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何が正しいのでしょうか?
私は“全然”と言う言葉の使い方に違和感を持っています。 この言葉は『全然食欲がない』『全然知らない』など、否定する時に使用する言葉だと思ってきましたが、最近では、アナウンサーの方でさえも『全然良い』『全然大丈夫』など肯定する言葉として使用されています。 考え過ぎだとは思いますが、正しい使い方をした時、正しい事が間違えていると思われないか不安になります。 皆さんは、違和感を感じる言葉ってありませんか?
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「全然」を国語辞書でみてみると、たとえば以下のようになっています。 http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E5%85%A8%E7%84%B6&match=beginswith&itemid=DJR_zennzenn_-060 http://dic.yahoo.co.jp/detail?p=%E5%85%A8%E7%84%B6&stype=0&dtype=0 献策すると、ウィキペディアでは「全然」の用法についてまとめが作られていました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E7%84%B6 戦前からの国語教育では、「全然~ない」に絞って教えているけれど、肯定語での用法も用いられていたということですね。 言葉は生き物で、時代と共に変わりますから、よく用いられている用法があれば、それを受け入れるべきだと思っています。 違和感を覚えたことのあるものを幾つか挙げると、以下のようなものがあります。 ・「こんにちは」「こんばんは」を「こんにちわ」「こんばんわ」と表記。 ・ら抜き言葉 ・「話が煮詰まった」が「話が結論に辿り着いた」ではなく「話が行き詰った」の意味だった。 ・「汚名挽回」といった、もう増えてしまった混交表現。 これらは、一時は戸惑いましたが、もう受け入れています。なぜなら、多数が用いる表現になっており、違和感を持ったのは私一人だからですね(少なくとも、その表現が用いられた場では)。 しかし、今でも違和感があり、しばしばはっきり表明するのは「辞書に載っていないから間違いだとしたり、辞書にある記載を恣意的に選択して解釈するのは、大間違いだ」ということです。 単語は文脈によって意味が定まります。少し詳しく言うと、単語は文の支持により意味を持ち、文は文章により意味を持つということです。もちろん、文章は単語を並べて作るわけですから、一筋縄では行きませんが、生まれたときから話している日本語を、学校で詳しく学ぶのも、書いたり話したりするのがきちんとできるのが、実は難しいということの表れだと思っています。
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- kamobedanjoh
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ANO.1 さんの『全く然り』説に賛成です。 また,言葉は変化するもの→変化して当然説も全く然りです。 用語には慣用性があり,慣用句の意味するところも時代と共に変遷します。 後期高齢者は,戦中戦後の国民学校→小学校で教わった言葉を大切にしています。 例えば『鳥肌が立つ』は,昔は恐怖感を表す言葉でしたが,最近は感激を表す言葉として使われています。これには少なからず違和感を覚えます。私も違和感を『感じる』ことはありません。 慣用に馴染まない言葉には違和感を,耳慣れた言葉には親和感を覚えます。
- one_and_only
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>違和感を感じる言葉ってありませんか? 「違和感を感じる」という表現に、違和感を覚えます。
- ibegyourpardon
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>“全然”と言う言葉の使い方に違和感 もう50年以上も前、全然を肯定的に用いるのは当時の若者達で、それを使うと新しい間隔の持ち主みたいな気分になっていました。でもそれが今でも使われているとは格別寿命が長い用法ですね。生き残ってやがてそれが正しい国語だと教科書でも使われる事になるかも。それに引き比べて例えば"今い"と言う言葉はやがてすたれてしまいましたが、大部分のはやり言葉はたちまち消えてゆきますね。 アナウンサーは30年前くらいまでは一応先輩からちゃんと仕込まれていたようで、「ニュースを客観的に、私情を交えずにも用法正しい言葉で誰にも解りやすく発音して伝える」と言う使命感が漂っていました。 今それを意識している先輩アナウンサーはいないようで、放送局では笑い声を出しながら伝えるのは視聴者の親近感を得やすいなどどても思っているようです。彼らの国語用法も確かに時として怪しげですね。 とは言いながら、「世の中は移ろうものだ」とは50年位を尺度にしてみると如実に感じます。老人達はその移ろいを不快に思いながらも、それを口に出し過ぎると嫌われてしまうので黙っていると言うところでしょうか。 違和感の例を挙げると、「何々をせざる、を得ない」と妙なところで区切る人がとても多いです。それを聞くと道で石ころにつまずいたような気持ちになります。 ところで「違和感を感じる」もごく一般的に使われますが、これも妙な気分になってしまいます。「覚える」は堅苦しい言葉としてあまり使われませんが、「違和感」に続く言葉を選ぶなら「を覚える」としなければ、と思います。私がこの文章の最初で使った「・・・かも。」と途中で切ってしまう用法もおかしげですね。 言葉として何が正しいかの基準はあって無きが如しで、何十年もに亘って一般大衆の支持を得た言葉は、最初はおかしいと感じられたとしてもやがて正しい言葉として迎え入れられるものだ、学校で習う言葉が果たして100年後にどれだけ残っているかは予測しがたい、生き残った言葉が取りも直さず 「正しい」 これがご質問を読んでの感想です。
- hunaskin
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全然、についてはいろいろあるようで、実はもっと前は今のように肯定の場合でも使っていた、なんて話を聞いたことがあります。 >正しい使い方をした時、正しい事が間違えていると思われないか不安 それはありますね。 役不足、とか、煮詰まる、なし崩し、さわり、とか。 まあ意味は会話の流れで掴めますが、正しい使い方をしているのに「バカだこいつ」と思われるのは癪ですね。 というか、相手の立場が上だったりして誤った評価されれば実害ありますよね。 言葉は生き物で時代とともに変化していくんだ、ということはよく言われますしその通りだと思いますが、誤用をした時に開き直ってこれを言うような恥ずかしい真似はしたくないなとも思っています。
- trajaa
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まあ確かにある年代層にとっては、「全然~ない」という否定の意味で用いるのが常識であって「全然~だ」という肯定の意味での使用には違和感を感じるだろう<-自身もそうだけど しかし、実際には本来「全く然り(まったくしかり)」という表現から来た言葉なので肯定形での使用が本来の姿という説を述べる方も居る その肯定派の使用法が、いつの時代からか否定派での使用が主流になりそれが常識となったそうな それだけ言葉の使い方というのが変遷するという事例の一つと考えることにして、最近は「全然大丈夫」という言葉に目くじらを立てちゃイカンと自制する日々