小説の解釈-モウリさんの疲れかた

このQ&Aのポイント
  • どんなに疲れるだろうかという意味なのかとおもうのですが、どうして、こういう表現をするのでしょうか?小説なので作者の方の表現方法なのでしょうか?それともこのような表現方法があるのでしょうか?日本語に詳しい方教えてください。
  • 小説の中で引用された文「逃げることよりも、逃げるために置いてきたものを思うのが疲れるんだ」という文の最後の「疲れかたをや、だろう」という部分の解釈に困っています。この表現は作者の表現方法なのでしょうか?どういった意味なのか教えてください。
  • 引用文の最後の「疲れかたをや、だろう」という表現が意味するところがわからないのですが、これはどういう意味なのでしょうか?小説の解釈を教えてください。
回答を見る
  • ベストアンサー

小説の解釈

どなたのなんという小説かもわからないのですが、引用文の最後、 「疲れかたをや、だろう」という文の解釈に困っています。 <引用> 「逃げることよりも、逃げるために置いてきたものを思うのが疲れるんだ」 と言った。 モウリさんはどうやら置いてきたものが多いらしかった。 わたしは、一つ二つしか、置いてきたものはない。 その一つ二つでさえ持て余しているのだから、モウリさんの疲れかたをや、 だろう。<引用終> 「どんなに疲れるだろうか」という意味なのかとおもうのですが、どうして、こういう 表現をするのでしょうか?小説なので作者の方の表現方法なのでしょうか? それともこのような表現方法があるのでしょうか?日本語に詳しい方教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.3

 「をや」には、単純な強調の使い方もあるのですが、「疲れかた」のような名詞に強調用法の「をや」が付くことはないはず。  もうひとつ「をや」の用法は、「反語」です。「疲れナイことがあろうか!」→(当然、疲れるよ)  1番さんも、この使い方に疑問をお持ちのようですが、私も、この用法はおかしい(ふつうではない)と思います。気持ちは分かるような気がするのですが。  ふつう、反語の使い方の前には、直前に、程度の低い場合が直接的な言葉で提示されます。つまり、「疲れ」という言葉は前の文に来るべきです。  新しい日本語を創造しようという確信犯的行動でないなら、同じようにするべきです。 -------  私は一つ二つしか、置いてきたものはない。  その私でさえこれだけ"疲れ"るのだ。  『いわんや、モウリさんにおいてをや』 だろう。    (→すごく疲れないはずはない、だ) -------  意味は、御推測の通りの ようなふうに受け取ってほしいのでしょう。   ゆえに、 > どうして、こういう表現をするのでしょうか?  の回答として思いつくのは、3種だと思います。 (1) 作者が、日本語(この場合は漢文由来ですが)をあまりよく知らなかった。 (2) なにか、書いているうちにフッと小難しい用語を使って、知識をひけらかしてみたくなった。 (3) 地の文の語り手が、そういう小難しい用語を使って一人悦に入るキャラクタである(作者の設定)。  言葉は難しい。  ベテラン小説家でも時々は間違える。  いわんや、新進小説家においてをや。  (新進小説家が間違えないことがあろうか!/反語)→(いや、当然、間違える)

smp0520
質問者

お礼

丁寧に説明してくださってありがとうございます。 ベストアンサーにさせていただきます。

その他の回答 (2)

  • emaxemax
  • ベストアンサー率35% (43/121)
回答No.2

>「どんなに疲れるだろうか」という意味なのかとおもうのですが、 そうですね。 例示の場合の「をや」は まして…においてはなおさらである。…はいうまでもないことである。 というような意味です。 漢文訓読からの用法で、日本語としては別にめずらしいものではありません。

smp0520
質問者

お礼

なるほど。漢文からきてるのですね。ありがとうございます!

  • bakansky
  • ベストアンサー率48% (3502/7245)
回答No.1

用法としてふさわしいかどうかは別にして、書き手の意図としては、「私などは、その一つ二つをさえ持て余しているのだから、ましてやモウリさんの疲れ方といったら、並大抵ではないだろうと想像できる」 ということを述べたかったのだろうと思われます。

関連するQ&A

  • この引用はどの小説でしょうか?

    以下の引用文がどの小説か分からないのでご回答よろしくお願いします。 ↓ 「神様を信じてゐて悪いことをするはうが、信じてゐないでするよりもすてきぢやなくて。」 作者は三島由紀夫です。

  • 引用をしていい、現代の日本語の小説

    僕の日本語学習のブログに日本語の小説の引用と英訳とその解説を載せたいのですが、引用を許される作品はなかなか見つかりません。青空文庫の小説は引用してもいいかもしれませんが、もうちょっと新しくて現代の日本語の小説を使いたいです。 残念ながらhttp://pdfnovels.netとかの作品は無料で読めるのに著作権で引用しちゃはいけないみたいです。 日本語学習の為に使える小説をご存知の方ぜひ教えてください。

  • 個人HPで公開するオリジナルマンガ内で、小説からの引用をしたいです。

    個人HPで公開するオリジナルマンガ内で、小説からの引用をしたいです。 無料の個人HP上で公開するオリジナルマンガ内で、書籍(小説の単行本)からの引用したいと思っているのですが、大丈夫なのか教えてください。 自分なりに調べてみた結果、きちんと表記すれば大丈夫かとも思ったのですが、このようなケースは見つかりませんでしたので質問させていただきました。 また、いくつか分からない点もあります。 お詳しい方がいらっしゃったら、どうかよろしくお願いします。 (1)本好きのキャラクターの台詞内などで、現実の書籍から文章を引用したい(日本のものと、または外国のものを日本語訳されているもの)。量は、多くて1文~5文程度。 台詞の近くや引用されているページのところに、「著者名、(訳者名)、書名、出版社、出版年」を表記するつもりです。 (2)「『作者名』は、『書籍名』を書いている」「『書籍名』をこう思う/好きだ」のような、作者名・書籍名を台詞などに含みたい。 批判するわけでは決してありませんが、その作者や書籍に対する考えといいますか、感想のようなものが中にはあります。 このような時、どうなるのでしょうか? (1)のように、何かしら表記したほうがいいのでしょうか。また、どう表記すればいいのでしょうか。

  • 自分で解釈する小説

    最終的に自分で解釈する小説をいくつか教えて下さい。 よく小説でも最後まで明言しないでうやむやになってて Aが犯人ともとれる、Bも犯人ともとれる 実はこうなんじゃないか?とか自分で読み返して解決するような難解な 小説を教えて下さい。

  • 定義や意味についての解釈

    いま日本語を勉強していて、ちょっと質問はありますが、皆様に聞いていただきたいです。 日本語では、対象を定義すると意味を解釈するについてどんな表現がありますか?「って」「とは」を除いて、ほかの表現はありますか?特徴と区別は何ですか? 日本人の皆様、お願いします。

  • 小説の表現について

    趣味で小説を書いていますが、もっといろいろな表現方法を勉強して幅広い表現ができるようになりたいと思っています。 そこで、小説で使われるような難しい表現や日本語を勉強できるホームページを紹介して欲しいです。 具体的に言うと同じ見るでも「見る」「見つめる」「睨む」「見据える」など色々な言い方を小説ではしますがそういったボキャブラリーをもっと豊富にしたいので。お願いします。 国語辞典を地道に引いたり、小説を読むのも有効だとは思います。普段読んでるんですが、なかなか身につかないので。

  • 文章力の無い小説を教えて下さい

    質問タイトル通りです 文章力の"ある"ではなく"ない"小説を探しています 文章力とは、一般的な意味での、語彙力や表現力等の意味でです ですが、できれば日本語崩壊ギリギリレベルの小説を読みたいです (文法からしておかしいような) 作品を多くあげてもらえると助かります

  • オススメの日本の推理小説

    日本語を勉強中の中国人です。日本人作家が書いた推理小説で、オススメがありましたら、教えていただけませんか。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

  • 「話」らしい話のない小説 の解釈について

    芥川龍之介の「話」らしい話のない小説を読んで次のような疑問を持ちました。 (1)「話」らしい話のない小説とは何か (2)作者が価値があると見ている「話」らしい話のない小説は、何において"最上ではない"のか。 (3)「話」らしい話のない小説のよさ (4)この話を通しての芥川龍之介の主張 なんとなく、「話」があらすじや筋書きのようなものを表していることはわかりました((1))。必ずしもあらすじの「面白さ」が小説の芸術的価値を決めるわけではないということでしょうか((4))。だけど、(2)と(3)についてはいまだによく分からなく、作品の解釈があいまいです。 どなたか解説していただけないでしょうか>_<;

  • 小説中のダッシュの使い方

    よく小説などで、話し言葉を表現するとき、かぎ括弧(「 」)をつかうかわりにダッシュ(――)をつかうことがありますが、このダッシュの使い方のルールがわかりません。たとえば、 1)ダッシュの位置  文の前に使うのが正しいのか   例)――そういうことだったのか。  それとも文の後に使うのが正しいのか    例)そういうことだったのか――。  あるいは文の前と後に一つずつ使う方が正しいのか、   例)――そういうことだったのか――。 2)かぎ括弧とダッシュどちらも併用して使用する場合の、使い分けかた、 3)また、声に出す会話でなくても、頭の中の考え事を、文中にさしはさんで表現する際にもよく使われているように思いますが(ドイツ語でいうGedankenstrich)、それを日本語の文中で使う際の正確なルール ・・・等がわかりません。 日本語エッセーや小説などでダッシュを使う際の正確なルールをご存知の方、いらっしゃいましたら、どうかご教授ください。さらに参考になる説明サイトなど教えていただけましたら、最高です。