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短歌にも発見が必要でしょうか

俳句でも短歌でも発見がなければ意味がないという説がありますが、読み手の感性のせいか、どうしても発見が読み取れないものも多いように思います。いかなる短歌でもいったん詠まれれば、それを詠んだ人が意識していなくても何か発見が隠されているものでしょうか。

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  • hakobulu
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回答No.3

その作者にとっての発見という意味ではないかという気がしますが。 普段見慣れている(それ自体は発見とは言えないような)日常の平凡な光景にも、視点を変えると(視点が変わると)新たな発見があるはずで、それが句なり歌になる。 それは一種の感動につながるはずですから、それを定型句で表現することに意味がある、ということではないかと思います。 漠然と写実するだけでは意味がない、ということでしょう。 むろん、単なる写実のように見えても、そこに新たな視点が表現できていれば作品としての価値がある、ということになると思います。 ただ、その作者の視点の角度が生ぬるかったりすると、おっしゃるように、「発見が読み取れない」ということになってしまうのでしょう。       

noname#194289
質問者

お礼

静かな説得力を感じるご教示でした。日ごろから謙虚な心をもって感性の涵養に努めることが大切だと思いました。どうもありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • wild_kit
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回答No.5

 芸術には、ある種のパターン・作る作法などがあります。 初めはそれに沿って作り上げていき、上達していきます。 ある域に達したところで、そうした決まりをあえて守らないという手法を取ることがあります。 絵でいえばキャンバスに絵の具を投げつけただけのようなもの。 音楽では『4分33秒』のようなものが挙げられるでしょう。 http://dic.nicovideo.jp/a/4%E5%88%8633%E7%A7%92  短歌にもそうしたことが当てはまると思います。 上達するには、ただ見たままを詠むのではなく何かを見つけるのが重要。 でもそれに囚われて意識が狭くなってしまわないだろうか。 あえて何も考えず詠んでみよう。 そうしたこともありそうです。

noname#194289
質問者

お礼

やはり序破急あるいは起承転結のような、自然に流れ出てくる新しいことが必要ということになるでしょうか。ご教示感謝いたします。

  • Postizos
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回答No.4

ANo.2です。 私は必ずしも「発見が無いと意味が無い」とは思わないのですが、ひとつのうなづける考え方ではあると思います。 ある人が創作して行く上で何か作法を決めているというのは大事だし尊重すべきだと思います。 いろいろの考え方があっていいし、いろいろの面から観る事ができると良いのでは。

noname#194289
質問者

お礼

何か新しい面あるいは点がないといけないのではないかというのは否定しにくいと思いますが、新しいご教示加えていただきありがとうございます。

  • Postizos
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回答No.2

無いのもあるだろうし、そういうのは「発見が無いと意味が無い」説から見れば意味が無いのでしょう。 「いかなる短歌でもいったん詠まれれば、それを詠んだ人が意識していなくても何か発見が隠されているもの」*引用 これは転倒した考えではないですか? 「発見が無いと意味がない」説も発見が無い句・歌が多いから批判や提案としてそういうことを言っているのでは? もし*引用が正しければ「発見が無い句や歌はこの世に存在しない」説になるでしょう。

noname#194289
質問者

お礼

なるほどと思わせられるご教示でした。案外字が並んでいるだけで歌としては存在していない短歌も多いのかもしれないと思いました。自戒の意味でも心に留めておきたいと思いました。どうもありがとうございました。

noname#194996
noname#194996
回答No.1

基本的に創作物には以前それが存在しなかったものというのが前提なので、発見(新しいものの発掘、発明と言い換えてもいいでしょう。)が必ずあるのは自明です。そういう意味で「発見がなければ意味がない」という言辞もあるのでしょう。 それは正しいと思います。ただ、その発明の新しさの度合いに応じて、鑑賞者をひどく驚かせたり、そうでもなかったりというケースは様々存在するのでしょう。 寺山修司の俳句デビュー時の世間の驚きはまさしく新しいものの出現だったと記憶しています。

noname#194289
質問者

お礼

自明であるということですね。これからそのように考えながら鑑賞してみたいと思います。ご教示ありがとうございました。

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