• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ひとつの宗教のみが正しい根拠とは)

ひとつの宗教のみが正しい根拠とは

このQ&Aのポイント
  • ひとつの宗教にこり固まっている人たちとの話し合いで、日蓮宗系の人たちが、日本人が全員、法華経に帰依しなければ日本が滅ぶと主張しています。しかし、問題はその根拠であり、自分たちの経典を根拠にする一方で、他の宗教も同じような主張をしている場合、対話や理解の方法はどのように成り立つのかという疑問が生じます。
  • 私は彼らに対し、自分たちの経典だけを根拠にするならば他の人々との対話や理解が成り立たないのではないかと指摘しました。釈迦がたとえ話を多用したのも、相手にも分かるような議論の進め方が必要だからです。しかし、彼らは自分たちの経典が正しいからと話がかみ合わなくなりました。
  • 質問は、どうしてこのような状況が起こるのか、彼らが他人を説得したり納得させたりすることを放棄しているのかを問っています。それぞれの経験と立場からの回答を求めています。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hisya
  • ベストアンサー率22% (65/285)
回答No.12

宗教への基本的な考え方に二つのタイプがあります 宗教排他主義VS宗教多元主義です 宗教排他主義とは基本的に正しい宗教は一つという考え方です キリスト教など一神教はこれになりやすく正統と異端の争いをします 仏教でも法華経系で自分たちが正法で他の宗派や宗教を認めないこともあります 宗教の伝道者や民衆の信仰者はこれが多いです=確信があり押しが強いです 宗教多元主義は宗教の本質が一つで宗教の表現はいろいろという考え方です キリスト教でも仏教との対話を目指すところもあります(特に禅系と共存しやすいです) 日本の神道は基本的に宗教同源であり宗教帰一の考え方です 昔は神道と仏教が習合していました、神社に仏像があったのです 宗教の学者やインテリの信仰者にはこれが多いです=学問があって寛容的です >日蓮宗系の人たち(女性)で、日本人が全員、法華経に  帰依しなければ日本が滅ぶとのこと。 日蓮の「立正安国論」によるのでしょう。同じようなことを述べてます 鎌倉時代の話です。この後に元寇があったので予言の一部が当たったようです >私が「世の中には色々な宗教があり、その数だけ  経典や聖書のたぐいがありますね。その人たちも  あなた方と同じように「自分らの経典」だけを根拠として  自分らが正しいと言い募るならば、その両者のあいだに  どうやって対話が成り立ちますか? 宗教多元主義のような考え方ですが(宗教を同列に扱う) 相手はそのような考え方をしないです 宗教への基本的な考え方があなたとは違うのです 宗教排他主義の人は世の中の色々な宗教のなかて 正しい宗教がひとつあり、その他の宗教は間違いと考えます 自分の宗教が正しいなら、その他の宗教は間違いになります 何故ひとつの宗教のみが正しいかは彼らには自明のことです 真理は一つだからです→ある宗教と別の宗教の両方が正しいことはない 宗教排他主義の人は他の宗教との対話が成立しません 他の宗教を認めないので対話するつもりもありません 説得や改宗をさせようとするときは他の宗教の間違いを指摘します しかし、相手も負けていずに反論して論争になります こういう宗教の議論が不毛なのは経験的に分かっています だから、宗教の議論を避けるのが社会の常識になっています

arakan
質問者

お礼

なるほど。分類すれば宗教排他主義であり  そもそも彼らは対話を目的としていない!  驚きですね。  最後の  <だから、宗教の議論を避けるのが社会の常識になっています>  という部分。  これも驚きですね。  しかし、まあ相当の確率で事実なのでしょうね。  

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (12)

  • 23567
  • ベストアンサー率27% (327/1182)
回答No.2

日蓮宗は統一性が無いですよ。 法華経は一つですが… 日蓮が指名した6人の僧に渡り、門流ごとに別れ他宗を攻撃、門流でも対峙してるし… 真言宗、浄土宗は他宗を攻撃するような経典の教えでは無いです。 法華経は素晴らしい経典だと思いますが、布教活動するトップが理解出来てないし間違えた説法してますね。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.1

> 彼らは他人を説得したり納得させたり(中略)を放棄しているのでしょうか? はい。そうです。 ここでいう「彼ら」とは、日蓮宗系の信仰就航の信者という意味ではなく、知性、教養がなく、意見を異にする人達との議論の能力がない人達という意味です。 若いアメリカ人青年と話していて、同じようなことを感じたことがあります。彼らは日蓮宗系列の新興宗教ではなくて、アメリカ発祥の一神教の信者で、18歳から(何も判らないころから)海外での布教活動の従事しておるそうです。

arakan
質問者

お礼

やっぱり放棄してるのでしょうか?  それにしては、このままでは(法華経に改宗しない限りは)  日本は滅びると断言され  → 折伏こそわが使命という意気込みは感じられるのですが?  謎ですね

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 創価学会の法華経経典の存在、位置づけ。

    創価学会の法華経経典の存在、位置づけ。 南無妙法蓮華経の題目で、妙法蓮華経(法華経)を南無(帰依、信心)するわけですが、 どうして、法華経を実際学ばないのでしょうか?(学ばせないのでしょうか?) 「南無御書」のような気がします。 法華経経典は教義上どう扱われているのでしょうか?また、どういう位置づけなのでしょうか?

  • 法華経が優れているのはなぜですか?

    法華経の価値を認めている方へ質問させてください。 法華経は,数ある経典の中でも優れていると聞いたことがありますが,どのような点で優れていると思いますか。 どうぞ宜しくお願いいたします。 なお,特定の宗教団体の宣伝や,中傷,法華経への非難の書き込みはご遠慮ください。 真摯なお答えのみ,お願いいたします。

  • 釈迦と法華経の本当の教え

     なるべく簡単な質問にしたいと思いますので、要点を絞ってお答え下さい。また、質問者の無知をご了承の上でお願いします。  本題ですが、釈迦(ブッダ)の本当の教えとは根本的に何なのでしょうか?  彼の死後、たくさんの経典が作成され、日本でも幾つかの宗派が誕生しました。特に気になる物に、法華経があります。  法華経は釈迦の説いたものと一致するのでしょうか。日蓮が釈迦の教えを基に新しく作り上げた仏教といえるのでしょうか。  それ以外でも、釈迦のおっしゃったことをそのまま正しく伝えているもの(部分)は何なのでしょうか。  的を絞って、難解な言葉はなるべく避けて頂き簡潔にお答え願います。  

  • 釈迦は読経や護摩を勧めなかった?

    釈迦は、呪文(読経)や焚き火(護摩)を勧めなかったらしいですが、その根拠となる仏典はどこに在るでしょうか。 「護摩を焚いて清まるならなぜ鍛冶屋がカーストの最下層にいるのだ?」とかおっしゃったらしいです。 経蔵: 1. 長部経典    34経 2. 中部経典   152経 3. 相応部経典 7762経 4. 増支部経典 9557経 5. 小部経典    15経      総計 17520経

  • 彼が宗教(法華経?)にはまり始めています。

    詳しくはわかりませんが法華経が関係あるようです。 会社の同僚に誘われ、深夜バスなどで集会に出かけています。 法華経のこともよくは知りませんが その宗派を語ってカルト宗教に入団や おかしな事に巻き込まれないかと心配してます。 わたしはご利益宗教は嫌いですし、集会などに参加して ほしくありません。 法華経に属する団体とかあるのでしょうか?? 集会に参加して、つぼを買わされてた人もいたそうです。 彼はお金は出さないといってますが、だまされやすいたちなので 心配です…。 詳しくご存知の方、アドバイス下さい。。

  • 末法思想の根拠・起源は?

    無宗教ですが、仏教を勉強中のものです。 末法思想が浄土信仰(のちの浄土宗・浄土真宗)や日蓮宗の成立に大きくかかわっていますが、末法思想の根拠・起源は何ですか? 日本だけのものですか?外来のものですか? 布教のテクニックとして、末法とか世紀末とかの終末論で大衆の危機感を煽るのはわかるのですが、そういう意味ではなくて、どの経のどの記述が末法思想の根拠となっているということを知りたいです。 ある書籍では、正法=紀元前949年~、像法=52年~、末法=1052年~、と読んだのですが、こういった時期の根拠は何ですか? 法華経で示された釈迦の永遠性と、末法思想とは矛盾しているように思えるのですが、これはどう解釈したら良いのでしょうか? 「法華経入門」(菅野博史著)から該当箇所(P.70)を引用します。 『如来寿量品第十六では、弥勒菩薩の地涌の菩薩に関する質問を受けて、釈尊は自身が成仏したのは今世ではなく、五百塵点劫というはるか遠い過去においてであることを明かし、あわせて未来も不滅であるととく。つまり、「法華経」の中心思想の一つである「永遠の生命をもつ釈尊」の像が明らかにされる。』 お答えの際は、差し支えない範囲で、ご自身の宗教・宗派を書いていただけると助かります。

  • なんで「五時八教の教判」なんかを多くの人が信じているのか?

     自民党は、相変らず公明党と連立政権を組んでいます。  この民主主義国家のはずの日本で、カルト宗教政党が日本の「与党」となって政治を動かしている現状に、実に寒々しいものを感じます。  さて、創価学会についてですが、彼等は自分達の宗教だけが唯一絶対の正しい教えで、他の宗教は、仏教系他宗派は「邪宗」,キリスト教などの他宗教は「外道」などと呼び、滅ぶべき宗教だと主張しています。  どこからそんな誇大妄想のような思想が出てくるかですが、大元を探ると、「五時八教の教判」という思想に行き着きます。仏教の開祖・釈尊(いわゆるお釈迦様)は、一生の間に5つの段階を経て教えを説いた、というものです。世の中に経典の数は多く、内容的に矛盾したものが多い。それは実はいきなり真実の教えを説いても人々が理解できないので、段階を追って説いたのだ、そして最後に説いた「法華経」こそ真実の経典である。その法華経の正しさを説いた“日蓮聖人(などと私は呼びたくないが)”こそ真実の仏だ。…というのが創価学会の主張であり、学会員はみんなこれを唯一絶対の事実として信じ込まされています。  しかし、自分達が何を信じようが勝手ですが、現在は「大乗非仏説」すなわち大乗仏教経典は、釈迦が説いた教えではなく、釈迦の死後数百年後にさまざまなグループによって各々創作された“フィクション”の産物だということが、学問上,歴史学上の定説になっています。作者がそれぞれ異なるのですから、内容に矛盾があって当然です。一方「五時八教の教判」が歴史的事実だなどという主張には、何の学問上の根拠もありません。まことに馬鹿馬鹿しい限りです。  何で、世の中の仏教学者・歴史学者はこのことをもっと世間に訴えないのでしょうか? 真実を知れば、現在の創価学会員の半分は脱会してしまうかも知れません。公明党だってなくなってしまうかもしれないのに…。

  • 無宗教の人間としての道徳の根拠は何でしょうか?

    宗教を熱心に信じてる人は その宗教の教理が道徳の根拠に成るのかもしれませんが 宗教を信じてない人の道徳の基本、根拠は何にあると思いますか? 日本人などは宗教を熱心にやってない人も多い様です そういう人も道徳というか行動の規範として 自分のポリシーなり考え方があると思います そういう人にとっても参考になると思うのですが。 貴方はどういう根拠で道徳なりポリシーを持っていますか? どうかよろしくお願いします。

  • 新興宗教?因縁切りや究極の教えについて聞きたいのですが

    誘われたのですが。 調べてみると元々は霊友会に所属していた人?らしいのですが 新しく創設したみたいです。これっていわゆる新興宗教ですよね? 霊友会も新興宗教なのですか? 新興宗教というのは大元の宗教をアレンジしたものですか? それとも教えが全く違うものなんですか? 法華経を唱えれば先祖供養になる、そして一人勧誘(導き)すれば 一人の先祖が供養でき、因縁切りができるという教えだそうです。 この教えがよく分からないというか、うさんくさいと思っています。 ちなみに会費は安くお布施は一切ないそうです。(どうやって運営しているんだろう?) そもそも因縁切りって何ですか? 法華経について検索をしていると日蓮宗を創設した人が 「釈迦の究極の教え」として法華経を作ったようですが(違いますか?)あの、「究極の教え」ってどんな教えか教えてください。 全くの無知で恥ずかしいのですがよろしくお願いいたします。

  •  「法華経」に違和感を感じてしまいました。

     「法華経」に違和感を感じてしまいました。  私は、仏教に興味を持ち「スッタ・ニバータ」、「アーガマ」、「仏教の思想1~8」(角川ソフィア文庫)、「この人を見よ=ブッダ・ゴタマの生涯」(増谷文雄著)その他諸々の仏教関係の本を読み独学している者です。この度、現代語訳「法華経」(中村元著)を読んだ時に、かなりの違和感を感じてしまったのです。  原始仏教の経典等からは、ブッダ・ゴータマは、仏陀であるけれども正しく「人間」であると感じられます。また、悟りを開くには縁起を良く理解し、四諦八正道を実践する事だと説いています。また、晩年自らの死を前にしては、自分も諸行無常の理から免れる事はないので、やがて死ぬであろう。しかし、死後は「法」を拠り所として、修行せよと弟子たちに語っています。  しかし、「法華経」に登場する仏陀は、自分は「久遠仏」であり、過去、現在、未来において永久に存在する、とか。仏国土は永遠である、とか。法華経のみが真説であり、他の経は方便だ、とか。法華経を読んだり仏像を作ったり、礼拝すれば仏の慈悲により悟りを開ける、とか。甚だ原始仏教の内容とは矛盾しますよね。諸行無常なら、仏陀とて永遠の存在ではないし、諸法無我ならば、仏陀とて実体がないのではないでしょうか。  よって、「法華経」は、仏陀を人間ではなく神格化して信仰の対象とすることによって、仏教の大衆化及び教団の強大化を目指すために当時の弟子達が創作したものではないのだろうかと考えるようになりました。悟りを開くには、難解な法を理解し大変な修行が必要と説けば、一般庶民には受け入れられませんからね。  ここで、質問です。  (1)「法華経」は、弟子の創作だと思いますか。  (2)最澄、道元、日蓮などは、「アーガマ」等の原始仏教の経典を読む機会が無かったのでしょうか。  念のため、言って置きますが、私は「法華経」は宗教的には優れた本だと思っていますし、法華経を信心している人を批判しようという意図は全くありません。