• ベストアンサー

スイス、米国の州は裁判官の直接公選制をしてますか

日本の最高裁判官は内閣により選出されるので裁判官の判定も政治家に近いものになりやすく三権分立が不十分となり問題があると思っています。そうした理由から裁判官の直接公選制に興味を持っています。「新訂・新政治経済・発行所:自由書房P42、1980年発行」に、裁判官の直接公選制はスイス・ソ連及びアメリカの若干の州での実績がある。と書かれていました。ソ連は崩壊していますが、スイス及びアメリカの若干の州では今でも裁判官の直接公選制をしているのでしょうか。また、裁判官の直接公選制では裁判官に専門知識が必要なことが問題であるとよく聞きますが、その問題の解決はどのように克服しているのか、教えてください。

  • 政治
  • 回答数3
  • ありがとう数1

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • f272
  • ベストアンサー率46% (8019/17138)
回答No.3

> アメリカの各州は連邦から独立した最上級裁判所を持っているそうですが、最終判決を行う最上級裁判所の裁判官を直接公選制で選んでいる州はあるのでしょうか。 ありますよ。 たとえば http://www.courtswv.gov/supreme-court/index.html によると The five justices are elected in partisan elections to twelve-year terms. と言うことでウエストバージニア州の最高裁では,判事は12年の任期で党派的選挙で選ばれます。 また http://www.supreme.courts.state.tx.us/ によれば The Justices of the Supreme Court are elected to staggered six-year terms in state-wide elections. と言うことで,テキサス州の最高裁の判事は6年の任期で州全体からの選挙で選ばれます。 http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/niikiyo/KJ00000676543.pdf に書かれているすべての州を調べてはいませんが,おおむね正しいことを書いてあるのでしょう。 > 州上訴審裁判官と州実審裁判官の意味がわかりませんでした。 一般的に言えば... 事実審とは,訴訟当事者などの主張・証拠などから裁判官が事実問題と法律問題を併せて判断する審級のことであり,日本でいえば簡易裁判所,家庭裁判所,地方裁判所に当たります。 上訴審とは,法律審であり原判決に憲法違反や法律解釈の誤りがあるかを中心に審理されます。日本でいえば高等裁判所,最高裁判所に当たります。

anglerhs
質問者

お礼

丁寧な回答どうもありがとうございます。 自分の理想国家がテキサス州の様なアメリカの21の州であることがわかりました。これを機会に自分なりにこれらの州についてもう少し調べてみたいと思います。意外と選挙資金などのデメリットが深刻なのかもしれませんね。

anglerhs
質問者

補足

早速の回答ありがとうございます。政治家の無理が通りやすい制度だと、政治家は現状の環境で選挙に当選したのだから、現状を変えることを好まない場合が多いと思います。よって政治家からの独立性の高い最高裁判官の直接民主制をとっている州は、そうでない州に比べて変化が大きいと思います。変化を見るのにはベンチャー企業の成功率をみるのが良いように思います。アメリカの各州のベンチャー企業の成功率等の変化やその影響の比較データは無いでしょうか。もし心当たりがあるようなら教えてください。

その他の回答 (2)

  • f272
  • ベストアンサー率46% (8019/17138)
回答No.2

まず初めに,スイスの連邦裁判所の裁判官が公選によって選ばれている,と言うわけではなく,スイスの一部の州(カントン)の裁判所の裁判官が公選によって選ばれているようです。連邦裁判所の裁判官についてはどうなのかを調べてみたけど,明確に書かれているものは見つけられませんでした。 http://www.clair.or.jp/j/forum/series/pdf/j24.pdf からの引用です。 ------------------------------- (連邦裁判所の)30 名の裁判官は言語、出身地、所属政党などを考慮して連邦議会の両院合同会議で選任される。 そのほかに30 名の補助判事を含め約200 名が5つの法廷で職務を遂行している。裁判官および補助判事の職は、必ずしも法律に関する資格を必要とせず国民に広く開かれ、国民議会の被選挙権を持つスイス市民から選出することができる。 ------------------------------- 裁判官の直接公選制はメリットもあるけど,デメリットもあります。 その第一は,裁判官選挙に選挙資金が過大に流入し,裁判官が選挙資金の提供者の影響を受けることです。法と憲法にのみ従った公正な裁判を確保するための制度(たとえば裁判官が寄付を受けたときはその寄付を行った人の裁判には関与できないとか)の整備が不可欠であろうと思われます。 なお,日本における最高裁判所裁判官の国民審査は,世界的にみても珍しい制度であって,「法と憲法にのみ従った公正な裁判」を事後的に保証する素晴らしい制度だと考えられます。これをもっと積極的に下級裁判所に広げていく方向があってもいいんじゃないかなと思います。

anglerhs
質問者

補足

早速の回答ありがとうございます。スイスでも、最終判決を行う最上級裁判所の裁判官は両院合同会議で選任されるのだから直接公選制ではないようですね。 アメリカの各州は連邦から独立した最上級裁判所を持っているそうですが、最終判決を行う最上級裁判所の裁判官を直接公選制で選んでいる州はあるのでしょうか。 (自分でも調べて、http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%20%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%AE%98%20%E9%81%B8%E6%8C%99&source=web&cd=6&ved=0CDwQFjAF&url=http%3A%2F%2Fir.lib.hiroshima-u.ac.jp%2Fmetadb%2Fup%2Fniikiyo%2FKJ00000676543.pdf&ei=eyx6UIcG5KyIB4KUgOgK&usg=AFQjCNGYNwRT2fDzIn8Le751xLaqXul7eg の図表1,2に州上訴審裁判官と州実審裁判官の各州の選出方法のリストがありましたが、州上訴審裁判官と州実審裁判官の意味がわかりませんでした。)教えてください。

  • f272
  • ベストアンサー率46% (8019/17138)
回答No.1

> スイス及びアメリカの若干の州では今でも裁判官の直接公選制をしているのでしょうか はい,直接公選制を維持しています。 > 裁判官に専門知識が必要なことが問題であるとよく聞きますが、その問題の解決はどのように克服しているのか 連邦裁判所か州裁判所かなどによって制度は異なるが,おおむね,弁護士資格などを裁判官になるための条件としているところが多いようです。それが条件になっていないところでも,実際には法律の素養のある人が選ばれるようです。まあ,法律はまったくの素人であっても他の分野では専門家だったりしますから,その場合には合議制の裁判所に所属していたりして,いろいろと方策はあるようです。 まあ,市民陪審も行われるくらいですから法律の専門知識だけが重要というわけではないのです。

anglerhs
質問者

補足

早速の回答ありがとうございます。スイスの連邦裁判所は、日本の最高裁判所にあたる裁判所の最高機関だと思うのですが、裁判官の直接公選制が実施されていることで司法の独立が明確になるすばらしい制度だと思います。しかし日本ではこうした国があることがあまり知られておらづに、直接公選制の技術的な問題がある様な認識が多いのは何故なのでしょうか。原因があれば教えてください。それと、スイス連邦裁判官の直接公選制についての日本語での情報源があれば教えてください。

関連するQ&A

  • 代表民主制と直接民主制

    代表民主制と直接民主制の違いって 国民が直接政治に関与するかしないかということですよね? 国民が選挙で国会議員を選ぶ今の日本の制度は代表民主制だとわかるんですが、アメリカが採用している大統領制(首相公選制)は、どちらに分類されるのですか? 私は、首相公選制も国民が首相(代表者)を選出するのであるから、代表民主制だと考えているのですが、どちらなんでしょう?

  • ソビエトとアメリカ

    冷戦とよく聞きます、冷戦は、当時の大国であるソビエトとアメリカの戦火を伴わない戦いだったわけです。それは、それで良いのですが、旧ソ連とたまに言われますが、そもそもソ連という国が、どのような国だというのが、わかりません。アメリカは、連邦制で州ごとにいろいろわかれていますが、ソ連の場合はどうたったか、どういう政治体制か、情報機関や国防省のようなものは、あったのか・・・。どいいう文化なのか。。。どのような国の歴史があるのか成立など、アメリカとの対比でどうなっているのかというのが、知りたいのです。もし、わかる人がいれば、ご指導ください。また、ホームページや書籍などでよい書籍があれば、ご紹介ください。お願いします。

  • 日本で、国民投票できるようにして、安楽死法を可決させるには(スイスなどではどうして可決されたの)

    のうのうと生きてる政治家に、 死を望む者の苦しみがわかるのだろうか。 この問題は、 国民投票にするべきではないでしょうか。 法的な力をもった投票として。 1、日本では憲法改正時にのみ国民投票が行われますが、安楽死法制定は憲法改正に匹敵するという主張は、受け入れてもらえますか。 2国民は、やはり反対可能性が高いのでしょうか。 3アメリカ(オレゴン州) - 1994年「尊厳死法 (Death with Dignity Act)」成立 オランダ- 2001年「安楽死法」可決。 ベルギー- 2002年「安楽死法」可決。 フランス- 2005年「尊厳死法」可決。 スイス-1942年 なぜこの国では安楽死法が可決したのでしょう。 その理由を教えてください。

  • クレーマーだらけの日本、裁判だらけのアメリカ

    アメリカなら即裁判になるような多くの事例でも、日本では裁判のハードルが非常に高いことから自己責任が基本になっています。トラブルは起こるのは当然なので、トラブル自体は無くすことはできません。 例えば、企業個人間のトラブルでは、くすぶり続ければ客がクレーマー化する場合もあり、日本の企業はクレーマー対策にも熱心です。アメリカではすぐに裁判沙汰になるのでくすぶり続けることは比較的少なく、また社会的意義があると認められれば企業に多額の賠償金が課せられることも珍しくありません。 もしも日本でも裁判のハードルを下げ訴訟を増やすように政治が動けば、トラブルは裁判で解決する動きが強まり、訴訟大国になって行くでしょう。しかし訴訟大国のアメリカでは企業利益の3割近くが弁護士費用になっていたりととても無駄が多いようにも感じます。ただ多くの社会問題が裁判により解決へ向かうことも多く爽快であったりもします。 日本の将来にとって裁判を増やす社会と現状維持でクレーマーだらけの社会、どちらが日本にとってよいでしょうか?

  • 政治問題における裁判

    先日、現代社会の授業で、自衛隊、日米安全保障条約の違憲性が焦点になった裁判の判例として、それぞれ、砂川事件、長沼ナイキ基地訴訟事件を学習したのですが、その中で、疑問に思ったことがあったので質問させていただきます。 というのは、砂川事件では、最高裁で「日米安全保障条約は高度な政治問題なので審査できない」という旨の判決、ナイキ訴訟でも二審で「統治行為(重要な政治問題)だから審査できない」という判決が出たそうですが、これでは裁判所はあまりにも無力ではないのでしょうか? これだけ見ていると、もし、政府が憲法改正なしにアメリカなどと今よりもっと大規模な軍事協力の条約などを結んだり、武力を行使したりしたとしても、裁判所は違憲立法(法令)審査権を行使できないのではないかと思うのですが、どうなんでしょうか? そしてもうひとつ、これと関連した質問なのですが、2003年から2004年にかけて成立した有事法制関連10法は違憲だと個人的に思うのですが、どうでしょうか?

  • アメリカ大統領と日本の首相の違い

    大統領も首相も政治という点から見たらトップの位置にいますけれども、 アメリカと日本を比較した場合 アメリカ大統領の方がアメリカ国内で権力を持っている気がします。 確かに大統領は国民の直接選挙(厳密には少し違いますけど)で選出されていて 首相は間接選挙によるものです。 それにしても首相は大統領ほどの権力は国内で持っていない気がします。 この違いがいったい何なのかがよくわかりません。 単なる自分のイメージがそうなのであるのか、 それとも大統領の方が強い権力を持っているのか。 教えて下さい。

  • 米大統領選挙ってなんでこんなに長引くの?

    アメリカの大統領選挙ってすごい不思議なんですけど! ・なんで今までは大問題にならなかったのですか? ・なんで数え直すと違う結果がでちゃうんですか? ・長引いてますけど早く決めなくて大丈夫なんですか? 方法についても疑問です。一応、直接投票みたいですが 何故、州ごとで集約して**州をとったら2票みたいな ことをするんですか?直接、獲得票を比べたほうが簡単なのでは? とりとめもなく書いてしまいましたがどなたかお教えいただけませんか。よろしくお願いします。

  • 日本の刑事裁判所における異常な有罪率?

    日本の第一審有罪率は99.9%(事実上世界一)であり、これは検察官により起訴された事件の1000件に1件しか無罪とならないということを意味します(掲載司法統計を参照)。もしこれが日本だけではなく先進諸国でも同様であればそれほど違和感はないことでしょう。ちなみに、米国連邦裁判所制度の下での有罪率は、1972年から1992年の間において約75%から約85%でした(Sara Sun Beale, Federalizing Crime:Assessing the Impact on the Federal Courts, 543, Annals of the American Academy of Political and Scoial Science)。特に、各州の有罪率は、テキサス州で84%、カリフォルニア州で82%、ニューヨーク州で72%、ノースカロライナ州で67%、フロリダ州で59%でした (Peter J. Coughlan(Jun.,2000) In Defense of Unanimous Jury Verdicts: Mistrials, Communication, and Strategy Voting, 94, The American Political Science Review, pp.375-393)。次に、英国国王裁判所での有罪率は、80%、中国約98%程度、旧ソ連ですら約90%超であり、日本の刑事裁判における有罪率99.9%は歴史的・統計的にも異常値であると言えます。なお、最近のパレスチナ人に対するイスラエル軍事法廷の有罪率は、99.74%であり、これですら日本の第一審有罪率には及びません(Donate, an independent journalist from Israel & Palestine on March 14, 201)。具体的な数値は不明ですが、様々な情報を総合すると、ナチスドイツの刑事裁判における有罪率すらも99.9%にははるかに及ばないと推定されます(ナチスドイツの有罪率は99.5%と推定される。 この点、先進諸国の刑事法学者の多数も疑問を抱いています。また、時々報道されるように米国政府が自国兵士を日本の刑事司法に委ねることを躊躇する一因もこの点にあると思われます。ところで、以前に法科大学院に在籍していた時に、米国政府からも重用されている米国アメリカン大学ロースクールの教授Jeffery Lubbers氏にこの問題に関する質問したところ、苦笑して「99.9%の有罪率は旧ソ連の裁判所並みだろう・・・」とのご意見でした。 外国人のみならず日本人の多数もこの問題に疑問を持っています。「Yahoo!みんなの政治」に新党大地の代表・鈴木宗男氏の「検察が正義でなく、正義は国民が判断する」というコラムでこの点が触れられています。同氏は、「国民が気をつけなければならないのは、裁判所は「法の番人」でなければなりませんが、現実は裁判所は検察の言いなりになることがほとんどだということです。有罪率99.9%は、ほぼ100%ということですが、この数字が裁判所が検察の言いなりだということを証明しています。なぜ言いなりかというと、司法官僚同士の一体感というのはとても強く、「判検交流」といって、裁判所(司法)と検察(行政)の交流人事というのがあり、同じ村の仲間だからです。したがって、日本では、3権分立が成り立っているのかといえば、極めて疑問に思います。」と意見を述べておられます(http://seiji.yahoo.co.jp/giin/rev/detail/index.html?g=2009000469&s=0&d=3&r=42)(ちなみに、この見解に対する賛否は、賛成487件、反対35件で圧倒的に賛成が多い)。また、(http://news.goo.ne.jp/hatake/20090529/kiji3341.html?disp=all)のアンケートも参照してください。 確かに、日本は三権分立制を採っており、司法・行政・立法は相互に抑制・均衡することで各府の暴走を抑止し、適正な権力運営を図っています。したがって、第一審有罪率99.9%なのに検察の慎重な判断の積み重ね結果だから問題がないというのは事実上三権分立の実効的機能を無視するものです。逮捕状発付率、起訴猶予率及び第一審有罪率を総合的に考慮すれば、日本では事実上有罪無罪の判断を検察がしており、裁判所はその事後的承認機関と化していると言っても過言ではありません。司法と行政相互の抑制均衡機能が実効的に働き、司法の独立が維持されれば、検察と裁判所は相互に独立した判断をしている以上、第一審有罪率が99.9%になることなどあり得ません(法曹三者が一元的に司法研修所で教育を受け、法曹官僚として一枚岩であるからこそ高度の一体性と見解の一致を見るのです)。 この点に関し、ハーバードロースクールのJ. MARK RAMSEYER教授とインディアナ大学ビジネススクールのERIC RASMUSEN教授は、日本の裁判所の異常に高い有罪率に関し、共同論文「Why Is the Japanese Conviction Rate So High?」(英語論文)(http://ideas.repec.org/p/wpa/wuwple/9907001.html)の中で、「検察官が過度に人手不足であるので最も有罪になる可能性が高い事件のみを起訴し、裁判官は明白に有罪になる被告人のみを裁判していること」及び「裁判官は行政府により再任されるので無罪判決を出した裁判官はその後の出世において不利に扱われ、裁判官は事件を有罪にするように偏重した動機付けを与えられていること(特に国策起訴においてはこのことが顕著である)」の2つを挙げています。 上記ハーバードロースクールの論文が挙げる日本における有罪率99.9%の2つの原因のうちの1つである「検察官が過度に人手不足であるので最も有罪になる可能性が高い事件のみを起訴し、裁判官は明白に有罪になる被告人のみを裁判していること」は、日本政府も自ら認めている原因であり、日本政府は、むしろ有罪率99.9%を正当化する理由として当該原因を引用しています。すなわち、日本政府は、検察庁(行政府)が事実上刑事司法における有罪・無罪のスクリーニングを行っている点を認めていながら、司法府と行政府との間のチェック・アンド・バランスが十分に機能していると主張し、自己矛盾を生じている訳です。しかしながら、検察庁(行政府)が事実上刑事司法における有罪・無罪のスクリーニングを行っていれば、刑事司法における判断裁量は行政府(検察官)にあり、司法府と行政府との間のチェック・アンド・バランスが十分に機能しているとはいえず、三権分立が形骸化していると解するのが自然です。 ところで、司法府と行政府との間のチェック・アンド・バランスが現在の日本の状況と酷似し、裁判所の判断が行政の強力な影響下に置かれ、司法及び裁判官の独立が形骸化していた典型的な社会はナチスドイツ政権下において見られました。ナチスドイツ政権下の裁判所は、ほとんどヒトラー政権の傀儡裁判所と化していたのです。ナチスの例を考えれば、検察庁(行政府)が事実上刑事司法における有罪・無罪のスクリーニングを行い、刑事司法における判断裁量を握っていることの危険性を理解できるはずです。実際、最近では、過去の冤罪がかなり暴露されており、こうなると検察官の判断の慎重さも疑わしいところです。

  • 日本の異常な刑事裁判の有罪率?

    日本の第一審有罪率は99.9%(事実上世界一)であり、これは検察官により起訴された事件の1000件に1件しか無罪とならないということを意味します(掲載司法統計を参照)。もしこれが日本だけではなく先進諸国でも同様であればそれほど違和感はないことでしょう。ちなみに、米国連邦裁判所制度の下での有罪率は、1972年から1992年の間において約75%から約85%でした(Sara Sun Beale, Federalizing Crime:Assessing the Impact on the Federal Courts, 543, Annals of the American Academy of Political and Scoial Science)。特に、各州の有罪率は、テキサス州で84%、カリフォルニア州で82%、ニューヨーク州で72%、ノースカロライナ州で67%、フロリダ州で59%でした (Peter J. Coughlan(Jun.,2000) In Defense of Unanimous Jury Verdicts: Mistrials, Communication, and Strategy Voting, 94, The American Political Science Review, pp.375-393)。次に、英国国王裁判所での有罪率は、80%、中国約98%程度、旧ソ連ですら約90%超であり、日本の刑事裁判における有罪率99.9%は歴史的・統計的にも異常値であると言えます。なお、最近のパレスチナ人に対するイスラエル軍事法廷の有罪率は、99.74%であり、これですら日本の第一審有罪率には及びません(Donate, an independent journalist from Israel & Palestine on March 14, 2010)。具体的な数値は不明ですが、様々な情報を総合すると、ナチスドイツの刑事裁判における有罪率すらも99.9%にははるかに及ばないと推定されます(ナチスドイツの有罪率は99.5%と推定される。 この点、先進諸国の刑事法学者の多数も疑問を抱いています。また、時々報道されるように米国政府が自国兵士を日本の刑事司法に委ねることを躊躇する一因もこの点にあると思われます。ところで、以前に法科大学院に在籍していた時に、米国政府からも重用されている米国アメリカン大学ロースクールの教授Jeffery Lubbers氏にこの問題に関する質問したところ、苦笑して「99.9%の有罪率は旧ソ連の裁判所並みだろう・・・」とのご意見でした。 外国人のみならず日本人の多数もこの問題に疑問を持っています。「Yahoo!みんなの政治」に新党大地の代表・鈴木宗男氏の「検察が正義でなく、正義は国民が判断する」というコラムでこの点が触れられています。同氏は、「国民が気をつけなければならないのは、裁判所は「法の番人」でなければなりませんが、現実は裁判所は検察の言いなりになることがほとんどだということです。有罪率99.9%は、ほぼ100%ということですが、この数字が裁判所が検察の言いなりだということを証明しています。なぜ言いなりかというと、司法官僚同士の一体感というのはとても強く、「判検交流」といって、裁判所(司法)と検察(行政)の交流人事というのがあり、同じ村の仲間だからです。したがって、日本では、3権分立が成り立っているのかといえば、極めて疑問に思います。」と意見を述べておられます(http://seiji.yahoo.co.jp/giin/rev/detail/index.html?g=2009000469&s=0&d=3&r=42)(ちなみに、この見解に対する賛否は、賛成487件、反対35件で圧倒的に賛成が多い)。また、(http://news.goo.ne.jp/hatake/20090529/kiji3341.html?disp=all)のアンケートも参照してください。 確かに、日本は三権分立制を採っており、司法・行政・立法は相互に抑制・均衡することで各府の暴走を抑止し、適正な権力運営を図っています。したがって、第一審有罪率99.9%なのに検察の慎重な判断の積み重ね結果だから問題がないというのは事実上三権分立の実効的機能を無視するものです。逮捕状発付率、起訴猶予率及び第一審有罪率を総合的に考慮すれば、日本では事実上有罪無罪の判断を検察がしており、裁判所はその事後的承認機関と化していると言っても過言ではありません。司法と行政相互の抑制均衡機能が実効的に働き、司法の独立が維持されれば、検察と裁判所は相互に独立した判断をしている以上、第一審有罪率が99.9%になることなどあり得ません(法曹三者が一元的に司法研修所で教育を受け、法曹官僚として一枚岩であるからこそ高度の一体性と見解の一致を見るのです)。 この点に関し、ハーバードロースクールのJ. MARK RAMSEYER教授とインディアナ大学ビジネススクールのERIC RASMUSEN教授は、日本の裁判所の異常に高い有罪率に関し、共同論文「Why Is the Japanese Conviction Rate So High?」(英語論文)(http://ideas.repec.org/p/wpa/wuwple/9907001.html)の中で、「検察官が過度に人手不足であるので最も有罪になる可能性が高い事件のみを起訴し、裁判官は明白に有罪になる被告人のみを裁判していること」及び「裁判官は行政府により再任されるので無罪判決を出した裁判官はその後の出世において不利に扱われ、裁判官は事件を有罪にするように偏重した動機付けを与えられていること(特に国策起訴においてはこのことが顕著である)」の2つを挙げています。 上記ハーバードロースクールの論文が挙げる日本における有罪率99.9%の2つの原因のうちの1つである「検察官が過度に人手不足であるので最も有罪になる可能性が高い事件のみを起訴し、裁判官は明白に有罪になる被告人のみを裁判していること」は、日本政府も自ら認めている原因であり、日本政府は、むしろ有罪率99.9%を正当化する理由として当該原因を引用しています。すなわち、日本政府は、検察庁(行政府)が事実上刑事司法における有罪・無罪のスクリーニングを行っている点を認めていながら、司法府と行政府との間のチェック・アンド・バランスが十分に機能していると主張し、自己矛盾を生じている訳です。しかしながら、検察庁(行政府)が事実上刑事司法における有罪・無罪のスクリーニングを行っていれば、刑事司法における判断裁量は行政府(検察官)にあり、司法府と行政府との間のチェック・アンド・バランスが十分に機能しているとはいえず、三権分立が形骸化していると解するのが自然です。 ところで、司法府と行政府との間のチェック・アンド・バランスが現在の日本の状況と酷似し、裁判所の判断が行政の強力な影響下に置かれ、司法及び裁判官の独立が形骸化していた典型的な社会はナチスドイツ政権下において見られました。ナチスドイツ政権下の裁判所は、ほとんどヒトラー政権の傀儡裁判所と化していたのです。ナチスの例を考えれば、検察庁(行政府)が事実上刑事司法における有罪・無罪のスクリーニングを行い、刑事司法における判断裁量を握っていることの危険性を理解できるはずです。実際、最近では、過去の冤罪がかなり暴露されており、こうなると検察官の判断の慎重さも疑わしいところです。

  • 裁判員制度は民事にも取り入れるべきでは?

    何年か前だったと思いますが、日本でも裁判員制度を取り入れました。私は、裁判員制度の詳細は未だによく知らないというか勉強不足ですが、以前から、アメリカの映画で裁判の様子が出てくるときに、日本は裁判官の裁量に権限がありすぎで、アメリカは民主的だなと思っていました。このアメリカでは相当以前から裁判員制度が出来ていることは、古い時代の映画でも出てくるので、日本は何十年も遅れて取り入れたということでしょう。例えば「12人の怒れる男」という映画はまさにこの裁判員に選ばれた男たちを描いたもので名画の類だと思いますが、最初は1954年の制作だったとのことです。日本は少なくとも50年以上たってから民主的というか妥当な制度をようやく取り入れた感じがしました。 この裁判員制度に関して、下記の質問をしたいと思います。 1. 日本の裁判員制度は刑事事件のみに採用されていると聞いています。これについては、私は民事事件にも採用すべきと思います。裁判官がどのように理解して判断するかという部分の割合が大きい事件が多く、裁判官という特殊な環境で育った人だけが判決の権限をもつというのは問題(危険)と思います。特に、日本裁判所は過去の判例に従うことが大優先するような組織なので、時代の変化や国際化に対応しない面があり、裁判員制度は社会の常識的な総合判断が可能になると思います。これに関する質問は次の2点です。 (1) アメリカでも裁判員制度は刑事事件だけで民事には取り入れていないのでしょうか? (2) 民事にも裁判員制度をとりいれるべきと思いますがどうでしょうか?手間暇や費用がかかるとかいうマイナス面ばかり並べずに、制度として必要かどうかという視点でお願いします。 2. 裁判員制度に関する直接の質問ではありませんが、(ついでに)関連事項として下記も質問させて下さい。 日本の法律・裁判関係のことで、欧米に比べて遅れている(いう表現が適切でなければ改善すべき)点は、少なくないと感じています。 例えば、日本も海外からの指摘や圧力があって、ようやくハーグ条約に加盟することになったようですが、以前そのことを知った時に素人的には日本のやり方は実に間違っている(日本は国家が一種の犯罪人に逃げ場を与えて保護しているようなもの)と思っていました。しかも改善への検討が始まってからの対応は非常に遅くて抵抗がいろいろあったからと思いました。ハーグ条約に限りませんが、法曹界はあまりに自己都合を優先して改善に抵抗している感じがします。 (一般人である)私自身でも、法律・裁判関係で改善すべき点がすぐにいくつか考えられるのですが、それが適当かどうかは勉強不足なのでここでは省略します。教えてGooには、法律や裁判に詳しい方や問題意識を持っている方が多いようで、特に欧米との違いにおいて、日本の法律・裁判の制度、やり方などで遅れている又は改善すべき点についての情報や考えを教えて下さい。