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クリスチャン、キリスト教徒を辞めた方に質問です。
両親が熱心なクリスチャンで幼い頃から日曜学校、そして日曜礼拝に参加してきました。エホバ、統一教会ではなく、割と大きい日本のプロテスタント教派です。 妻は仏教の家庭で育ち、妻のおかげで我が家の異常性に気が付きました。子供の頃からサタンの存在や神への畏れを教え込まれ、家庭で起きたトラブルは最後はいつも「祈ろう」で終わらせてきました。統一教会ほど露骨でなくとも、10分の1献金があり、両親は家一軒建つほどの金額を教会に納めていると思います。全てが最後は神に帰着するので、自分も両親も他者への思いやりの心が無く、プライドが高く、傲慢な人間だったと感じます。布教「救いを届ける」が最も崇高な使命だと考え、他者に押し付け、非クリスチャンを救われない人々として扱います。良い事があれば神に感謝し、悪い事があれば神にすがります。「人」に感謝し、「人」に謝ることをしません。食事でも食べる動植物や産業に携わる人への感謝ではなく、「神」です。結局のところ、イエスキリストの愛し合いなさいという言葉は全く実行されていないと思います。同じクリスチャンでも家庭による違いはあるかも知れません。キリスト「教」では本当に人を愛することはできないと気付きました。しかし、ときどき夢に両親や教会が出てきて、うなされることがあります。こういった苦しみから完全に逃れたいです。同じような環境でクリスチャンを辞めた方がいらっしゃればご意見をいただきたいです。
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- siyahqalam
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質問者様はもうその教会から離れて今はクリスチャンではないのでしょうか。 もしそうであれば、今度は是非、あなたの通っていたような偽善的な教会ではなく、きちんと福音を宣べ伝えている教会へ行きましょう。 聖書の御言葉から、掟ではなく罪の赦しの福音を聞きましょう。 そうすれば、確かな信仰を持つことができ、過去の呪縛から解放されるのではないでしょうか。 あなたの苦しみは、神を信じる喜びを得る代わりに、「神を信じなければならない」という呪いを心に植え付けられたために生じた苦しみだと私は思います。 そこから逃れるために不信仰を選択するのではなく、むしろ安心して自分の全てを神さまに委ねることを教えてくれる教会へ行き、改めて信仰生活をやり直すことをお勧めします。 イエス・キリストが私たちを愛してくださった真実の愛をもって愛し合い、赦し合う交わりの中でこそ、あなたは本当に自由になれます。
- mekiyan
- ベストアンサー率21% (885/4072)
辞めてはいないけどカトリック教徒です。 昨年1年間で教会のミサに参列したのは1度だけ、14年も前から存じ上げている娘さんの結婚式に。そのとき500円ほどの献金をしました。 家族全員がカトリック教徒ですが、熱狂的な信者ではなく、葬式の際、無宗教だと皆さんが困るだろうなで、形式的な信者です。 カトリックと言えば、戒律厳しいと想像されるお方も多いですが、それは神父さんや尼さんらの直接関係者だけです。街を歩きつかれたから、どっかで休憩でも思ったら、教会がある。じゃあ、そこで座らせてもらおうかな、としたらミサをやってる。退屈しのぎがてらにミサの最後までいさせてもらおっと。そんな感じでのミサの参列です。 まもなく77歳のヤモメのじっちゃんです。