• 締切済み

人が子供を作る場合、大抵倫理的に狂ってませんか?

私はどうも子供を自分たち(夫婦)のために作ったりするケースが多いと思うのです。 しかし、本来は生まれてくる子供のことを考えて、「この世に生まれることは子供自身にとって有益であるし~」といったような考えの末に生むべきなのではありませんか? お願い 回答者は非唯物論者であることを前提に話してますので、基本的に回答は非唯物論者の方にお願いします。 倫理的に正しいとする意見の方は死についての考えと幸福の位置づけを書いてくださると助かります。

みんなの回答

  • alterd1953
  • ベストアンサー率20% (239/1173)
回答No.6

 倫理的に狂っているとまで言えるかどうか分かりませんが 確かに私も、この世に自分の子供を生みだして良いのかどうか迷いました。 私は総じてこの世が嫌いだからです。 そして「自分の子供を見てみたい」から子供を作ったのは私のエゴです。 ただ、私にも好きな人と好きなものも僅かながらあります。 それを支えに生きております。 子供にもそれを期待しましたが、不安が的中して引きこもりになってしましました。 人生最大の失敗です。  しかし、子供はもうすぐ30才になりますが、ようやく友達ができ なんとか世の中に出ようとしております。  子供が自立でき僅かでも生きることに喜びを見出してくれたら 私は思い残すことはありません。  子供を作ることが倫理的に正しいかどうか厳密には肯定できませんが 子供を作ることがごく一般的であることを踏まえて言えば 「死」は「老い」がある以上、究極の救いであると考えます。 よぼよぼ、かつ苦痛のなかに生きていても仕方ありません。  「幸福」とは自分が価値を置く「文化」に生きることだと考えます。 私の場合は音楽、映画、本です。 結論は出せませんでしたが、ご参考になれば。

314h
質問者

お礼

私には体験したことがないのでよくわからないのですが、実体験をわざわざ話して下さりありがとうございました。

314h
質問者

補足

私もここで色々な考え方を見させていただいて狂っていると書いたのは回答者を集めるためにしろ言い過ぎだと感じました。 不快でしたら申し訳ない >「死」は「老い」がある以上、究極の救いであると考えます。 よぼよぼ、かつ苦痛のなかに生きていても仕方ありません。 すみませんがここの意味が理解できませんでした。

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回答No.5

倫理なんて判断基準の中では大した位置づけではない。仮に有益という座標軸を 判断基準とするならば、誰にとってなのかそこが重要だと思います。自分たちのために 子供を産む、それが子供のためにもなる、それでいいんじゃないだろうか。また、「有益」 と判断できるのは当人の人生が終焉を迎えた時ではなかろうか。 子を産み育てるのは生物の本能です。それを価値的な方向へ持っていくためには それに不可欠な物を日々の生活で各々が見つけるべきでしょう。 この質問は、家族経営というより人生経験が貧弱な者の戯言のように感じました。 俺の勘違いであることを祈りたいです。 あと、「死についての考えと幸福の位置づけ」が漠然としすぎていて何とも言えない。

314h
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

314h
質問者

補足

色々な回答や自問自答があって考え方が変わりました。 そうですね。子供は決定権を持てないし主体という観点から見るとやはり親のほうが重要で当たり前ですね。 >終焉を迎えた時ではなかろうか ここはあまり考えていませんでした。現在あることのみでしか判断する前提でしたが、死後が無限で有ることを考えると現世はとるに足らないという答えになりますしね。 >各々が見つけるべきでしょう。 私もそう考えておりますが、子供を産んでからでは遅いのではないかと考えたんです。 質問とは別ですが >戯言のように感じました。 確かに私は17歳に過ぎず人生の荒波も経験したことはありません。自己の哲学だって不明瞭で哲学の本を理解できる知識もありません。 しかしあなたが戯言で、バカバカしく感じたとしても私には真剣な質問なんです。

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  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.4

社会主義もそうですが、 理性で考え、行動するとたいがい間違えるんです。 人間はそれほど賢く無いんです。 理性が正しいためには、十分な情報があり、それを 間違いなく処理できる頭脳が必要ですが、それを 人間に望むのは不可能です。 人間は、この宇宙のほんの一部について知っている だけです。 そんな人間が、理性で判断して正しい答えが出る などというのは、よほど運が良い時だけです。 だから、そんな計算尽くみたいなことをして子供を 造るのはおかしいと思います。 一年先、いや明日のことさえ判らない人間が どうして生まれて来る子供の幸福など、正確に 測定できるというのですか。 そういうのを小賢しい人間の浅知恵、というのです。 だからこそ、子は授かり物なのです。

314h
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

314h
質問者

補足

私の質問読んでくれます?勝手な解釈をして勝手に質問を無視して書かれても困ります。 私の言うのは感情を無視した机上の空論の極論ではありません。 感情を元にして子供にとっての幸福の可能性を示せることができるのか考えた上で産めよ、できないなら産むのは人としておかしいという質問です。 >、そんな計算尽くみたいなことをして子供を造るのはおかしいと思います。 私は質問文で「私はどうも子供を自分たち(夫婦)のために作ったりするケースが多いと思うのです。」と述べています。主にここに対しての批判でその子供を生む意義の中心は子供にあるべきでそれに理性で感情の補助をするか歯止めをきかすかすべきだと言ってるんですよ。 誰も理性を先立たせるような恐ろしいことは言っていません。 >社会主義もそうですが、理性で考え、行動するとたいがい間違えるんです。 私も経済の本は多少読みますが結局あれは感情のもとに理性が成り立っているというのに感情を排斥したことに原因があり、私のはしっかりそこを強調したつもりです。 >間違いなく処理できる頭脳が必要ですが、それを人間に望むのは不可能です。 彼らの大体の間違いは自然(もしくは神など)よりも自分を優っていると考えることから来るのです。その点をわきまえている本当の非唯物論者なら間違えることはあってもそれは揺り戻しが聞かないほど大きくなく、かつ柔軟にいることができます。例えばアインシュタインなどはその典型です。 授かりものの定義は人によってあまりに違うのでしっかりと定義していただかないと何も言えません。 特に誰から授かったかについて。

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noname#194289
noname#194289
回答No.3

先祖からの墓を嫌って自分で墓を作りたがる人がいます。子孫はこの新しい墓に入れようというつもりだと思います。こういう人は成仏できないと思います。自分の墓はいらないというなら別です。子供は作るものではなくできるものだと思います。どこか関係あることのように思います。子供はいらないというのと子供ができないということとの関係でもあると思います。

314h
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

314h
質問者

補足

多分仏教の方なんでしょうが理論ところどころ吹っ飛びすぎて理解できません。 >子供は作るものではなくできるものだと思います。どこか関係あることのように思います。子供はいらないというのと子供ができないということとの関係でもあると思います。 特にここらへんは私の 倫理を子供に置くべきといったことの批判になっているのかもわからないし。あなたの世界観だけで語られても理解に困ります。私は仏教徒じゃありません。

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  • luci529
  • ベストアンサー率38% (54/140)
回答No.2

私は半々だと思います 有益だとか幸せだとかを決めるのは子供自身ですし まず産まれないことには始まらないと思います(結果論だと言ってるわけではありません) もちろん親は子供が産まれる前から出来る限り環境を整える必要があるというのが前提ですし、子も親も共に幸せで有意義だというのが理想です それと…質問者さんの仰る『この世に生まれることは子供にとって有益であるし~』という考えの末とは 結局、親の思考であり都合になると思います 生まれないことと生まれることを比較して生まれることを『有益』というのは不可能だと思います あくまで親のモチベーションとしての話になりますのでこの辺で失礼します 幸福の位置付けなどは本人が決めること、もしくは生涯を通して悟るものだと感じますので要は『生』が幸福かと思います 『死』は遺された者が考えることだと思います

314h
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 ちょっと「結局、親の思考であり都合になると思います」のお陰で自分の考えているものが筋が通っているのか自己矛盾なのか循環論法に陥っているのかわからなくなってしまったので考えがまとまり次第補足に書きます。

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  • sarasuva
  • ベストアンサー率16% (7/43)
回答No.1

子供は両親のおもちゃではないし、所有物でもない どのように生かすか かなり両親の間で深い思考が要求されると思います。

314h
質問者

お礼

私と同じ意見ですね。 ご回答ありがとうございました。

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  • 仕事はできるようになったが、なぜCがつくのか、学部卒の若手と同じ扱いを受けるのか理解できない。
  • 年齢・社歴と共に考課が上がり昇進するのが普通と思っていたが、他の人はどのように昇進しているのだろうか。
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