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貨幣経済の分析 と 配給経済
= = = = = 貨幣経済 貨幣経済(かへいけいざい)とは、貨幣によって商品の交換を媒介している経済の一形態。 現在、世界経済のほとんどが大なり小なりこの貨幣経済により成り立っており、経済学による主要な分析対象である。 _ 貨幣経済は、貨幣によって交換を媒介するために、まず貨幣となるような普遍的な商品が必要である。 貨幣経済は、交換や蓄積が効率的なため、経済的繁栄の必要条件となる。特に紙幣が効率性が高い。 不換紙幣を貨幣とする場合は、貨幣の信用が重要となるため、安定した政府などが必要である。 一般に、政府が信用されない場合、紙幣の流通がうまくいかなくなり貨幣経済は衰退する。また、自国の通貨よりも外貨がもてはやされる事態も発生する。 そのため、内戦が頻発する国や、著しく財政規律が乱れた国は、貨幣経済の維持・運用が困難となり、インフレーションの誘発や経済活動の縮小をもたらし、貧困が多発する。 (Wikipedia) = = = = = 貨幣経済の概要が記されていますが、 貨幣が商品の交換を媒介しているのは、わかる。 経済学による主要な分析対象である。 経済学の経済的繁栄の必要条件となる_ 貨幣の信用が重要となるため、安定した政府などが必要である。 経済学イコール政府でありそれが信用されない場合、貨幣経済は衰退する。 経済学が言われ、経済的繁栄が言われ、政府の繁栄が言われていますが、政府および経済学の私利私欲がやたら見え隠れしてはいないでしょうか? それらは、貨幣がある限り 貨幣王 である。 王ではあるが、所詮、 貨幣王 である。 経済的繁栄、すでに経済学の私利私欲と読めないでしょうか? すべての人々の生命・生活に責任を有する国家政府が、貨幣経済_経済学の私利私欲このようなものを、利用してよいのでしょうか? それに人々の良識ある未来は無いのでは? 貨幣経済、そのインチキぶりにより、リコール(他の製品欠陥と同様に)リコール回収とかんがえられますが、所見など ? = = = = = 所得格差の是正から貨幣の廃止へ ~ 配給経済 http://okwave.jp/qa/q7061333.html http://www.paradism.org/index_ja.html = = = = = 経済学と政府の私利私欲および怠慢が見え隠れしますが、 “ 現在のあらゆる経済および財政体制が世界中で崩壊したとき、今よりひどい壊滅的な経済恐慌によってさらに人々が苦しむことになる ” 世界人類の救済、所見、対応、対策など?
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- golgol13---
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#1へ 相手にしないほうがいいよ。 質問じゃなくて意見表明だから "質問者:hateha2_goo" "配給経済" site:oshiete.goo.ne.jp でググるべし
- wiz0621
- ベストアンサー率42% (182/430)
経済の形態を仮に配給に拠ったとしても、運用する我々人間は同じである。 この現実から目を逸らしてはいけないのです。 もちろん配給によると人間性は確かに変わります。 遥かに悪いほうに。 私はかつて経済の形態を配給に拠った国を見てきましたが、中々に地獄といっていい有様でした。 例えば同じ小麦であっても、国内においてすら同じ価値ではありません。 時期。輸送。保管。それぞれに物流という人と人をつなぐ技術が存在し、 価値の変動が生じるのです。しかし、配給という結果を平等にしようとすると、 こういった人をつなぐ技術への評価は無視されていきます。 なぜなら、どれだけ手間がかかっていようとも、受け取る側にとっては同じ小麦1袋であるためです。 本来であれば貨幣によってこの変動は定量的に評価されますが、分配による経済を構成した場合、 官吏がその評価を行わざるをえず、結果として分配する官吏の権力が増大していきます。 最終的には官吏の不正が跋扈し、欠乏した物資の強奪が常態化していくのです。 評価されない物流の技術は廃れ、小規模な村単位へと人間関係も断絶していき、 最終的にはさらなる飢えと貧困を拡大再生産していきます。 なぜこういったことがおこるのでしょうか? それは配給は富を生み出さないためです。新たな富が生み出されない社会では、 それを他者より奪うことでしか手に入れることができません。 配給経済は、人間の信頼関係を破壊する、まさに夜盗の論理と言えるでしょう。 新たな富とは何であるか。 それは欲望などではなく、人間の信頼、将来への評価が形を成したものであるのです。 信の無い状態では新たな富が生み出されることはありません。 信頼とはいかに生み出されるか。会計学(accounting)がその名を持って示すように 公開と説明、つまりは整った理によって生まれるのです。 そもそもとしてかつての恐慌は、全て存在しないものを存在するかのように 見せかけることによって生じたものです。そういった行為は取り締まられるべきですが、 一方でその取締りも、定量的な評価がなければ不可能です。 人類を救うのは、確実性を持った説明であって、そのためには定量的な数値、 すなわち貨幣が必要であるのです。
お礼
配給経済に、 「この経済システムは、緒生産単位が、人間がちょうど必要とするものを、多くもなく少なくもなく生産すべきであるという原則から出発している。」 と、されていますが、足らなくて社会の混乱そして余って経済の腐敗 とするそれしか出来ない経済学および現政治にたむろする輩の 金権王国 もはや人々の人権侵略と言えるのではないでしょうか? 『自由論』 (ミル John Stuart Mill)の いう 天才 、そして今言われる 天才 、それらによる 配給経済 を考慮することが 哲学・経済・法学にわたる人道的移行/改善ではないでしょうか? 見直しは ? thanks.
補足
経済学が、貨幣に値を付け、貨幣を一枚から流通ばら撒くしているだけで、経済学のただ単なる紙切れによる私利私欲である。それに、能はなく、全世界の混乱/不況である。真っ先に、貨幣・紙切れに値札を提示し己らの利権を表明する私利私欲それらの巨大な陰謀その非人間的非人道性、それにだまされることは、過去から今現在におよぶ幾多数多くの障害困難を解決することではないのではないでしょうか ? 経済学 ではなく 小麦 である も現実と真実の現状である。 それを欺瞞と私利私欲で手にする経済学とそのアイテム貨幣は、人道からずれている のでは(まさに夜盗の論理?) ?
お礼
文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならない。また当時参政権の拡大をもたらしていた民主主義の政治制度は大衆による多数派の専制をもたらす危険性があり、これをミルは警戒していた。 と、『自由論』 (ミル John Stuart Mill)の解説にもある。 天才が保障されなければならない、経済学には能がない ? thanks.
補足
意見表明だから ?