「創価学会」と「幸福の科学」の政党の違いとは?

このQ&Aのポイント
  • 「創価学会」の「公明党」と「幸福の科学」の「幸福実現党」は、政界で異なる立ち位置を持ちながら、それぞれの存在を維持しています。
  • 「公明党」は政教分離の問題は置いておいても、巧妙な戦略とバランス感覚で政界での地位を築いています。
  • 一方、「幸福実現党」は立党が遅れているものの、多くの選挙区で候補者を立て、資金を投入していますが、まだ政党としての要件を満たしていない状況です。
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「創価学会」の公明党と「幸福の科学」の幸福実現党

「創価学会」の"公明党"は、政界の中で、巧妙に立ち回りながら、絶妙なバランスで、その立ち位置と存在を維持し続けています。 政教分離で違憲?このことは、取り敢えず横に置いておくとして。 「幸福の科学」の"幸福実現党"は、立党して政界進出を図った時期が遅かったことは然は然り乍ら、数多くの選挙区で候補者を立て続け、既にかなり相当の資金を投入していると想像できますが、にもかかわらず現在においては政界進出は勿論のこと、政党としての要件すら満たしていないという有様です。 この両党、というか、ふたつの宗教法人・宗教団体の、違いというか差は、どこにあるのでしょうか。 戦略・戦術?資金力?…、それとも…?教えてください。

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回答No.3

純粋に信者数の差でしょう。 公明党の国政選挙比例区での票数は、常にほぼ一緒です。雨が来ようとも、嵐が来ようとも、投票率が高かろうが低かろうが、常にほぼ一緒の約800万票です(近年は、少し減っていますが) つまり、どんな状況があろうとも、確実に公明党に投票する人がいる。で、それは、基本的に創価学会の信者数である、という考えて間違いないでしょう。 一方、2009年の衆院選比例区において幸福実現党が獲得した票数は45万票ほどです。2010年の参院選比例区での得票数が29万票ほど。 2009年の選挙が、初登場で、やたらと目立つパフォーマンスをしていたことを考えると、45万票の中には、面白半分の投票なども含まれていると考えるべきで、幸福の科学の信者数は、20万人台くらい、と考えるのが妥当ではないかと思います。 はっきりと、これだけの信者数の違いが有れば、その時点で、差は明らかです。 800万票というのは、日本の有権者数が約1億人といわれますから8%くらい、という計算になります。ただ、これは、投票率100%での影響力であり、投票率50%なら16%、投票率33%なら24%にも上ります。 一方、降伏の科学の信者が30万人だとして、投票率100%で0.3%。仮に投票率33%のなか、信者が全員投票しても0.9%にしかなりません。これでは当選できません。 無論、これだけの規模の違いが有れば、資金力なども雲泥の差です。 と、すべては信者数の差だと考えます。

hikokurow
質問者

お礼

なるほど、やはりそうですか。 ありがとうございます。

その他の回答 (3)

回答No.4

『 科学  科学は、人類にとって最も重要である。科学者の手でなされたすべての発見には、眼を通しておかねばならない。それらの発見によって、あらゆる問題を解決できるのだ。科学的発見を、利益追求だけを目的とする人々や、ありもしない敵に対して、あてにもならない優越を保持しようとして、ある種の発明をかくしたがる軍人の手に委ねてはならない。科学を自分の宗教とすべきである。  ・・・・・ ( omitted) ・・・・・ 科学は、人類に仕え、人類を解放するために使用されるべきであり、人類を滅ぼし不和にするために使用されてはならない。科学者は、経済的利害に操られていない科学者だけを信頼しなさい。  ・・・・・  ・・・・・ 最も危険なセクトすなわち軍隊  宗教、性、政治等あらゆる面において、自分とは異なる他人の権利を認め、寛容と非暴力のうちに自己開花する社会、それが未来の社会の姿でなければならない。   人種的、性的、宗教的ないし政治的な差別が、まだ数多く存在している。 このような原始的な振舞いは止めて、自分とは違う人びと、もしくは自分とは違う生き方を選んだ人びとを恐れるようなことは、もはや止めるべきである。  他人の宗教、それがセクトと言われる。(フランスではセクトは一般に新興宗教を指す)。  他人の官能的生活、それが悪徳と言われる。  こういうことこそ、もっと寛容になるために自覚しなければならない事がらである。  もしある人がクリスチャンであるとすれば、二千年前には、その人は一つのセクトに属したとみなされ、おそらくはライオンの檻の中に投げ込まれていただろうということを自覚する必要がある。だからその人は、その自分が受けていたかも知れないやり方で、現在、新興宗教に生きる道を見つけた若者たちを裁いてはいけないのだ。  もし私の隣人がが、自分のへそが世界の中心であると宣言し、かつ千人の人に首尾よくそう信じ込ませたとしたら、これら千人の人たちが、かれのために玉座を作ることを望み、かつかれら自身も寛容的な態度をとり、他の人がかれらの信仰に加わらない自由を承認するのであれば、それは自由に認めなければならない。  もし他人の信仰があなたの心を乱すとすれば、それはあなたが、生命と世界に関するあなた自身の観念に、あまり確信が持てていないからに違いない。  ・・・・・ ( omitted) ・・・・・  公認の宗教以外の宗教を信じる人たちが、洗脳の犠牲者となってきたことを考えると、社会はまだまだ、はなはだしく寛容の精神を欠いており、とくに東側諸国では不寛容の程度が極端になっているきらいがある。  自分の肉体的平衡や精神衛生に何の心配もいだかずに、自由に自分の宗教を選ぶことを認めないとなれば、その社会は、行き過ぎた中世の「宗教裁判」に再び逆戻りすることになるだろう。ただし、それはかつての拷問に代わる巧妙な手段によってなされるのだ。つまり、精神異常と認定して、その者を医学上の保護処分、すなわち精神病院へ収監することによって、個人の社会的地位を剥奪するのである。こうした精神病院は、自称、自由な国々において、精神上もしくは宗教上の、「異端派」のための「強制収容所」と同じものになってしまう可能性がある。  ソ連では、反体制派を強制収容所に送り込むような洗脳が行われているが、非全体主義的国家においても、伝統的な大宗教にはもはや追随しない者たちに対して、全く同様な手段が敢行されているのだ。  人はよく、特定の新興宗教(人はそれを軽蔑的な意味合いをこめてセクトと呼ぶ)が、その若い信徒たちに、精神的ときには肉体的な暴力を加えているなどと語る。しかし、精神的および肉体的な暴力を実践し、今まで存在しなかったような最も大きな公認の洗脳事業である兵役については、人は口をつぐむ。  ・・・・・ ( omitted) ・・・・・  天才政治に立脚する政府は、社会それ自体による組織的な洗脳が、もはや存在しなくなるようにこの問題を研究する必要がある。  かつてのナチス党員のような戦犯たちが「自分たちは命令を実行したにすぎない」と、いつも言い逃れすることも、分りきったことである。ソ連で反体制派を拷問にかけている連中も、アルジェリア、インドシナ、そしてベトナムでの暴力行為で罪に問われている者、「広島」に原子爆弾を投下した者についても同じであろう。  かれらはいずれも、同じ穴のむじななのだ。  軍人こそ人類の最大の敵である。なぜなら、かれらはことごとく無責任であり、しかも機会あるごとに、自らそのことを公言してはばからないからである。かれら軍人は、かれらが命令を下したときに生じ得るあらゆる犯罪に対して、起こり得る殺人の責任は若者たちに負わせ、もし自分たちが非難されたときには、自分たちは単なる 命令の実行者にすぎないという、言い逃れができることを計算しているということを知るのは重要である。  精神的に正常な世界は、その社会を構成する全成員が、いかなる状況下であろうとも、自分が犯す暴力に対しては各人が個人的に責任を負うのであり、またある命令を実行した場合には、命令を与えた者と同様、命令を実行した者も重い責任を負うのだということを、かれらに理解させるように努める義務がある。  ある人間が、ある者を抹殺するために殺し屋を雇ったとすると、その殺し屋は、命令を実行しただけであると言うことを理由に無実になることはないはずである。  その職務が何であろうと、あらゆる意味合いにおいて、責任ある人間によって社会が構成されることを望むことは法外なことであろうか。  他の人間に対して発砲することを承諾した、銃殺班の全ての人間は、殺害の命令を下した者と同じ責任を負うのである。  制服や職務を口実にする全ての人間が、非人間的な行為を拒否する日が到来したあかつきには、世界平和の実現を期待することができるだろう。  同様に、無実の者に有罪判決を言い渡したすべての裁判官と陪審員は、有罪とされた者が自らの無実を立証できたときには、不正に科した罰と同じ罰を受けるか、あるいは少なくとも、かかる不正の犠牲者が実際に受けた罰と同じ罰を受けるかしなければならない。そうすれば、往々にして、もっぱら狭量で根拠の薄弱な推測や「心証」で有罪判決を下す裁判官や陪審員も、もっと真剣に判断を下すようになるだろう。(RAEL著)』  > この両党、というか、ふたつの宗教法人・宗教団体の、違いというか差は、どこにあるのでしょうか。 >>  教義と経典等が新しいか旧いかの違いではないでしょうか?  _悪徳と言われる官能的生活_の違いではないでしょうか?  > 戦略・戦術?資金力?…、それとも…? >>  どちらも、選挙にて正義を問えるだけの実力はある。 しかし、まだ、世界および社会は危険ではないでしょうか? _ 社会はまだまだ、はなはだしく寛容の精神を欠いており _ と記されますが、それを欠く金権私利私欲の資本とその体制、そしてその傀儡政治、それらは社会と人々を混乱と障害に堕落させるメインキャストと言えるのではないでしょうか? それらの不正私利私欲とその利権拡大維持私利私欲、それらがそのまま世界の縮図として票に出ているのではないでしょうか?  旧い分、歴史と大戦を経た分、それが票として出ている気がしないでもないですが、 世界を支配する金権および最も危険なセクト_軍隊、それらを解放するには 更なる科学的努力も必要欠かせないというところでしょうか。 科学者の票、見逃せないのではないでしょうか?

hikokurow
質問者

お礼

うーん、難しい、よく解りません…。 でも、本当にありがとうございました。

  • sinntyann
  • ベストアンサー率10% (67/641)
回答No.2

そんなに詳しくない私でもわかるのは、信者の数。 創価学会は2000万とも3000万とも言われてます。 幸福の科学は、何十万でしよう。

hikokurow
質問者

お礼

そうですか。やはり信者数ですか。 ありがとうございます。

  • kfer_oope
  • ベストアンサー率12% (39/314)
回答No.1

政策に宗教そのものの教義を盛り込んでいるかどうかですな。 公明党は最近はアグネスと提携したり左翼系への志向が強くなっていますが、 そこそこ福祉に関しては実績があります。だからこそ、生活保護も日本国籍 所持者限定にしてもらいたいのですがね。 但し、幸福実現党の存在自体は、公明党を支持しない者には重視されます。 それは宗教に支持された政党はダメなんだというレッテル貼りにはもってこいですから。 その前に公明党は自滅しかかっていますが・・・。 正確に言えば、日本の政党で宗教団体の支持を受けていない政党なんて共産党以外は ないんですがね。昨今の泡沫政党はどうでもいいが。

hikokurow
質問者

お礼

ありがとうございます。

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