教育の定義とは?確認してください

このQ&Aのポイント
  • 教育の定義は時代や歴史、場所によって異なります。時代によって必要とされる知識や教育方法も変わるため、柔軟に適応する必要があります。
  • 現代の教育は国が主体となり、将来の国を築く人材育成が重要です。政治とも密接な関係があり、国にとって大きな利益をもたらします。
  • 教育の定義は歴史的にはさまざまな時期に成立しましたが、具体的な時期は答えることができません。教育の変遷は時代によって異なります。
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教育の定義(レポート)

レポートを書くために、僕が述べた教育の定義に対して 1.同意できる点 2.反対の意見 3.その定義は歴史的に見ていつごろ成立したか これを答えてほしいです。 教育の定義(事実)  教育の定義は、時代や歴史、場所によって違う。それは、時代によって人々の価値観や文化は違うため、必要とされている知識や人物や、教育の仕方も違ってくるのは必然である。なので時代によって教育の定義は臨機応変に変えていかねばならない。 教育とは何であるべきか 現代の教育は国が主体となって行うべきである。現在教育は政治と密接な関係を持っているため、将来の国を創るような人材育成をするのが、我が国にとって大きな利益になる。 それぞれ、答えてください、よろしくお願いします

質問者が選んだベストアンサー

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  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率62% (956/1528)
回答No.2

教育の定義 1(同意できる点)時代や場所、価値観や文化の違いによって、いろいろな教育がある、というのは事実だと思います。 2(同意できない点)ただ、それは教育のなかみが違うということで、教育の定義がいろいろあるということにはなりません。たしかに、教育は宗教などと同じく、価値観と切り離しにくいものですから「教育とはこういうものであって、それ以外は教育と呼ぶに値しない」みたいなことが言われたりするわけですが、それは「定義」という学問上の行為ではなく、特定の思想の表明でしかありません。教育を定義するということは、時代や場所、価値観や文化の違いを超えて共通する「教育」というものの本質を、学問的、客観的に明らかにすることだと思います。 3(成立時期)時代を超えた本質なので、いつ成立したというものではありません。 教育とは何であるべきか 1(同意できる点)国益のために国家が教育を主導するべきだというのは、その通りだと思います。 2(同意できない点)「政治と密接な関係を持っているため」という部分は文意が通らず、意味不明です。教育の成果が国益と密接に結びついている、というのならわかるのですが、政治と教育が密接な関係にあるということと、教育の成果が国益に資することとは、それぞれ別の問題です。政治家がバカぞろいで、支離滅裂な教育政策を推進していたら、国益どころではありません。そういう事態を防止するために、教育を国家が主導するとしても、独立性の高い専門的な国家機関などを介在させて、政治とは一定の距離を置く必要があると思います。また、国益が国民の利益になるとしても、個人としては国益のために生きているわけではありませんし、何が国益になるかというのも必ずしも明確ではありませんから、あまり国益を重視しすぎるのも、かえって弊害が大きいと思います。

atatyuruku
質問者

お礼

詳細な説明、ありがとうございます。 まだまだ文章の書き方を知らないので、言葉足らずでした。 参考にさせてもらいます

その他の回答 (2)

回答No.3

教育臨床論の視座で回答したい 小生なら以下のように記述するだろう (1)教育の定義(事実) 教育の定義は、時代や歴史、場所・社会習俗・個人の価値観によって多様なものである。 教育は”社会が教育に要請する事象”に対する真摯な姿勢・柔軟性を持つことが望ましいものであるが、要請に対する教育対象の効果発現については短期的視座ではなく、時には中長期的視座を持つべきものであろう。 一方、社会要請と教育対象のベネフィットの緊張関係を常に念頭にして思慮し、教育することが望ましい。 (2)教育とは何であるべきか  現代の教育主体は様々な選択肢が存在しえるものであるが、教育主体の適否は、教育客体の効果を最大化するものを選ぶものである。 最終的には、当事者・当事者の周辺などの意向・意思が尊重されうるべきものであろう。 なお、本命題は、教育客体が思慮するべきものであって、その能力がない場合においては、客体に対する社会責任を負う存在の意思が第一義になる。 1、2は述べない、なにより、1,2を学ぶのが教育の本質なのであるから なお、上記した教育観は、すでに諸種の教育法(国際人権法・国内教育法)の類推解釈から導き出されたもので、成立年代は、1970年ころにはほぼ確立している これを否定する教育法は存在しないだろうことから、適切ではないにしても、不適切と言われる謂れは教育法上にはありえない・・と思われる 以上

atatyuruku
質問者

お礼

私の定義をさらに膨らませたものですね 参考にさせていただきます

  • edomin7777
  • ベストアンサー率40% (711/1750)
回答No.1

門外漢からの意見なので、参考にもならないと思いますが…。 1.同意できる点 > 時代によって人々の価値観や文化は違うため、必要とされている知識や人物や、教育の仕方も違ってくるのは必然である。 2.反対の意見 > なので時代によって教育の定義は臨機応変に変えていかねばならない。 教育の方法は時代によって変えていく必要が有ると思うが、教育自体の定義(根本)は普遍。 > 現代の教育は国が主体となって行うべきである。 教育の定義が記載されていない。記載されているのは、現代における教育の方法だけ。 まさか、「国が主体となって行うべきである。」が教育の定義じゃないよね? > 現在教育は政治と密接な関係を持っているため、 根拠がない。

atatyuruku
質問者

お礼

言葉足らずでした まだまだ改正しなければなりませんね

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