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霊感のある方、もしくは霊に詳しい方に質問です

saaaakeeeeの回答

回答No.1

私は霊は見えないし、霊や神仏は信じないのでそういう立場からの意見です。 (神様に関してはいたらいいなあという希望はありますが) 友人には霊感があるという人がいるので、その方から聞いたこととそれを踏まえた自分の解釈を。スルーしてくださっても構いません。 霊に関してですが、私の友人に見えるという人がいます。 その人曰く、地上に存在する霊は何かしらの未練があるそうです。 なのでここから私の考えですが、戦国時代や落ち武者の霊が見えて弥生時代や原始時代の霊が見えないというのはこの未練に関係してくるのではないでしょうか。 文明が高度になるにつれて、人間の欲求は増えていきます。 原始時代は三大欲求しかなかったでしょうから、それが満たされれば満足なわけです。 また弥生時代も原始時代より進んでいるとはいえ、戦国時代と比べれば文明も高度でなく、平和だったでしょう。 ですから未練がまったくないとは言えませんが、比較的死に対して寛容であると想像できます。 と、その場合の私の解釈はこんな感じです。 神仏に関しては正直自分の気持ちではないでしょうか。心の拠り所となるもの=神仏という考えです。 ですので、神仏が厄災を引き起こしているのではなく、偶然の出来事によりそう思ってしまうものなのかと。 神仏に関して友人は「1人1人に神様がついている」と言います。なので霊感のある友人は大事なことをするときに、自分の神様にお伺いをたて、 他の霊(成仏している霊)を呼ぶときには自分の神様に話を通すというようなことを言っていました。 もしご気分を害されてしまったら申し訳ありません。

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