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戊辰戦争について
戊辰戦争で人数的に 優位であった幕府軍が 討幕軍に敗れたのは なぜなんですか??
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- heastry_wave
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これは旧幕府軍が指揮系統が無茶苦茶の即席軍だったからです どうしてそうなったかと言うと慶喜は元々は鳥羽伏見の戦いを起こすつもりはなかったのです ところが江戸薩摩藩邸の焼討事件が発生して庄内藩の手柄をうらやんだ会津藩強行派が慶喜を半ば脅して無理やり大軍勢で御所を攻めました 慶喜は暴走する会津強硬派に身の危険を感じてやむなく強硬派の訴えに従います これが幕府軍の鳥羽伏見の戦いの敗戦の原因なのです 兵器の差も戦術の差も当然あります 武器弾薬の違いもあり作戦指揮系統が確立していた薩長は下士官が死亡しても新しい下士官が指揮を取ります ところが旧幕府軍は下士官が死ぬと連携が取れずにすぐに暴徒の衆と化します そして慶喜の誇るフランス式幕府歩兵隊の前を会津藩士や新撰組が前をうろちょろして邪魔で全く銃が撃てません そして薩長軍にいいように攻撃されて惨敗を繰り返します 諸藩の人々は元々この戦争に乗る気ではなかったので、なるべく本隊から離れて傍観していました そこで錦の御旗が上がり、薩長がその傍観していた諸藩の指揮官に朝廷軍に入るように勧めます 諸藩の指揮官は大勢の幕府軍が無残にも敗北するのを見ていますから、続々と官軍側に回りはじめて、会桑軍はいっきに大阪城まで敗走します そこで諸藩は我先に勝ち組へと殺到し、官軍側に回ります 薩長の官軍も諸藩の官軍への投降を拒絶する事もなくそのまま認めて友軍にしていました それであっという間に朝廷軍は膨れ上がったのです 慶喜も会桑にそそのかされていただけでしたので、大きな処分は受けずにその後も人生を楽しんだのです
- gonveisan
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銃器の差 薩摩長州は外国との戦争で 銃の性能を見せ付けられ これを、戦訓とし 新式を買った。 武器商人が、かのグラバー 幕府側も勝ったが 鳥羽伏見で様子み日和見の各藩が 薩長側についた偽錦の御旗もたてた 東北では時藩に火の子が掛からなければ 連合で対抗する事も無し また裏切りでかっこ攻略され降伏 次の攻略も目標の尖兵として働かされた。 http://www.geocities.jp/irisio/bakumatu/arms.htm
- あずき なな(@azuki-7)
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勝てば官軍 負ければ賊軍です
- eroero1919
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ある意味薩長というのは「徳川幕府を倒さないと、自分たちが潰される」という恐怖感がとても強かったという点があると思います。 長州藩は二度の長州征伐があって本当に潰される危機がありました。自分たちが徳川家を倒さないと自分たちがやられるという思いは日本一あったでしょう。 また薩摩藩は、江戸時代を通じて徳川家に目をつけられていた藩でした。徳川家は薩摩藩を潰そうと何度も目論みました。有名なのが宝暦の治水工事です。薩摩藩は幕府から愛知県を流れる木曽川、長良川、揖斐川の治水工事を命じられます。これは徳川幕府が薩摩藩を破たんさせるために仕掛けたものでした。どのくらいすごかったのかというと、薩摩藩士が55名も「自害」したほどです。薩摩藩士は地元の農家に寄宿していたのですが、なんと食事も土間でとらされたのです。幕府の役人が農家に部屋にあげて食事をさせてはいけないと命じたからです。 一方、幕府側となると長州征伐のときなんかがそうですが、もう将軍そのものが各家をまとめられるだけの求心力を失っているのですね。各家はそれぞれの思惑で勝手に行動しちゃうわけです。どこまでの忠誠なのは会津藩くらいでね。 その「必死さの違い」というのは大きかったと思います。
- ennalyt
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江戸時代ってず~っと平和だったじゃん。 戦争なんてやったことない人ばっかりだよ。 武器は槍と刀でしょ。 薩長はイギリス提供の大砲や銃をふんだんに持ってた。 結果見えてると思いませんか。
- mekuriya
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幕府軍も討幕軍も存在しない。官軍が賊軍を成敗しただけの話。そもそも戦争ではない。賊軍には指揮官も命令系統も作戦本部も何も存在しない。反乱勢力がばらばらに蜂起し、ばらばらに鎮圧されただけ。将軍である徳川慶喜が大政奉還し、その時点で幕府は消滅している。賊軍は徳川慶喜に対しても、朝廷に対しても、歯向かった二重の逆賊である。逆賊を討ち果たすのは明治新政府の当然の職務であり、それは政権担当能力の証明でもあった。戊辰戦争という用語は、後世の歴史家が捏造したものであり、当時は個々の戦闘が生じただけなのだ。繰り返す。幕府軍など存在しない。馬鹿げた虚妄に過ぎない。虚妄に囚われる症状を痴呆症と呼ぶ。