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充実感のないごまかしの日々
毎日、幸せに暮らしているほうだと思います。 仕事も好きな事をして、人間関係は良好。 刺激あるイベントなどにも招待して貰ったり。 旅行などに行ける自由もあり、食べものは産直のものが 毎日食べられる。 ですが、毎日必死にそう言う幸せで誤魔化している状態です。 これ以上もこれ以下もいらない。 結婚しても、子供を持っても この感覚は変わらないと思います。 別に長生きをしたくもない。 今が老後でも変わらないんじゃないかって。 そんな感覚で虚しくなります。
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それは、ご自身の求める「幸せ」ではないんだと思います。 挙げておられることを本当に幸せだと思うならば、そういった悩みは出て来ないでしょうから… 全てが満たされている状態というのは、他人から見れば確かに幸せなことです。 けれど、それで本人が幸せと感じているかどうかは別の話です。 私は今、全てが満たされた状態ではありません。 むしろ足りないと思うことのほうが多いです。 今日、「私は全部満たされているの☆」といったようなことを憚らずに公言する人に会いました。 確かにその人は容姿も仕事も能力も、全てがそれなりに満たされていて、普通に人生を楽しんで終えるには申し分ないような人でした。 正直、少し羨ましかったです。 けれど、その人になりたいか?と問われれば、「はい」とは言えないと思います。 その人の人生や能力、置かれた環境は確かに羨むべきものですが、自分が同じことをしたいかというと、それは違う。 質問者さんも、そういうことなのではないでしょうか。 他人が今のあなたのような生活をしていれば、羨ましく感じるでしょう。 けれどそれは、本来あなたが望むご自身の姿ではないのではないでしょうか。 じゃあどうするか…それは質問者さん次第です。 今の立場を守り続ければ高確率で「他人が羨む」人生が送れるでしょう。 その環境を捨てて別の道に飛び込もうとすれば、周りも止めるでしょうし、私だってオススメしません。 けれどその先に、誰にうしろ指を指されても自身の思い描く最高の人生を送ることができれば、それは間違いなく人生の勝者と言えると思います。 極端な話、ホームレスの人でも自分が「最高の人生だ」と思っていれば、それでいいんですよ。 (例なので、ホームレスという存在の社会的意義についてや法律などのご指摘は今回はご容赦ください) 他人では答えを提示することはできませんし、正解というものもありませんが、ご自身のことを深く知るために色々な人の人生を知ってみると良いかもしれません。
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- cincinnati
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ご質問者さんのコメントがそのとおりだとしますと、昔イスラエルの王でソロモンという方が以下のような文章をかいております。おそらくご質問者さんは共感されるのではないかと思います。 伝道者の書 第1章 1:1 エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば。 1:2 空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。 1:3 日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。 1:4 一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地はいつまでも変わらない。 1:5 日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。 1:6 風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。 1:7 川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れ込む所に、また流れる。 1:8 すべての事はものうい。人は語ることさえできない。目は見て飽きることもなく、耳は聞いて満ち足りることもない。 1:9 昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。 1:10 「これを見よ。これは新しい。」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。 1:11 先にあったことは記憶に残っていない。これから後に起こることも、それから後の時代の人々には記憶されないであろう。 1:12 伝道者である私は、エルサレムでイスラエルの王であった。 1:13 私は、天の下で行なわれるいっさいの事について、知恵を用いて、一心に尋ね、探り出そうとした。これは、人の子らが労苦するようにと神が与えたつらい仕事だ。 1:14 私は、日の下で行なわれたすべてのわざを見たが、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。 1:15 曲がっているものを、まっすぐにはできない。なくなっているものを、数えることはできない。 1:16 私は自分の心にこう語って言った。「今や、私は、私より先にエルサレムにいただれよりも知恵を増し加えた。私の心は多くの知恵と知識を得た。」 1:17 私は、一心に知恵と知識を、狂気と愚かさを知ろうとした。それもまた風を追うようなものであることを知った。 1:18 実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す。 しかしソロモンはこの書物の最後で次のように結論しています。つまり人生は虚しいもので、富も名声も心からの喜びとはならない、結局は自分を作った神に帰るまでは真の喜びがないと彼は述べています。 第12章 12:1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。 12:2 太陽と光、月と星が暗くなり、雨の後にまた雨雲がおおう前に。 12:3 その日には、家を守る者は震え、力のある男たちは身をかがめ、粉ひき女たちは少なくなって仕事をやめ、窓からながめている女の目は暗くなる。 12:4 通りのとびらは閉ざされ、臼をひく音も低くなり、人は鳥の声に起き上がり、歌を歌う娘たちはみなうなだれる。 12:5 彼らはまた高い所を恐れ、道でおびえる。アーモンドの花は咲き、いなごはのろのろ歩き、ふうちょうぼくは花を開く。だが、人は永遠の家へと歩いて行き、嘆く者たちが通りを歩き回る。 12:6 こうしてついに、銀のひもは切れ、金の器は打ち砕かれ、水がめは泉のかたわらで砕かれ、滑車が井戸のそばでこわされる。 12:7 ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。 12:8 空の空。伝道者は言う。すべては空。 12:9 伝道者は知恵ある者であったが、そのうえ、知識を民に教えた。彼は思索し、探求し、多くの箴言をまとめた。 12:10 伝道者は適切なことばを見いだそうとし、真理のことばを正しく書き残した。 12:11 知恵ある者のことばは突き棒のようなもの、編集されたものはよく打ちつけられた釘のようなものである。これらはひとりの羊飼いによって与えられた。 12:12 わが子よ。これ以外のことにも注意せよ。多くの本を作ることには、限りがない。多くのものに熱中すると、からだが疲れる。 12:13 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。 12:14 神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。 回答者はプロテスタントのクリスチャンです。モルモン教、統一教会、エホバの証人とは関係ございません。
お礼
回答ありがとうございます。 難しく考え過ぎなのかな。と思います。 私の場合は、哲学的な感じになると、あまり幸せではなくなります。 ですが、人生を振り返ってあのころに戻りたいと思う時がない。 結構、幸せに暮らして来ているほうだと思いますが。 子供の頃、大事故を起こして、死にかけた事があります。 その時、周りが本当に良かったと泣いて喜びましたが、 私自身は亡くなっても不幸だとは感じなかったです。 なので、子供が亡くなる事件を見ても、 本当に不幸なのかな?と悲しくはなりません。
- backtester
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それが嫌なら、不幸になってみる事です。 そうすれば、幸せがどれほどありがたいものか身に染みます。 不幸を知らずして、幸せは分かりません。 >仕事も好きな事をして、人間関係は良好。 >刺激あるイベントなどにも招待して貰ったり。 >旅行などに行ける自由もあり、食べものは産直のものが >毎日食べられる。 手始めにこれらを捨ててみては?
お礼
回答ありがとうございます。 そうなれば幸せなんだ。と努力して今があります。 ですが、苦しさは変わりません。
お礼
回答ありがとうございます。 そのとおりかもしれません。少し不便があったほうが、 人間関係も壊れているくらいが、普通さ、生きている感覚が あるのかもしれません。 何もかも不自由なく、綺麗に物事がうまくいく。 昭和初期のような不便さくらいがちょうどいいのかも。 企業により、全く頭、身体を使わず生きていけると感じる生活に 病気にされているような感覚なのかもしれません。 計算機がある。ネットがある。蛇口がある。あたたかな上着がある。 車がある。 便利さの追求って必要?原始時代より幸せなのかな? でも平安時代のような時代は、自分の想像力で生き抜いていけたのか? 太宰治の時代に太宰治や芥川龍之介のように 考えが過ぎて私は今以上に頭が悪かったと思いますが。 生きるのに、向いていないのかな?とバカになってます。 こんだけグチャグチャ考えて病気のようになっている事に気づきました。 ありがとうございます。
補足
自分の中のグチャグチャした考えをする癖をどうやったら止められるのかを考えているうちに、 止めずに物語のように書いてしまおう。と思いつきました。 相談相手が居ないと私は物事を先に進ませる事ができず、 このような相談が出来る相手は現実に居ないので、 ネット社会の今しか生きれないのかもしれません。 ありがとうございました!