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お気に入りの俳句、短歌を教えてください。
白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ (若山牧水) この句を最初に読んだ時、(もちろんその言葉の意味はわかったのですが)あまりピンと来なかった記憶があります。でも最近この句をふと目にしたとき、とても心に響くものを感じました。多分自分の身に起こったいろいろな出来事や経験がそうさせたのではないか・・と思います。 皆さんにも、日々の生活の中で思わず口ずさんでしまうようなお気に入りの俳句や短歌はありますか?。もしあればひとつふたつ教えていただければと思います。 そして、なぜその句が好きなのか、また背景などもおありになればお書き添えいただければと思います。 よろしくお願いします。 ※お礼は遅れぎみになると思いますが、必ず書きますのでご了承頂ければと思います。
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前に「人に逢いたい気持ち」と「夢で人に逢いたい気持ち」 を詠った回答をした者です。 なぜ、そのような歌に惹かれるのか、その事についても回答したくなりまして。 普段、友人達に心配されて、 「さみしくはないの?」と聞かれても、「さみしくなんかない(>_<)!」 「大丈夫なの?」と聞かれても、「大丈夫(>_<)!」 と強がってしまいます。 なので、あまり「さみしい」とか「逢いたい」とかは、滅多に表に出す事はありません。 その言葉を口にする事で、リミッターが外れてしまうのが怖いのかもしれませんね(^_^;)★ 親しい友からも「甘えるの、下手くそだよね~(^_^;)」と心配されてますけど。 暴走しがちな気持ちが、好きな相手に向かいすぎて嫌われるのが怖いんです。 好き過ぎて、気持ちに余裕がなくなりそうなのも、また怖くて(^_^;)。 本だの写真だの、趣味などで集中力を使い果たすぐらいでちょうどいいようです。 自分でなかなか言わない気持ちを代弁してくれているようで惹かれるのだと思います。 あと他にも気になった歌があったので、再度回答に参りました。 今回は「花」に関する歌と、 「現代の歌の歌詞」に似た雰囲気の歌についてです。 ●「花」 昨年は、「花」に関する質問に回答したり、 普段の休日に「花」を写真に撮ったりと、「花」も好きです。 万葉集の中には、花に関する歌もかなりあります。見返していて、いいな♪と 改めて思ったものを下記に挙げますね。 1、わが屋前(やど)の 毛桃の下に 月夜(つくよ)さし 下心良し うたてこの頃 (1889) (訳)家の庭先の桃に月明かりがさして、とても心地いいね~♪ ちなみに「毛桃」というのは、桃の花も差しますが、女性を意識している事を暗に示している言葉だそうです(*^.^*)♪ 恋をして、ふんわかした気持ちで、桃の花をながめているんですかね~。 2、久方(ひさかた)の 月夜(つくよ)を清(きよ)み 梅の花 心開(ひら)けて 我(あ)が思へる君(1661) (訳)空の月もきれいだし♪ほころんだ梅の花みたいに、私も心を開いて、あなたの事を想っているよ♪ 3、何すとか 君をいとはむ 秋萩の その初花(はつはな)の 嬉しきものを(2273) (訳)嫌いになれるわけねえだろ。秋萩の初花を見るように、逢えば嬉しいんだからさ。 4、あしひきの 山桜花(やまさくらばな) 一目(ひとめ)だに 君とし見てば 我(あ)れ恋ひめやも(3970) (訳)山に咲く桜を、病気にならずに、約束どおり一緒に見る事ができたなら・・・。「こんなに桜を楽しみにしていたんだ・・・」って、気がつかなかったのかもしれないね・・・。 これは、訳にも説明をほうりこんであります(ぉぃ)が、病に臥せった大伴家持が詠んだ歌です。「いつでもできる」と思っている事でも、できなくなってやっと気がつく・・・大事な事って、結構ありますね~(^_^;)。 5、橘は 花にも実にも 見つれども いや時じくに なほし見が欲し(4112) (訳)橘は花も実も見るのが楽しい♪いつもいつも見ていたいな♪ ●「現代の歌の歌詞」 あと、「現代の歌の歌詞」と似た雰囲気の歌を見つけては、 悩んだり、喜んだり、考えたりする事って似ているのかもしれないな♪ と思いまして。下記に、その中のいくつかを挙げますね。 まるっきり同じというわけではないので、微妙にニュアンスが違うものもありますが、 そのズレも含めて、楽しんでいただけたら幸いです(^_^;)。 1、人もなき 国もあらぬか 我妹子(わぎもこ)と 携(たづさ)ひ行きて たぐひて居(を)らむ(728) ~時のない世界へ二人で行きたい 愛だけをただずっと見つめて~ 相川七瀬「Lovin’ You」 2、我が背子(せこ)は 物な思ひそ 事しあらば 火にも水にも 我がなけなくに(0506) ~ああ風よ吹け ああ雨よ降れ その気になれば 何もつらくない ああ情熱が火をふいて どうにもとまらない~ 山本リンダ「どうにもとまらない~ノン・ストップ・バージョン~」 3、我妹子(わぎもこ)に 恋ひつつあらずは 秋萩の 咲きて散りぬる 花にあらましを(0120) ~いつでも君の笑顔に揺れて 太陽のように強く咲いていたい 胸が痛くて、痛くて、壊れそうだから 叶わぬ想いなら せめて 枯れたい~ L’arc en Ciel「FLOWER」 4、我が背子と ふたり見ませば いくばくか この降る雪の 嬉しくあらまし(1658) ~雪原の大地に 二人きりの吐息が舞う つないだ指先に 大切な気持ちを覚えたよ~ L’arc en Ciel「Winter,fall」 5、真木の上に 降り置ける雪の しくしくも 思ほゆるかも さ夜(よ)問へ我が背(1659) ~降り積もる思い出より貴方を愛してる 立ち止まり うずくまった私を見つけて~ GLAY「つづれ織り」 6、相見ては 恋慰むと 人は言へど 見て後にぞも 恋まさりける ~いつもの改札で「またね」と手を振って 見えなくなる 僅かな時の中でさえ もう逢いたくなるよな 激しさ~ GLAY「LAYLA」 7、我(あ)が心 焼くも我なり はしきやし 君に恋(こ)ふるも 我が心から(3271) ~JEALOUS BEAST!I’m in the mirror!!~ GLAY「嫉妬」 8、今さらに 何をか思はむ うちなびき 心は君に 寄りにしものを(0505) ~あなただけ見つめてる 出会った日から 今でもずっと あなたさえそばにいれば 他になにもいらない~ 大黒摩季「あなただけ見つめてる」 9、笹の葉に はだれ降り覆ひ 消(け)なばかも 忘れむと言へば まして思ほゆ(2337) ~君がつぶやいた「もうダメかな・・・」 その時 二人の中を 風が吹き抜けた~ オフコース「夏から夏まで」 蛇足だとは思いますが、前に他の回答者様が回答された歌について、です。 「瀬を早み 岩にせかるる滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」」 これはアニメ化もされている漫画「シティ・ハンター」で、題材に使われた事もありました。 離れ離れになった恋人どうしが、この歌が刻まれた鏡をお互い、大事に持ち続けている話です。再会を望んでやまない恋人の気持ちがあらわれている、いい歌ですね。切ないですけど・・・。 長々と失礼しました。 それでは失礼します。
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- Lioh
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万葉集の中で好きな歌がありまして、久しぶりに見返してみたら、おもしろくなって回答が遅くなりました。 その中で、「アイタイキモチ」を歌った歌と、「せめて夢の中でも逢いたい」と歌った歌について、です。 ●「アイタイキモチ」 1、見まく欲(ほ)り 思ひしなへに 縵(かづら)かげ かぐはし君を 相見(あひみ)つるかも(4120) (訳)ちょうど「逢いたいな~♪いま何してるかな~♪」と思っていたら、帽子をかぶった君に偶然逢えたっっ!こんな偶然が嬉しくてね♪ 少々気恥ずかしいんですが、この歌が大好きなんです(^_^;)。 逢いたいな・・・という気持ちも共感できるし、このささいな偶然が嬉しい、というささやかなしあわせが微笑ましくていいですね♪ 下記は、見返していて目についた「アイタイキモチ」を歌った歌です。いや~♪微笑ましくていいですね~♪結婚する前、旦那にチョコを渡す時にでも、添えるカードに書いてもよかったかな(笑)。読めなかったりして(^_^;)。 2、待つらむに 至らば妹(いも)が 嬉しみと 笑まむ姿を 行きてはや見む(2526) (訳)逢うと嬉しそうに笑いかけてくれる君に、やっと逢いに行ける!急げ、急げ♪ずいぶんと待たせちゃったけどさ。 3、早(はや)行きて いつしか君を 相見(あひみ)むと 思ひし心 今ぞなぎぬる(2579) (訳)一秒でも早くあなたに逢いたいっっって思い続けてた。逢って、やっとその気持ちがおさまった・・・。 4、ただひとり 寝(ぬ)れど寝(ね)かねて 白たへの 袖を笠に着 濡れつつそ来(こ)し(3123) (訳)君のことを考えて、とても眠れなかった。雨が降っているのに我慢ができず、寝間着のまま、傘もささずに飛び出した。 ずいぶんずぶ濡れになったけど・・・。君に逢えるなら、ま、いっか♪ 5、愛(うるは)しと 我(あ)が思(も)ふ君は いや日異(ひけ)に 来(き)ませ我が背子(わがせこ) 絶(た)ゆる日なしに(4504) (訳)私にとって、あなたは誰より素敵だよ♪だから逢おうよ♪毎日逢おうよ♪一日も欠かさずに逢いにきてよ♪ 6、相見ては 千年(ちとせ)や去(い)ねる いなをかも 我(あれ)や然(しか)思ふ 君待ちかてに(2539) (訳)さっき別れたばかりだけど、もう千年も逢えなかったみたいにさみしいっ!逢いたいよ、逢いたいよぉ!! 7、相見ては 恋慰むと 人は言へど 見て後にぞも 恋まさりける(2567) (訳)皆は「会えばさみしさもおさまるんじゃないの。」と言うけどさ・・・。あなたに逢った後、よりいっそう好きになってどうしようもないんだけどね(^_^;)。 8、草枕 旅にし居れば 刈り薦(かりこも)の 乱れて妹に 恋ひぬ日はなし(3176) (訳)長い旅だからよけいにさみしくてさ。「君に逢いたい」ってばかり考えてる。 9、遠くあれば 姿は見えず 常(つね)のごと 妹が笑(ゑ)まひて 面影にして(3137) (訳)離れていて逢えないのがつらい。でも、離れていても身近に感じられるような君の笑顔を思い出すと、少し元気がでてくるよ。 ●「夢で逢えたら」 1、うつつには 逢ふよしもなし 夢(いめ)にだに 間なく見え君 恋ひに死ぬべし(2544) (訳)全然逢えないから、せめて夢の中で逢いたい。じゃないとさみし過ぎて、死んじゃうかも。 これも気恥ずかしいですけど、大好きな歌です。 「逢えないと、さみしくて死んじゃうかも・・・」なんて、恥ずかしくて言えないし、メールにも書けませんから(^_^;)。 冗談めかして、「ウサギはさみしいと死んじゃうらしいよ、私もさみしいから死んじゃうぞ~♪」ぐらいは・・・やはり書けません(^_^;)。 下記は、見返していて気になった「夢の中で逢いたい」歌です。 2、しまらくは 寝つつもあらむを 夢のみに もとな見えつつ 我を音し(あをねし)泣くる(3471) (訳)しばらくは穏やかに眠れたんだけど・・・君が夢に出てくるから、また切なくなって泣けてくる。 3、ぬばたまの 夢にはもとな 相見れど 直(ただ)にあらねば 恋やまずけり(3980) (訳)夢では何度でも逢っているけど、本当に逢っているわけじゃないから、余計にさみしくなるよ。 4、夢の逢ひは 苦しくありけり おどろきて 掻き探れども 手にも触れなば(0741) (訳)夢で逢えたって意味ないでしょ。目が覚めても、ここに君がいないんだし。手をのばしても、君の手を握れないし。 2~4は、「夢で逢う」と逆に苦しくなるようですね(^_^;)。 私は夢の中で写真を撮る夢を見たりしますが、「いい写真撮れた♪」と思って目が覚めても、夢だった暁には切なすぎるかも・・・。 5、我妹子(わがもこ)に 恋ひすべながり 夢に見むと 我れは思へど 寐(い)ねらえなくに(2412) (訳)あの娘の事がありえねぇほど好きで好きで・・・。せめて夢の中でだけでも逢いたかったけど、気になって気になって、眠れねぇ。 5は、「夢で逢う」どころか、眠れなかったみたいですね(^_^;)。 6、我妹子に 恋ひてすべなみ 白たへの 袖返ししは 夢に見えきや(2812) (訳)とても逢いたくて、夢の中で逢えるように袖を返して寝てみたけど・・・。昨晩夢に俺、出て来た? 7、我が背子が 袖返す夜(よ)の 夢ならし まことも君に 逢ひたるごとく(2813) (訳)袖を返して寝たからじゃない?確かに夢に出てきたよ♪本物みたいだったし♪ 6、7は恋人同士の歌です。 「逢えた?」と聞く彼に、「逢えたよ♪」と答える彼女が可愛いですね~♪袖を返して寝ると、好きな人の夢に自分が出られる・・・というおまじないが当時あったそうで。自分の夢に好きな人が出ますように・・・とは思った頃もありますが(笑)。好きな人の夢に出られる・・・というほうが、「人生・能動態」の私にあっているかもしれませんね(ぉぃ)。さてと、袖を返して、夢に乗り込みにいきますかね(嘘です)。 訳はかなり李訳・・・ならぬ意訳がはいっていますので、参考程度に読んで下さいね。万葉集、ちらほらと読んで、楽しい時間をすごす事ができました。楽しいきっかけをありがとうございました。
お礼
●「夢で逢えたら」 1、うつつには 逢ふよしもなし 夢(いめ)にだに 間なく見え君 恋ひに死ぬべし(2544) liohさんの大好きな歌、教えてもらえてうれしいです♪ >恋ひに死ぬべし・・・はかっこいい表現ですね~★ 「逢えないとさみしくて死んじゃうかも・・・」・・これは私も書けません;。でも冗談めかして「ウサギはさみしいと死んじゃうらしいよ、私もさみしいから死んじゃうぞ~♪」・・・ぐらいは(頑張れば)書けるかもです^^。 2、しまらくは 寝つつもあらむを 夢のみに もとな見えつつ 我を音し(あをねし)泣くる(3471) 確かに夢に愛しい人が出てきてもそれがいいストーリーだとは限らないんですよね~(>_<;)それが問題です・・・。 4、夢の逢ひは 苦しくありけり おどろきて 掻き探れども 手にも触れなば(0741) これは醒めてますね~。でもそう言われてみれば、そうかもですね;。 >「夢で逢う」と逆に苦しくなるようですね ・・・・逆説的?な真理に今気がついた思いです・・・(@_@;) 6、我妹子に 恋ひてすべなみ 白たへの 袖返ししは 夢に見えきや(2812) 7、我が背子が 袖返す夜(よ)の 夢ならし まことも君に 逢ひたるごとく(2813) これは恋人同士の会話のような歌ですね~。 >袖を返して寝ると、好きな人の夢に出られるというおまじないが当時あったそうで・・・。 これは知らなかったのですが、驚きです。今は好きな人が夢に出てくれたら・・・という発想の方が主流なのに昔は逆だったんですね~。でも確かに好きな人の夢に出られる方がいいかも♪と私も思いました。ポジティブシンキングですね♪ それでは今宵は袖を返して・・・♪。 liohさん、情熱的なマシュマロ李訳どうもありがとうございました。万葉集に秘められた恋の歌の数々・・・そしてそれを飛び越えて昔の恋と今の恋の違いなど新しい発見ができてとっても楽しかったです~♪(^-^)ゝ
補足
Liohさん、ご回答いただきましてありがとうございます。m(__)m 本当のことを言うと、万葉集については何かで引用されているものを目にする以外はほとんど知らなかった私です;。 なので、今回こんなに丁寧にご解説いただき本当に感謝しています。♪ 読みながら俵万智さんが与謝野晶子さんのみだれ髪をチョコレート語訳として現代的に訳して出版されているのを思い出しました♪。 ・・・それにしても万葉集って恋の歌(相聞歌)が多いのですね~。しかもどの歌も気取らずにとても可愛いな~と感じました。 ●「アイタイキモチ」 1、見まく欲(ほ)り 思ひしなへに 縵(かづら)かげ かぐはし君を 相見(あひみ)つるかも(4120) なるほど~。君に逢えた偶然が嬉しいという気持ちを歌った歌なのですね。Liohさんお気に入りの可愛い歌ですね~。それにしても、昔の言葉っていいですね。縵・・・かぐはし・・・。なんかちょっと使ってみたいような気がします♪ >結婚する前、旦那にチョコを渡す時にでも、添えるカードに書いてもよかったかな(笑)。 う~ん、このアイデア、参考にさせて頂きま~す(笑)♪ 3、早(はや)行きて いつしか君を 相見(あひみ)むと 思ひし心 今ぞなぎぬる(2579) そうですね~。逢って顔を見ると落ち着くというのはあるんでしょうね~。やはり言葉だけだと行き違いなどもありますし・・。これは女の人の気持ちなのかな・・・。 4.ただひとり 寝(ぬ)れど寝(ね)かねて 白たへの 袖を笠に着 濡れつつそ来(こ)し(3123) 雨が降っていても、雪が降っていても関係ないんですよね~♪ 6.相見ては 千年(ちとせ)や去(い)ねる いなをかも 我(あれ)や然(しか)思ふ 君待ちかてに(2539) 千年も逢えなかったみたいにさみしい・・っていうのは大げさみたいな気がしますが、やっぱりこれぐらい言ってもらえるとうれしいですよね~♪^^。 Liohさんの訳も絶好調ですね~♪。 9.遠くあれば 姿は見えず 常(つね)のごと 妹が笑(ゑ)まひて 面影にして(3137) やっぱり誰でも思い浮かべるのは笑顔なんですね~^^。
- zephyrus
- ベストアンサー率41% (181/433)
あれからはや三ヶ月。中身のない日々を過ごしていました。 それにこのご質問に向け着々と準備中の方もあるかもわかりません。 そこをあえて混乱に導く再回答です。よろしいでしょうか(^^; ・狭井川よ雲立ち渡り畝傍山木の葉さやぎぬ風吹かむとす :伊須気余理比売 古事記より (さゐがは)(うねびやま)(いすけよりひめ) これは事変の暗示を、叙景に託して詠んで知らせた歌、ということになっています。 木の葉のさやぎは古代人にとって天変地異への畏れ。なるほどです。 でも、こうやって一首を独立して引き出して、現代の感覚で読んでみると、また別の感慨がわいてきます。 ふるさとの川、ふるさとの山。雲がわき、風が生まれて田畑を渡りはじめる。 樹木の葉ずれのさざめきは、はるかな子供のころから親しかった記憶の潮騒。 それは生きていることの実感とも至福の午後が詠まれているとも受け取って支障がないようにも思うのです。 そしてそのあやうさ。次の瞬間にはあとかたもなくなくなっているかもしれないという一抹の不安感。 少し読みすぎでしょうか。 -- 現代の女性の歌、続けさせてもらいたくて仕方ありません。 ・ちりちりと岩を這うありとびはねてしぶきとなるあり滝のおもては :沖ななも(おき) 理知的分析的であって実感にあふれていると思いました。 ・ネックレス静かに置けば昨日見し台北運河の一縷(いちる)の流れ :道浦母都子(みちうらもとこ) 運河はTVで見た俯瞰の光景でしょうか。幻想と現実のギャップが「ネックレス」であらわされてるように思いました。 ・そうれそれ 天の壺より放たるるわれの魂虫(たまむし) ほら飛んでゆけ :池田はるみ(いけだ) 関西人らしい発想と言葉の軽み、というとこでしょうか。面白い。 ・あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ :永井陽子(ながいようこ) 静謐でリリックな抒情。作者は平成12年、40代半ばで他界されたとか。残念でなりません。 ・アフリカよわたくしはもう不安です胞(ふくろ)をどうか開いてください :長谷部奈美江(はせべなみえ) やさしくて超難解な「もしくは、リンドバーグの畑」そのほかの詩集の作者でもあるかた。短歌も作られるんですね。胞は胞衣(えな)のことでしょうか。胞衣なら何をアレゴリーしているのでしょうか。それからそれへと世界が広がってゆきます。 ・観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ) :栗木京子(くりききょうこ) とても有名な一首かと思います。現代に現れた最も代表的な青春歌であることは間違いありません。 ・焼肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き :俵万智(たわらまち) この一首を採った理由は特にありません。どれでもOKだもの。ひねった発想なのに技巧を感じさせなくてうまいと思います。 ・不逢恋逢恋逢不逢恋(あはぬこひ・あふこひ・あふて・あはぬこひ)ゆめゆめわれをゆめな忘れそ :紀野恵(きのめぐみ) こちらは一変、みごとなテクニック。超有名な一首と思いましたが、あえて。 ・夏の風キリンの首を降りてきて誰からも遠くいたい昼なり :梅内美華子(うめないみかこ) もう一首「大いなる空振りありてこれならばまだ好いていよう五月の男」など、クールでドライな現代的な詠み手のようです。 --- きりがないのでこの辺で。 なにせにわか勉強。目が行き届かなくて挙げられなかった女流のみなさん、ごめんなさい。
お礼
・観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生 私は時間のことを考えるのが好きですが、これも時間と空間とそして人の想いを重ね合わせた素敵な歌ですね・・。 一周回る時間も人それぞれ・・その感じ方の差に切なさを感じます。 ・ちりちりと岩を這うありとびはねてしぶきとなるあり滝のおもては これは時々刻々と滝とありの様子が変化して行く様子が三十一文字の中でうまく描かれているところがとても印象的です。まるでとびはねているしぶきが目のまえにあるような臨場感があって素晴らしいと思いました。 ・アフリカよわたくしはもう不安です胞(ふくろ)をどうか開いてください 胞衣が何をアレゴリーしているか・・・については、残念ながら私にはわかりませんでした;。でも「わたくしはもう不安です」という言葉の置き方がとても斬新でこんな言葉の使い方もあるんだなぁと感動し、勉強になりました。長谷部奈美江さんについては(難解ではない)詩を少し拝見しましたがとてもきめ細やかないい文章でした。アフリカと長谷部さんとのつながり、その背景などまた知る機会があれば・・と思います。 ・ネックレス静かに置けば昨日見し台北運河の一縷(いちる)の流れ これは少し理解するまで時間がかかりましたが、言われてみればう~ん、なるほどです。絵的で、現代的で面白いですね。 ・焼肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き 私も大好きな俵万智さんの歌ですね♪ストレートさと技巧、切なさと明るさを兼ね備えている素晴らしい歌ですね。俵さん自身、とてもいろいろな恋愛経験がおありのようでその辺りが人気の秘密なのかもしれません。 ・・・まだまだすばらしい歌が続きますが、私がコメントするには及ばずもうその存在だけで充分という感じがしますね。 zephyrusさん古代より現代までの興味深い女性の歌を記してくださりどうもありがとうございました。私もいつかこのような歌が詠めればいいな~と思っております♪
補足
zephyrusさん、こんにちは。再びお越しいただきありがとうございます。 ・・・あれから3ヶ月も経ってしまったんだと、言われて初めて気がつきました。その間ももしかして、この質問を気にかけていてくださったとしたら・・どうもありがとうございます♪ ・狭井川よ雲立ち渡り畝傍山木の葉さやぎぬ風吹かむとす これは恐らくは日本で最初の和歌が詠まれた頃に近い時期に詠まれた歌なのではないでしょうか・・。 古事記の世界・・伊須気余理比売の話がとても興味深かったです。結婚、世継ぎ、暗殺・・・そのような逆らえない流れの中で陰謀を知らせるための母心を表した歌だったんですね ・・。 木の葉のさやぎに事変の前触れを重ね合わせる描写は日本人の原点をみる思いです。 そして、いまさらながら、この古事記の世界は人間というものが深く描かれていてとても面白い世界なのだなぁと気づきました。 ふるさとの山川に生きる実感を感じる一方、それが一瞬にして消え去るかもしれないという一抹の不安を持つという捉え方はとても詩的な気がします・・。 -- 時は変わって・・現代女性の歌をたくさんありがとうございました。♪ どれも個性的でなるほど~と感じさせてくれる歌ばかりです。 この中で私は一番気に入っているのは、(意外かも知れませんが・・・) ・夏の風キリンの首を降りてきて誰からも遠くいたい昼なり 夏の風がキリンの首を降りてくる・・・この表現がかなり気に入りました♪。 梅内美華子さんの歌は書き添えてくださったものの他にも少し見ることができました。俵万智さんとはまた少し違う魅力がありますね。 ・ティーバッグのもめんの糸を引き上げてこそばゆくなるゆうぐれの耳 このようなのも好きです・・・♪。
- Salut_
- ベストアンサー率42% (8/19)
ある朝の かなしき夢のさめぎはに 鼻に入り来し 味噌を煮る香よ (石川 啄木) 悲しい夢をみて(おそらく涙を流しつつ…?)目覚めると、台所からは味噌汁の香りが漂ってくる。 ただそれだけの詩なのに、鮮やかにその情景が目に浮かんでくるような気がします。 勝手に想像してみると、季節は冬。そう、ちょうど今時分。 暖房器具もない、電子レンジもない。厳しい冬に、早朝から火を起こし、妻が朝食を整えている。 粗末な布団にくるまり、悲しい夢をみていたその部屋にもお味噌汁の良い香りが漂ってくる… かなしき夢と味噌の香。 香りがかなしい夢を包みこむ。 そんなイメージなのです。 話は変わりますが、この頃夢をみなくなりました。 本当にみていないのか、みたのに忘れてしまうのか、みていないと思い込みたいのか。 多分、このうちのどれかが正解なのだろうなぁ。 などと、つまらないことを考えつつ。。。(^^; ……gruyereさんは夢をみてますか?
お礼
Salut_さん、お越しくださってありがとうございます^^♪。 ある朝の かなしき夢のさめぎはに 鼻に入り来し 味噌を煮る香よ 芸術品のように憧れの気持ちを持って眺められる俳句や短歌もありますが、石川啄木さんの歌は私達ととても近い感覚が感じられる気がします。 この歌も日常の風景の中の切なさを鋭くつかんであらためて私達に気づかせてくれるような気がします。 朝・・夢・・鼻・・味噌・・香・・・さりげない言葉の数々に、さまざまな感覚が呼び覚まされるようです。 厳しい冬のかなしい夢を 妻の作る春のようなあたたさを持ったお味噌汁の香りがふうわり包む・・・そんなイメージなのでしょうか・・。 タイマー付きの暖房器具で暖かく目覚められる現代では、もうこのような歌は作られにくくなってしまうのかな~と思うと寂しい気もしますね・・。 私は夢はわりとよく見ます。一時期は夢を見過ぎてとても疲れてしまうので、寝るのが怖いときもありました;・・。そして夜見る夢はやはり楽しい夢よりかなしい夢の方が多いですね。涙を流しながら起きるということもよくありました。単純なので心の中にある不安や気にかかることが少し形を変えて夢となって現れることが多いのです。でも最近はかなしい中にいても(なぜか泣かずに)じっと傍観している・・・そんなことが多くなりました。 でももちろん楽しい夢も見ますよ♪すごく引き込まれる面白いストーリーにわくわく~なんていうこともあって、起きてすぐメモしておけばよかった~なんて思ったりします。 夢って不思議ですよね・・・。 Salut_さん、私の知らなかった啄木さんの少し切ない歌をご紹介くださってありがとうございました♪m(__)m。またまた世界が広がりました~♪。
補足
皆様、改めましてこんにちは。(Salut_さんの補足欄をお借りしますm(__)m) 長い間この質問を締め切らずに申しわけありませんでした。 この質問は皆さんの心の内にある俳句や短歌を知りたい、そして理解してみたいという思いから立てたものでした。私にとっては少し背伸びしたものとなり、お礼なども拙いものになってしまった感もありますが、皆さんに教えていただいた俳句を読みながら想像をめぐらしたり、またその周辺にある俳句や短歌を調べる機会を得たりしてとても有意義な時を過ごすことが出来ました。 今まで知らなかったいろいろなことも知ることが出来本当に良かったです。 また名句やいい短歌というのは、作者が強烈なメッセージを発信しながらも、読み手側のその時々の多種多様の気持ちを吸収してくれるものなのではないかなとも思いました。それは私が「白鳥(しらとり)はかなしからずや~」の歌を読んで感じることがあった時のように、必ずしも詠み手側の気持ちとは一致していないことがあるかもしれないけれど、いろいろな気持ちを投影することを許してくれるそんな句や歌のような気がしました。 ポイントは、今回はアイデアが面白かったということで、「啄木さんの下の句を考えて!」の#15さんと「短歌と音楽の融合」の#23さんにお付けしたいと思います。 ただ皆さんの教えてくださった歌はどれも大切で、とても素晴らしかったということもぜひお伝えしたいです。 皆さんの人生の歌を教えてくださり、どうもありがとうございました♪またいつかよろしくお願いしますm(__)m。
こんにちは、おじゃまします。まだ閉め切ってらっしゃらなかったんですね。(笑) 別のご質問では、ご丁寧なお礼をありがとうございました。 以前のIDでもおじゃましましたし、いまさらながらの感も強いのですが、 思いついたところあり、もう一度、場を汚すことをお許しください。 夏草や兵どもが夢の跡(芭蕉) http://www.bashouan.com/psBashouPt18B03.htm? もちろん、今は冬将軍が幅を効かせる季節(今年は暖冬との声多き)です。 ですから、季語からして、とても季節はずれなのは重々承知ですが・・・。 年の瀬を迎えた夜、街は幻想的(ある意味“けばけばしい”)な イルミネーションに彩られ、つかの間の幸福を求める人たちであふれています。 (恥かしながら、自分自身もその一人ではありますが・・・汗; ) しかし、まだ眠気をかなぐり捨てきれない早朝の街は・・・ 祭りのあと(吉田拓郎) http://bit.sonymusic.co.jp/Music/Arch/SR/TakuroYoshida/download/d1....? ♪祭りの後の静けさは~で始まるこの曲にも相通じるのではないか・・・ 質問者様がお立てになった別のQへの回答にも通じてしまいますが・・・ それは、不気味と呼ぶのにふさわしいほどの静けさ、 人の行き来も無く、閑散とした早朝の街並みの虚無感に通じるものが 有りはしないか?と独り想うしだいです。 賑わいを魅せる夜の街並みとは対象的に・・・ 「寝ぐら」に帰り、部屋の灯りをつける・・・ 「しらじらとした」蛍光灯が、やけに眩しい・・・ これは現実なのか、否か・・・ 「虚無感」・・・言い表せない脱力感、 しかし、次のステップに向けての準備とすれば・・・ 再び朝の静けさは消えうせ、年末の夜景を彩る欠かせないものとして、 人々はそこに立ち止まり、つかの間のいやしを求める。 元の俳句の解釈とは、程遠いものとなってしまいました。(苦笑) 人間は、決して「万全」なものでは無いと思います。 欠陥だらけの私ゆえ、こんな解釈も可能なのではないかと(苦笑&汗; ) つい、思いついたままの駄文で場を汚してしまい、申し訳有りませんでした。 それでは、よいお年をお迎えください。
お礼
linimoさん、再びのご回答ありがとうございます♪ >まだ締め切ってらっしゃらなかったんですね。 はい、なんとなく12月いっぱいは開けておこうかなと思いまして・・・。 夏草や兵どもが夢の跡(芭蕉) この句は有名ですね。でも元の正確な意味や場所を知っている人は意外と少ないかもです。 それほど、いろいろな場面でいろいろな人がそれぞれの思いで口ずさむ句といえるような気がします。 おっしゃるようにその一つはクリスマスのようなお祭りごとの後で・・・。 お祭りが楽しければ楽しいほど、また盛り上がれば盛り上がるほどそのあとの寂しさが増すような・・・。そしてその残骸が目に染みるような・・。 私はなぜか祭りが始まる前から、祭りのあとの寂しさを連想してしまい感傷に浸ってしまったり、どんなに幸せな時にでもぽっかりエアポケットのように虚無感が襲ってくることもあります。 人は皆どんな時にも孤独感とは切っても切れないものなのではないでしょうか。 あの吉田拓郎さんでさえも・・。(いや吉田拓郎さんだから・・) >こんな解釈も可能なのではないかと・・ いえいえこの句を読んだ時、はらはらと涙が流れるような孤独感を私も感じます。 >次のステップに向けての準備・・・ 何か終わった後の寂しさをこう解釈できればいいですね。小さくかがむからこそ大きくジャンプも出来るのだと思います。 年の瀬に、皆に共通する思いを書いてくださってどうもありがとうございました。 良いお年をお迎えください~♪
- kyouto18
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「たんぽぽの黄色の元気もらいます」 第15回伊藤園新俳句大賞・佳作特別賞、大分県の仁部屋辰徳くん(15歳)の作品。 まったく気持ちが沈んでたときに電車に乗っていたときに 伊藤園のPETボトルの裏を見ていたら、彼の作品が載ってました 窓の外を見るとたんぽぽが咲いてる光景がひろがっており、俳句の ままになんだが不思議なぐらい元気をもらいましたね。 それ以来この俳句がなんだが教訓になりいつも胸に響いています。
お礼
kyouto18さん、ご回答どうもありがとうございます。♪ 伊藤園新俳句大賞・・・「お~いお茶」のPETボトルに載ってる俳句ですよね。実は私も去年これよく読みました。・・・というのもここ(OKwave)でお茶の質問をしたからなんです。 うだるようなあつ~い夏に冷たいPETボトルのお茶を飲んでふと目をやると飛び込んでくる新鮮な俳句の数々に私もかなり癒されました。 ネットでもいろいろ調べてみると、中学生や高校生の人たちがたくさん俳句を詠んでいることがわかります。そして皆さんそれぞれとてもいい句を書いていらっしゃいますね。 >たんぽぽの黄色の元気もらいます! そんな中でもこの句は一際光っている気がします。>黄色の元気・・というところがとても印象的で、本当にこちらまで元気がもらえそうな気がします。 >窓の外を見るとたんぽぽが咲いてる光景がひろがっており・・ ・・これは素適な偶然でしたね! kyouto18さん私にとっても思い出深い、心に響く俳句を教えてくださりどうもありがとうございました。m(__)m
- pi-hyoro41
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素敵な質問にお邪魔をします。 俳句や短歌などは少ししか知らなくて、 その少しの中で、最近私が、 その言葉に強烈な印象を受けて、 いろいろと考えさせられて、 もやもやして、頭から離れなくて、 考え込んでしまった俳句があります。 >お気に入りの俳句や短歌 とは違うかもしれないんですが >日々の生活の中で思わず口ずさんでしまう というかしょっちゅう頭の中に浮かんでくる俳句です。 きっと身勝手な回答になってると思うんです。 許してくださいm(_ _)m まっすぐな道でさみしい(種田山頭火) ちょっと前になりますが、読んでいた雑誌にこの句が載っていました。 ”まっすぐな道”とは人と深くかかわらないで生活していくことだと思いました。 ほんの表面だけですが山頭火という人は神経症を抱えながらの生涯だったとも知りました。 この句に、腹が立ったんです。 自分(山頭火)が精神のバランスがうまく取れなくて 家族と一緒に暮らすには困難が多かったから 家族と離れて、あまり他人とも交わらずに生きる道を選んだのだろうに 「さみしい」って何! 正直な心情を表したものなんでしょうが (その正直さに価値があるのでもあるのでしょうが) あまりに自分勝手な・・! 離れている家族のことを考えてない。 なんだかすごく腹が立っちゃって。 人と関わって生きる道はまっすぐというわけにはいきません。 家族と暮らしたりすれば、自分を曲げる事はっしょっちゅう。 精神的に辛い病気をしょっている人間にとっては、 それは大変な作業であることは想像できます。 できるだけ安定した心でいたいなら、 一人で生きていくのも仕方ないと思います。 一人になれば、そりゃさみしい。 精神の不安定さは、一人が楽であるとともに普通以上の孤独も呼びます。 感じる寂しさは並ではなかったろうと思います。 でも、自分が一人になることで家族にも寂しい思いを強要している。 心が不安定な人間と暮らすことは大変な負担だろうけど 家を出て行かれてしまう寂しさはとても大きなものなんじゃないか。 そんな妻子の気持ちをまるで気にしてないようなこの句に腹が立って仕方なかったんです。 でも、この私の怒りは、 実はふいと家を出て一人で生きていける作者への やっかみなんじゃないか。 心の底に隠している私の希みを指摘されて 動揺しているんじゃないか。 家族と暮らすことと一人で生きることと 秤にかけて家族を選びました。 納得してるはずですが 一人になりたい気持ちが消えているわけではない。 でもそんな思いは押し込めて隠さなくちゃ ・・・おまえ、でも本当は一人になりたくもあるんだろう? と、私が見ないようにしてるものに目を向けさせようとするこの句が憎らしい。 こんな感情なのかもしれません。 腹が立つなんて言ってて 実は痛いとこ突かれておたおたしてるってのがほんとのところっていうのは 間抜けですね。 問いの筋からは外れた回答だと思うんですが ちょうど私の頭の中にあったぐるぐるした気持ちを 素敵なやりとりをなさっている質問者さまに 聞いてみていただきたくて書き込みました。 書き込むために自分が感じてることを整理して こうして文字にしてみると この句にきつく縛られてた縄が 少し緩んだようです。 ありがとうございました。 偉大な俳人の句に、腹が立つだの立たないだの 相当傲慢ですね。 最後に#15様の提案の『下の句の会』に参加してもいいでしょうか。 ◆友がみなわれよりえらく見ゆる日よ いくどもいくども 懐歌に酔い 友がみなわれよりえらく見ゆる日は 古馴染みの歌が救ってくれます。 CDを繰り返しかけて、一緒に歌います。 そうすると落ち込んで床下でひざを抱えてすんすんすねてた自分が 機嫌を直して帰ってきてくれます。
お礼
pi-hyoro41さんはこの句と向き合われて、ご自身の中の深い感情に気づかれたということ・・。またこのご回答を書いていらっしゃる中で、きつく縛られていた縄がゆるんだということで、少しでもこのQ&Aが何かのお役に立てたなら幸いです。ご自身の感情のうしろに隠れているもの・・・きっと普段は気づかないもの、また気づきたくないもの、気づいていても目をそらしたいもの・・・そんなものにしっかり目を向けることがお出来になるのは素晴らしいなと思います。 山頭火さんの句集をいろいろ見させていただいたのですが、彼の放蕩生活、孤独の中で紡ぎ出された歌の数々はやはり圧倒的な存在感を持って迫ってくる気がします。 あるいてさみしい顔を小供にのぞかれて 朝早く蜂も知らない茶の花を摘む 一歩ずつあらはれてくる朝の山 秋のひかりや蝿がつるんだりして うつむいて石ころばかり 短い俳句を感じる心には、人それぞれ深い感情があるなぁと気づかせてくださったpi-hyoro41さん、ご回答どうもありがとうございましたm(__)m。 ※それから、下の句の会にもご参加いただきありがとうございました。懐歌いいですね♪。にぎやかになって良かったです。(他の人も続かないかな~。)
補足
pi-hyoro41さん、ご回答どうもありがとうございます。m(__)m まっすぐな道でさみしい(種田山頭火) 種田山頭火さんについては(恥ずかしいですが)今まであまり知らずにいたので、どんな人だったのかなと少しだけですが調べてみる機会を得ました。 子供の頃に衝撃的な体験をし、その記憶からか精神を病み、その後家庭を持ってからおっしゃるように勝手にふいっと家を出た・・そんな経歴がある方のようですね。そして、二度三度と戻って来ては社会復帰を目指し、また放蕩の旅に出る・・そして結局はやはり自分には旅しかないと悟って行く・・・そんな人生だったのでしょうか。 >人とは深くかかわらない生活・・・ わがまま、自分勝手・・そして確かに世間から逃避したような形で創作活動を行うことにも批判はあったようですね・・・。芸術家肌だから・・と言ってしまえば簡単ですが、周りの人にとっては大変だったことだと思います。 ただ人の中で自分を保ちながら生きるというのは難しくどの人にとっても永遠のテーマである様な気もします。 そして人は大なり小なり人に迷惑をかけながら生きているのかもしれません・・・。 少しだけ人と距離を持って生きて行く・・そんなことがうまくできればよいのですけど・・・。 >まっすぐな道でさびしい 本人にとっては孤独の中に自分の人生を極めずにはいられなくなったのでしょうか・・・。 (↓下に続きます)
- itab
- ベストアンサー率50% (431/861)
こんにちは。 最終回答者としては、あれから1ヶ月経つというのに本質問が締め切られずにある、というのは(過分なお礼をいただいているものの)少々複雑な気持ちです。 質問者さんの求めている回答は、もっと違う領域にあるのではないか。 最終回答が台無しにしたQ&Aを(まともな回答で)誰かに修復してほしい。(微汗;) それとも、ただ補足欄を使ってしまったので立ち往生しているだけ・・・ この中にその理由があるのか、ないのか・・・実はそんなことはどうでもよくて(ぉぃ) ただこちらのサイトを紹介したかっただけのことで再びのお邪魔となりました。 http://kawano-satoko.com/browse.php?Id=257 前回の回答後に少々本格的に?現代短歌を味わいたくなり、ネット上を彷徨ううちにたどり着いたのが上記のサイトです。 あえて特定の歌人のページを紹介したのは、質問者さんにまずは気に入っていただけるのではないかとの勝手な推測から。 川野里子氏がどのような方なのか、当方全く存じません。(汗;) 淡々と歌を紹介していくレトリックに惹かれ、しかも(素人が言うのも口幅ったいのですが)随所に短歌の本質を明示してるような・・これぞ探していた「短歌の世界」と思ったもので紹介させていただきました。 白状すれば、私もまだざっと目を通しただけで、一首一首を深く味わうとまではいっておりません。(汗;) ただそこここのページに質問者さんの琴線を共振させる作品が待っているのは確かかと。 できれば、一緒にお気に入りを見つけてみませんか。 失礼しました。
お礼
また川野里子さんの語り口がとってもさわやかで歌の一つ一つを引き立てているような感じがします。短歌を愛唱歌と書いていらっしゃるのも何だか嬉しかったです。この質問を立ち上げる時、曲のように「口ずさむ」という表現はちょっとおかしいかなと悩んだので・・・。 そして、小野茂樹さん自身の人生もいろいろあったのですね。でもいろいろあったから生まれてきた歌なのですね・・。 そして・・・ □ かかる深き空より来たる冬日ざし得がたきひとよかちえし今も ・・・ あたたかい重みを持った冬の日ざしのような、また時にあたたくも感じられる真冬の雪のような・・・そんなまなざしを感じます。・・そしてそれはitabさんのまなざしでもあるように感じます。(そう受け取っても良かったのでしょうか・・。) ・・・他のページもまだまだいい歌がたくさん埋もれているようです。まだ全部はしっかり見ていませんが、これまでのご回答の中でも何度か言及頂いた塚本邦雄さんのお名前も出てくるようです。 現代短歌とはいっても、私には難しい言葉もたくさんありますが、これからも回答者さまと一緒にお気に入りを見つけて行きたいです。 itabさん、心を共振させて頂けるご回答どうもありがとうございました♪。
補足
itabさん・・・こんにちは。 ご回答ありがとうございます。m(__)m 教えていただいたURLは、とても良かったです。 こんなサイトがあるんだな~、そしてこんなにたくさん現代の心を書いている方がいらっしゃるんだな~と感動いたしました。感動すると言葉に詰まってしまういつものくせが出て、そしてお礼が遅くなってしまってすみません。 たくさんページがある中で、やっぱり私が一番に気に入ったのはご紹介くださった【小野茂樹さん】のページです。 どの歌が一番好きか・・と訊かれると「全部!」と答えたくなるのですけれど、それはずるいでしょうか。 戦中、戦後について詠まれた歌も興味深いですが、それらについてはコメントする能力も無いので・・、やはり今、私に感動を呼ぶのは特にこのページの前半に載っている歌ですね。 【相聞歌】・・・。これが恋の歌という意味だとも知らなかった私です・・・。 □ あの夏の数かぎりなきそしてまたたつたひとつの表情をせよ □ 五線紙にのりさうだなと聞いてゐる遠き電話に弾むきみの声 □ わが肩に頬をうづむるひとあれば肩は木々濃き峠のごとし □ いちにんのため閉さずおくドアの内ことごとく灯しわれは待てるを ・・・一生懸命最小限に選んでみています・・・。これらは特に今私の琴線に触れるものです♪。 (↓下に続きます)
- itab
- ベストアンサー率50% (431/861)
時間があれば(現代の)歌集とかをパラパラとめくるくらいで、ほとんど「みそひと文字」は知らないのですが質問者さんのとても気持ちの良いお礼に誘われてやって来てしまいました。 も、もちろん回答もみなさん素晴らしくて・・・。 なにぶん浅学でがさつな自分です。みなさんがご回答されているような古めかしい歌や言の葉に想いを忍ばせるような俳句短歌は(極めて)苦手です。 (と、先に弁解しておいてと・・) ◆友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ 石川啄木 お気に入りといえるのかどうか自分でも分からないのですが、数年前妙に切なくしてくれた一首です。 実は、この歌をパクって・・・もとい引用して ※友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 【きみなら如何にと ネットに尋ねる】 などという質問をしようとしたことがあります。 『あなたなら、こんな心境の時にどうしますか?下の句を考えてください』 結局この問いは、自分がもっと惨めになりそうだったのでお蔵入りにしました。 そんな時は人に頼ったりするべきではありませんよね。 質問者さんならどう答えられるのでしょう・・。 ともかく、現代にも(いや現代であれば余計に?)通ずる、低く垂れこめた雲の切れ間から見える青空のような一首ではあります。 ◇ふり向けば手をふる父母の背景に夕やけの空放射にのびて これはいかに短歌にお詳しい質問者さんでもご存じないですよね。 私の作品ですから・・。(大汗;) たくさんの名歌が寄せられる中、ひとつくらいはこんなのが紛れ込んでても良いかなと、勝手に超拡大解釈して隅の隅におこうとしています。 プロがプレイするサッカー場で缶けりをする子どもを見るような目で見ていただければ幸いです。(ぇっ、そんなに可愛くない!?・・^^;) 父母そろって見送ってくれたのは、あの時が最初で最後だったと思います。 秋祭りの日だったかな。 ずいぶん歳とったなー。手を振ってさよならとかしてくれたことなかったんですけどね。 バックにはふるさとの夕焼け空。ほんとは別々に見たものなのですが(微汗;)、思い出の中では何故か重ね合わさってしまったもので・・。 親孝行というものを何一つ出来なかった私ですが、反省というか・・、口ずさめばなにかしらの供養になるのかもとの思いを込めて。 とんだお目汚しでした、ご容赦下さい。m(_ _)m 最後に、(お気に入りをひとつふたつとのこの問いのルールには反しますが)大好きな住宅顕信の自由律を一句おかせて下さい。 ◆背中丸めてねむる明日の夢つつんでおく 失礼しました。
お礼
◇ふり向けば手をふる父母の背景に夕やけの空放射にのびて (なぜかこの歌は知っていたような気もしますが・・) 思えば父と母が二人揃って見送ってくれるということは自分の記憶を遡ってもなかなかないことのように思います。そんな記憶が一度でもはっきりおありならば、とても幸せなのではないのかな思います。 ひとの脳裏に焼きついた記憶というのは写真より鮮明で確かなものであるような気がします。笑顔の父母・・秋祭り・・放射状の夕焼け・・。時間差はあったとしてもそれが合わさって一つの記憶になるというのは一番心を正確に表しているのではないか、そんな気がします。そしてそれを自分の歌として言葉として表せる人は羨ましくも素敵です。平成の啄木様、これからもたくさん歌を詠んで行ってくださいませ。m(__)m ◆背中丸めてねむる明日の夢つつんでおく 私も大好きな住宅顕信さんの句ですね。顕信さんの句は淋しさを詠んだものが多いですが、根底にはどこかふうわりとした希望や明るさがあるような気がします。顕信さんは病床のベッドで夢をつつんでおられたようですね。itabさんは今どんな夢をつつんでおられるのでしょうか。 itabさん、ルール破りなご回答どうもありがとうございました。itabさんの人生を少しだけ垣間見させて頂いて、とても新鮮でした。♪
補足
itabさん、ご回答頂きどうもありがとうございます。 >質問者さんのとても気持ちのよいお礼に誘われて・・・ こちらも素直に受け止めさせて頂いて・・・ありがとうございます。♪ ◆友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ ・・・回答者さまが、石川啄木を選ばれたのは、正直意外でした。(どうしてかって訊かれると答えられないのですが・・・) 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ・・・この句はなぜか上の句だけ憶えていて私もときどき口ずさむことがあります。この歌を口ずさむときはやはり落ち込んでいる時・・。欠点を引き算していけば0(ゼロ)を軽く超えてマイナスになってしまう自分の存在・・。もう自分はこの世に必要ないのではないかとさえ思うとき・・。 この歌を口ずさんで、啄木さんと共鳴して・・・そして少し立ち直るのかもしれません。 (私の場合は友が皆われより偉く見えることが多すぎて、もう慣れっこにもなっているのですが・・。) そしておっしゃる通り・・下の句はその人によって違うような気がします。 啄木さんの「花を買ひ来て妻としたしむ」というのは、やはりすばらしいなと思います。男の人と花という組み合わせが、絶妙な気がします。この社会で生きていくことの厳しさとそれとは全く違う世界の対比・・。やさしい花に常に自分を無条件に支持してくれる妻と共にしたしんでいる情景を思い浮かべるとこちらまでほっとさせられる部分があります。そして同時に(ある種の)切なさもこみ上げてきます。 私の場合はどうかなと考えてみたのですが、 ◆友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 遠回りして 月を眺める というのを考えてみました。 自分が沈んでいる姿を誰にも見られたくない・・。だから少し帰り道を遠回りして(短時間で)気持ちを落ち着けて立て直して、そしてただいま~と元気に家に帰る・・・。そんな日常を詠んでみました。 いろんな人の答えも訊きたい気がします。 (↓下へ続きます↓)
- OneFineDay
- ベストアンサー率11% (1/9)
べったべたのをいきまーす(笑) ・久方の 光のどけき 春の日に しづこころなく 花の散るらむ(紀友則) 春の陽ののどかさと散り急ぐ花の儚さとの対比。そして語調の良さ。こういう調べに出会うと、日本に生まれてよかったなぁと思います。 ・恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか(壬生忠見) 周りの者が先走って口にしたことで、気持ちに拍車がかかったり、あるいは抑制してしまったり、ということは恋愛に限らずあります。そうした心の機微が実にうまく表現されていると思います。 当時の歌合わせでは平兼盛の「忍ぶれど 色にいでにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで」に僅差で敗れたそうですが、私が判者なら忠見を勝ちとしたいところです。(それで壬生さんが浮かばれるわけではないけれど) では、次はちょっと変化球を(?) 阿刀田高「ことば遊びの楽しみ」(岩波新書)という本に出ていた作者不詳の歌が気に入りました。 ・月のもと清しといえば冬の夜の夕ばえいとしよき友のきつ これがなぜ「ことば遊び」なのかは、説明不要かと…
お礼
OneFineDayさん、ご回答どうもありがとうございます♪ ・久方の 光のどけき 春の日に しづこころなく 花の散るらむ これは私もお気に入りの歌です。「ひさかたの ひかりのどけき」の五七のどちらの頭も「ひ」で始まるところが、なんとなくリズミカルで心地よい感じがします。 そして・・「しづこころなく 花の散るらむ」・・・。こんなのどかな日に散る桜への驚き・・・。そして桜の花びら自体が少し心を持った生き物でもあるかのようにも感じられます。 ・恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか 平兼盛の「忍ぶれど 色にいでにけり わが恋はものや思ふと人の問ふまで」と歌合わせで負けたというエピソードは知りませんでした。この二つの歌は似ているけど少し違うというところが興味深いです。 私も当時の判定の通り「忍ぶれど~」の歌の方に思い入れがありますが、よくよく見れば「恋すてふ~」の歌もいいですね。昔は蝶々のことを「てふてふ」と書いたと思いますが、なにか「恋すてふ」=「恋す蝶」にも思えてきます。 「恋すてふ~」の方に勝ち判定をあげられたOneFineDayのセンスに拍手です♪。 ちょっと変化球の・・ ・月のもと清しといえば冬の夜の夕ばえいとしよき友のきつ これは・・・回文ですよね。 昔も今も俳句や短歌は遊び心で楽しむもののようですね。 OneFineDayさん、なくてはならない二首(+α)をご紹介くださってありがとうございました♪
- zephyrus
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あまり詳しくないです。それでも困ってしまうくらい沢山あります♪ 新聞各紙でも歌壇俳壇はどこも盛況で、 われわれと同じ読者の(しかも相当にすぐれたと思われる)歌が毎週掲載されています。 短歌も俳句も日本文化の中央に咲く、春の桜、秋のコスモスなんでしょう♪ さて、藤原定家より才能のあふれた歌人はあまたいたでしょうが、 ・春の夜の夢の浮橋とだえして嶺に別るる横雲の空 ・見わたせば花ももみぢも無かりけり浦の苫屋の秋の夕暮(三夕歌の一つ) には心惹かれます。前者の余韻嫋々とした幽玄の美(源氏の物語世界までひきあいに出されてます)、 後者の心情の荒廃の美(歌うことができない状態を歌う、と解釈して)。 現代でも素直に共感できる歌としては、 ・宿りして春の山辺にねたる夜は夢の内にも花ぞちりける :紀貫之(きのつらゆき) ・月やあらぬ春やむかしの春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして :在原業平(ありわらのなりひら) 前者、桜の散るさまは実際に見るより想像の中で散るほうがより美しい。しかも漆黒の闇を背景にして。 後者、まるで月光に照らされた荒れはてた屋敷が目の前に現れてくるよう。落魄。移ろいゆく時の流れ。 さて、同じ歌の調べでも、女性の手にかかると抒情はいっそう精緻になるようです。 ・あかねさす紫野行き、標野(しめの)行き、野守は見ずや。君が袖振る :額田王(ぬかだのおおきみ) ・蜑(あま)のすむ浦こぐ船の梶をなみ世をうみわたるわれぞ悲しき :小野小町(おののこまち) ・もの思へばさはの蛍もわが身よりあくがれ出づる玉かとぞ見る :和泉式部(いずみしきぶ) ・玉の緒よたえなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする :式子内親王(しきしないしんのう) いずれも人口に膾炙した名歌でしょう。 ここでいきなり八百年はしょって(笑)たとえば与謝野晶子という巨星をも飛ばし、 現代の女性たちはどんな歌をうたっているのか、最近とても気になっています。 私自身まだまだとっかかりで、ほとんど読んでいないに等しいのに、 たまたま目についたところをあえて図々しく掲げてみました。ご笑覧を。 ・噴水は疾風にたふれ噴きゐたり 凛々(りり)たりきらめける冬の浪費よ :葛原妙子(くずはらたえこ) ・赫奕(かくえき)と何の未練ぞ王冠のひとつ掲げて野の曼珠沙華 :安永蕗子(やすながふきこ) ・くちびるに水のことばはあふれつつ吟遊なべて喝食(かっしき)の秋 :山中智恵子(やまなかちえこ) ・白梅(はくばい)は貧の匂ひす師範学校寄宿舎に降るはるのあはゆき :黒木三千代(くろきみちよ) ・ブラウスの中まで明るき初夏の陽にけぶれるごときわが乳房あり :河野裕子(かわのゆうこ) ・魚食めば魚の墓なるひとの身か手向くるごとくくちづけにけり :水原紫苑(みずはらしおん) いずれも、定型のリズムに乗って、ふと口をついて出てくる、きりりとした確かさ。 これら個性あふれる"おんなうた"の数々。そしてこれがまだホンの一部であることの贅沢さ。 というわけで、俳句のほうまで手が廻りませんでした(難しすぎて私にはよくわからない、が本心です)。
お礼
四番目は僅差で・・ ・月やあらぬ春やむかしの春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして これは自分の境遇を嘆く歌なのでしょうか・・でもよく考えてみると私はいつも逆のことを感じている気がします。いくら自分は変化して行っても、月や春はいつも昔のままでいてくれると・・・。うれしい時も悲しい時も・・・。 なにかちょっと矛盾してますが・・・でもこの短歌はとても好きです。 そして五番目は ・見わたせば花ももみぢも無かりけり浦の苫屋の秋の夕暮 これはもしかしたら一番インパクトのある歌なのかもしれません。はっきりとその情景が浮かびます。移ろいゆくもの、落魄、そんな悲しい情景にももののあはれをとして美を感じられるというところが日本人の感性のよさなのかなと思います。 ・・と勝手に好きな順番をつけてしまいました。すみません。 (本当は ・あかねさす紫野行き、標野(しめの)行き、野守は見ずや。君が袖振る ・玉の緒よたえなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする も同じぐらい好きなのですが・・・コメントが「この気持ちわかります~。」だけになりそうなので。) でもまた月日がたつと好きな歌の順番も変わるのかも知れません。 文字数のためあまり書けませんが現代の歌も感性が鋭くていいですね。 ・赫奕(かくえき)と何の未練ぞ王冠のひとつ掲げて野の曼珠沙華 が、今は特に気になりました。 俳句や与謝野晶子さんの世界(←こちら特に)もぜひぜひ語っていただきたいのですが、やはりこのひとつの質問では無理なようで・・・。 少しお聞きしただけで、こんなにたくさんの歌があふれ出てくるのが素敵です。 ・・・長くなりましたが、私は秋の夜長を和歌三昧でた~っぷりと楽しませていただきました。どうもありがとうございました。m(__)m
補足
zephyrusさん、ご回答どうもありがとうございます。 お書きになっていただいた色とりどりの素敵な和歌の花々を読みながら、もう余計なことは書かずに黙って受け取らせて頂いた方がいいのではないかとも思いましたが・・・ いちおし?は藤原定家ですね。 ・春の夜の夢の浮橋とだえして嶺に別るる横雲の空 なんとなく直感的にですが、やはり私もくださった歌の中でこの歌が一番印象に残ります。はっきりとした捉え方はわからないのですが、恋人と夢のような(または夢の中の)時を過ごし、その夢のようなひとときが終わる瞬間にふと見上げれば、嶺に分かれる横雲がまるで別れていく自分達の姿のように見える・・・ということなのかな・・・と思いました。水彩画と水墨画が合わさったようなイメージ・・そして「浮橋」「横雲」という言葉の美しさ、余韻に他の歌にはない幽玄の世界が感じられます。 次に私が気に入ったのは・・ ・宿りして春の山辺にねたる夜は夢の内にも花ぞちりける これは昼間に見た桜が暗黒の夜の夢の中でさらに美しく散っている・・ということで、やはり桜という花は夢や想像の中でさらにその魅力が膨らむ花なのでしょうか・・。私も今年観た桜は美しかったなぁとか、あの時観た桜の散り方は美しかったなぁなどと思い出すことがよくありますが、やはり思い出の世界の中でその美しさが倍加されているような気がします。 三番目に好きなのは・・ ・もの思へばさはの蛍もわが身よりあくがれ出づる玉かとぞ見る これは蛍を自分の中から出てきた魂のように感じるというところがとても共感出来ます。(・・といってもこのような表現は自分では思いつくことは出来ないのですが・・) 物を思ふ時、または人を思う時、自分の中に何か蛍のような生き物がいるのではないかと感じることがが私にもあります。 (↓下へ続きます↓)
お礼
●「現代の歌の歌詞」 短歌と現代の歌の競演・・・これはLiohさんならではの素敵な思い付きですね♪ 1、人もなき 国もあらぬか 我妹子(わぎもこ)と 携(たづさ)ひ行きて たぐひて居(を)らむ(728) 一曲目はノリのいい相川七瀬さんですね。 恋人同士には二人以外はもう何も要らないという気持ちは昔も今も変わらないんですね~。 2、我が背子(せこ)は 物な思ひそ 事しあらば 火にも水にも 我がなけなくに(0506) >ああ情熱が火をふいて どうにもとまらない こ、これは笑ってしまって、コメントが~…; 3、我妹子(わぎもこ)に 恋ひつつあらずは 秋萩の 咲きて散りぬる 花にあらましを(0120) >叶わぬ想いなら せめて 枯れたい~ この部分がぴったりですね。そして題名も「FLOWER」・・・ よくよく聴けばとても深~い歌詞だったんですね~。短歌もこの歌も・・・ 4、我が背子と ふたり見ませば いくばくか この降る雪の 嬉しくあらまし(1658) ♪降りそそぐ雪は優しく笑顔包むから 僕は永遠を願った・・・ですね♪ GLAYはあまりよく分からないので、ここでしばしLiohさんが熱唱されている姿を想像・・^^♪ (でも6、相見ては 恋慰むと 人は言へど 見て後にぞも 恋まさりける・・ 改札で手を振ったあとはとても寂しくなるんですよね・・・この気持ちわかります。) 8、今さらに 何をか思はむ うちなびき 心は君に 寄りにしものを(0505) 大黒摩季さんのきっぱりした歌い方を想像すると短歌にも説得力が出ます! 9、笹の葉に はだれ降り覆ひ 消(け)なばかも 忘れむと言へば まして思ほゆ(2337) 健気な雰囲気のある短歌ですね・・・ 最後はもちろんオフコースで・・・ ♪明日になれば~ 愛はまた繰り返す~ 花好きのLiohさん、短歌と音楽の融合の夕べ、ありがとうございました。とっても楽しかったです。短歌を見てそれにぴったりのフレーズを見つけられるなんてすごいです。・・特に3のL’arc en Cielさんの歌の類似にはびっくりでした。 また、これからもいろいろ教えてくださいね~♪ ※シティーハンターの話は知りませんでした。鏡に刻まれてあるってロマンチックですね。教えてくださってありがとうございました♪m(__)m。
補足
Liohさん、再度のご回答ありがとうございます♪ 「なぜそのような歌に惹かれるのか」・・その背景についてお教えいただき光栄です。m(__)m 「さみしい」とか「逢いたい」とか普段口に出せないから、だからその気持ちを代弁してくれる歌がお好きなんですね♪ でも「さみしい」とか「逢いたい」っていう気持ちをがまんしている・・・そんな人って魅力的だと思います。きっと自分のことより相手の気持ちを思いやれるから・・・なのではないでしょうか・・。 本や写真など趣味で集中力を使い果たす・・・なるほど、そんなところから芸術って生まれてくるのかなぁ~^^。 ●「花」 1、わが屋前(やど)の 毛桃の下に 月夜(つくよ)さし 下心良し うたてこの頃 (1889) 毛桃って何か惹かれる言葉です。女性の肌の産毛も連想します^^。 私は「桃の花」が好きです。桜とも梅とも違うところ・・・そして漢字も音感も好きです。(←ちょっと意味不明な表現ですが・・) この言葉があるだけで、ふんわりした気分になれますね~♪ 3、何すとか 君をいとはむ 秋萩の その初花(はつはな)の 嬉しきものを(2273) 秋萩を見つめるようにうれしい・・・なんて奥ゆかしい、素敵な表現なのかなと思いますね~♪ 4、あしひきの 山桜花(やまさくらばな) 一目(ひとめ)だに 君とし見てば 我(あ)れ恋ひめやも(3970) こちらは一転して情熱的な歌ですね。病に臥せるという悪条件が人間の感覚を研ぎ澄ませるのでしょうか。そんな背景も興味深いです。 >できなくなってやっと気がつく ・・・う~ん、そんな深遠な気持ちを三十一文字に込められる・・・やっぱりすばらしいです♪ 5、橘は 花にも実にも 見つれども いや時じくに なほし見が欲し(4112) これはほんとに橘の実&花のようにストレートで可愛い歌ですね。大好きです。