神が全てを用意した?クリスチャンの考え方について

このQ&Aのポイント
  • クリスチャンが言う『神が全てを用意した』というのは、自分たちの人生において起こる出来事や運命に対して神が計画し、与えてくださるという意味です。
  • しかし、ただ受け入れるだけでなく、自分自身も努力し変化を遂げることが求められます。神が用意したというのは、困難な状況や試練に直面した時に神の力や導きを受けながら進むということです。
  • クリスチャンの考え方では、神が与えた恵みを受け入れつつ、自己変革や行動をすることが重要視されています。自分で努力をすることで神の計画や目的を実現し、人生を豊かにすることができるのです。
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クリスチャンの方へ質問。神は全てを用意した?

僕も彼女はクリスチャンではありませんが、彼女はキリスト教系の学校の出身です。 キリスト教、聖書の世界に少しばかり興味を持っているそうです。 僕からお恥ずかしながら「愛しています」というと 「『愛』という概念はないんだよ。だから私は『好き』しか使わない」 とあしらわれます。 付き合っていていろんな問題が起こった時に 「あなたも私も、これも神からすべてを用意された運命なんだよ」 と言います。 クリスチャンの友人もたくさんいますし、礼拝に参加したこともあります。 百歩譲って「神が全てを用意した」というのはわかりますが、その上で自分で現状を切り開くという概念が感じられません。 彼女の話を聞いても神が用意したから私はただ受け入れるだけで、それで「合わなければ別れるのも運命」と言います。 自分が変わる努力をしないのかということで何度か口論になったことがあります。 彼女にしても友人を見ても偏っているなぁと感じることが多いです。 「神が用意した」というのは本当はどういう意味なのでしょうか? 自分で困難を切り開こうとしないのですか?

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.11

神が用意したという意味は、あなたが自分の人生を創りあげて生きていくための舞台を設定(用意)したという意味です。 この物理的宇宙を創ったのは神だし、あなたの肉体、あなたの精神、あなたの魂もすべて神から生まれてきたものです。 神は、あなたに自由意思を与え、あなたがこの物理的宇宙で自分の自由な選択で自分の思うがままに自由に人生を生きていくことができるようにしました。 神がすべてを用意したのは、彼女の言う通りです。キリストの教えにも、「求めよ、さらば与えられん。」という有名な言葉があります。 受け入れるのはとても高いレベルのあり方ですが、求めることをしたあとで、その結果を受け入れるとうあり方がいいのではないでしょうか。 あなたから読み取れる彼女の態度は、求めないでその結果を受け入れるといったように聞こえます。 もっとはっきりいうと、あなたにもともとあまり気がないことをキリスト教の教えを上手につかって、ごまかしているのではないでしょうか。 それと、相手が変わることをあなたも期待しな方がいいでしょう。 相手は、相手の好きなように感じ、考える自由があります。 付き合うという約束を以上、二人がうまくいくためのルールというものがあったほうがいいのですが、そのルールを守る守らないも彼女の自由です。 まずはあなたが変わらないと彼女も変わることはないでしょう。 それは彼女が言ったり、行なったりすることをあなたの枠組みで縛らないことです。 あなたは自分が大好きですか?相手を通して、自分を愛そうとしていませんか?相手からの愛や好きな感情がないと、つらい、やっていけないということはないですか?彼女にも、彼女の理由があります。 彼女は今は、あなたとの困難は要らないかもしれません。 彼女にしたら、めんどくさいことをいってくるあなたとの関係はいらないかもしれません。 もし仮にそうだとすれば、それは彼女の自由なので、あなたが本当に彼女を愛しているのならば、彼女を解放してあげるのがいいでしょう。 もっとはっきりいうと、あなたにもっと魅力があれば、あなたにいわれなくても自分から変わる努力をするでしょう。 彼女も女性なので、いくら神学をだしてきても、いい男には弱いでしょう。 長くなりましたが、彼女と議論するより、あなたが男をもっと磨いたほうが、いろんな問題が解決するでしょう。

その他の回答 (12)

回答No.2

 こんにちは。  ★ 「神が用意した」というのは本当はどういう意味なのでしょうか?  ☆ 意味はありません。  もしそれでも意味がありうるとすれば それはこうです。  《〈神が用意した〉とわたしが思っている》という意味です。  これは じつは 意味がありません。ほかの人に対しては意味がありません。  その証明のしようがないということも 問題です。  したがって ほかの人に対しても意味があるようにしようとするのは 狂気です。  せいぜい そのわたしの《思い》を知って少しはそのことに気を配って欲しいといったところまでは 考え得ると言うべきかも知れません。  知れませんが それなら そうはっきり言うべきです。つまり《〈神が用意した〉とわたしが思っている》その思いを無下に否定しないで欲しいとはっきり言うべきです。神を出して表現しているが 《わたしの思い》なのだと。  そうすると おそらくその《わたしの思い》は ただの《思い》であり 神の問題なのではなく自分自身の問題であり おのれの意志のあり方の問題だということになり それに気づけば或る程度はふつうのコミュニケーションが出来るようになるのではないでしょうか?  神というのは 分からないものなのですから 自分の思い込みが他人(ひと)にそのまま受け容れられると考えているとしたら まだその人はふつうの社会人になっていないと考えるしかありません。  神が誰にとっても 自分たちの思うとおりの内容の存在であると思い込んでいる組織が 神をあなどり自分自身をころしていると考えられます。

  • osietete4
  • ベストアンサー率21% (81/369)
回答No.1

神のマニアです。http://okwave.jp/oodakedo/803.html >「あなたも私も、これも神からすべてを用意された運命なんだよ」 うちのばあさんもよく似たようなこといってたので、わたしも質問者さん同様によくむかついてました。 >「神が用意した」というのは本当はどういう意味なのでしょうか? 宗教の運営側の目的のひとつに「信者を自在にコントロールする」というのがあります。そのためには、信者には余計なことは考えさせないほうが都合がいいのです。そのため、キリスト教では「神の計画」という概念が用意されています。「神が用意した」とは「神の計画」のことでしょう。 神の計画 http://cookingfoil.blog106.fc2.com/blog-entry-127.html 交際相手が信者の場合、そのことを踏まえたうえで、相手に合わせてあげる努力が必要となります。それが嫌なら、お付き合い不可能です。信者に神やら神の教えやらを否定するようなことを言うのは、「日本人は完璧に頭の狂ったキチガイの集団なんだよ。日本人はバカで知性のない下等な連中。」っていうようなものです。そこらへんの所をふまえて、相手を怒らせないように注意しながらお付き合いしましょう。 キリスト教について知りたいなら、このサイトがお勧めです。 http://cookingfoil.blog106.fc2.com/ ※このサイトは信者に見せると機嫌が悪くなるので、彼女に見せないように注意!

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    神をどんなに信じ、崇め奉っても、不幸なことが起こらないとは限りませんよね? 例えば、愛する人が死ぬとか、自分が事故に遭うとか。 その時が突然、もし来た場合にクリスチャンの方はどう思うのですか? 裏切られた気持ちに似たようなものを感じるのでしょうか? 神は「乗り越えられない試験は与えない」と考え、 前向きに考えようとしたとしても、 「なんで、どうして」って、気持ちになりそうな気がします。 キリスト教に興味があって、投稿しました。 道徳的に素晴らしいことばかりなので、私も信仰したいと考えています。