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大日本帝国から見た現代人。

大日本帝国時代の人はほとんどなくなっています。 ただ当時は当時でよかった部分があると思います。戦争のイメージがありますが、戦争ばかりしていたわけでもないし。 当時のご先祖様、一般男女が仮に今の現代人を見たらどう思い、どうお説教すると思いますか? 現代人が失ったものは何でしょうか?

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noname#178467
noname#178467
回答No.6

 大日本帝国時代はほとんどが戦争の時代ですよ。 それはさておき、帝国の教育が良かったという事 ではなくて圧倒的に大多数の国民が貧しかったの が人々を忍耐強く、素朴な正義感を育てたと言え ると思うのです。ご存じと思いますが帝国の時代も 今と同じく政治家や高級役人・軍人の多くは贅沢に 溺れ腐敗しています。偉そうに人に教えを垂れたがる 人は信用できません。  戦後の混乱期から貧しさを脱する高度経済成長まで 人々はよく働きました。世界一勤勉な国民と言われま した。そして奇蹟の復興をとげると共に日本はエコノ ミックアニマルと評され、国民は「ウサギ小屋」に住み 出世を夢見て拝金主義が蔓延します。とどのつまりが、 バブル経済、大勢の人が生産をやめて実態のない虚業に 大金を投資し崩壊で失います。そして失われた20年。 今の、若い人たちは生まれてずっと好景気を知らないし 努力すれば報われて出世できる社会を知らない。ひどく 不健康な社会に生きている。見通しのない暗さが共通 する1930年代の軍部台頭時代と似た精神構造をもつ。 だれかこの社会を打ち破り自分を救ってくれないか、 だれか自分にいきがいを与えてくれないかと。そして わかりやすい公務員批判、周辺国批判に結集する。  で、結論。現代人と一括りにはできない。中高年は バブル経済と浮かれた好景気の贅沢感を経験し、今でも 不当な儲けを何とも思わない人々がいる。若年層は、 うまれながらずっと貧窮ぐらしで贅沢への欲求が弱く 同時に不正なことを毛嫌いする正義感は中高年より大。 ご先祖様は俺たちのころと同じだなと苦笑するでしょう。 「現代人」というか現代社会はあまりにもアメリカナイズ されてお金・財産重視の生き方に慣らされてしまったと いうことです。ヨーロッパ諸国もアメリカナイズされて いるけれどそれでも自国の古い文化・価値観は大事にされ ている。それらを破壊した日本の資本主義はそれほど暴力 的だった。ご先祖様は現代日本の拝金主義にあきれている だろう。(大企業の横暴は昔の方が酷かったので沈黙)

noname#173141
質問者

お礼

すばらしい!

その他の回答 (5)

  • ithi
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回答No.5

oureara さん、おはようございます。 たぶん、困難にあったときにそれに対処するための他人との協調性とその困難を乗り越える忍耐力だと思います。これは戦後に生まれた価値観の多様性に起因すると思います。

noname#173141
質問者

お礼

ありがとうございます。僕の想像では、武士道精神の欠落とかですかね。菅沼氏も言っていますし。

回答No.4

そうですか? 1947年5月2日までは大日本帝国でしたけど? 生きてる人結構いますよ 現代人が失ったものは闘争心です 平和ボケして戦う意欲なんかないでしょう

  • tpg0
  • ベストアンサー率31% (3785/11963)
回答No.3

こんにちは。 私の父親は明治(1911年1月)生まれ、母親は大正(1920年12月)生まれですから、紛れもなく戦前の大日本帝国時代の教育を受けてます。 なお、父親は既に故人ですが、母親は92歳になっても矍鑠として元気で、戦後生まれの長男(私)である私達夫婦と長年間同居してますから、戦前の話しを聞かされることがあります。 これ等の話しで、現代の日本人に足りないのは「忍耐力」と「道徳心」のように思います。 例えば 1、少し辛い思いをした程度で直ぐに弱音を吐く者が増えた。 2、自らを庇う事はするが、他者(弱者)を庇う事をしない者が増えた。 3、権利だけは主張するが、義務を果たそうとしない者が増えた。 4、自分さえ良ければという自己チューが増えた。 5、社会的な最低限のルールすら守れない者が増えた。 勿論、高齢者の中にも身勝手で自己チュー的な振る舞いをする残念な人がいますが、少なくとも私の両親は忍耐力や道徳心は現代人より強く持ってますから、還暦を過ぎる年齢を数えるようになった私達夫婦も92歳の母親には今でも「我慢が足りない」とか「感謝が足りない」と説教されることがあります。

  • TANUHACHI
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回答No.2

 大日本帝国といっても時代のスパンは1868年から1945年まての120年ほどになりますので単純に比較することは困難であると思われます。  仮に大日本帝国憲法なる存在が成立した時点で青年期から老年期を過ごした方々ならば、当然の事ながら幕末維新のコペルニクス的転換も経験したはずですから、現代の私たちを見ても「その様な考え方もあるね」とむしろ柔軟な考え方をするでしょうね。森鷗外がドイツに学ぶ一方夏目漱石はイギリスに学び「近代」をそれぞれの異なる価値観から理解しようとしました。福沢諭吉は次第に変質していきますが、それでもある部分は開明的で「なぜ、その様なことになるのか」との問い掛けを大事にしています。  こうした部分では踏ん反り返っている軍人やら我が家は元武士の家系だった、だから世が世ならばこの様な零落状態にならずとも済んだなどと恨み言を並べ立てるしかできないのは、何かに縋ってしか生きていることのできない哀れな発想しかないのでしょう。彼らには「一人の社会的存在としての人格」との意識は全くなく、自らは考えずに「全ては忠義のためにある」と木偶の様に付き随うだけの存在でしかありません。  もしその彼らが遺すとすれば「大人を信じるな」の一言でしょうか。

  • mizukiyuli
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回答No.1

当時生まれてなかったので想像でしかないですが。 現代人が失ったものは、責任感とプライドでしょう。 プライドとは、自分に対する誇りです。 誇れるものを持っている現代人なんてほとんどいないのではないでしょうか? 「プライドを傷つけられた」と他人を恨む人は多発していますが、中身のないプライドだから、自信に裏付けされていないから、安いプライドだからすぐに傷つくのだと思います。 他人に対する責任感がないのは勿論ですが、自分のことさえ責任を持てない人が多すぎますね。 責任転嫁による自分の正当化は既に現代日本人のお家芸と呼んでも差し支えないレベルでしょう。 当時の人は自分にも他人にも厳しかったイメージがあります。 現代人は自分に甘く他人に厳しいです。 「自分のいたらなさを他人のせいにするな!」 ということを一番に思うのではないでしょうか。

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