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神様って何ですか

家には神棚とか 屋敷には屋敷神だとか 道は石の何とか神とか 神社には何とか神社とか どこにいっても神様だらけのような気もしますけど 大切にしておけば災いはありえないといって良い でしょうか。 宜しくお願いします。

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  • michael-m
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回答No.5

日本の信仰形態の基盤は神道です。神道の「神」は自然・森羅万象の神、先祖です。また神には大きく分けて荒魂(あらたま)と和魂(にぎたま)があります。(研究者によっては24など様々) これは神と悪魔というようなものではなく、例えば貴方も機嫌のいい時と怒る事もあるでしょう。要するに人間の喜怒哀楽と同じだと考えてください。 東日本震災の後、多くの人が「この美しく静かな海が多くの人を飲み込んで町を破壊したとは信じられない」と感じたそうです。これが自然における荒魂と和魂です。 神とは・・・少なくとも神道の国日本で言うならばそれは「お陰様」です。 地球がなければ人類は居ません。私たちがあるのは地球のお陰、酸素があるのは森のお陰、私がいるのは先祖や親のお陰、米が取れるのは田畑のお陰、その米や野菜を育てるのは水のお陰、山のお陰・・・。おかげさまを祀って神とするのです。 太陽はただ燃えているだけです。人間のために燃えているのではありません。自然も人間のためにあるのではありません。人間はそのホンの一部でしかないのです。 別に太陽は人間のために草木を育てているのではありません、でも人間はその恩恵を受けています。太陽は草木を枯らそうとして燃えているのではありません。僅かな違いで旱になるだけです。 祈りというのは人間だけが持っている自然な心の発揚です。祈りは人間だけが出来るのです。逆に言えば祈れないのは人間を捨てている、或いは“人間より毛が三本足りない”という事です。これは感謝も同じです。 だから人間は自然な気持ちの表れとして祈り、感謝するのです。神はその対象です。 神は人間のためにあるのではありません。地球は生きている神です。ただそれがたまたま人間胃液や災いと受け取れるだけの話です。 なので神道でも仏教でも「災いを避ける」ということは言っては居ませんよ。そんな事言っているのは近年の新興宗教や自称「通」の三文芸人くらいのものです。 生ける物すべては苦難を乗り越える事によってのみ進化をしてきました。苦難を受けなければ退行性変化と言って退化していきます。それは肉体だけではなく精神でも同じです。 洪水は害だと思いますか?でもナイル川の反乱も日本でも川の氾濫は肥沃な地をもたらしました。森林の火事も同じです。世界の人類はそのことをよく知っていました。知らないのは現代人だけです。 神主さんの祝詞で「大難を小難に、小難を無難に」という言葉があります。つまり災いが起きるのは自然の成り行きですが、その被害を出来るだけ小さくして乗り越えられるだけのものにして下さいというのが祈りの本意です。 御神徳というのは棚から牡丹餅ではありません。チャンスは自分の手で掴まなければ得られません。ご利益も自分の努力ナシでは得られないのです。災いを想定し準備し、努力すること、その努力に見合っただけのご利益が得られるのです。

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noname#244682
noname#244682
回答No.4

大きな山、大きな木などに神が宿ると考えたのでしょうね そして偉大な人をも神格化したのですが?ちょっと多すぎな気がしますが? 1の方の様に、適切な距離を持って付き合い、感謝の念を持っておけばよいと思います、 日本人は割とそれを上手にやっていると思いますが。 例の同じ場所から生まれた三つの宗教が戦争まで起こしたり、 仏教の生まれた国には、もう仏教は無かったり?おかしな所ばかりです ただ、一神教と言う物、それしかないという考え、果ては原理主義に至ると 宗教と言うより、狂気ですね? それを客観的に見られる我々は適度に裕福で心にも余裕があるからでしょうが 世界には、それこそ其れしか無い、信じるしかない 死と隣り合わせに生きている人達もいるのですから ギリシャだって、神様一杯の国だったのに、勤勉さが無かった?

noname#205122
noname#205122
回答No.3

 「神様」というのは、人間が、現世の苦痛や苦悩、あるいは煩悩から逃れるために創造したものです。だから神社や神様を大切にしたから、「災いが起こらない」とはなりません。まったく関係しないのです。東日本大震災で被災された方々は「神社や神様」を大切にしていなかったのでしょうか?だから、あのような結果になったのでしょうか?そうとは思えませんよね。  宗教における仏像だとか、イエスキリストの像だとか、昔から「信仰の対象」として大切に扱われてきたわけですから、「あなた」が、例えば「屋敷神」を大切に思うのであれば、大切に扱ってあげれば良いのであって、わざわざ粗末に扱う必要はないのではないでしょうか?  ただ、「良いこと」や「悪いこと」、身の回りで起こることのすべてを「神様」や「仏様」や「屋敷神」のせいにしない心がけが大切だと思います。心のよりどころにするのは、本人の自由ですが、すべてを「頼り」、すべてを「おかげ」や「せい」にするのは間違っているように思います。

  • sinntyann
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回答No.2

一番さんに賛成。 っで補足と言うほどじゃないけど、 そういう気持ちになる事が良いという事でしょう。 ちなみに私は、「やおよろずの神」賛成なんです。 キリストや、イスラムはこの宗教が一番で、他はダメ だから、戦争が多い。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.1

 だから、八百万の神のとも言われて居ます。  大切にと言うか、適切な関係でしょうか。荒ぶる神も多いです。寂しがり屋も居ますし。  物や食べ物などの恵みに感謝し、自然という力に対抗することなくというのが正しいのかな。

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