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江戸時代、苗字を持っていなかった人の割合は

Verhaltenの回答

  • Verhalten
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回答No.4

むしろ、苗字を名乗ろうとしない平民に苗字を名乗らせるのが 平民苗字必称義務令です。 飛鳥時代には私地私民制が普通であり、曲部と言う私民が普通でした。 大伴氏の私民も大伴部と言う苗字を持っていました。 これが奈良時代になると公地公民制になり、 困窮の極みへと進みます。 江戸時代の知行は土地と、そこに住む百姓を貰う物ですから 公に苗字を名乗る事は禁止されていました。 しかし、苗字御免者以外でも寄進の時は公に名乗るのは許されましたから記録があります。 (小川寺の梵鐘の寄進) http://www.city.kodaira.tokyo.jp/kurashi/022/022836.html

yoshinobu_09
質問者

補足

ありがとうございます。 「近世の百姓は、誰しもが苗字を持っていた。しかし、一部の者を除き、苗字を公称することは禁じられており、彼らが苗字を用いるのは、武士の関わらない村の仲間どうしの、どちらかといえば私的な場面に限られていた。そのため、彼らの苗字が記録に残されることは少なく、私たちの目にとまりにくくなっているのである。」 というのが紹介されていたサイトのまとめですね。

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