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国際法上、日本という国家は太古から継続?

国際法、あるいは政治学から見て、日本は飛鳥時代から現在まで一つの国家が継続しているのでしょうか?それとも、いくつかの国に分けて考えられるのでしょうか? 飛鳥時代以降1945年までは天皇主権の国家が続いていましたが、戦後の憲法では主権在民となって政体が根本的に変わっていますね。 そこで、私は新憲法施行以前と以降とでは別の国家ではないかと思うのですが、どうなのでしょうか? あるいは、明治維新でも別の国家に移行したのでしょうか? 別の国家に移行していたとしても、新国家は前の国家の継承国家として機能してきたので、対外的には飛鳥時代以来ずっと実質的には同一国家であったのでしょうが、ここでは、後続の国家がどう振る舞ったかには関係なく、国家が(少なくとも)一旦は途切れたのか、否かを教えて下さい。

  • 歴史
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noname#175206
noname#175206
回答No.4

 これは、個々人の判断までは立ち入らないとしても、それでも、たとえばヨーロッパから見てとか、いろいろあって一概には決められません。  まず、「国家」の成り立ちなんですが、国家の形成としては、都市国家から都市国家連合を経て領土国家が成立する流れがあります。質的に変化しているのです。  ある国家が成立する前には、その地域にもっと小さなコミュニティがあったことは、よく知られています。そのコミュニティを都市国家と呼んでもいいでしょう。都市国家は、やがて実力差が明らかになり、強い都市国家がリーダーシップを持つようになります。  古代中国がそうでした。夏の後に殷ができ、それが周に倒されています。この時期は、対等な都市国家分立から、実力のある都市国家がリーダーとなる都市国家連合への移行時期でした。  一説には、殷の最後の紂王は都市国家連合を飛び越えて、集権的な国家(これが領土国家)を目指したため、諸都市国家の反発を受けたとも言います。  その周の王が各地に封じた諸侯が自立するようになり、周は権威として存続したものの、実力に応じて諸国が君侯をトップとして、それぞれ分立する春秋時代に入ります。  この時期はまだ各国も都市国家連合です。しかし、中原と呼ばれた周付近の地域は伝統を重んじましたが、周辺になるほど、それは薄れて行きます。楚などは、早くから王を自称するようになりました。権威的には未だに古代中国トップの周王に並び立つという意識です。  それを象徴する故事が「鼎の軽重を問う」です。鼎とは周の権威の象徴です。楚の荘王が周の使者に、「鼎の重さはどれくらいですかな?」と問うたのです。その言葉の真の意味は、「権威だけの周など、大したことは無い」ということです。  これは、都市国家連合から領土国家への移行を意味しています。つまり、各地域での自治権を下げ、中央集権化が進むということです。これは、道路整備を含めた運輸・通信技術の発達に裏付けられています。広い地域を一人の王が取り仕切る裏付けができてきたわけです。  周に騒乱が起こって分裂し、戦国時代に入ります。この頃、古代中国諸国は本格的に領土国家になっていました。そして秦の統一に至ります。英語で中国をChinaといいますが、それはこの秦に由来します。  日本では古代の夏~近世の清まで、国が変わって行ったと見ることが多いですが、英語資料では、秦以降、清までを王朝(dynasty)としていて、国家としては変更はないと見ています。ただ、完全な征服王朝である元は少し見方にゆらぎがあるかもしれません。ともあれ、国家内部で王家(皇帝家)が変わっただけということです。  ヨーロッパ視点では、王朝は変わっても、国家としては連続と見ているんですね。これは、ヨーロッパで約千年続いたビザンツ帝国(東ローマ帝国)でも同様です。王朝、つまり王家は変わっても、国家としては千年続いたと見ています。  ここまででも、都市国家から領土国家といった体制的なこと、王朝=国家と見るか否か、迷うところです。さらに領土の拡大、縮小、移動といったことも考えなければいけないかもしれません。  これに近代の革命といったことが起こります。視点としても、市民サイドからということが強くならざるを得ません。  これも、王家が転覆しただけで国家としては連続と見るか、法的にも政治的にも全く新しい国家の誕生と見るか、難しいところです。  ただ、こうしたことは定義や分類でしかありません。どう考えるにせよ、事実や実態が変わるわけではありません。  統一性のある見方を、それもできれば複数持てるようになればいいのではないでしょうか。

shanshan47
質問者

お礼

丁寧なご回答、ありがとうございます。 私の理解は次の通りです。 ・中国は王朝が変われば国家も別の国家になり(つまり、明と清は別の国家)、 ・ヨーロッパでは(一般に)王朝が変わっても国家は継続していた。 理由は次の通りです。 ・中国の王朝交替は(隋唐革命を除けば、一般に)暴力革命で根本的に支配者が変わるのに対して、 ・ヨーロッパの王朝交替は親族間での権力移行がほとんどで継続性が見られる。 中国、ヨーロッパに対して「日本はどうなんだろう」が私の質問の主旨です。 ところで、 > 統一性のある見方を、それもできれば複数持てるようになればいいのではないでしょうか。 国家の定義に色々な考えがあるのは承知しているつもりです。 ですから、「国際法では」(あるいは外交慣例では)との前提で質問しているつもりです。 本当は「国際政治」「法律」などのカテゴリーに質問をしたかったのですが、 残念ながらそのようなのが無かったので「歴史」で質問させていただいた次第です。

回答No.3

日本はかつて一度も外国からの侵略は受けていないし 初代 神武天皇から今上天皇まで皇統も途絶えることなく続いています 飛鳥時代いこう天皇主権の国家が続いていたと書いていますが それはいつのことでしょう? 日本の歴史で天皇が明確な権力を握った時代はありません すべて貴族や側近によって執政されています 国家が変わるということは天皇家が変わる あるいは廃止になるということですが 今までそんなことはありませんね さらに戦前も天皇は 君臨すれども統治せず で権力はありませんでした つまり昔から天皇は象徴にすぎなかったわけです

回答No.2

途切れいていないと思います。 日本は天皇を元首とした国体を護持し続けてきました。他国の王朝は政権交代が起こると、旧王家は断絶の憂き目に遭うのが常でしたが、摂政・関白の時代はもちろん、武家社会になって将軍・執権・戦国大名と実力者の交代劇はありましたが、天皇は存続しました。明治維新や戦後にも政治体制の大改革がありましたが、国家としては継続しています。世界的に見ると特異な国だと言うことができます。

shanshan47
質問者

お礼

ありがとうございます。 天皇家が今まで存続しているのはおっしゃる通りです。 でも、... 幕末までは(または1945年までは)確かに天皇が日本の最高の地位にあり続けましたが、 現行憲法では天皇はそれまでの天皇とは全く異なった位置づけです。 天皇家が存続しているからといって国家が継続しているとは言えないのではないでしょうか? 例えば中国は唐(李氏)、宋(趙氏)、明(朱氏)、清(愛新覚羅氏)はそれぞれが別々の王朝であり、 従って、国家としても別々です(と思っています)。 日本も明治維新、あるいは現行憲法で天皇の位置づけが変わったので、その時点で国家も変わったハズと 思っているのですが...?

  • Verhalten
  • ベストアンサー率17% (36/201)
回答No.1

大和王朝と国家は別問題です。 少なくとも占領された時点で途切れてあます。

shanshan47
質問者

お礼

ありがとうございます。 飛鳥時代は大和王朝と言えるのでしょうか?大和政権と言うべきでは? 天皇主権が(名目的にせよ)続いていた、飛鳥時代から幕末まで(または1945年まで)は単一の王朝と言えるのかなと思っているのですが...? 王朝としては継続していても、政権としては時代によって、平氏政権、鎌倉政権、足利政権、徳川政権・・・民主党政権と移ろってきた、と思っているのですが? もちろん、今も天皇家は続いていますが、以前のように君臨している訳ではなく象徴なので、現在の日本は王朝国家とは言えませんよね。 占領されているということは国家ではないということですね。 確かにそうでしょうね。

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