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最新の現代思想、哲学で今の世界を解釈してください。
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「存在」は、認識される階層的現象の表面的に生じるもので、根源的に絶対化しようとすると、不確定性原理により無限不確定性に発散します。 実は、相対性理論にしても、量子論にしても、認識体との相対によってしか存在は無い、という帰結を潜在的に持っています。 客観的時空や絶対的存在というのはない、というものです。 認識性を除外した存在は、無=無限不確定性になります。 その無限の闇に、認識体の仮定断面の運動を想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識するのです。 我々は「過去は既に終わっている」「未来はまだ来ていない」ので、「存在するのは現在」と考えますが、真の『現在』とは、認識体の感受表面での量子相互作用(光速)のみであり、その経験(過去=超光速)による予測(未来=光速下)として時空的広がりは発生しているのです。 無の不確定性無限の潜在としての、「自我仮説性(時間の流れ=記憶=過去=超光速)」と「時空仮説性(空間の広がり=予測=未来=光速下)」の相補分化(感受表面=光速からの)。 「相補」というのは、絶対時空を否定し、認識体との相対においてしか時空は計量できないとする相対性理論や、同じく認識体が現象表面的に物事を捉え、本質的に決定しないことにより有限的存在性は生じるとする不確定性原理といったものを伴う時空、ということです。 「自我仮説」が、宇宙膨張=光速の低下=物体収縮=不確定性(h)の収束における、hの減少の時系列化である時、それが架空の時間軸となって、階層現象的な非光速性(超光速(過去=経験=時間)と光速下(未来=予測=空間)の相補分化の受け皿となり、同一軸の延長が仮説的に直交基底をなす事によって、相補的不確定性を生じ、経験による予測=現象表面的定性化における、有限的存在(=非光速)を幻出しているのです。 その相対論的四次元空間(ミンコフスキー空間)において、時・空軸は虚数関係(=相補分化)にあり、等距離点に0の面(海面原点)を生じます。 それがライトコーン=光の成す軌跡なのです。 即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補として生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」という無の射影として、存在は生じていると言えます。 無いとは分からない事が有なのです。
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映画『マトリックス』を観て、それと縁浅からぬという哲学者ジャン・ボードリヤールの著作でも読めばいいんじゃないですか。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 こんにちの世界をどのように見ているのか? この主題でよろしいでしょうか? 1. 資本主義のグローバル化が加速度を増してすすんでいる段階だと見ます。 先進国群が 経済成長を遂げたあと あらたに高度成長を遂げる国々が興り グローブなる地球の隅々にまであるいはその内側へも外側へも資本の論理をおよぼそうとしている段階であると。 経済の論理としては この運動を止めることは出来ないと思われます。 共同自治――政治ですがつまり社会のお二階から指導するようなかたちではなく むしろ一階の市民社会つまりふつうの人びとの生活とその思想が主導するかたちの自治共同――これが台頭して 経済の軌道を修正出来るかどうか。 2. 国家が おそらくその誕生のときから千年・二千年あるいはもっと長く時を経てそろそろその終焉をむかえているのではないか。 前項における市民社会あるいはつまりムラ(市町村)の主導による共同自治が始まるなら やがてその使命を終えて消えて行くでしょう。 3. 思想は 生活観として再編成されていくでしょう。 ポスト・モダンの思想のうち 構造主義は 《主体》を批判するにチカラ有り余って 産湯といっしょに赤子をも流して捨て去ってしまったかに思われます。 関係主義はそれでよいのでしょうが その網の目のつながりのほかにその結び目もあるということ。これは やはり自由意志を中軸とする主体としての人間だと考えられます。 網の目の結節点が 人間という一人ひとりの存在であるということ。これが 抜け落ちてしまったと考えられます。 ソシュールが出ていますが 語におけるシニフィアンとシニフィエとの結合は 決して自然のそして論理的なきづながそこにないというわけではありません。言語記号の恣意性は ただの神話であって マチガイだと考えます。詳しくは 次の質問の趣旨説明などを参照してください。 【Q:《言語記号の恣意性》は 神話である。】 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5664705.html 4. 生活観が思想となるということは いわゆる宗教が消えます。 現実性のない観念論としての思想は 省みられません。哲学は 可能性のあるところにはどこにでも・またどこまでも出かけて行きますから その抽象性とそれが誘因であることはなくなりません。 けれども けっきょくのところとして 思想としての現実味のない内容つまりオシエをもった宗教は もうはっきりとお呼びではないとなります。 じっさいの社会生活として 自分たちの共同自治が出来ないという無力感のもとには たとえインチキな宗教であっても何がしかの存在意義があったと見るべきかどうなのか? 生き続けていたことは 事実なのでしょうね。 5. やがて ムラのオサ(長)は 市民のあいだからの当番制となりましょう。 そういう自治体が 世界中で互いに手を結び合って 経済的にも文化的にも 安寧とそれとしての繁栄を目指して共生して行きましょう。 政治的にも共生するのであって ムラ議会には よその人びとも議員となって――つまり互選方式で連携しあって―― 互いによりよい社会生活を目指すことでしょう。インタムライズムと言います。インタナショナルなインタムライズムです。国連は要らないか または このインタムライズムに仕える付属機関となります。
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