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投機家は何を生み出しているのでしょうか
農家は野菜を生み出し、売ったお金でごはんを食べています。 八百屋は各地の野菜を集め、いつでも新鮮な野菜が手に入るサービスを生み出し、売ったお金でごはんを食べています。 銀行は、お金の貸し借りサービスを生み出し、金利でごはんを食べています。 投機家も金利でごはんを食べていますが、代わりに何を生み出しているのでしょうか? 投機家が自分で使うわけでもないのにガソリンを買い、それによりガソリンの価格が200円/L近くまで上がることがあります。 私たちは、何に対してその+α分を支払っているのでしょうか。 短期的にみると、投機家が勝ち、投機家以外の人間が負け、それに対してお金を支払っているようにも見えますが・・・、それだけでは無いんだと思います。 先物取引市場においては、物資の急激な価格変動を緩和する役割を担っているような話を聞いたような気がしますが、いまいちしっくり来ません。 「○○を担っている」ではなく、「○○を生み出している」といったご回答を期待します。
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Q_A_…です。 お返事ありがとうございます。 >…自らがごはんを食べるために仕事をしているわけですよね。 >ただ、その目的とは別に、みんな大なり小なり、社会に対して理念をコミットしていると思います。 >社会の中で存続するには、何かしらの価値を生み出さなければならないからです。 投機家がなぜ、それでご飯を食べているかといえば、「相場が好きで、他の人よりうまくやれるから」です。(ただし、「ずっと生き残れる投機家」は非常に少ない世界でもあります。) 個人的には、人は「理念」ではなく、「好きだから」「得意だから」その仕事にこだわるのだと思います。 実際には、「好きではないけれど、それをしないとごはんを食べられないから」「得意ではないけれど、他に選択肢がないから」という人のほうが多いでしょうが…。 私は仕事とはそういうものだと思っていますので、「理念」で仕事とを選ぶ人は単純に尊敬します。 私なら「その仕事が好きか?」が一番で、次が(あるいは同率一位で)「利益」、その次が「理念」です。 あえて、投機家・ヘッジファンドの「理念」をあげるとすれば、「顧客に利益をもたらして喜んでもらうこと」、「政治力や権力で価格を統制するのではなく、需要と供給という市場原理で公正な価格を提供する」というようなことでしょうか? 政治力と市場原理の対峙で、最も有名といっても良いのは「ジョージ・ソロス」と「ポンド危機」ではないかと思います。 もちろん賛否両論ですが、英国という国家権力の矛盾を顕在化させたのが「ジョージ・ソロス」です。 「ジョージ・ソロス【が】イングランド銀行を潰した」とよく言われますが、「彼は引き金を引いて、とどめを刺した」というのが正確です。 なぜならば、「彼が間違っている」ならば、他の投機家は「イングランド銀行」を後押しして勝ち馬に乗ろうとするからです。 つまり、皆、「ジョージ・ソロス」に「乗った」のであり、だからこそ彼の投機は成功したわけです。 『ポンド危機』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%89%E5%8D%B1%E6%A9%9F というのが「建て前」ですが、相場師は相場が好きなだけです。 多くの投機家は建て前が嫌いです。 なぜならば、建て前で相場を張ると失敗するからです。「建て前」は排除すべきものでこそあれ、投機を成功に導くものではありません。そのような、「現実」だけを見る・語る「冷徹さ」も投機家が敬遠される理由なのでしょう。 ですから、ソロス氏のように、学者肌で「理念」を語る投機家は少数派です。 『ジョージ・ソロス』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%82%B9 ------ なんだかんだと語ってしまったので、最初のご質問にも補足もさせていただきます。 >投機家が自分で使うわけでもないのにガソリンを買い、それによりガソリンの価格が200円/L近くまで上がることがあります。 >私たちは、何に対してその+α分を支払っているのでしょうか。 「建て前」で言えば、需要と供給から考えて、「-α分」安く放置されている商品に目をつけた投機家が買うことで、「α分」高くなり、適正価格になったということです。 もちろん投機家は自分で使いませんから、全部他の人に買い取ってもらわないといけませんので、買ってくれる人がいないと、価格はまた「α分」下がってしまいます。(実際には反動でもっと下がることが多いです。) 最終的には、投機家がいようがいまいが、「自由な市場」では、価格は「適正」なところに落ち着くのですが、そのためには「投機家」のような利害関係の全くない第三者が自由に参加できる市場が必要で、その市場を機能させるためには「投機家」の参加が不可欠ということになります。(まさにこれが建て前の「理屈」です。) また、投機家は「買う」だけではないので、「α分高い」と思えば「売り」から市場に入ります。 首尾よく価格が下がれば「買い戻し」して市場から離脱します。 しかし、価格がさらに上がってしまえば、高い値段で買い戻さなければならず、自らの「買い戻し」でさらに相場を押し上げてしまうという目も当てられない事になります。 一方、いわゆる「実需家」は「商品」を買って、その後値下がりしても「自分で消費する、加工する」などの手段で市場から離脱できます。 また、「投機家」が高く買ってくれるなら「消費・加工」せず、「有利に、手早く」さばけます。 これが、「先物市場」など、いわゆるデリバティブ(金融派生商品)の存在する意義、つまり商品化の「建て前」です。 『デリバティブの起源』 http://www.shiruporuto.jp/finance/kinyu/deriv/deriv000.html
- mr-bab
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例えば、保険屋は何も生産していませんし、目に見える物は売っていませんが、儲けています。 「安心」という商品を売っているのだと思います。 そして、それらの商品を皆さん買い求めます。 おそらく、質問者さんも買っていますよね? 投機家も似たようなものです。 穀物を作るにしても、車を作って海外に売るにしても、リスクはつきまといます。 不作になるかも知れませんし、為替変動により大幅な減益になるかも知れません。 それらのリスクを軽減する為に、先物市場等は必要なのです。 もし、無かったら生産者が全てのリスクを背負うこととなります。 そんな状態で生産など出来ますか? おそらく、全ての生産者は生産量を減らさざるを得ないでしょう。(リスク軽減) 海外への輸出は減り、輸入も減ります。 経済は衰退し、物価は高騰、収入は減る、そんなことが起こっても不思議でも何でもないです。 どんなに科学が発展しても、人間には未来を見ることは出来ません。 将来起こる可能性のある、リスクに対抗する術は無いのです、仮にあったとしても、恐ろしくコストがかかることになるでしょう。 代わりに、リスクを分散するのです。 そして、リスクの肩代わりの一旦を担うのが投機家です。 けれど、リスクだけ肩代わりしてくれる都合の良い人など存在しません。 より多くの人が参加し、流動性が生まれ、そこに金を儲ける可能性が無ければ誰も参加しません。 リスクに対して述べましたが、株式市場にしても同様です。 流動性が無く、金が儲かる可能性が極端に低ければ誰も出資などしません。 企業の重要な資金調達方法が無くなるのです。 志を持った新しい企業も育つ可能性が極端に減るでしょう。 極論になってしまいますが、投機家を否定することは、現在の経済活動を否定することではないでしょうか? また、質問者様は+α分を何に支払っているのか?と言っていますが、極端な言い方をすると、保険料ということになるかと思います。 ただし、保険料は決まっていないし、加入は強制ですけど。
- Saitar
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ズバリ、投資家自身の利益を産み出している、もしくは、産み出そうとしているんですよ。 投資家は人のことなんかかまってません。どうやって出し抜くかだけが勝負です。 で、カネが儲かれば、成功! それで目的達成ですよ。 このように書くと多分反発を覚えるでしょう。 でも、それは日本の投資教育の貧困さが招く大いなる誤解です。 多くの人が何のために仕事するの?と問われたら、お金のため、じゃないですか? 有り余るほどのお金があったら、キツイ仕事なんてしないでしょ。
No.1です。 お礼いただきありがとうございます。 >でも、そうじゃないんだよ。社会に対してこんな価値を生み出しているんだよ。といったご意見を期待します。 個人的には「急激な価格変動を緩和する(実需家が排除したいリスクを引き受ける)」「実需家が安心して取引できるための流動性を提供する」くらいしか思いつきません。 また、それこそが「何かしらの価値を生み出す」行為であり、「存続出来る」理由で、必要不可欠の存在だと思っています。(資本主義では人々が必要としないものは淘汰されてしまいます。) しかし、「…いまいちしっくり来ません。」「○○を担っているではなく…」とのことなので、私が持論を展開しても結果は変わらないように思います。 求められればしますが、長いうえに、「依って立つところがまるで違う」場合は平行線をたどる結果になりますし、過去にもそういう経験を多くしていますのでどうしても躊躇します。 >投機企業があったとして、利潤を作るといった直接的な目的とは別に、どんな理念を掲げたりするのでしょうか。 「投機企業」とイメージされているものに一番近いのは、「ヘッジファンド」でしょう。 「理念」というものは特になく「相場での投機売買による利潤の追求」と「顧客から報酬を得ること」が目的です。 ですから、「投機を是としない人」にとっては、唾棄すべき存在で、蛇蝎のように嫌われています。 なお、揚げ足取りになりますが、「金利でごはんを食べている」のはいわゆる「投機家」ではなく、「銀行家」が一番ふさわしいと思います。
お礼
再びご回答ありがとうございます。 投機家が「金利でごはんを食べている」と言ったのは、浅はかでした。 失礼いたしました。 農家も、八百屋も、銀行屋も、投機家も、自らがごはんを食べるために仕事をしているわけですよね。 ただ、その目的とは別に、みんな大なり小なり、社会に対して理念をコミットしていると思います。 社会の中で存続するには、何かしらの価値を生み出さなければならないからです。 「うちは野菜を」「電化製品を」「便利なサービスを」「生み出しますよ」と。 しかし投機家は、「うちは相場変動から利潤を得ますよ」と言うんですよね。 本音と建前が一緒だから、苦手に思う人がいるのでしょうか。
- mekuriya
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値付けという価値を生み出しています。私達がモノ、サービス、権利などを取引する時には必ず価格が必要です。価格とはモノ、サービス、権利の価値の評価を金銭で表現したものです。間違った価格だと売り手か買い手が必ずどちらかが損をすることになります。ではどうやって価格を決めるのか。誰が決めるのか。共産主義国家だと鉛筆1本に至るまで国が決めますが、資本主義国家ではそうではない。市場が決めるのです。投機家も市場参加者の一人です。高すぎた買い物をすれば将来安く手放すハメになって損をします。安すぎた買い物をすれば将来儲けになります。高すぎた売り物をすれば将来安く買い戻せるので儲けになりますが、安すぎた売り物をすれば将来高く買い戻すハメになって損をします。誰だって損をしようと思っている訳ではないが、あるモノの値段を高いとみるか安いとみるかは判断が分かれるところです。投機家が勝ち、実需家が損をすることもあるし、投機家が負け、実需家が勝つこともあります。百戦百勝の魔法があるなら、誰もが投機家になろうとするでしょう。そんな魔法が無いから、そうはならないわけです。投資家は取引を誰から強制されるわけでなく自分の主体的判断で市場に参加しています。実需家もそうなのです。ガソリンが高いと思えば、自家用車の旅行をやめて鉄道旅行に切り替える選択肢もあります。値付けという価値を生み出しているのは投機家も実需家も同じで、その価値において両者を区別する意味は何もありません。マスコミはあたからも投機家が百戦百勝で暴利を貪っているかのようなイメージを振りまいていますが実際はそうではない。投機家は、実需家より多くのリスクを引き受けているだけに、より正確な値付けをするとも考えられます。実需家は割高なガソリンを入れても旅行が楽しければ元を取れるといったこともありますが、投機家はそうはならないからです。投機家にとっては将来値上がりするのか値下がりするのかという予測が命です。 例えば、私達がコンビニやスーパーマーケットに行って買い物をしようとしたら、どんな商品でも必ず値札がついています。ついていなくても事前に決められた価格が表示されています。私たちはそれが当たり前のことだと思っているけど、モノの価格を決めるというのは大変難しいことなのです。安く売ってしまうと利益を減らし損をする。高く売ろうとしすぎると、誰も買ってくれなくて在庫を抱えて廃棄処分するしかなくなる。 コンビニやスーパーは、そうしたリスクを抱えていて、その分の値段も織り込んで販売しているわけです。 +α分というけど消費者には高いと思えばガソリンを買わない自由があります。それなのにどうして買うのか。わたしたちはともすれば被害者意識を持ちたがりますが、決して購入を義務付けられている訳でもないし、強制されているわけでもないのです。強制されているのは再生可能エネルギー分の電気料金だけです。 投機家は金利で食べているわけではない。値付けというリスクを引き受けることで食べているのです。その値付けが間違っているというなら、私たちは買わなきゃいいだけの話です。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 お礼が遅くなりまして、申し訳ございません。 なるほど、値付けですか。 モノの価値を決めるのは、神様でもなく、大自然でもなく、人間ですからね。 ただ、今までは売り手と買い手の間だけで、折衝されるものだと考えておりました。 でも実は、売り手でも買い手でもない者が、値付けに参加している。 売り手側、買い手側どちらにも属さず、平等かつ適切な値を付けることこそが、投機家が生み出している価値、ということになるのでしょうか? しかも、ただ口先だけで値を付けるのではない、自らの金を以て価値を表現する、ということですね。 国家機関が口先で値を付けるよりも、資本主義的なのですね。 社会にとって必要であるということは薄々ながら理解してきましたが、違和感が残るとしたら、その値付けに参加する動機なのかもしれません。 「おれが自腹で、今期のガソリンの値を付けてやるぜ!!」 と言って原油を買う投機家はいらっしゃらないですよね^^;
「流動性」です。 「理屈」を述べると「投機家」嫌いの方には「屁理屈」とされてしまうことが多いので、やめておきます。
お礼
端的なご回答、ありがとうございます。 「市場に流動性を生み出している」、ということですね。 分かるような、分からないような・・・^^; 嫌う人がいる理由は、何も作り出さずに、相場変動の上澄みをかっさらっていく存在に見られているからではないでしょうか。 でも、そうじゃないんだよ。社会に対してこんな価値を生み出しているんだよ。といったご意見を期待します。 多くの企業、または個人は、理念を持っているはずです。 「わが社は、世界中に便利な製品を行きわたせる」、「わが社は、良質な通信サービスを提供し、人々のこコミュニケーションを豊かにする」といった。 社会に対して、何かしらの価値を生み出すからこそ、存続出来るんですよね。 投機企業があったとして、利潤を作るといった直接的な目的とは別に、どんな理念を掲げたりするのでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 お礼が遅くなりまして、大変失礼しました。 そうです、みんな、お金ひいてはメシのために仕事をしています。 農家も、八百屋も、銀行屋も、投機家も、最終的な目的は同じです。 でも、農家、八百屋、銀行屋は、建前があるんですよね。 「私たちがメシを食うために、新しいスマートフォンを制作しました」とは言いません。 「情報社会をイノベーションさせるために、新しいスマートフォンを制作しました」とか何とか言うわけです。 でも、それらが社会にとって価値が認められるから、存続出来るんですよね。 カメラフィルムの現像屋は、社会における価値が薄くなり、存続が厳しくなっています。 もし、投機家が自己の利潤のみを追求しているようであれば、資本主義社会では存続が認められないはずです。