○わかっタラ 状態動詞・形容詞の場合、バ・タラも使える。 V タ形+ナラには、タラ・バとも置き換えが可能な仮定を表す用法がある。この用法にノナラ を使うことはできない。 今電話であの人に好きだと告白したナラ、きっと驚いてしまうだろう。 ○告白しタラ ○告白すれバ ×告白したノナラ もし、この箱が開かなかっタナラ、誰かが細工をしたに違いない。 ○開かなかっタラ ○開かなけれバ ×開かなかったノナラ VI タ形+ナラには、タラ・バとも置き換えが可能な反事実の仮定を表す用法がある。この用法 にもノナラを使うことはできない。 もっと早く起きたナラ、美しい朝日を見られただろうに。 ○起きていたナラ ○起きていタラ ○起きていれバ ×起きたノナラ ×起きていたノナラ VII タ形+ナラには、Xの事実を知らなかったことを悔やむ気持ちを表す用法がある。この用法 にはノナラを使うことができるが、タラ・バに置き換えることはできない。 「先週は風邪で、三日も寝込んでしまった」 「病気だったナラ、お見舞いに行ってあげたのに」 ○病気だったノナラ ×病気だっタラ ×病気であれバ VIII タ形+ナラには、Xが真ではないことを主張する用法がある。ノナラを使うことができるが、 タラ・バに置き換えることはできない。 あいつが盗んだナラ、わたしの前で平気な顔でいられるはずがない。 ○盗んだノナラ ×盗めバ ×盗んダラ IX (ノ)ナラは次のような表現には使えない。 1.一般的、習慣的なこと。 体温が上がるト汗が出る。 ×上がったナラ ×上がるナラ 私はお酒を飲むト気分が悪くなる。 ×飲んだナラ ×飲むナラ 2.時間・季節の流れ、道順など、確実に起こること。 春になれバもう少し暖かくなるだろう。 ×なったナラ ×なるナラ この道をまっすぐ行っタラ、右手に白い建物があります。 ×行ったナラ ×行くナラ 3.過去の事実を表すこと。 ドアをあけるト、父が倒れていた。 ×あけたナラ ×あけるナラ 4.当然、必然の関係にあるXとY。 身体を動かさなけれバ太るのは当たり前だ。 ×動かさなかったナラ ×動かさないナラ (引用終わり) 私が前の回答で依拠したのは、上のIIIの部分です。 「なら」を使った条件を表す形式は、「するなら」のほかに、「したなら」「するのなら」 「したのなら」などがあって、なかなか複雑です。 動詞だけでなく、「名詞+なら」もまた違った用法があって、混乱します。 私は、上の本を途中まで読んだのですが、なんだからわからなくなってきて、そのままです。 いつか、もう一度ゆっくり考えながら読みたいと思っています。 saburoo
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- hakobulu
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#3です。 回答というより一緒に考えさせていただくというスタンスで、今回も若干の補足を試みてみたいと思います。 1.まず、前回同様、これは不適切な文とは言えない、という立場で述べてみます。 時間的・論理的前後関係という理由で、「英語を勉強するなら、交換留学に一歩近づくことになるでしょう」は不適切である、というお考えがあるようですが、これに疑義を覚えます。たとえば、挙げておられる例にしても、 (午後)雨が降るなら、洗濯物が濡れてしまう。 (午後)雨が降るなら、試合ができない。 (午後)雨が降るなら、どこかで傘を買えばいい。 という言い換えが可能なはずです。 たしかに、 「午後、雨が降るなら、(今)傘を持って行ったほうがいいよ」のように、「 A するなら B 」という場合、B のほうが時間的に先になる場合もあります。 しかし、上記の書き換え例のように、常にそうだということにはならないでしょう。 「なら」にそういった要素があることは、わたしも勉強になりましたが、それは必ずしも本質的な(「と・ば・たら」との)違いではないと思います。 上記例のように、B のほうが時間的に後になる場合でも「なら」は十分に使える表現のはずです。 「なら」はあくまで仮定形なわけですから、因果関係が基本的な要素として存在しているのは確かでしょう。 その意味で、 「英語を勉強→交換留学に一歩近づく」という前後関係を理由に「英語を勉強するなら、交換留学に一歩近づくことになるでしょう」という文は不適切である、とすることには賛同できません。 「と・ば・たら」が典型的に使われるシチュエーションであることは認めますが、それをもって「なら」を不適切とするなら、非常に雑な教材と言わざるを得ないと思います。 2.とはいえ、不適切か否かはあくまで感覚の問題ですから、不適切という感覚がなぜ生じるのか、という可能性について若干考えてみます。 「なら」が最も確信的でなくなるのは、本来断定の用法である助動詞に対して、敢えて仮定形を適用するという構造上の問題があるからではないか、と前回述べました。 ここで思うのですが、本来の断定の用法が行使された前段階が明示されていれば不適切だという印象は薄れる(あるいは無くなる)のかもしれません。 ちょっと試してみます。 花子:「交換留学ってなかなか難しいみたいね」 太郎:「僕は今度、英語の勉強を始めようと思うんだ」 先生:「英語を勉強するなら、交換留学に一歩近づくことになるでしょう」 この会話においては、「英語の勉強を始めるのだ!」といった太郎の断定的な発言を受けて、先生が「英語を勉強するなら~」と続けています。 この前段階が無いままに「英語を勉強するなら~」と言うと、断定さえしていない、つまり、話を振られてもいないのに、いきなり仮定形に変換する形になるので違和感が生じるのかもしれません。 要するに、語り出しが唐突である、という理由で不適切という評価を下される可能性はありそうです。 わたしとしては、そうしたシチュエーションを想定すれば全く問題ないと考えるべきだと思うのですが、それは出題者の特権事項に(是非は別にして)なるのでしょう。 日本語教師の方と張り合っても分が悪いかもしれませんが、案外、こんな理由なんじゃないですかね。 少なくとも、「英語を勉強するなら、交換留学に一歩近づくことになるでしょう」という文章自体には何の責任もないのではないか、ということだけ強調しておきたいと思います。
お礼
たびたびのご回答、ありがとうございました。 私も本来の用法としては#4さんが言うとおりだと思いますが、必ずしもそのように割り切って使い分けられているわけではないと思うべきではないでしょうか。そのあたり、シチュエーションや話者の意図によっても左右され得る要素があるものと思います。「正しい言葉」とは、時々刻々変化していく性質を持っているものでもあります。皆様方のご回答を拝見して、この件は流動的な過渡期にあるもののひとつとしてとらえてもいいのではないか、と思いました。 現時点ではとりあえず外国人の方には教科書文法的な説明として#4さんの回答をベースに説明し、前後の脈絡などによっては必ずしもそうでない旨補足することにしたいと思っています(うまく説明することは難しいようですが)。 本件以上に複雑で難しいと思われる、下記の質問についてもご回答いただければ幸いです。 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8055662.html
- nwsaburoo
- ベストアンサー率65% (15/23)
こんにちは。 日本語教師です。 日本語教育で「条件表現」というと、まずあげられるのが、「すると/すれば/したら/するなら」の 4つの形です。「と・ば・たら・なら」などという人もいます。 この中で、はっきり違う点があるのは、「なら」です。他の3つとは区別されます。 それは、前件と後件の時間的、あるいは論理的前後の関係です。 「Aすると/すれば/したら、Bする」の場合、Bは、Aが実現した「後に」起こる事柄です。 (午後)雨が降ると、洗濯物が濡れてしまう。 (午後)雨が降れば、試合ができない。 (午後)雨が降ったら、どこかで傘を買えばいい。 どれも、「雨が降る」ということが実現した後のことを問題にしています。「濡れる」のも、「試合」も、「傘を買う」のも、みな「雨が降った」あとのことです。 では、「なら」はどうでしょうか。 午後、雨が降るなら、(今)傘を持って行ったほうがいいよ。 「傘を持っていく」のは、「雨が降る」前のことです。 「AならB」では、A → B である必要がありません。そこが、他の形と大きく違います。 さて、「英語を勉強する」と「留学に近づく」はどういう前後関係でしょうか。 やはり、A → B でしょう。「勉強」の後に、「留学に近づく」のです。 これは、「と/ば/たら」が典型的に使われる場合です。 もう一つ、「なら」は、文末が「勧め」「依頼」「意志」などの「強い気持ち」を持った文がぴったりする、という特徴があります。 その点でも、この例では「なら」よりも他の3つの形がぴったりするのです。 「なら」には、以上述べた以外にもいろいろと用法がありますが、問題になっている例に関しては、以上の説明で大体いいのではないかと思います。 もちろん、「と/ば/たら」相互の違いやいかに、という話になると、またいろいろと考えなければなりませんが。 その詳しい話は、「条件表現」というようなキーワードで検索すれば、何か適当なサイトが見つかるのではないでしょうか。 saburoo
お礼
ご回答、ありがとうございました。 時間的または論理的な前後関係については、全く考えつきませんでした。因果関係とは異なる角度から考えるわけですね。これでこの文の不適切な部分がわかりました。 できましたら次のURLに載せた質問にもご回答いただけませんでしょうか。まだ明快な回答をいただけていないようですので。 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8055662.html
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
1. 「なら」は、断定の助動詞「だ」の仮定形になると思います。 「英語を勉強するなら、交換留学に一歩近づくことになるでしょう」は、 【英語を勉強する、ということが確定的になったならば】といったニュアンスを含むことになるのでしょう。 2.「ば」、「未成立の事柄を仮定し、それを条件として表す」という用法で、順接の仮定条件を表わす接続助詞。 「英語を勉強すれば、交換留学に一歩近づくことになるでしょう」は、 【英語を勉強する、ということが、仮に実現するならば】といったニュアンスになると思います。 3. 「と」は、「ある条件が備わると、いつも同じことが起こる」という意味の接続助詞。 「英語を勉強すると、交換留学に一歩近づくことになるでしょう」は、 【英語を勉強する、という条件が備わると(その結果として必然的に)~】といったニュアンスになるでしょう。 どれも仮定条件の構文なわけですが、「交換留学に一歩近づく」という(因果関係の)結果について最も確信的な意図を持った表現は3ではないか、と思います。 次に、2、1の順でしょう。 1の「なら」が最も確信的でなくなるのは、本来断定の用法である助動詞に対して、敢えて仮定形を適用するという構造上の問題が絡んでくるからではないかと推測します。 確信的ではない分、結果として曖昧な印象を与えるかもしれませんが、逆に言うと穏やかな(婉曲的な)表現と言うこともできそうです。 いずれにせよ、仮定条件(因果関係)の結果に対する期待感の強弱、といった無意識的な意図の違いで使い分けているような気がします。
お礼
なるほど「目からうろこ」のご回答、ありがとうございました。 言われてみると、そのような気がします。
- cxe28284
- ベストアンサー率21% (932/4336)
仮定の条件文、私も苦手ですが、するならは不自然だと感じます。 英語を勉強「するなら」OOという教科書が良いですよ。 交換留学「するなら」英語をみっちり勉強しましょう。 「すれば」、と「するなら」も微妙にニュアンスが違いますね。 留学するためには英語さえ勉強「すれば」よいというものではない。 生活や文化を知ることも大切だ。 英語を勉強すれば交換留学に一歩近づくことになるでしょう。 私はすればの方が自然だと思います。
お礼
ご回答、ありがとうございました。 言われていることはなんとなくわかるのですが、もっと理論的・かつ明確に説明しないと、外国人には理解してもらえそうにもありません。そこがつらいところなのです。 できましたら、どんな場合にどんな表現を使うのか、明確に述べてほしいのですが……。
- bekky1
- ベストアンサー率31% (2252/7257)
面白そうなので、参加させていただきます。 文系の出身ではないし、国語の成績もよくはなかったおばちゃんですので、 世間一般の日本人のおばちゃんがどう思うかぐらいと、受け取ってください。 【英語を勉強するなら、交換留学に一歩近づくことになるでしょう】 この設問の前提ですが、’・・・・するなら’だけに問題があるというより、 私なら、’英語で’というとこの助詞に引っかかります。 英語【を】勉強するなら 英語【で】勉強するなら 英語【も】勉強するなら 英語【でも】勉強するなら などなど、です。 ’するなら’はいわば、前提か過程か、仮定としての話ですが、 英語そのものをどうするかということを含めての’交換留学’まで言及する’資格’としてなら 個人の資質つとしてここまで要求されるのではと、思う次第です。 するなら問題の3択は、私的には、どれでもいいと思うので。
お礼
ご回答、ありがとうございました。 するなら問題の3択は同じ意味のような気がしますが、使い方や使う場面に違いがあるのでしょうか。そこが気になっています。
お礼
詳細なご説明、ありがとうございました。 時間のある時に、熟読させていただきます。