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神が何をしてくれたのか?

神を信じていない人たちの理由としては、 神が一体我々に何をしてくれたのか? と、いうことがあると思う。 神は人間のどんな危機にも干渉しない。 誰がどんな目にあおうとも、正義が悪に負けようとも、 神を信じているものが、どんなに祈りを捧げても、 神はあらわれない。奇跡はおこらない。 神が人間をつくったのか、どうかはしらない。 偉大な力を持っているのならそれでもいいだろう。 が、しかし何もしてくれない神を崇拝するのはなぜか? 罪もない人が理不尽に事故や災害で死んでいく現実を 考えると、仮に神は存在したとしても、神は慈悲の心は 持ち合わせていないのではないか、と僕は時々おもう。 クリスチャンのかたに神が我々に何をしてくれたのか 教えていただきたい。 何卒よろしくお願い致します。

みんなの回答

  • taco8ch
  • ベストアンサー率7% (11/146)
回答No.6

質問 >神が何をしてくれたのか? 回答 >人間のどんな危機にも干渉しない でくれた。 >誰がどんな目にあおうとも、正義が悪に負けようとも、 >神を信じているものが、どんなに祈りを捧げても、 >神はあらわれない でくれた。 >奇跡はおこ さないでくれた。 加納姉妹の妹は加納クレタ。

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  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.5

回答1,神の御心は人間なんぞには到底理解出来ないのだ。     理解しようとすることなぞは傲慢である。 回答2,救済されるかどうかは、カルヴァン派の二重予定説によれば     神によって予め決定されているはず。     だから、何もしてくれない云々の問題提起は意味をなさない。 回答3,罪も無い人が、というが、罪云々は人間が勝手に創ったもので     神には関係の無い話である。     そもそも、罪が無い人間など、存在するのか。     理不尽に、というがその理不尽かどうかの基準も人間か勝手に     創ったものに過ぎない。     その証拠に、罪とか理不尽などというのは、時代や立ち位置によって     コロコロ変わるだろう。     

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noname#156290
noname#156290
回答No.4

そもそも、キリスト教は 「信じる者は、死後天国へ導かれる」 (但し、自殺は不可) という主旨、即ち 「死後救済」 が大前提ですから、貴方の文章にある様な 「現世利益」 (生きている内に何か良い事をして貰ったり、辛い事を減らして貰ったりする) を求める、そして与えられない事を嘆くのが、筋違いなのですが。 (勿論、「キリスト教を信じる『だけ』でいい」「散々悪い事酷い事をしてきても、最後に悔い改め、懺悔すればいい」という訳でもありませんが) もっと言えば、キリスト教が約束しているのは、 「魂そのものの救済」 であって、物理的物質的不幸や肉体的苦痛は勿論の事、「苦しい」とか「辛い」とか「悲しい」等は「感情」「精神」の領域ですので、「救済の対象外」でしょう。 (現世での事でもありますし) 「現世が苦しいのは仕方ない。しかし、キリスト教を信仰していれば、死後は天国へ導かれる(但し、自殺は不可)。だから、神を信じ、教えに従いましょう」 というのが、本来の姿でしょう。 「現世利益・救済」 (生前に、物質的に良い事がある) は語ってはいない筈です。 (「奇跡」は本来、イエス復活等の様に「滅多に起こらない」もの) 日本では、神社仏閣でお賽銭と共に「神様・仏様、どうか……して下さい」等とお願いするのが、正月の風物詩となっています。 しかし、本来は 「自分は……する・出来る様に誠心誠意、力を尽くします。それを神様・仏様に誓います。どうか見守って下さい」 という誓願をするものです。「神様に何とかして貰いたい」というものではなかったのです。 「苦しい時の神頼み」 とは 「日頃から信心し、お供えしたり、掃除をしたり、神様や仏様の為にお詣りしたりていればこそ、誓願を掛ける者を見守って力を貸す事もあるだろうが、 日頃は不信心なのに、困った時だけ神様を頼るなんて呆れ果てたものだ。 又、日頃信心している様でも、自分に利益を与えてくれるのを期待して 『自分が困った時には、どうか助けて下さい。自分の願いを叶えて下さい』 『日頃信心してやっているのだから、助けてくれ。願いを叶えてくれ』 というのは、愚かしい限りだ」 というものです。 七夕の短冊も、元々は「願い事なら何でも」を書く物ではありません。 「書(字)の上達」を願って書くものです。勿論、上達の為に日々精進し練習していての事です。

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回答No.3

 こんにちは。  何もしてくれない。もしくは 勝手に人をえこひいきするということをしてくれた。  こういうことだと思います。  不条理が――そして 条理も―― 無根拠にもとづくことを示している。  No.1の回答に近いのですが それでも《神》ということばは あって 人びとのあいだに持たれている。甘えられている場合もあれば ののしって捨て去るためにでも言葉として用いられている。  そのようにして われに還るきっかけを用意している。

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  • gadovoa
  • ベストアンサー率28% (835/2910)
回答No.2

神は何もしてくれません。 それが当たり前です。 神が人の言うことを聞く。 即ちそれは悪魔です。 神はあなたのそばにいるのです。 そして共に笑い、共に泣く。 そしてどんな悪人や善人の人の上にも太陽を照らし、 雨を降らせてくれる。 それだけです。 >神は慈悲の心は 持ち合わせていないのではないか、と僕は時々おもう。 慈悲とは人が作った都合の良い感情です。 神はその上にいます。 人間の感情に惑わされるようでは、 それは人であり悪魔です。

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  • Cupper-2
  • ベストアンサー率29% (1342/4565)
回答No.1

無神論者ですが回答してみましょう。 責任転嫁の最終的な押しつけ先を提供してくれた。 …ちがう?

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