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生命倫理は哲学のテーマなのか

いま巷では物騒な事が現実化しよーとしている。 生きた人間の新鮮な臓器をえぐり取り、これを別の人間の腐った臓器と入れ替える臓器移植である。 もちろん人間の脳ミソでさえ、移植できるのであれば移植されることになるはずである。 現在は研究段階であるが、一部では隠れて実験が行われており、近いうちに現実のものとなりそーな雰囲気である。 しかしこのよーな行為は生命倫理に反すると見做すのが従来からの社会一般の通念である。 ところがこのよーな現実の問題に対して哲学は何ら明確な答えを示すことが出来ない。 宗教に至っては何らの答えを持っていないどころか、この問題に関わろーとさえせずただただ逃げ回っている始末である。 仏教もキリスト教ももはや人を導く精神的パワーを失ったのである。 哲学が生命倫理に答えを持たないのは何故なのか。 生命倫理は哲学のテーマではないからなのか。 それとも哲学はあらゆる意味において役目を終え、既に存在しないからなのか。  

みんなの回答

回答No.8

>仏教であれキリスト教であれ殆どの宗教は、臓器移植について明確な答えはもっていません。 もし宗教が生命倫理について明確な思想と理念を確立しているのであれば、臓器移植は生命倫理の応用問題なのであるからこれについて明確な答えを示すことが出来るはずです。 臓器移植が生命倫理の応用? 医療と倫理は関連はあっても異質のものでしょう? 宗教者が医療行為をする事は通常ありません。 >宗教が明確な答えを示せないということはつまり宗教は生命倫理について明確な思想と理念を持っていないということを意味します。 宗教は主として教えに依るところが大と思いますが?宗教は行為ではありません。宗教者は医療を尊重しつつ患者や家族に寄り添う立場にあると思います。 ※補足ですが、医療の歴史に、哲学や宗教が係わって来た事は事実です。それは、救うという行為が根本にあったからと思います。赤十字にしても・・・。

hitonomichi26
質問者

お礼

  >臓器移植が生命倫理の応用? 臓器移植への是非の問題は生命倫理の応用問題であると言っているのです。 生命倫理は倫理なのであって、医療技術な訳がない。 宗教も何がしかの技術であるわけがない。 しかし宗教が教えなのであれば、生命倫理について明確な思想と理念を持っていてよいはずでしょう。 だから宗教が明確な答えを示せないということはつまり宗教は生命倫理について明確な思想と理念を持っていないことを意味すると述べたわけです。  

回答No.7

 ANo2の回答者です。  前提として 現在は研究段階であるが、一部では隠れて実験が行われており、近いうちに現実のものとなりそーな雰囲気である。 Q:上記が条件(前提)について、私は質問者と同じ理解ではない。また、他の回答者も、それを十分に把握しているとは限らないと思われる。この出発点に差異があるほど、回答は散乱になる事を、質問者は注意する必要がある。  さて、以下に先の補足をします。 >>否定した場合臓器移植は倫理的にしてはならないことになる。そのへんで宗教も絡んでくるように思うのだが? >それでこれについて宗教は何か答えを出したのかな。 >宗教は何らの答えも出さず、ただただ関わりたくないと思ってるだけではないの。 >そもそも宗教って倫理的なものなの。 以上の応答:異端的な新興宗教やカルト宗教などは別にして、多くの宗教は通常その答えを持っているが、臓器移植に様々なケースがあるように答えも一様では無いと思われる(一般論)。又、臓器移植が失敗する場合もあるわけで、その場合は最悪死に至る。死に対する答えは宗教に負うところが大きいと思う。関わりたくないに関しては、医療行為の現場に関わることは有り得ないが、患者が医療に臨むにあたり、又その決断(拒否も含む)に当たり、宗教や哲学的な生命観や信仰は大事な要因と言えるだろう。宗教は超越的な信じる対象に関する人間の営みであり、極めて人間的で倫理的である。ただし、信じる対象にのみ偏った場合、非倫理的な状況も起りうる。それは、宗教の正常な状態とは言えないが、緊急事態や奇跡も宗教でも起こる。哲学ではないかもしれない。 >>以上を考えても、人間が存在し哲学する限り、死や生を倫理的に考察し続ける限り生命倫理・哲学は存在する筈。 >それでこれについて哲学は何か答えを出したのかな。 >哲学も宗教と同じで何らの答えも出さず、ただただ関わりたくないと思ってるだけではないの。 >関わると面倒だから。 以上の応答:歴史的に見ても宗教や哲学はかなり古くから人間と関わって来たし、相互に影響を与えてきた。科学や医療、さらに文化や心理学などの先駆けと言える。現代社会は、哲学や宗教より専門的な領域があり、分離されている。又、宗教や哲学はそうした社会を下支えする側にあるように思われる。影響力が少ないことと問題から避ける事は意味が違う。見方の違いと思う。専門化が進んだ故に関わり方も変わった。医師は死者の火葬・弔い・埋葬・遺族の慰めに関わることはまず無いだろう。葬儀も宗教家だけでなく、無宗教としたりセレモニー化したり様々だ。しかし、弔いとしてそれを行わないことは無いだろう。死者を押し入れや床下に放置することは犯罪行為と言える。その意味で極めて倫理的だ。生命に対する畏敬の念を忘れてしまえば、医療従事者と言えども犯罪者になる。   終わり

hitonomichi26
質問者

お礼

  >異端的な新興宗教やカルト宗教などは別にして、多くの宗教は通常その答えを持っているが、臓器移植に様々なケースがあるように答えも一様では無いと思われる(一般論)。又、臓器移植が失敗する場合もあるわけで、その場合は最悪死に至る。 現状は逆です。 多くの宗教は通常は明確な答えをもっていませんね。 もちろん宗教団体の中には生命倫理について自らの明確な意思表示を行い輸血をも拒否するものもありますが、これは例外的なものです。 仏教であれキリスト教であれ殆どの宗教は、臓器移植について明確な答えはもっていません。 もし宗教が生命倫理について明確な思想と理念を確立しているのであれば、臓器移植は生命倫理の応用問題なのであるからこれについて明確な答えを示すことが出来るはずです。 宗教が明確な答えを示せないということはつまり宗教は生命倫理について明確な思想と理念を持っていないということを意味します。 ちなみに臓器移植の成功率がどうこういう話は、技術的な問題であって生命倫理の問題ではないでしょう。 また哲学は技術を追求するものではないが、技術が生み出す結果が正しいものか正しくないものなのか語れるものでなければなりません。  

回答No.6

「かけがえのない」 意味:なくなったら、他に代わりとなるものがない。 このうえなく大切な。かけがえがない。 http://gogen-allguide.com/ka/kakegae.html 掛け替えがきかない(ない)存在 ↓ 人間は生まれてきたならば死ぬ ↑ 有限の時間 ↑ 生命への尊厳が生まれる 掛け替えがきく(ある)存在 ↓ 人間は生まれてきたならば死ぬ ↑ 有限の時間 ↑ 生命とは? 人間は生まれてきたならば死なない ↑ 無限の時間 ↓ 人間は、掛け替えがきかない(ない)、 掛け替えがきく(ある)という以前に 存在するのか? ↑ 生命とは? 人体部品ビジネス―「臓器」商品化時代の現実 (講談社選書メチエ) [単行本] http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E4%BD%93%E9%83%A8%E5%93%81%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%82%B9%E2%80%95%E3%80%8C%E8%87%93%E5%99%A8%E3%80%8D%E5%95%86%E5%93%81%E5%8C%96%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E7%8F%BE%E5%AE%9F-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E9%81%B8%E6%9B%B8%E3%83%A1%E3%83%81%E3%82%A8-%E7%B2%9F%E5%B1%8B-%E5%89%9B/dp/4062581698 人が人でなくなる… 人でなし 大量に人が増えすぎれば…  土地・食料・経済状況などの諸問題 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E8%99%90%E6%AE%BA#.E5.9C.9F.E5.9C.B0.E3.83.BB.E9.A3.9F.E6.96.99.E3.83.BB.E7.B5.8C.E6.B8.88.E7.8A.B6.E6.B3.81.E3.81.AA.E3.81.A9.E3.81.AE.E8.AB.B8.E5.95.8F.E9.A1.8C 誰かの願いが叶う頃 https://www.youtube.com/watch?v=gqPXNz_h8J4

回答No.5

>生命倫理は哲学のテーマではないからなのか。 はい。倫理学のテーマです。 >それとも哲学はあらゆる意味において役目を終え、既に存在しないからなのか。 いいえ。落語と同じように人々を楽しませる役目を持ち続けます。

hitonomichi26
質問者

お礼

  哲学=落語とは、毎度ながらおもろい。 もくぞーさん、あんたは長生きします。  

回答No.4

>哲学が生命倫理に答えを持たないのは何故なのか? >生命倫理は哲学のテーマでは無いからなのか? ↑ この「2行」が「質問文」だね?。 回答させて貰います。 先ず『哲学』とは、簡単に説明すれば、 ★『物事を根本原理から統一的に把握、理解しようとする学問』 しかし、「生命が如何にして生まれ、如何にして死んで行くのか?」。 コレが解らない以上、「哲学」で答えが出ないのは、むしろ「当たり前」じゃ無いのか?。 「生命倫理」・・・。 むしろ、『道徳』のテーマじゃ無いかと思うけどなあ・・・。

hitonomichi26
質問者

お礼

  >「生命倫理」・・・。 >むしろ、『道徳』のテーマじゃ無いかと思うけどなあ・・・。 生命倫理は道徳のテーマであって、哲学のテーマではない? 自分でゆーておること何か変であるとは思わんのかね。  

回答No.2

 生命を哲学的をどのように捉えるか? その場合、倫理的に臓器移植は正しいか? そうした判断には当然、個人差が生じるだろう。つまり、肯定?否定。否定した場合臓器移植は倫理的にしてはならないことになる。そのへんで宗教も絡んでくるように思うのだが? >それとも哲学はあらゆる意味において役目を終え、既に存在しないからなのか。 以上を考えても、人間が存在し哲学する限り、死や生を倫理的に考察し続ける限り生命倫理・哲学は存在する筈。

hitonomichi26
質問者

お礼

  >否定した場合臓器移植は倫理的にしてはならないことになる。そのへんで宗教も絡んでくるように思うのだが? それでこれについて宗教は何か答えを出したのかな。 宗教は何らの答えも出さず、ただただ関わりたくないと思ってるだけではないの。 そもそも宗教って倫理的なものなの。 >以上を考えても、人間が存在し哲学する限り、死や生を倫理的に考察し続ける限り生命倫理・哲学は存在する筈。 それでこれについて哲学は何か答えを出したのかな。 哲学も宗教と同じで何らの答えも出さず、ただただ関わりたくないと思ってるだけではないの。 関わると面倒だから。  

回答No.1

そんなことはありません。生命倫理を議論し法を制定するプロセスにはしっかり哲学や宗教が入り込んでいます。 各国の生命倫理委員会には必ずといっていいほど、宗教者、哲学者が加わり、その意見が参考にされて生命倫理の法律的な境界が定められます。 私もあなたもそういう会議には呼ばれたりすることはありえませんので、彼らはずいぶんと現実社会への影響力は持っているんだろうなと思います。

hitonomichi26
質問者

お礼

  >そんなことはありません。生命倫理を議論し法を制定するプロセスにはしっかり哲学や宗教が入り込んでいます。 もし生命倫理が哲学のテーマなのであれば、臓器移植の問題についても何らかの哲学的視点からの成果があってもよさそーなもんだとは思わないのかな。   ただ宗教家や哲学者が生命倫理委員会に加わっているゆーだけで納得できるのかな。    

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