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心の病をもった生活保護者

生活保護者で過去に会社で騙されてやめるような方向にもっていかれたと嘆く人を取材しました。 騙され、次の仕事につき、その思いをひきずったまま入社したのでストレスがたまりやすい体質になっていて、そういうことが原因でやめる方向にもっていかれやめたりした事務の女性だったのですが、こういうことが続くとなにか信じるものがなくなり生活保護に頼る結果となったようです。 心身を癒すために生活保護を受けているということでしたけれども、擁護する必要もあるのかと思いますがいかがでしょうか? これでも甘いのでしょうか?? 被害者意識が強く、会社に入ってからでなく、学校でもそう明るく振る舞えていたわけではないそうなので、ちょっとかわいそうかなといった具合なのですが、心身が癒えたらまた、社会復帰をしようかと考えているそうです。 こういう生活保護のスタイルもあるのだそうですね。 やはりいろいろな会社の中でも事務や工場などで陰湿なこともかすかにあるようですから、そういう人たちにとって生活保護という制度はありがたいということなのでしょう。 中には、牛耳っていたりそういうつもりでなくとも、パワハラやセクハラと感じられてしまったりすることを上司だったり同僚などがしているようでございますので心をお悔やみになり、心身喪失ですか、そういうことに見えないところでなっているということで生活保護が成り立っている角度もあるようです。 その被害を受けたと感じた人にしかわからないものということで、やはり関係ない人たちがわいわい生活保護が甘いだとか言うのもいささか考え不足ではないかな?というところでございます。 生活保護を受けている人はそれなりに傷ついてきている人ということでも解釈されているのでしょう。 つまり、社会全体の責任ということですね。 それを国が保証しているということです。 思いやりや優しさをかけもって、人のことも考え仕事をしていかなければこういった生活保護を不当と扱うのは若干早とちりなのかというところです。 やはり生活保護というものは必要なのですね。 お金じゃないんだよというところがまたひとつ明らかになりました。

みんなの回答

回答No.2

それぞれの人に「ケア」や「手当」 がひつようなのだとは思います。 ただ、昨今「生活保護」の存在意義 がやたら広くとらえられています。 あれはけんぽう25条「国民は健康で…」 を具現化した法律で「命の最期のセーフティネット」 です。「療養期間でお金に困る」「今は仕事ができない」 など、やたら広く対象とされるイメージが定着していますが 正直おかしいと思っています。  私は「生活保護を受けていること」はレッテルであるべき と考えます。つまり、ある程度妥当性があったり、諸事情に より、自力生活できない人のためには別途制度を立て、その状況 に適した給付をおこなうべきだと考えます。 「生活保護を受けるのは怠惰な生活、職業週刊」をおくった者のみ、 社会的には「恥ずかしい」という状況がよいのでは、と考えます。

  • globef
  • ベストアンサー率17% (1306/7306)
回答No.1

>心身を癒すために生活保護を受けているということでしたけれども、 >擁護する必要もあるのかと思いますがいかがでしょうか? >これでも甘いのでしょうか??  甘いという以前に 「生活保護」の目的とは、違うので そういった 目的での「生活保護」は、問題です。 http://public-assistance.flaxworld.com/public_assistance_knowledge/0902190938.html 別の手段で 心身を癒してもらいたいです。

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