• 締切済み

歴史の研究の仕方とは

日本の歴史学を専攻している学生です。 近世の庶民文化に傾倒しております。 憧れの人は稲垣史生さんと杉浦日向子さんです。 非常に狭き門だとはわかっておりますが、 この方々のように自分の大好きな歴史で働くことが出来たらと強く思います。 時代考証家、研究家に憧れを抱く日々です。 私の知識の源は全て本です。とにかく本を読んできました。 自分で言うのも何ですが専門の知識はある方だと自負しております。 近世庶民文化に限ってではありますがよく周りから私の知識量を誉めていただけます。 嬉しいことに教授から「江戸庶民に関する知識は事典並だね。わからないことがあったら君に聞くからよろしく頼むよ」と言ってくださいました。 ですが、この本を読むことだけの現状の学び方に最近疑問を抱いてきています。 時代考証家なる人は一体どうやって勉強あるいは研究をしているのでしょうか。 彼等は一体どのように学んで今の知識、考え方を身につけてきたのでしょうか。 やみくもに本を読んで知識を得ているという今の私の状況が何かずれている気がしてなりません。 私が読む本は近世の人が書いたものでなく近世を研究する方々がわかりやすく解説してくれたもの。 全て間接的な知識です。ある意味何一つ本物に触れてません。 ですが研究とは人の見解を通してそのまま受容することばかりではないのではと思います。 現状のようにこのまま誰かの書いた著書ばかりを読んで知識を得るというスタイルで行ってしまったら、 いつか必ず行き詰まってしまうと思うのです。 行き詰まった先に私は一体何をすればいいのか。 それを解決するにはまず自分の学び方の姿勢を見直す必要があると思いました。 何だかあいまいな文章ですみません。 私の学び方にどうか助言をいただけましたら幸いです。 皆様の考える歴史研究を知りたいです。 回答のほどよろしくお願いします。

  • kryuu
  • お礼率59% (13/22)
  • 歴史
  • 回答数8
  • ありがとう数10

みんなの回答

  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.8

まずは,歴史哲学をやることです。 つまり,「歴史とは何か?」を考えること。 特に,「歴史(学)とは客観たりえるか?」を突き詰めて考える。 歴史というのは,簡単に思想・イデオロギーに染められやすい性質を持っています。 そこで,「歴史哲学」を行うことで歴史に対する自分の立ち位置が見えてきます。 詳しくは,手前味噌ですが過去の質問者様とのやり取りを。 http://okwave.jp/qa/q3794442.html さて,前置きはこの位にして質問への回答です。 まずは一次史料(古文書)が読めるようにしましょう。 古文書が読めなければ,お話になりません。 一次史料には古事記などの史書から,『源氏物語』などのような文学だけでなく,公官庁での文書,個人同士の手紙から名も残らない侍の落書きまで,様々です。 そして,それぞれの史料には様式や字の形など時代々々の特徴があります。 そうした特徴で時代を特定しつつ,その文章を残した人の意図を想像してみる。 そして,想像があってるかを別の史料や二次史料と付きあわせて考証していきます。 研究とはコレにつきます。 なので,まずは「古文書学」を学びましょう。 http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%A4%E6%96%87%E6%9B%B8%E5%AD%A6%E5%85%A5%E9%96%80-%E4%BD%90%E8%97%A4-%E9%80%B2%E4%B8%80/dp/4588320114 次に,考古学・社会学・金石文学・民俗学etc,,,と歴史補助学と言われる学問の特徴を掴んでおくと,研究の役に立つと思います。 色々視野を広げる意味でも,お勧めします。 最後は,英語論文を読めるようになると良いかと思います。 日本史と言えど,研究者は日本人だけでなく,外国人研究者もたくさんいます。 そうした先達の研究も非常に役に立ちます。 外国人だからこそ,気付くこともありますし。 あとは,乱読を続けることでしょうか。 その時,著者の「歴史の立ち位置(思想・イデオロギー)」を意識すると行間を読みやすくなり知識も深まります。 さらに,本だけではなく,各学界の紀要や論文集を読むことですね。 とまぁ,私が思いつくのはこの程度でしょうか。 ではでは、参考になれば幸いです

kryuu
質問者

お礼

恥ずかしながら歴史哲学はあまり真剣に望んでいなかった気がします・・・反省です・・・。 歴史を客観的かつ批判的に捉えられるようもう一度歴史哲学を見直します。 そして、英語論文は盲点でした。翻訳されたものならよんだことはありますが原文はまだありません。 今度は英語の論文、海外の方の著書にも手を出していってもっと視野を広めたいです。 これからは論文を重点的に攻めて歴史を学んでいこうと思います。 貴重なご意見ありがとうございました。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.7

 こんにちは、歴史学専攻であるならば、学部での卒論提出が求められるケースが普通です。仮に質問者様が現在学部の三年次に在籍しているならば、間もなく卒論テーマに関するガイダンスも行われ、また専門課程での領域(殆どの場合、時代史毎の括り)による振り分けも始まります。  そうした状況を踏まえるならば、質問者様の場合はおそらく近世史を選択し尚且つ、生活文化史の領域で申請することになるでしょう。  さて、これまでに質問者様は「大枠ながらも」どの様な先行研究に接してこられましたか?。近世の生活史でも大塩平八郎や佐倉惣五郎などの行動もあれば、式亭三馬の『浮世床』や『浮世風呂』に綴られる生活実態まで広い幅があります。  様々な文献を読み漁り知識はあるとのことですが、それらはあくまでも一つのデータでしかありません。知識を得ることは大切であっても、その知識を下にして「どの様な材料で時代の枠組みと一つの事象を関連づけるか」を踏まえねば、その知識を活かすことにはつながらないのではないでしょうか。  NHKの大河ドラマなどには「時代考証」や「監修」の名前がテロップで紹介されますね?。先日も地上波で放送されていた『塚原卜伝』にも峰岸純夫氏の名前がありました。手前味噌になりますが、僕が修士課程の時に指導を受けていた日本中世史の研究者です。元々は中世後期の社会構造および社会集団の研究に始まり、一揆や寺内町をはじめ東国の武士や災害史と幅広く手掛けられたきた方です。これまでの研究実績と成果を踏まえ、エンターテイメントであるドラマ作りに際しても、学問としての歴史学から観た場合にも視聴者に疑義や問題(突拍子もない誤謬など)を生じさせないかどうかなどを台本や画面に映される装束やら街の光景などに相当な神経を使ったと先日もぼやいていました。この辺りは昨年の『平清盛』でも巷間で喧しい議論が展開された「王家」との言葉を使うことの難しさを思い出していただければおわかりでしょう。日本史学ではごく普通に使われている概念や言葉が、一般の人の歴史認識からすれば「疑問がある」。これは歴史学に携わる者の側にも確かに一端の責任はあります。けれどもそれが「誤謬である」との一方的な思い込みの方が、僕は「より危うい」と考えます。一般の認識は「歴史趣味から派生した知識」ではあっても、「歴史学の成果である」ことと等位関係ではない。こうしたことは「歴史学概論」で既修しているはずです。  >研究とは人の見解を通してそのまま受容することばかりではないのではと思います 確かに杉浦日向子さんや稲垣史夫さんは「江戸文化」に詳しくはあっても、それが即近世研究者であることにつながるでしょうか。  一つの事象に関する先行研究は山ほどもあり、ご自身が今後目指される方向性とスタンス自負をお持ちになるのはは未だ早すぎるかな、と感じます。  「卒論」の意味は (1)問題(テーマ)の立て方 (2)「自身のテーマに関する」先行研究の整理と到達点および問題点を確認する (3)研究材料である「分析視角」と「史料」を探す (4)分析視角と史料に関する検証を行う (5)史料の適切な扱い方法 この様な要件をどこまで学んできたか、を確認することにあります。  >私が読む本は近世の人が書いたものでなく近世を研究する方々がわかりやすく解説してくれたもの それはどの時代の史料を扱うことでも同様です。鎌倉時代に書かれたといっても、それが『法曹至要抄』などの「注釈書」であれば、それが対象とするのは古代の「律令」ですから、鎌倉時代の人物が古代の史料に関して「どの様な学説があったか」を整理しているのであって、鎌倉時代の律令観が反映されているとは限りません。  これに対し『国史大系』の『法曹至要抄』は黒板勝美などが近代以後に伝本や写本を整理校訂しなおしたものです。ですから、これらの「史料」が必ずしも当時の人間の言葉を現在に伝えているとは限りません。既に原史料から刊本へと変化していることも念頭におかねばならないことになります。  そうした史料から「何を検証したか」が研究です。その研究も「当時の状況や時代像」をどの様に映し出すかとの目的意識と問題意識に裏付けられているのであって、「全て間接的な知識です。ある意味何一つ本物に触れてません」とのご指摘は少しばかり距離があるのではないでしょうか。既に「古文書演習」や「史料演習」の必修科目で「史料」に接してきたはずです。それを「本物(現物ではないが)」ではないと断定できるものでしょうか。  近世史を選択するならば脇田修や朝尾直弘、古島敏雄や安良城盛明、山口啓二、大石慎三郎、佐々木潤之介、津田秀夫などの政治史・社会経済史分野、外交史ならば中田易直、永積洋子の名前が直ぐに出てきます。なぜ「近世史の研究者の名前」が質問文中にはないのでしょうか。  もし僕が質問者様の卒論指導教員だったならば、「そこまでの自信があると仰るのなら、具体的な史料の裏付けと研究史を総括したものを提出して下さい。そうでなければ未だ論文の一本も発表していないのだから言葉を慎む必要がある」と一喝しますね。もし御無礼や気に障ることがありましたら削除を要請して下さい。僕には「歴史学専攻の学生」であるとは到底、思えません。時代劇の世界や歴史趣味と歴史学を学ぶことの境目がお分かりになっていないご様子ですので、少しお話しさせていただきました。

kryuu
質問者

お礼

削除などとんでもありません、丁寧な助言をいただけたこと本当にありがたく思います。 私の発言は多くの思い上がりな部分があったと思います。 私のこの発言は指摘されるだろうな、と思うところもありましたが、 それでも今思うことをそのままに記しその上で皆様の助言をいただきたいと思い、 私のありのままの考えを記しました。お気に障りましたら申し訳ありません。 その他の物事に対する考え方の姿勢、大いに参考になりました。 稲垣史生さん、杉浦日向子さんは憧れております。 そして回答者様があげられたような近世史の研究者はよく書物を読みあさり調べてはおりました。 しかし実際の所私は彼等を「好き」または「興味の対象」なだけであり「憧れ」ではありません。 私が憧れるのは純粋に研究家ではない・・・ということなのでしょうかね。 私は歴史を研究して己の論を問うのでは無く、 たくさんの人に歴史の魅力を伝えることに関心を抱いているのだと感じました。 あらゆる分類の境目が理解できていないのは仰る通りです。 ですが皆様の意見を通して自分のしたいことが見えてきました。 私が考証家に憧れたのは歴史創作という歴史の魅力を伝えることに携われるからだったのかもしれません。 まだ考えはぐるぐると巡って明確にはなっておりませんが、あらゆる方法で歴史に近付いて答えを探していきたいと思います。 ちなみに恥ずかしながら院生です。 貴重なご意見ありがとうございました。

noname#194996
noname#194996
回答No.6

>に私は一体何をすればいいのか。 まさにそういうものを見つけることだとおもいます。「何かをしたい、知りたい!」そういうことで歴史研究にはいられたのではないのでしょうか。何かを知りたい!それがなければ研究をする動機はなくなります。ただ一線の知名人のようになりたいのなら歴史研究でなくても小説を書く方が近道かもしれません。 研究は誰もが知りえなかったものへ突っ込んでいく冒険のような、賭けの様なものです。基本は誰も見なかった、発見しなかった一次資料にあたって自分で考え考え進んでいく地道な作業でしょう。ダメかもしれないし、うまくなぞが解けるかもしれない。 松本清張などのように、すでによく知られた資料を再読してその裏を見たり、大胆な仮説を立てたりして新説を組み立てるタイプもありますが、それは彼の才能と素人であることから許されたやり方だと思います。もちろん学者とても従来の考え方を踏襲するばかりではダメだと思いますし、清張のやり方を見習う必要はあると思いますが。 >近世の庶民文化に傾倒しております。 こういったところから貴方なりのテーマをみつけられてはいかがでしょうか。

kryuu
質問者

お礼

回答を拝見しまして私は研究をするのでは無く何かを作り出したいのかもしれないと思いました。 私は質問欄にて歴史を研究したいと言っていましたが、 考えて考えて新しい何かを見つけることに実際はそれほど魅力を感じませんでした。 それよりも今分かっているあらゆること総合して江戸全体を思い浮かべる、 創造する、それを伝える、そちらの方が私にとってはより魅力を感じます。 ただ、見つけようと思って見つけるのではなく、あらゆる知識を総合して生じた矛盾を偶然発見したりと、 いったん謎を発見したら出来るところまで突き詰めてはいくタイプです。(何度かありました) そういう状況になったらひたすら私は考えることに専念するとは思いますが、 そういうのが見つからない限りは考えるよりもその世界観を思い浮かべて伝えていくことに没頭しそうです。 どうやら私は目指す道そのものを見直す必要があるようですね。 貴重なご意見ありがとうございました。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15359)
回答No.5

 現存する書物など読まれたりしていますし、地域のお祭りなど伝承されてきている物も参考に成ります。屏風などの絵も。  正倉院の宝物の文章でも様々な記録、収められているものの記録なども残っています。木簡なども読んでいくことで、庶民の暮らしとかも分かってきます。  エジプトの考古学でも奴隷がピラミッドを造ったというのが定説だったけど、パピルスなどに、二日酔いで休みますなどの文章もあった。奴隷に対してはそんなことはしないだろうということで、公共事業として労働者だったと分かってきたりもします。  昔話なども実は大切で、そこから推測したりもしますね。  それと、多くの人達と出会ったり話を聞いたりされています。これが多いかな。文章や絵で残らないで口伝という形もありますので。  日本の星座の和名を探っている方でも、失われつつある和名を、お年寄りの方に尋ねたりも。それと、知らない人に話したりしてくれないこともあるので、何度も通って、心を開いてもらったりして聞き出したりとかもある。

kryuu
質問者

お礼

史跡を巡ったり、博物館を巡ったりはよくするのですが、 誰かに積極的に聞いたりなどはあまりしてなかった気がします。 足で歩いて歴史を知ろうとする姿勢はとても大切なのだと改めて感じました。 もっと積極的に足を動かしていきたいと思います。 貴重なご意見ありがとうございました。

  • nebnab
  • ベストアンサー率34% (795/2317)
回答No.4

一般論は他の方が回答されていますので、私からは質問者様の状況に合わせたアドバイスをします。 まずは江戸時代に発行された書物の原本を読めるようにトレーニングすることです。 原本に触れることで、先行研究者の解釈の間違いを見つけることがあるかもしれません。 また、今まで知られていなかった書物が今後発見される場合もあるかと思いますが、江戸時代の文字を読むことができないと解読できません。 > 全て間接的な知識です。ある意味何一つ本物に触れてません。 まずは本物に触れてください。 研究というのはそこから始まります。

kryuu
質問者

お礼

書物の解読は学校で習いたびたび現物に触れて参りました。 そういう意味では本物に触れては来て、 時代ごとの紙の感触、字の風情などたくさんのことに感動したことを覚えています。 記述し忘れていたのですが、私は趣味で古い文献を買って自分で解読するので史料にはよく触れております。 しかし、 「へぇ、こんなことがあったのか」「個性的な字だなぁ」「あ、あの事件のこと書いてる」 など、悲しいことに批判的見解が欠如した感想ばかりを持っておりました。 史料に触れるときの姿勢を見直していきたいと思います。 貴重なご意見ありがとうございました。

  • GPRO999
  • ベストアンサー率24% (64/263)
回答No.3

時代を遡る歴史研究は様々ですが、これから先人類がどれだけ栄えるのか先を見越して現代一世紀に於いての変化は未来にどう伝わって行くのか?を思うものです 人類のコミュニケーション・生活は過去に遡って皆研究していますが・・産業革命以降・・現代100年の記録は明確ではあるものの、人類がどう変化したかはその文化を未来に伝える記述は余り見受けません・・・コミュニケーションにおける人類の変化・・も課題にできるのでは? 人間が持っている機能がここ一世紀で退化しているのではないか?とも感じているのですが? 研究課題とはかけ離れているとおもいますが・・・ある老人の独り言です

kryuu
質問者

お礼

コミュニケーションにおける人類の変化、なかなか興味深いテーマですね。 近世だけでなく、前後のつながりを考察してみるのも面白そうです。 狭いテーマばかり詳しくなっていたので、もっと他の時代にも目を向けていこうと思います。 貴重なご意見ありがとうございました。

  • dogday
  • ベストアンサー率29% (2314/7952)
回答No.2

史学はジグソーバズルのようなもの。 全部の記録が残っているワケじゃないので、資料から穴や憶測、嘘などを見つけ、その欠損を埋めるために他の資料を探す校正作業が延々と続きます。 だから、人の見解を通してそのまま受容することよりも、人の見解を疑い、今までの常識を疑うことが史学の基本スタンス。 真実はひとつ、受け止め方は記録した人の数だけある認知的複雑性を受け入れないと、 他人や常識を信じやすい人は、真実を現在に都合よく曲げてしまい、他人の知識を掘り下げなくなってしまうので、あまり歴史学者に向いていません。 シュリーマンみたいに、神話を信じてトロイを見つけてしまう人もいますけどね。

kryuu
質問者

お礼

「史学はジグソーパズル」、私の教授が良く使ってらっしゃる言葉でしたので少しはっとしました。 そうですね、確かに私は今まで一般論をただ受け止めてばかりいたようです。 これからはもっと歴史を批判的に受け止められるよう意識して努めます。 仰る通り私は歴史学者に向いていないようです。ですが、皆様の意見を巡って新たな道が見えました。 貴重なご意見ありがとうございました。

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.1

仮説を立てる。証拠を集める。仮説を論証する。仮説を新説として世に問う。 この世の学問という学問は、この繰り返しで発展してきました。歴史学とて同じです。本を読むだけでは只の物知りというだけの話。方法論が無い学問など存在しない。 学者という学者は既存の説を疑い、時には否定し、時には補足し、時には発展させてきました。それができないなら学者ではない。只の便利屋に過ぎない。

kryuu
質問者

お礼

研究者とは自分の論を世に問うということなのかと感じました。 批判する体制が大切なのですね。 貴重なご意見ありがとうございました。

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