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蜂須賀家ってどの様な家柄でしょう?

まず蜂須賀正勝が秀吉に仕え”墨俣城の築城”で尽力し秀吉の家臣団の中心人物となりますが,その後の合戦でほとんど名前がでてきません。 次にでてくるのが本能寺の変の時,高松城の後始末に登場するくらいです。 その他では,加藤清正等を秀吉に推挙?する逸話が聞かれるくらいで,余り歴史に登場しません。 又後に太閤記などで,盗賊扱いされて書かれるなど軽視されていたのでしょうか? ただ彼の息子(家正)は四国征伐後に阿波を貰いますが,本来は正勝がもらうはずだったと言われています。 これは秀吉に評価されてたからですよね? 質問1:蜂須賀家の豊臣内での位置づけは?     (情報収集担当で,家康にとっての服部半蔵のような存在だったと聞いたことがあります。)     正勝は秀吉の出世を側で見続けていながら,どんどん後輩に追い抜かれて行ってますが心中どうだったのかな? その後の混乱(豊臣vs徳川)を世渡り上手?でくぐり抜け,家康に”阿波の狸”と言われましたが,徳川の時代になって阿波に加えて淡路島を余分に拝領しています。 そして幕末まで,嫡子が居なくても幕府に相談し養子を迎えるなどをして生きながらえています。 ※養子を迎えた時点で乗っ取られているのかも・・・ 幕末の混乱期を越えて明治時代に貴族として名前がでてきます。 質問2:戦国大名から幕末まで存続し続けた大名家ってそんなに無いですよね?     なぜ存続し続けられたのでしょう? 質問3:現在も蜂須賀家って存在するの?

みんなの回答

  • sgi1962
  • ベストアンサー率12% (46/367)
回答No.3

質問3:現在も蜂須賀家って存在するの? 確か戦後、断絶したと、、。 直系の子孫が米国移住とかで散ってしまい 国内の子孫は最後はアパート暮らしの女性だったと記憶してます。

  • teinen
  • ベストアンサー率38% (824/2140)
回答No.2

1 蜂須賀正勝(小六)は,四国征伐の頃には病気をおして出陣したものの,その後,病床に伏したために,子の家政が阿波17万6千石を拝領しました。ということで,秀吉の天下取りの早い段階で表舞台から去っています。竹中半兵衛や黒田官兵衛が軍師として付くまでは,秀吉の側にいたようです。   2 戦国大名から幕末まで存続した大名家は,伊達・佐竹・上杉・織田・前田・毛利・山内・浅野・池田・島津・京極・真田・藤堂・丹羽・鍋島などなど,結構明治まで続いて華族に列せられています。 3 残っているのではないでしょうか。

回答No.1

近くの中学校長が、 蜂須賀 姓でした。 現在は、退職。

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