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再度質問があるので、回答下さい。
http://okwave.jp/qa/q7584568.html ↑のURLの続きの回答を下さい。 7月11日に質問投稿(http://okwave.jp/qa/q7584568.html)して、1件目の回答が来た→お礼をした→2件目の回答が来た→お礼をした→3、4件目の回答が来たところまでやりとりが続いていてイライラはしなかったのですが、3、4件目の回答が来た後、お礼をしてから回答が約1日来ない状態でしかも自分の中で起きた出来事に対しいらついていたのです。 苛ついて昨日(15日)ここのカテゴリに質問投稿して10件回答を得て、「回答が即来ない それでいいのなら新たに質問を立てて下さい」と上のURLで1~4件目の回答者から聞きました。 再度 上のURLの3、4件目のお礼欄に書いた内容に対する回答を下さい。 今回は【3】の文も添削して欲しいです。 要するに言い換え文を書いて欲しいと言うことです。 【3】7月16日午前3時30分、パソコンに向かう前だった。自分の中だけで起きた出来事を《思い出して》、自分の中で起きた出来事をメモするためのノートに書こうとした。それが《耳鳴りと幻聴のせいで思い出そうとしても思い出せない状態に陥った》。この状態は一時的なものではなかった。 : この文章から言えることは、主体性を失った状態だと言えるのです。 《思い出して》と《耳鳴りと幻聴のせいで思い出そうとしても思い出せない状態に陥った》という表現で、同じ意味である他の表現を回答してください。 1つだけでなく、いくつか知りたいです。 全体の文章も添削して手直ししてもらえると幸いです。 以上を踏まえて、【3】の添削と上のURLの3、4件目のお礼欄に書いたことに対する回答を詳しく書いて下さい。 最後に僕は抽象的な言葉、観念的な表現、比喩、皮肉などの難しい言葉を理解することが苦手なので抽象的ではない、具体的な表現であるわかりやすい言葉での回答を下さると嬉しいです。 ●以上のことでわからない箇所があったら、どこがどういうふうにわからないのかも回答下さい。
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お久しぶりです。かなり間が空いてしまい申し訳ありません。 こちらの事情に理解を示してくださりありがとうございます。お陰様で大分調子が良くなりました。 ご心配いただいたのに、早速 突っ込みになって申し訳ありませんが、 >腱鞘炎も腰痛も原因は自分も運動不足のせいだと 腱鞘炎は運動が原因でなることもありますよ。 野球(特にピッチャー)でもなりますし、ボウリングでもなります。 プロのスポーツ選手でも腱鞘炎に悩まされることはあるんです。 他にはピアニストや漫画家、ウェイトレス、宅配業など、ともかく指や手首を酷使する職業や作業をする人がなりやすいです。 調理に携わる人でも中華鍋みたいに重い鍋を片手で振り続けたり、若いお母さんがオムツ替えを嫌がって暴れる赤ん坊の両足を片手で支えながら、もう片方の手でおしりを拭いてあげてオムツを替えるなど、手首や指の一点にばかり重みが集中するのを連日、長期間に渡って続けることで筋を痛めるのが腱鞘炎を引き起こす要因となります。 他には手の大きさや骨格的な問題もあると思います。 重いものを片手で持ち上げるのなら、手の大きい人より小さい人の方がどうしても負担が大きくなります。 腰痛も筋トレのし過ぎでなることもありますし、手術などで腰の片側の筋肉が薄くなっていて、左右の筋肉のバランスが悪くなっている場合でもなります。 他には、重い荷物を持ち上げるときに屈まずに中腰からの無理な姿勢でやって痛めること(例えば椎間板ヘルニアやぎっくり腰)もあれば、疲労から風邪やインフルエンザなどのウイルスが筋繊維に入り込んで腫瘍や濃炎になってしまうというケースも希ですがあります。 普段から自転車や徒歩通勤で運動量が足りていても、生まれつき腰骨の形状に問題があって腰痛になりやすい人もいます。 ともかく、腱鞘炎も腰痛も同じ姿勢を取り続けたり、同じ箇所の筋や腱ばかりに負担を掛けることが一番良くないんです。 だから、プロアマ問わずスポーツ選手はサポーターを身に付けて負担を軽減しているんだと思います(丁度、今はオリンピックですが選手でサポーターを身に付けている人は多いですよね。練習も競技も休めないのでサポーターを付けることで過度な運動に耐えているということでしょう。決して運動不足で痛めたのではないはずです)。 もし、質問者さんが腰や指や手首などの「筋を痛めているときは、その痛みを感じる箇所を強化しようと筋トレをしては駄目」です。 筋を痛めているときは、ひねったりねじったりは禁物です。 早足で歩くとか、(ズキズキと痛みが響かない程度に)軽く流して走るとか、痛みのない箇所ならストレッチをしても構わないと思いますけれど、痛みが引くまでは無理はしないことです。無理をし過ぎて痛めてしまうことが癖になったり、手術なんてことは、ないようにしたいものです。 ***** 前置きが長くなりましたが、No.17のお礼にある問【D】~【F】の回答に入りたいと思います。 ◇【D】について >それと『耳鳴りと幻聴が起こり(始まり)、思い出したくとも思い出せない状態に陥った』訳ではないです。 耳鳴りはその日はずっとし続けていたと思うのです。 ―― とありましたので、No.12で回答しました【3】の添削文は訂正しないといけませんね。 《耳鳴りと幻聴が“始まり”~》の箇所は、《耳鳴りと幻聴が “続いていたので”~》に手直ししたいと思います。 全体の訂正文は以下のようになります。 ↓ 『7月16日午前3時30分、パソコンに向かう前だった。自分の中だけで起きた出来事を思い起こすべく、専用のノートにメモを取ろうとした。しかし、《耳鳴りと幻聴が “続いていたので ”、思い出したくとも思い出せない状態に陥った》。この状態は一時的なものではなかった。』 >一生懸命7月16日以前に自分の中だけで起きた出来事(=それは頭の中で起きた症状もごく普通のことなどが当てはまる)を思い出していたけど、幻聴と耳鳴りのせいで7月16日以前の自分の中だけで起きた出来事が浮かばなかったりしたということです。 【D】これは「幻聴と耳鳴りに気をとられた」と言えるかと思ったのですが、そうなのかどうか知りたいです。 私は、質問者さんが【D】に挙げていることを主治医に直接相談なさるのが一番だと思うのですよね。質問者さんの普段の様子を知っているのは主治医や御家族ですから、第三者の私には医療に関わる判断は出来かねます。 主治医や御家族に相談するのなら、質問者さんが自分の言葉で伝えることが大切だと思いますので、第三者が何もかも添削するのでは治療の邪魔になってしまうので、こちら(回答者側)が全てに応答することが必ずしも良いこととは思えません。 しかし、 「幻聴と耳鳴りが原因で思考することがままならなかった(7月16日以前の自分の中だけで起きた出来事が思い出せない)」 →「幻聴と耳鳴りのことで頭の中が一杯になってしまった」 →「幻聴と耳鳴りで物事に集中することができなくなってしまった」 →「幻聴と耳鳴りに気をとられた」 こうやって【D】について順を追って考えると、何処にも論理的な破綻はありませんよね。 ですから、質問者さんが 「幻聴と耳鳴りのせいで7月16日以前の自分の中だけで起きた出来事が浮かばなかったりした」 =「幻聴と耳鳴りに気をとられた」 と考えたことはおかしなことだとは思いませんし真っ当な意見だと思います。 【D】については、質問者さんは持論に自信を持って良いと思いました。 ◇【E】について >「考えられないように動かされた」の客観的な表現をいくつか教えて下さい。 ・思考を纏めることが出来ない状態に陥った。 ・集中力を保つことが困難な状態となった。 ・意志を持って行動することに支障を来した。 ―― 以上の三つを考えました。 ここで逆質問になりますが、質問者さんが度々仰る受身から客観的表現に言い直すことは、主治医から質問者さんに出された課題なのでしょうか? もし、主治医からは自力で考えるように言われているのなら、【D】の回答でも述べましたが、私がここで回答することは治療の邪魔になってしまうのではないでしょうか。 (客観的表現に言い直すことは)質問者さんが自主的に考えたことであり、主治医から言い渡されたことではないのなら、私がここで回答することは、質問者さんの発想を広げるヒントになると思いますが、「もし、第三者が回答すること自体が主治医から許可が下りているのなら、回答を続けることに抵抗を感じますので、実際の処どうなのかご返答をお願いします。」 もっと率直に言うのならば、質問者さんがこの質疑を主治医に見せて、私から回答を貰うのは良くないという判断が下りるようならば、私は回答を止めなくてはいけないと考えています。 手伝っているつもりが、実は邪魔をしているなんてことにはしたくないのです。 私は、質問者さんは自分で考える力が充分にあると感じていますので、その力を伸ばす手助けはしたいけれど、主治医の方針に沿わないのならば、ここで回答を続けることに問題を感じています。 国語だけの問題ならば悩まずに済むのですが、医療が関わってくる問が多いので、どこまで回答したら良いのか悩んでいます。 ◇【F】について >Dであげた「幻聴と耳鳴りに気をとられた」の意味 これは、“◇【D】について” と “◇【E】について” でも回答していますが、 「幻聴と耳鳴りのことで頭の中が一杯になってしまった」 「幻聴と耳鳴りで物事に集中することができなくなってしまった」 「(幻聴と耳鳴りが辛くて)思考を纏めることが出来ない状態に陥った」 「(幻聴と耳鳴りが激しくて)集中力を保つことが困難な状態となった」 「(幻聴と耳鳴りがきつくて)意志を持って行動することに支障を来した」 ―― という意味になります。 ただし、【E】では客観的な表現ということだったので、「幻聴と耳鳴りが “辛くて・激しくて・きつくて”」 といった “ ” 内にある様な主観的・感情的な表現を省いています。 ~今回は余談が多くなりましたが、次回は8/10にNo.17の補足【a】から順に回答を中心に進める予定です。
No.20に引き続き、今回も問に直接答えられず申し訳ないです。 No.18では、本日8/1と8/3に回答の続きをする予定だとご連絡していましたが、恥ずかしながら若い頃に腱鞘炎と腰痛(筋肉を痛めて入院経験有り)をやって、癖になってしまっているので、今それが辛い状態です。 質問者さんとは話が通じるようになり、ここでの参加に充実感を持てるようになりました。回答者のこちらが逆に文章を添削していただいたり、鋭いご指摘をいただいたりして、遣り取りが楽しみでもあったのですが、もう暫く休暇を下さい。 一応、家族をサポートする立場におりますので、あまり無理をして症状を長引かせると、家族に迷惑を掛けてしまいますので、参加は暫く休みたいと思います。 絶対とは保障は出来ませんが、早ければ今月の五日には復帰できるかな…と思います 。 ***** No.18で私は、 >もしも、一回答に六つの疑問点があったとしても、三つずつ二回に分けて問を立てていただきたいと思います。 ―― と書きましたが、質問者は回答者とは違い、追加というと補足欄を使うしかありませんし、他のあまっている未使用のお礼欄や補足欄に追加の問を書いても、それだと何に対しての問なのか紛らわしくなってしまいます。 また、こちらから返答が来るまでは追加の問が出来ないことになってしまいます。 ですから、私から言い出したことですが、この件については再考し直さなければならないと思いました。 回答に対して質問者さんからの問が多いのは、私が質問者さんの語彙力(単語に対する理解力・きちんと意味を理解して文章に生かせる単語数)を把握できていないのと、こちらの文章表現の問題などがありますので致し方ない面があり、これに関しては検討の余地ありだなと…。 私本人から出た言葉であれば、私に確認するのが筋だと思いますし、そうしていただけるということは、私の発言をしっかり理解しようとして下さっていることでもあるので、そのことをとても嬉しく思っています。 折角、参加するのなら、こちらの言葉が誤解なく伝わるのがベストだと思いますので、確認して下さるのは有り難いことでもあるのです。 回答をして、返信に沢山の問があると、なるべく一度に返答したいなと思うのですが、これを速いペースでというのは、冒頭でご連絡した件もあり現状としては厳しいです。 説明文を更に説明している今の現状では、(私の場合)私が通常、回答で参加しているときのケースの三倍は時間が掛かってしまいます。 質問者さんが不安が強くて困っているご様子でしたので、回答は、なるべく早くなるべく一度にと思ってきましたが、進め方の見直しをさせてください。 回答に対する問の立て方を今までの儘とするのならば、回答のペースダウンは承知していただきたいのです。 1)纏めて返答する場合はご返信日から五日は掛かるものと考えていただきたいし、 2)少しずつでも構わないのであれば、No.18で提案したように問三つを目安に隔日で返答する様にしたいと思います。 回答の進め方として、1,2どちらが良いのか質問者さんに選んでいただきたいのです。また、2を選択するのであれば、そのときは、どの問から優先して回答して欲しいのか書いていただけると助かります。 我が儘を言って申し訳ありませんが、ご検討をよろしくお願いいたします。
お礼
こんばんわ、回答が難しい状況になっているのですね。 若い頃の腱鞘炎と腰痛が続いているのですね。 腱鞘炎について調べてみましたけど、手首が痛くなり、原因は運動不足などだとのことです。 腱鞘炎も腰痛も原因は自分も運動不足のせいだと思いました。 手首が痛いとなるとタイピングが辛いようですね。 僕は7月中旬から今まで回答者さんと遣り取りが楽しく出来て、楽しかったです。 受身表現を客観的な表現に変換して書いてくださったことも嬉しかったし、自分が初めて聞く言葉とか、どこかで聞いたことのある言葉が回答文に書かれていて、「あぁ、これは自分も経験があるんだなぁ・・・」と思ったりしたことがありました。 解決した悩み事があったのは嬉しいですが・・・。 さてと、 >回答に対する問の立て方を今までの儘とするのならば、回答のペースダウンは承知していただきたいのです。 1)纏めて返答する場合はご返信日から五日は掛かるものと考えていただきたいし、 2)少しずつでも構わないのであれば、No.18で提案したように問三つを目安に隔日で返答する様にしたいと思います。 : ――とのことですけど、1)か2)のどっちかを選ぶとしたら、僕は2)のほうで勧めていきたいと思いました。 >どの問から優先して回答して欲しいのか : No.17のお礼【D】→【E】→【F】→No.17の補足【a】→・・・・・・→【g】の順番で良いです。 つまりそのままでいいです。
またまたすみません…。 回答ナンバーの表記ミスをまたしてもやらかしてしまいました。 やはり、疲れが溜まっているようです。 訂正箇所は次の通りになります。 《No.18 第一段落》 >もう一つのご質問にもお礼を頂いておりますが、No.12で頂いているお礼の返信の方から先にして行きたいと思います。 《ANo.19 最終段落》 >No.12で頂いたお礼に対して上から順に返答して行きましたが ~共に“No.12” とありますが、“No.17”の間違いでした。 何で間違えたのかな?と自分でも不思議だったのですが、No.17で頂いたお礼の中断付近、------ の直ぐ下に、No.12 のことが書かれているのを読んでいて、自分が書いたNo.18の回答のことまでNo.12であるかのように勘違いしてしまったようです…。
No.18の続きです。 >「(~の)記憶を呼び起こして」「(~の)記憶を呼び覚まして」は「自然と思い出される」という意味だと思いました。 なるほど。 二つとも《思い出して》と同じ意味として回答では例に挙げましたが、回答で他の五つの表現(思い起こす・想起・思い返す・思い浮かべる)とは、※趣がかなり異なると私も思います。 (※趣:この場合は言葉から受ける印象という意味で使っています。) 他の表現よりもドラマチックな印象がありますし、遠い記憶を思い出すときに使うのではないかと思うので、【3】の文章で使うと大袈裟な感じがして、例に挙げるかどうか少し迷ったのですが、思い出そうとしている出来事の性質に合わせて表現を選んで行くのが良いと思います(質問者さんが判断した他の5つの表現がしっくりなさるということなので、それが良いと思いました)。 「(~の)記憶を呼び起こして」「(~の)記憶を呼び覚まして」 この二つの語句は、設問【3】にある、 >自分の中だけで起きた出来事を《思い出して》 に合わせて、「呼び起こす」 「呼び覚ます」の二つの言葉の調子を整えるために、 ・(自分の中だけで起きた出来事の)記憶を呼び起こして → 「(~の)記憶を呼び起こして」 ・(自分の中だけで起きた出来事の)記憶を呼び覚まして → 「(~の)記憶を呼び覚まして」 ―― という形にしました。 もう、確認済みでしたら蛇足となりますが、直接、辞書で意味を調べるのなら下記のようになります。 ------------------------------------------------------------------ 【呼び起こす】 ・うちにひそんでいたものを表に出させる。 忘れていたことを思い出させる。「古い記憶を―・す」「感動を―・す」 (出典:大辞泉/用法2) 忘れていることを思い出させる。呼び覚ます。喚起する。 (出典:大辞林/用法2) 【呼び覚ます】 ・うちに隠されていた感覚や記憶などをよみがえらせる。 「少年時代の記憶が―・される」 (出典:大辞泉/用法2) ・忘れていたことなどを思い出させる。呼び起こす。 (出典:大辞林/用法2) 【喚起】 ・ 呼び起こすこと。呼び覚ますこと。 「注意を―・する」「世論を―・する」 (出典:大辞林) ・よびかけて、注意・自覚・良心などをよびおこすこと。(出典:大辞泉) ------------------------------------------------------------------- こうやって比較すると、「呼び起こす」=「呼び覚ます」と考えて良いと思います。 どちらも、普通に思い出すのではなく、強く心に訴えかけて来る様な、魂を揺さぶられるような感覚を伴って、忘却していた記憶や感覚を再び蘇らせるようなときによく使われるのではないかなぁと思いました。 ヘレン・ケラーが、水を通して言葉を取り戻して行くときの感覚が、正にそんな感じだったのでは?と私は想像しています。 また、認知症を患ったおばあさんが、子供時代に口ずさんでいた童謡や手遊び歌を歌ったり、折り紙を折ったりと、昔に憶えていたことを思い出すのが認知症の症状が進むのを遅らせるのには有効だと言いますが、この記憶を取り戻させるような感覚を言葉に直すと、「呼び起こす・呼び覚ます」となるのでは…。 他には、怪我をするなどして、こどもの頃から動物園に保護されていた動物が、故郷のジャングルに怯えずに帰って行くようなときは、野生の記憶が呼び覚まされる瞬間でもあると思います。 でも、上記にあるようなことは、私が持つ印象を述べているのであって、正確な説明は難しい言葉だなと思います(言葉とは、そもそも、そういった性質が強いと思います)。言葉の印象を短く言い直すというのは難しいですね…。 自分で購入するのは大変ですから、言葉の意味の違いに悩んだら、図書館に行って数冊の辞書を読み比べるのも良いかもしれないですね。 *** 長くなりましたが、次回は8/1に続きを回答する予定です。 質疑での参加は、週に2,3回のペースで進めたいと前述しましたが、いきなりのことなので、今週は一日おきの週三日、本日と8/1、8/3の3回を予定しています。 今回は長くなりましたし、こちらの主観に沿った展開になってしまいました。 No.12で頂いたお礼に対して上から順に返答して行きましたが、回答して欲しい項目の優先順位があればご連絡下さい。 その順番に沿って回答して行きたいと思います。
お礼をありがとうございます。 返信が遅れてすみません、昨日は途中まで仕上げていたのですが、諸事情により続きが書けず投稿できませんでした。 もう一つのご質問にもお礼を頂いておりますが、No.12で頂いているお礼の返信の方から先にして行きたいと思います。 *** >回答者さんはパソコンをやり過ぎているかと… お気遣いありがとうございます。 このご質問の回答の遅れを取り戻そうと焦っていたので、頑張り過ぎた様です。 この参加の元となった質疑では期待させるだけで尻切れトンボ状態(未解決・未完結・未消化=理解迄には至らない状態)で終わってしまうことになったのが不本意で、ともかく、けじめだけは付けたいなと考えていたのです。 >質問と回答を閲覧したりお礼や補足を書くために、スクロールする場合でも、白い画面を見る場合でも疲れ目は生じると思います。 確かにそうですね。白ってもろに照明がきつくて(明るすぎて)辛いです。 私は涙がサラサラしている(涙の油分が少ないタイプ)なので、ドライアイになりやすいと以前、眼科医に言われたことがあります。 疲れ目予防にドライアイ用の目薬をしたり、ときどき目を休めるなどしたいと思います。 【A】引用符=“>“のことで合っているかどうかが知りたいです。 はい、正解です。 “>【F】” と、【F】も一括りで一緒に表記してしまったのは紛らわしかったですね。でも、理解していただけて良かったです。 >No.15について‘パソコンに向かうことは難しいだろうと考え、参加のお休みの報告をしてしまいましたが、ずっと根気強く待っていて下さっている方に対して冷た過ぎるなと思い直しました’とありますが、これは僕のことを言っているのか、それ以外の人のことも僕のことも言っているのかどうかが知りたいです。 「これは僕のことを言っているのか」とありますが、仰る通りです。 このご質問の発端となった質疑の時から、ずっと回答を待っていらっしゃったことに対しての発言なのです。 七月後半からは質問者さんの2件のご質問にだけ参加しています。 これだけ一つの質疑だけに連続投稿したのは初めてで、最長記録となりました。 私はもともと、何件も掛け持ちをして参加するタイプではないのです。 何件も掛け持ちをすると、質問者さん側から補足などの連絡があっても見落としかねないし、補足が重なったりすると返信で忙しくなってしまいます。 それと、普通に作文したり知人や友人に手紙を書くのとは違い、ここでの投稿はネットで公開されていて誰もが閲覧可能ですし、こちらで編集ミスがあっても自分では削除が出来ません。いい加減なことを書いてそのまま残ってしまうのも問題ですし、一々訂正するのも大変です。それを避けたいと考えれば下調べや推敲に時間が掛かります。 また、回答中は質問者さんの声の調子や表情も解らないまま遣り取りするわけですし、参加中の会員さんにも失礼のないよう気を遣わなくてはなりません。 その様な事情があって、ここに参加するときは結構疲れます…。 参加していて楽しいときは、もちろんありますよ。 参加や閲覧をしていて目からウロコが落ちるような興味深い話に感心したり、スカッとしたお話に気分が晴れ晴れとしたり。 何よりも言葉や感覚(ものの感じ方)に共感できたときは楽しいです。 でも、沢山掛け持ちして参加出来るほど精神力も体力もないし、自分の時間と家族との時間を大切にしたいので、連日及び長期間ここに入り浸るというのは、私には出来ません。利用するときは、ある程度期間を空けないとストレスになってしまうので、休憩を挟むということは、私にはとても大切なことなんです。 >【B】回答するペースがゆっくりになるけど、夕方5時以降の投稿になってしまう、遅くとも夜10時までには投稿を終えることができるかどうかはわからないかどうかと思いました。そうなのかどうか知りたいです。 やはり夏バテ気味なのと疲れ目なのを先ずは何とかしたいと思っています。 ともかく設問【1】~【3】の添削を投稿し終えるまではと、私にとってこの質疑の参加中はハードスケジュールでしたが、一応は一山越えることが出来たと思っていますので、大変申し訳ないですけれど、これからはご返信日の翌日や翌々日の回答になっても、ご了承願いたいなと思いました。 また、返答は一気に一度に纏めて返すのではなく、分割投稿が多くなると思います(要するに、一度にたくさんの項目に返答せずに、項目三つ迄を目安に返答して行くのを基本としたいということです)。 また、No.12では、こちらからお願いを出しているのですが、回答後は(一回答に付き)疑問点を三つ以内にまとめていただけると返答しやすいし、返信も早くできますので、これが私にとっては無理のない回答の進め方となります。 もしも、一回答に六つの疑問点があったとしても、三つずつ二回に分けて問を立てていただきたいと思います。 そうすれば、全体の投稿数は増えますが、問に対して返信を書く時間も文字数もぐっと減りますし、質問者さんが回答を読みこなす時間も短くて済みます。 疑問点が列挙されていると、三つから五つぐらいの質疑に参加したのと同じぐらいエネルギーを使ってしまいます。 回答が長文になればなるほど、質問者さんの疑問が多くなり、問もまた増えるような気がしていたので、この場では、少しづつ言葉の意味を確認していけたらなと思いました。 しかし、平日は夕方5時~夕方10時迄の時間帯が投稿しやすいので、これに関しては、そのまま続行と考えてください(今日は、お待たせしているので申し訳なく思ったのと、上手く時間が取れたのでこの時間に投稿しています)。 私は今の質疑での参加は、2,3日に一回のペースで進めたいと思っています。 (週に2~3回の参加、回答数も週に2~3回のペースということです。) >【C】‘質問ページ右上に表示された新着メールのお知らせに気付きました。’‘この回答を投稿する直前(つまり投稿ボタンを押す瞬間)に、お礼のメール通知が届いていることに気が付きました’ということですけど、教えてgoo!では右上の「新着メールなし」の表示が「新着メールあり」というふうに切り替わるということで合っているかどうかが知りたいです。 お礼のメール通知が届いたのは、ページを更新したから、届いたかと思いました。そうなのかどうか具体的に書いて下さい。 そうです。ページが更新された結果です。 そのときは、お礼がまだ届いていないうちから回答を書き始めていたのですが(その段階で、教えて!gooの質問ページ右上には「新着メールなし」の表示)、途中でyahooへ行き、辞書検索で語句の表記や意味を確認してから質問ページに戻ることをしたので、それで質問ページが更新されて「新着メールあり」に表記が切り替わったということです。途中で手間取ったりして返信に時間が掛かることはあっても、メールチェックはしていますから安心してください。 ここまでの話は、私からの連絡事項に対する質問者さんからの内容確認がメインでしたので、回答する義務を感じて返信いたしましたが、私もここの会員ですから、サポートや閲覧者から雑談と見なされる行為を避ける義務があります。 また、このことで議論や雑談に流れて行くよりも、本来のテーマになっているご質問に答えることを優先したいと思います。 ですから、上記の件については、再度、問があっても返答は出来兼ねますことをご了承願います。 ~文字数制限に引っ掛かったので、今回は2回に分けて投稿します。
訂正が重なってすみません、回答No.14・15とどちらも、実際にお礼で問(3)があったのは、No.9だったのに、No.10と書いてしまいました。 教えて!gooからだと、境目がぼんやりして見えるので連なって見えてしまいナンバーを勘違いしてしまいました(OKWave のように、回答やお礼にはっきりした枠がなく、代わりに回答ごとに上端に淡いピンクのグラデーションと薄いグレーの境界線がありますが、疲れ目だと見づらいのです…)。 【F】について No.16(そのときは“>【F】” と引用符を付けるのを忘れてしまいました)で回答しておりますが、“海馬 - 日本学術会議_おもしろ情報館” を検索後、おもしろ情報館のページに行くと最下部に直接目次に飛べる表示があります。目次では、『学習と記憶』という項目がありますので、そこから順に読むと関連したことが一気に読めるので良いと思います。 お詫びと言っては何ですが、「短期記憶・中期記憶・長期記憶」を図式化して解りよく書かれた、こちらも参考になると思います(参考文献の紹介も載っています)。 【記憶のメカニズム】http://www.nyanya.sakura.ne.jp/es/kioku/ki_001.html ウィキペディアの記憶について書かれた記事にも長期記憶と短期記憶について書かれています。 【記憶】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%98%E6%86%B6 まだまだ夏は長いです。参加は無理せずゆっくり行きませんか。
お礼
詳しいご回答を何件もありがとうございます。 >回答No.14・15とどちらも、実際にお礼で問(3)があったのは、No.9だったのに、No.10と書いてしまいました。 教えて!gooからだと、境目がぼんやりして見えるので連なって見えてしまいナンバーを勘違いしてしまいました(OKWave のように、回答やお礼にはっきりした枠がなく、代わりに回答ごとに上端に淡いピンクのグラデーションと薄いグレーの境界線がありますが、疲れ目だと見づらいのです…)。 : 回答者さんはパソコンをやり過ぎているかと思いました。確かに教えてgoo!の質問と回答を見てみましたが、 たしかに回答ごとに上から回答番号(例:No.○)、回答者名、回答時刻、本文という順番で書かれていて、回答番号、回答者名、回答時刻の部分がそういうふうになっていますね。 それと僕にも回答者さんにも言えることですが、質問と回答を閲覧したりお礼や補足を書くために、スクロールする場合でも、白い画面を見る場合でも疲れ目は生じると思います。 回答者さんが紹介したURLはざっと見てみました。 自分では自分でも「記憶のメカニズム」「海馬」など検索して調べてみるのも一つの方法だと思いました。 『心理学』カテゴリで回答をしてくれた方がおっしゃることは信憑性(=信頼度)がかなり高いと感じるのですね。 【A】引用符=“>“のことで合っているかどうかが知りたいです。【ここまでA】 No.15について‘パソコンに向かうことは難しいだろうと考え、参加のお休みの報告をしてしまいましたが、ずっと根気強く待っていて下さっている方に対して冷た過ぎるなと思い直しました’とありますが、これは僕のことを言っているのか、それ以外の人のことも僕のことも言っているのかどうかが知りたいです。 自分は回答者さんから回答が何件か来て、役に立つようなことも時には書いてあって嬉しくなったことがありました。 ‘元々あまり体力が無くバテ気味’というのは、回答者さんは寝不足・運動不足であって暑いのは苦手なように思えました。 僕も暑いのと寒いのに弱いのですが、回答者さんのように寝不足ではなく、かなり寝過ぎているほうだと思うのです。 【B】回答するペースがゆっくりになるけど、夕方5時以降の投稿になってしまう、遅くとも夜10時までには投稿を終えることができるかどうかはわからないかどうかと思いました。そうなのかどうか知りたいです。【ここまでB】 No.10・11について 【C】‘質問ページ右上に表示された新着メールのお知らせに気付きました。’‘この回答を投稿する直前(つまり投稿ボタンを押す瞬間)に、お礼のメール通知が届いていることに気が付きました’ということですけど、教えてgoo!では右上の「新着メールなし」の表示が「新着メールあり」というふうに切り替わるということで合っているかどうかが知りたいです。 お礼のメール通知が届いたのは、ページを更新したから、届いたかと思いました。そうなのかどうか具体的に書いて下さい。【ここまでC】 --------------------------------------------------- No.12の回答のお礼に話題を変えますね。 『自分の中だけで起きた出来事を《思い出して》、自分の中で起きた出来事をメモするためのノートに書こうとした』のは、自分の意思で起こしたことです。 《思い出して》の同じ意味である他の表現について言葉の意味を調べてみました。 ・思い起こす=以前に経験した事などを思い出す。 ・想起=思い出すこと。前にあったことを思い浮かべること。 ・思い返す=過ぎ去ったことをもう一度思い浮かべる。回顧する。 ・思い浮かべる=(1)心の中に描く。思い出す。想起する。 (2)頭に描く。連想する。 ・振り返る=過去の事を考える。また、回顧する。 この5つは「自分の意志で~する」という意味だと思いましたが、それ以外の「(~の)記憶を呼び起こして」「(~の)記憶を呼び覚まして」は「自然と思い出される」という意味だと思いました。 しっくり来ているのは「自分の意志で~する」という意味である上記の箇条書きにした5つの言葉だと思います。 それと『耳鳴りと幻聴が起こり(始まり)、思い出したくとも思い出せない状態に陥った』訳ではないです。 耳鳴りはその日はずっとし続けていたと思うのです。 一生懸命7月16日以前に自分の中だけで起きた出来事(=それは頭の中で起きた症状もごく普通のことなどが当てはまる)を思い出していたけど、幻聴と耳鳴りのせいで7月16日以前の自分の中だけで起きた出来事が浮かばなかったりしたということです。 【D】これは「幻聴と耳鳴りに気をとられた」と言えるかと思ったのですが、そうなのかどうか知りたいです。【ここまでD】 【E】受身で言う「考えられないように動かされた」感覚だと思うのですが、これを客観的に言い換えた表現を何個か知りたいと思いました。 なので、「考えられないように動かされた」の客観的な表現をいくつか教えて下さい。【ここまでE】 【F】最後にDであげた「幻聴と耳鳴りに気をとられた」の意味と、No.13の回答の‘時刻を確認後、すぐさま勉強机に向き直り、再びメモに取り掛かろうとしたが、不快な耳鳴りと幻聴に気を取られて、’の意味はそれぞれどういう意味になるかを具体的に教えてもらいたいと思いました。教えて下さい。【ここまでF】 今回のお礼はここまでとします。
補足
昨日(7月29日)、~17件目の回答までに対しお礼を書きましたが、その続きです。 まず、以下のリンク先のことについて書きますね。 【a】 No.4の回答で、 >パンダについて語り合ったり説明するときには、名前を省略してしまっては何のことを言っているのかさっぱり解らなくなってしまいます。 : ――とおっしゃってますが、“名前を省略する”というのは、「ジャイアントパンダ」と「レッサーパンダ(レッドパンダ)」という呼び名を単に「パンダ」と略して呼ぶことに思えたのですが、合っているかどうかが知りたいです。【ここまでa】 それと、No.4の回答で、 【b】 >例えば漫画ですけれど、頭の中で音声を再生させずにササッと読む : ――について具体的に意味を教えて下さい。【ここまでb】 >アニメを観ているときのようにキャラクターに合わせた声を頭の中で作り出して読む人もいます。普通に新聞記事を読むときも、頭の中で音声(例えば自分の声)を再生させて読む人もいます。 : これが頭の中でイメージ(音声化)して読むことに思いました。 ※以上がリンク先の内容について回答して欲しい内容です。 ----------------------------------- No.15 >「あることが頭の中で出来ていなければ」読むことは出来ない。 : ――に関してはその通りだと言えますね。僕は前にも申したように、パソコンやCDなどで聞いた歌を声に出して歌うこともあれば、声に出さないで本を読み上げることもあるということです。 声に出して歌うのは、パソコンやCDで聞いた曲が耳に入って、電気信号として脳に伝わり記憶され、その記憶されたものが浮かんだんだろうと思うのです。 もし音楽を一曲も聞いていなかったら、頭の中で音楽が再生されなかったことでしょう。したがって声に出して歌を歌うこともできません。 >「言葉を見聞することで蘇る図式化されたイメージ」「言葉が公式化されてしまうこと」「言葉によって抽象化された概念」「共通認識」「個人個人の天性や環境によるものが大きい」が一気に理解できたなんて : そういう訳ではないです。「共通認識」のみ理解できたと言ったつもりでした。 それも身近な人が例え話をしてくれたためです。 >恐らく質問者さんは、このようなことが言いたかったのではないでしょうか。 ↓ 《私たちは文章を声に出したり黙読する際に、文字を ※言葉として捉えるために、一つ一つの文字に読みを“当てて”、そこに書かれてある内容について、考えたり憶えたりする》 : そうだと思います。読みを当てることが頭の中で発音をイメージするということですよね。 >例えばローマ字の “aiueo ”の読みは平仮名の “あいうえお” に対応しています。 “a → あ” “i → い” “u → う” “e → え” “o → お” ――と、それぞれの読みが対応していますよね。 : そうですね。 “連想する”と“連想される”はそれぞれ意味が違うと最初から僕は思ってましたが、どうしても知りたかったために質問してみました。意味が違うのですね。 ----------------------------------- No.6 >例えば、Aさんが旅先で桜を見たとします。 そして、桜が美しく咲いていた入園式のことを思い出したり、小学校の花見遠足の時の出来事、桜のつぼみをつけていた高校の卒業式、そしてそのときの先生の言葉、散って行く桜の季節に転校していった友達のことやそのとき感じた切なさと桜の香りを思い出したり、桜吹雪から《富山の金さん》のことが連想されたり、桜の木から毛虫が落ちてきたときのことを思い出したり…これら全て(入園式・花見遠足・卒業式・卒業式の先生の言葉・友達・切なさ・香り・遠山の金さん・毛虫など)が桜から連想されたこと、即ちAさんが桜に対して持つイメージです。 : の文中の《富山の金さん》は「遠山の金さん」の打ちミスに思いました。 【c】それと、「遠山の金さん」というのは、江戸町奉行・遠山金四郎景元を主人公にした時代劇のことで合っているかどうかが知りたいです。ウィキペディアにはこのように書かれてました。【ここまでc】 >幻聴もイメージと言えるのではないでしょうか。 何故なら、「頭の中で浮かび上がること、それをイメージと呼ぶからです」。 幻聴とは、現実にはない音声がまるで本当のことのように生々しく感じられることではあるけれど、本当の音声ではなく、頭の中で起きていることです。 >人は頭の中に様々なことを思い浮かべます。 そのイメージがあまりにも突然でリアルだと辛いことがあります。 リアル過ぎて辛いイメージ、それが質問者さんにとっては幻聴だったということです。でも、幻聴が返信が来ないと言ったとしても幻聴と私は別人格ですから。そのことは、どうか忘れないでくださいね。 : 幻聴についてですが僕は高校時代(二十歳になる前)に生徒や家族および先生が「おい」「コラ」と声に出して言っていて、それを聞いていたことがしょっちゅうあったのです。 それでストレスを感じていたことがあって、高校を中退して間もない頃から、「おい」「コラ」が幻聴として聞こえたと思うのです。 これはまさにイメージと言えると思いました。 【d】でも‘リアルすぎて辛いイメージ’および‘そのイメージがあまりにも突然でリアルだと辛い’という言葉の意味を具体的に知りたいと思ったので、教えて下さい。【ここまでd】 ----------------------------------- No.7 【e】★印の表現を具体的な表現に変えて教えて下さい。 ★幻聴の場合、イメージが最大出力で頭の中で浮かび上がるので本当のことと区別がし難いほどにリアルではあるけれど、通常のイメージとは幻聴ほどには出力が強くない(出力が弱い)ので、本当の音を聞いているような感覚はない。 ★睡眠時に見る夢を例にイメージの話をしたいと思います。 夢を見ているときは、音も映像もあまりにもリアルで現実のように思えることがよくありますよね? 覚醒時に目を閉じながら夢を思い起こしても、あの鮮やかな映像も臨場感溢れる音声も聞こえて来る感覚はありません。 でも、眠っているときは、イメージの出力が自分ではまるで調節ができない(理性が上手く働いていない)ので勢いよく放出されて、とてもリアルに感じられます。 眠っているときの夢もイメージなら、覚醒時に残っている夢の記憶もまたイメージです。覚醒時は秩序立てて考えることができるので、イメージの出力もそれに伴って低く抑えられて、生々しいものから、ぼんやりとしたものに変わってしまいます。【ここまでe】 それと、 >眠っているときの夢もイメージなら、覚醒時に残っている夢の記憶もまたイメージです。覚醒時は秩序立てて考えることができるので、イメージの出力もそれに伴って低く抑えられて、生々しいものから、ぼんやりとしたものに変わってしまいます。 : ――について、これは覚醒時には眠っている時よりもイメージ(夢の記憶)の出力も低く抑えられて生々しいものからぼんやりとしたものに変わってしまう=覚醒時は眠っている時の夢の記憶を思い出しにくくなることで合っているかどうかが知りたいです。 こういうことは僕は良くあります。というか、夢の内容もわからなくなります。 例えば以前見た夢でトラックに乗っていて、突然道路に飛んできた動物は「ウサギ?モルモット?ハムスター?」と思いました。 >質問者さんが幻聴で悩むのは、秩序立てて考えることを幻聴に邪魔されてしまうからですよね。 : 【f】‘秩序立てて考えることを幻聴に邪魔されてしまう’という言葉の意味を具体的に教えて下さい。【ここまでf】 ----------------------------------- No.13 設問1のまとめについて 7月10日16時頃、机が僕が立っていた体の前にあって、電子時計はその後ろにあった状態だったのです。 それと「(再度)振り返って電子時計を見たこと」箇所は「後ろを振り返って電子時計を見たこと」に変えてみようと思いました。 ----------------------------------- No.14 >摺り合わせとは、個人個人の意見がバラバラで収集が付かなくなったときに妥協点を見いだしたり、調整することを言います。 社会や集団が上手く纏まるようにする為の知恵、そんな意味合いを持つ言葉です。 : 【g】調べても考えてみても意味がわからないのです。さらに具体的な言葉で教えて下さい。【ここまでg】
No.15の続きです。 思いの外、長期参加となりましたが、どうにかこうにか回答が追いつけて良かったと思います。 ------------------------------------------------------- >【D】‘名前ばかりが頭の中でこだまするようで煩わしく、またそうなってしまうことを幻聴に責められた様に思えて辛かった’ことが起きていた訳ではないと思うのです。 【D】に関しては、この後の詳細も読ませていただき、設問【2】の添削の参考にさせていただきました(No.14で添削文を載せています)。 添削後の文章をお読みになり、何か言いたかったこととは違うとお感じになったのならば、再度ご連絡下さい。再考察したいと思います。 >幻聴で「見るな」と言われている(責められている) >【E】↑の「言われている(責められている)は受身表現ですが、これを客観的な認識の表現に言い換えた表現がいくつか知りたいのです。 具体例を書いてください。 (責められている)を客観的に言い換えた具体例を《 》内に書きました。 ・幻聴の内容は「見るな」という《否定的なものであった》 ・幻聴が「見るな」という《責め口調として聞こえた》 ・幻聴が「見るな」という《自分にとって辛く耐え難い言葉として聞こえた》 【F】上記の心理学カテゴリで回答をくれた方がおっしゃっていることについてどう思うかが知りたいです。 至極妥当だと思います。 残念ながら、こちらから手続きをしないとリンクできないので、今回は参考URLを載せることが出来ませんが、“海馬 - 日本学術会議_おもしろ情報館” でグーグル検索して見てください。 同様のことが書かれています。記憶の不思議について詳細が載っているのでお勧めです。
No.14です。 家族もおりますので、そうそう自分勝手なことも出来ず、前回は流石にスケジュール的にも体力的にも厳しいかなと思い、今日・明日はパソコンに向かうことは難しいだろうと考え、参加のお休みの報告をしてしまいましたが、ずっと根気強く待っていて下さっている方に対して冷た過ぎるなと思い直しました。 今日は、No.10のお礼でのご質問(3)について全て回答させていただきたいと思います。 申し訳ありませんが、元々あまり体力が無くバテ気味ですので、この後はゆっくりペースの参加となることをご了承下さい。 **************** >>このこと(読み方=黙読・音読する場合、頭の中で名前と共にその名を表す発音も一緒にイメージすること)を「読み方」と捉えてよろしいですよね : その名を表す発音=読み方ということだと思います。 辞書通りの解釈だと確かにそれに間違いないと思います。 しかし、中々手厳しいですね。 「イメージ」という言葉は、質問者さんには余計だったかもしれませんね。 しかし、「読み方」といっても声を出すときもあれば、出さないときもある。 また、どちらの場合も「あることが頭の中で出来ていなければ」読むことは出来ない。 それを意識すると、“読み方=黙読・音読する場合、頭の中で名前と共にその名を表 す発音も一緒にイメージすること”という回答になってしまうのですけれど…。 「あることが頭の中で出来ていなければ」の《あること》とは、《発音を “思い浮かべること、推測すること、予想すること” 即ち、“イメージすること” 》なのです。 より具体的に確信を持って正しくイメージ出来たとき、発音もまた正しく出来るという話でもあります。回答するときにもそれは言えますね。 質問者と回答者の間の話が噛み合わないときは、同じテーマを考えているようでイメージがきちんと伝わっていないときに、そうなるのでは…と思いました。 質問者さんのご質問に回答で参加した前半は、正にそんな感じでした。 言葉の表現が質問者さんと私とでは、何を接点に進めればいいのか、まるで解らなかったのです。 しかし、今はかなり伝わっている気がするし、私も質問者さんの言葉がかなり分かるようになった気がしています。 >【A】自分は「頭の中で名前と共にその名を表す発音も一緒にイメージすること」=「頭の中に名前と共にその名を表す発音も一緒に浮かぶこと」の解釈で合っていると思い、 →つまり「頭の中で(その名を表す発音が)連想される」という解釈に思いました。 この解釈で合っているかどうかが知りたいです。 その通りの解釈で合っています。 よくぞ、ここまで理解してくださったなと、ご返信を読んでいてとても嬉しくなりました。ご質問に参加した甲斐がありました。 >「言葉を見聞することで蘇る図式化されたイメージ」「言葉が公式化されてしまうこと」「言葉によって抽象化された概念」「共通認識」「個人個人の天性や環境によるものが大きい」などの言葉はNo.2の回答を頂いてすぐは何を言っているのか意味がわからなかったことがありましたが、「共通認識」について身近な人に聞いたところ、意味がわかるようになって、たぶん頭の中に記憶されたんだと思います。 ご報告いただいて私も嬉しいです。 「意味が解るようになって頭の中に記憶された」つまり、「正しく学習できた」ということですね。 >人の名前で漢字が読める字と読めない字がそれぞれあるのです。 読めない字があるときは誤って読むこともあります。と仰っていますが、それはその漢字については、まだ学習が終わっていないということだと思いました。 >共通認識とは、例えばAさんとBさんがジャガイモを見て、AさんもBさんも「これはジャガイモだ」と認識することを言うと聞きました。 教え上手な方が身近にいて良かったですね。 でも、これだけで「言葉を見聞することで蘇る図式化されたイメージ」「言葉が公式化されてしまうこと」「言葉によって抽象化された概念」「共通認識」「個人個人の天性や環境によるものが大きい」が一気に理解できたなんて、すごいです。 ヘレン・ケラーがコップから溢れる水を通して、水を理解した話みたいですね。 共通認識の意味を教えて下さった方は、良い例え話をして下さいましたね。 回答したのなら、内容を理解していただけることは、とても嬉しいことです。 「話している内容を理解してもらえたとき、とても嬉しくなる」それは、質問する側にも言えることですよね。 >【B】「つける」の別表現では、僕は「当てはめる」がしっくり来ているかなと思いました。 文章に当てはめると、『私たちが文章を声に出したり黙読する際に、文章の中に「読み方(いわゆる名前)を当てはめて考えたり覚えたりする』となりますが、このことについてどういう意味かわかりません。 具体的に知りたいと思いました。 その文章は、《 》内のように手直しすると意味が解りやすいと思います。 恐らく質問者さんは、このようなことが言いたかったのではないでしょうか。 ↓ 《私たちは文章を声に出したり黙読する際に、文字を ※言葉として捉えるために、一つ一つの文字に読みを“当てて”、そこに書かれてある内容について、考えたり憶えたりする》 (※「言葉」については、以下の解釈でお願いします。 【言葉】人が声に出して言ったり文字に書いて表したりする、意味のある表現。・2 音声や文字によって人の感情・思想を伝える表現法。言語。<出典:大辞泉 >) もちろん、“当てて” とあるのは “当てはめて” としても構いません。 上記の二つの表現(“当てて”・“当てはめて”)より、やや堅苦しい表現にはなるけれど “対応させて” としても良いと思いました。 例えばローマ字の “aiueo ”の読みは平仮名の “あいうえお” に対応しています。 “a → あ” “i → い” “u → う” “e → え” “o → お” ――と、それぞれの読みが対応していますよね。“対応する” も使える表現です。 ** >「頭の中でその名を表す発音も一緒にイメージする = 名前を音声化した状態を思い浮かべる(想起する)」 ―― ということをここでは言いたかったのです。 : 【C】それは声に出さずに、心に思い浮かべる・頭に思い浮かべる=音声化した状態を思い浮かべると言う解釈で合っているかどうかが知りたいです。 はい、仰るとおりの解釈で合っています。 今回の回答の冒頭部で関連のある話をしていますので、そちらも合わせて参照してください。 >【C-1】それと、「頭の中で連想する」と「頭の中で連想される」ということは両者ともに「頭の中に浮かび上がる」ということだと思うのですが、前者と後者の違いを具体的に知りたいと思いました。 そうですね、どちらも「頭の中に浮かび上がる」という解釈で合っています。 ただ、「頭の中で連想する」だと「連想しようとしている、連想することを試みている」という印象が若干あります。つまり、意識的にそうしている感じがあります。 しかし、「頭の中で連想される」とすると、「自然と思い出される・自然に思い出してしまう」という印象があります。 「連想する」とすると意思が働いていて、「連想される」だと無意識にそうなってしまう、そういう違いがあると思います。 例えば「思い出す」と「思い出される」だと、やはり「思い出される」の方が無理なく記憶が蘇る(自然に思い出してしまう)という印象がありますし、「思い出す」だと「思い出される」よりも負荷が掛かるといいますか、労力や集中力を要する印象があります。 -------------------------------------------------------------- ・自然とそうなってしまうのが、「連想される」 「思い出される」 (無意識的) ・意思が積極的に働いているのが、「連想する」 「思い出す」 (意識的・意志的) -------------------------------------------------------------- それぞれを使い分けてはいない人もいると思いますが、敢えて比較すると上記のようなことが言えると思いました。 ~長くなりましたので、続きはこの後 投稿します。
設問【2】のまとめです。 今回も【1】同様に、以前の添削には不自然な部分がありましたので、これまでに頂いたお礼や補足を元に、『 』内にある様に手直ししました。 『6月30日喫茶店で働いた。13時半に迎えに来てもらい、14時に家に着いた。その後パソコンに向かい、掲示板などでメッセージが来ているかどうかチェックした。文章などに含まれる名称を幾つも目にしていると、《B:慣例通りの》読みが自然と思い浮かんだ。その時、「みんな(見るな)」と幻聴がして、不快でつらかった。何故なら、幻聴の内容が自然と読みが思い浮かぶことに対して《D:否定的なものだった》からだ。 このことは、自分の中で起きた何らかの現象が起因していると思われる。』 補足) 《 》内の語句 B と D のそれぞれは、原文にあった語句に対応させています。一つの文章を長くしてしまうと文意が読み取りづらくなるので、省略可能だと判断した箇所は削っています。 1)《B:こびりつけた》 ここでは「慣例通りの」と直しました。他には、「慣例に倣(なら)った」 「通例となっている」 とするのが良いと思います。何れにしろ、「既に遣り方が決まっていてその通りにする」、「そうすることがならわしやしきたりになっている」、「社会で通用する決まり事になっている」という意味になります。 【慣例】http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E6%85%A3%E4%BE%8B&dtype=0&dname=0ss&stype=0 【通例】http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E9%80%9A%E4%BE%8B&stype=0&dtype=0 【倣う】http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E5%80%A3%E3%81%86&sty それと、 http://okwave.jp/qa/q7584568.html のNo.2の回答のお終いの方で >「共通認識(世の中の約束事として、ときに摺り合わせを要する概念)」 ――という表現をしていますが、これらは「慣例」や「通例」のことと考えていただければ結構です。 そのときのお礼で「摺り合わせ」の意味が理解できないと仰っていましたが、摺り合わせとは、個人個人の意見がバラバラで収集が付かなくなったときに妥協点を見いだしたり、調整することを言います。 社会や集団が上手く纏まるようにする為の知恵、そんな意味合いを持つ言葉です。 こちらの方でも確認してください。リンク先の2の解釈になります。 【摺り合わせ】http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E6%91%BA%E3%82%8A%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%9B&stype=0&dtype=0&dname=0na 2)《D:否定されたことを言われた》 この箇所は、「否定的なものだった」としました。 「みんな(見るな)」という言葉は、どう受け取っても否定的な内容です。 客観的な立場から見ても、その言葉は「否定的なものだった」ということです。 ** 私が回答に手間取った理由は、「こびりつけた」もそうなのですが、「読み方」の解釈です。 リンク先のNo.1では、 >我々はあらゆるものに名前をつけて考える。名前をつけて覚えている。そのことを思い出せばイメージがくっついている。それが潜在していると言ったら言えないことはない。 という話が、このご質問のベースにあるということを伺って、「読み方=そこにかかれてあるものの解釈の仕方」という可能性を考慮して回答しないといけないのかな?と考えて回答の方向性が解らなくなってしまったからです。 原文に「読み方」とあるのを単純に「読み」とだけ受け取り、「(名前を思い出せば)イメージがくっついてくる」というエピソードを意識しなければ、ここまで解釈を膨らませて悩むこともなかったのかな?と思いますが、これは私の思考の仕方でそうなった結果であって、先に質問者さんに、このことをしっかり確認してから回答していけば良かったのだなと考えさせられました。 詰まるところ、私がご質問の背景に対して解らない部分にイメージを膨らませてしまったので、却って、どう解釈して良いのか解らなくなっていたということなのです。しかし、イメージの意味について、ここでお話し出来たことは良かったと思っています。 今日(7/28)の回答は、ここ迄としたいと思います。 満足していただけるかどうかは解りませんが、設問【1】~【3】にあることには全力で回答しました。 No.10のお礼には、 >(3)それ以外の返答 とありますが、28、29の二日間は休憩を取りたいと思います。
今回は、設問【1】のまとめです。 あれからかなり日数が立ちましたが、私が最初に添削した文章を読み返すと、状況がよく理解出来ていなかった為か、かなり不自然な印象があります。 そこで、なるべくシンプルな表現にしたいと思い再度手直ししました。 ◇【1】のまとめ 添削) 『7月10日16時頃、自分の中で起きた出来事をノートにメモしていたときに、耳鳴りと幻聴が我慢できなくなり始めた時刻を記すため、背後にある電子時計を振り返って見た。時刻を確認後、すぐさま勉強机に向き直り、再びメモに取り掛かろうとしたが、不快な耳鳴りと幻聴に気を取られて、またもや後ろを振り返って時計を見てしまった。これらのことで作業がはかどらず、そのまま机に向かうことが困難になった。それは一時的なことだった。同じようなことは以前にも何度かあった。ノートに自分の中で起きた出来事をメモしたり、(再度)振り返って電子時計を見たことなどは、自分自身の記憶が元になっていると思う。』 補足) 添削後の終わりの文章には、 >(再度)振り返って電子時計を見たことなどは とありますが、記憶を含め質問者さん自身が特に不思議に思ったことは、「再度時計を 振り返って見た行為」だと思うので、敢えて“(再度)”としました。 「再度」を付けるか付けないか、この辺の判断は質問者さんにお任せします。 ** >「こういうような実例はご存知かどうかと、こういうような内容は本(先生が読んだことのあるものも無いものも)に書かれているか知りたいです。」という質問と、「メモを取るために時刻を確認しようと振り返って電子時計を見たすぐさまに机上に視線を戻そうとしたが、意思に反して視線が電子時計と机上のメモ帳の間を行ったり来たりを繰り返してしまったという実例をご存知かどうかと、こういうような内容は本に書かれているか知りたいです」という質問を主治医にしようと思いました。 【F】↑の質問の仕方は正しいかどうか知りたいです。もし間違っていたらどういうふうに質問したらいいか、文を手直しして欲しいです。 情報を整理して訊いた方がきちんと伝わると思い、以下のように添削しました。 上段が原文、下段の『 』が添削後の文章です。 1)「こういうような実例はご存知かどうかと、こういうような内容は本(先生が読んだことのあるものも無いものも)に書かれているか知りたいです。」 →『先生はこのような実例をご存じでしょうか。また、似たような行動について書かれた本をご存じなら教えていただけますか。』 2)「メモを取るために時刻を確認しようと振り返って電子時計を見たすぐさまに机上に視線を戻そうとしたが、意思に反して視線が電子時計と机上のメモ帳の間を行ったり来たりを繰り返してしまったという実例をご存知かどうかと、こういうような内容は本に書かれているか知りたいです」 →『メモを取るために時刻を確認するのには、時計を一度見れば済むわけですが、メモを取ろうとすると直ぐにまた時計を見てしまうという、意思に反した繰り返し行動について実例をご存じですか。また、このようなことは本にも書かれているのか教えて下さい。』 補足)2で一番知りたかったことは、時計とメモ帳を不必要に交互に見てしまうこと、繰り返し行動についてですよね。ですから、時計とメモ帳の具体的な位置関係を示すよりも、「意思に反した繰り返し行動をどう思うか」ということを端的に訊いた方が良いと思いました。 またお終いを >このようなことは本にも書かれているのか教えて下さい。 と締め括りましたが、本を紹介して欲しいわけではなく、そういった実例があるのかどうか聞きたい場合は、「このような報告例があるのか教えて下さい」としても良いです。 ~明日は【2】についてまとめたいと思います。
お礼
お久しぶりですね。(1週間振りですね) ご回答ありがとうございます。 腱鞘炎が運動をしていても生じるということは知りませんでした。 パソコンでタイピングをし過ぎても腱鞘炎になると思ったんです。 インターネットで検索してもこういう関連の記事がヒットしました。 今回は回答者さんから質問がありましたので、それにお答え致します。 受身から客観的表現に言い直すことは主治医から出された課題ではありません。 別に治療の邪魔にはなりません。でも抽象的な表現で回答なさることは理解することが大変だったり、理解できなかったりするので具体的な表現で回答下さったほうがむしろ良いです。 主治医はネット上のやりとりは良くないとはおっしゃってません。 受身の表現である「操られた」のは有り得なくても、「感じがした」「気がした」のは有り得ると言うことを聞いて僕もその通りだと思ったのです。 僕は今まで主治医に見てもらうレポートに「~られた」「~された」などの受身の表現を書いて見てもらったら、統合失調症などの病気の症状だと見なされ、「~があった」などの表現で書いて見てもらったら、誰にでもある症状だと見なされたということがありました。 しかし今月の診察では主治医に「操られた感じがしなくても意に反して動作が止まってしまった、動いてしまったのも作為体験と言える」と聞きました。 つまり病気の症状だと思われるのですが・・・。 僕は受身の表現と客観的な表現の両方が知りたい気持ちが強いのです。 質問にも書いたように本を読む機会が少ないので、言葉を知りたい気持ちが生じたのです。 しかし僕は「客観的な認識の表現」および「客観的な認識の主体的表現」という概念が理解できてないのです。 それは第三者からの視点だということを別の回答者さんから聞いたのです。 例えば『α:牛乳を飲む動作が(何らかによって)止められた感じがした』から『β:牛乳を飲む動作が(何らかのきっかけで)制止した・停止した感じがあった』というのは、自分の中で起きた出来事だけど、客観的な表現は存在するか、しないかどうかが知りたいですし、αは受動的な感覚の主体的表現で、βは客観的な認識の主体的表現で合っているかどうかも知りたくなりました。 回答者さんから「客観的な認識の主体的表現」「客観的な認識の表現」という概念を教えてもらいたいと思いましたので、聞かせて欲しいです。