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俳句と短歌
俳句には季語があって五七五で、短歌は五七五七七で・・というのはわかるのですが、イマイチ違いがわかっていません。 俳句好きの人は、何故俳句を選んだのでしょうか?短歌ではダメなんですか?短歌好きの人も、俳句ではダメなんでしょうか? 間抜けな質問だと思いますが、教えて下さい。
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以下はすべての短歌俳句に当てはまるものではありませんが、こんな感じで自分なりに整理しています。 和歌は作り手の心情をストレートに述べるもので、57577という詩形の短歌が、その心地よいリズムゆえか、多く作られるようになっていった。日本人の心から欲するものが自然と形になったもののように思われます。 その後歴史を刻むにつれて、ちょっとこりだして、心情をズバリと盛り込まず、風景そのものや、それを見つめる作り手の目線によって作り手の心情をあらわそうとするものが作られ始めた。そういう流れの中で、詩形そのものを短くし、まるで写真のように一瞬の場面を切り取り、それによって逆に豊かな心情を盛り込もうとしたのが、俳句なのでは、と思っています。俳句の方が想像の余地が広いのは、そういうことから来ているのかもしれませんね。
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- alchera
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すみません、また来ました(^_^;)。#2です。 >的外れでしたか・・( ̄▽ ̄;失礼しました。 ごめんなさ~い、そういう意味じゃないんですよ~。←そんな質問をするな!という意味では全くありません。 コメントに >ネタ(というのか?)を集める段階から違うのか、或いは表現が違うから違う歌になるという意味なのか とあったので、わたしなりに考えてみました。 はっきりいって「短歌向きのネタ」「俳句向きのネタ」というのはあるような気がします。それはでもあんまり自信ないし、大きな声では言えません。だって俳句作ったことないですもん。 後者に関してまた例えを考えてみたのですがどうでしょう? 詠いたいテーマを「桜」だとします。それを数字の10に置き換えてみます。 すると、たとえば俳句の場合、10を表すのに 5+5 短歌の場合 1+2+3+4(あ、この場合17字とか31字の文字数とは関係ありませんよ) であると考えればどうでしょう。合計すれば同じ10だから両者は同じ、と捉える人もいるかもしれませんが、韻文は表現がいのちだと思います。5が持つイメージを選ぶか1や2の持つイメージを選ぶか。 俳句と短歌が「違う」というのはこんな感じなのでは。 どちらが上ということは言えないと思いますが、難しいのは俳句の方だと思いますね~。俳句はとっつきにくい。 なぜか、と愚考しまするに俳句は言葉をよ~く知らないといい物が出来なさそう。やはり短さが制約になって、一つの言葉にいろいろなニュアンスを込めなければ深い作品にならないから。説明が出来る長さがないのですよね。(軽やかな作品にも良さはあるとは思うのですけれどね。しかしくわしくないのでよくわからない) 短歌は(こういってはなんですが)全くの素人さんが「下手だけれどいい」というものを作れる可能性がある気がします。俳句はまったくないとはいいませんが、短歌より可能性は低いのではないでしょうか。 事柄の定義に、「逆に」を使うのは実に反則なのですが、 長い間に短歌と俳句が混じらずに続いてきたことこそ、 >「同じ事柄を31文字と17文字で作るのは不可能」 の証明なのではないですか。可能だったらどちらか片方だけでいいのですもんね。 面白いテーマだったので私的に遊んでしまいました。少々気が引けておりますが、広い心で許してくださいね(^。^)。 ではでは、失礼します~m(__)m。
お礼
再びの回答ありがとうございます! 前半の俳句と短歌の違いについて考えてみたのですが、短歌は5つのパーツに分かれていて、音的にも俳句とはリズムが違うという事かと思ったのですが、どちらも5と7でできているため、長さが違う・・という結論にしか結びつかず、理解できてないかも知れません^_^; 短歌の方が素人でも手を出しやすい‥については、とてもよくわかります。物語の構成のような事もできると思います。 俳句と短歌が混じらずに続いてきた‥そうですね。 やはりどちらが優れてるというものではないのだと思います。
何か・・・俳句と短歌ではやはりリズムが全然違うようですね。 短歌は、いきなり核心に迫る表現方法が好きな方に向いているようです(俵万智さんもおっしゃっていました)。 俳句は、短歌に比べてだいぶ長いので、思いを“ちょっと”述べられるスペースがあるようで。 でも、両方お作りになる方は大勢いるようですよ。 ただやはり、どちらかの表現リズムに馴染んでしまうと、両者は全然違うものになるようです。
お礼
短歌の方が長いのにいきなり核心にせまる表現向き、というのは不思議ですね。 下の句がある分、大きく切り取れるのでしょうか。事実・出来事だけにとどまってないので臨場感も盛り込める気がします(間違ってるかも知れませんが)俳句の方が間接的で遠まわしな表現のような気がします。わかる人だけわかって・・といったカンジも受けます。 リズムの違いですか?とても奥が深いものなのですね。短歌にはチャレンジした事がありますが、俳句は作り方がわかりません・・^_^; 回答ありがとうございました。
- alchera
- ベストアンサー率45% (209/457)
そういう疑問をお持ちなることは、わかる気がしますがやっぱりちょっと的外れの疑問のようですよ(^。^)。 わたしも同じことを考えたことがありますが、いくら形が似ているにしても俳句と短歌は別のものなのです。17字と31字の差だけではないのですね。 多分わかりやすい例えだろうと思いますが(わたしの例えは時々かえってわかりにくくなったりします) 「走ること」というカテゴリで100メートル走とマラソンを比べるようなものなのですね。いや、マラソンというと極端かな。じゃあ100メートル走と200メートル走。たった100メートルの違いであっても100メートルを走る時の走り方と200メートルを走る時の走り方ではトップに持ってくるまでの違いとか、……詳しくないのでアレですが、他にもまあイロイロと、違いがあるはずなのです。 だから陸上選手が「やっぱり俺は100メートルが好きだなー、得意だなー」というように、作る人には自分は短歌、あなたは俳句、という好みがあって当然なのですね。 しかし時には100メートルも200メートルも自由に走る人がいるかもしれないし、本人は100メートルが得意だと思っていたのに、実は200メートルの方がいい成績を残せた……という人もいるかもしれない。 そこらへんがまた面白いところかもしれませんね。 実際に作ってみると違いがよりいっそうわかるかと思いますよ。ためしに同じ事柄を31字と17字で作ってみたらどうでしょう?わたしは、同じ事柄を同じように短歌でも俳句でも作ることはおそらく不可能だと思います。もうここで違いがはっきりするのではないでしょうか。 わたしは短歌の方をよく目にするのですが、色とりどりでスゴイ世界ですよね。(好きなのも嫌いなのもありますけど)わたしも現代短歌との出会いは俵万智さんでした。俳句の方はー、どなたが若手でしょうね?
お礼
的外れでしたか・・( ̄▽ ̄;失礼しました。 マラソンの例えはイメージしやすかったです。でも 「同じ事柄を31文字と17文字で作るのは不可能」 というのには驚きました。ネタ(というのか?)を集める段階から違うのか、或いは表現が違うから違う歌になるという意味なのか・・やはりまだわかってないようです。 回答ありがとうございました。
- tera2002
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私が思うに、俳句は575と本当にみじかい句の中で季語もいれいわゆる濃縮された言葉なのではないかと。 だから難しいと思います。 短歌はもう少し伸びやかにその歌の背景などもいれられる。短歌から俳句にいった方、その反対の方いろいろあると思いますよ。 結局はその方の感性がどちらを選ぶかだと思います。 わたしも両方勝手詠みしていますが、短歌の方が気持ちがいろいろ入れることができて好きかな? でも時々、すっきりとした俳句が詠めると俳句も言いなっておもいます。
お礼
難易度、それと内容ですか? そうですよね。俳句も短い言葉の外に伝わってくるものの多さに感動する事がありますが、俵万智さんなんか読んでると、短歌の盛り込み方(っていうか自由さっていうか)っていいなぁと思います。 私もちょっと勉強したいなぁと思いって以前短歌にチャレンジしてたので新聞の短歌の欄は見てましたが、俳句の欄は堅いというか、難しいイメージがあった気がします。でもどちらも作られる方ならそれぞれの楽しみ方がおありなんでしょうね。 回答ありがとうございました。
お礼
短歌のあとで俳句ができたんですか?(もしかして常識なんでしょうか?・・( ̄▽ ̄;) 簡潔でわかりやすい説明、ありがとうございます☆スパ~ッと霧が晴れたような気分です。うまくいえないですが、小説などでも好きという気持ちを好きという言葉を使わないで書いた方がよく伝わるような・・俳句ってそんなカンジなのでしょうか?表現に日本人ぽさを感じました^_^; 回答ありがとうございました!