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人間卒業

お葬式ではない、人間卒業の話がありましたらお聞かせください。

noname#156094
noname#156094

みんなの回答

  • alwen25
  • ベストアンサー率21% (272/1253)
回答No.16

旧約聖書のエノクの話でしょうか。

noname#156094
質問者

お礼

残念ながら、キリスト教には無知なものでよく分かりません。 部分的なところだけですが エノクが何百年も生きて、最後は神に取られて、天界に行った・・・というところが気になります。 神と人との関係においてこそ、人は人ではなくなる、という事なのでしょうか。 神の意志によって人の死や死後が定まる、といった感じですが 神は絶対的なものとして不変であり不滅であり、人の死をも扱い担いうるものである、といった事なのでしょう。 だとすれば、仮定ですが 神は人を導くが、人は神にはなれない・・・という相対的関係が考えられます。 どこまでも、神と人とは別であり、別であるがゆえに(人にとって)神は存在する、という感じなのでしょう。 人においての死をも含む変化は、全て神の意志に基ずくものであるといった事なのでしたら 仏教をかじった私には受け入れがたいものです。 人間卒業という言葉は多面的な解釈が可能ですが 人の変化における神の影響の話もある、というように受け止めさせていただきます。 ありがとうございました。

noname#156094
質問者

補足

皆様から沢山のお答えをいただき誠にありがとうございました。 この場をお借りしてお礼申し上げます。 人間卒業というテーマは様々な解釈が可能だと思いますが 最後に私なりの実感を述べておきたいと思います。 私にとっての人間卒業とは いつかは無常を知るという卒業です。 全ては変わり続けるという簡単なことですが 変わり続けるところから、ものを見るようになった事です。 それは「悟り」と比べれば低レベルの卒業かもしれませんが 人として自然で、誰でもいつかは持ちうる心の大きな変化のように思います。 また、自分を含めたこの世界全体への許容、といった意識の変化だと言えるかもしれません。 気が付けば、周りは卒業生だらけ・・・ そんな感じがします。 皆さんありがとうございました。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.15

私が予備校生だったとき、 ・・・「人間を卒業したような講師」は、少なくなかったと思います。 !ああ、だからね、「人非人」みたいな発想が、無理なんだと思いますよ。

noname#156094
質問者

お礼

味気ない連中ばかりだった だから変わった発想も湧いてこない・・・ という訳ですか。 「人非人」だけじゃなくて、鳥非鳥、猫非猫といった、つわもの、もいそうな気がします。 カラスなんかそんな感じでしょう。 私なんかも、或いはその部類に近いかもしれませんね。 段々と、他の生き物との境目がなくなってくる。 この場合、人間以下への卒業かもしれませんが うれしいですね、誰にも内緒で沢山の生き物と話ができる。 生き物の泥臭さから人間らしさを見ることもできる。 卒業後の世界っていろいろありそうですね・・・ 期待してます。

回答No.14

人間卒業 人間卒業このタイトル眺め何を思うか… このきもちなんだろう 混沌からにょきっと何かがあらわれるみたいな感じ このきもちなんだろう 今日、人事異動の発表があった。直属の上司が異動になる。そのことは、数日前の内示の時点で聞かされていたから驚きはしなかったけれど、はじめに聞かされたときは正直パニクった。いま取り掛かっている仕事もこれから佳境に入るこの時期。もう丸三年この上司の下で仕事を教わり、ある程度阿吽の呼吸で仕事をすすめられるようになりかけたところなのに…。上司はいう、「ほんまに危なっかしいねんから、しっかりしてくれななあ、次に来る人が困るで」と。異動日まで残り少なくなったこの数日、顔を合わせるたびにこの言葉を上司からいただいている。そう言われるたびわたしは上司に「育児放棄だーーー!!!そんなのアリですか?!!!部下をおいて一人いくんですかーーー?!!!」と、そう言葉を返しつつ、矢継ぎ早に仕事の打合せの予定を入れる。半ばあきれ顔でありながらも、こちらが組んだ打合せや決裁その他諸々の事柄にも応じことごとくこなしていただいた。お蔭で、滞っていた仕事がポンポンポンと動き出す。 職場での上司は親のような存在。異動の知らせを聞いてからこの丸三年を振り返り思うことは、親の庇護の下仕事をさせてもらっていたんだなと。いろんな場面で守られていたことを実感する。 ありがとうございます。 怪獣のバラード http://www.youtube.com/watch?v=_9VCTbHXfOQ&feature

noname#156094
質問者

お礼

出かけよう 砂漠を捨てて 愛と海のあるところ ・・・・・ 新しい太陽は 燃える 愛と海のあるところ いいですね。 ゴジラは好きです。 >親の庇護の下仕事をさせてもらっていたんだなと。いろんな場面で守られていたことを実感する。 そうでしたか。 上司であるその方も、かつてはそうだったのかもしれませんね。 一区切りをつけなければならない時期といったものがありますよね。 見た目は平然としていても、気持ちはいろいろあるのかな・・・ 別れのことを卒業ともいいますが 寂しさのある別れのほうが卒業らしくていいじゃないですか。 さあ、新しい世界へ行きなさい・・・と 送り出してもらったのですから 蛍のひか~り、窓のゆ~き・・・ 感謝のできる人をもっているのは幸せでしょう。 今度はその幸せを誰かにあげる番かもしれませんね。 その時には、与えるという卒業を経験するのかもしれませんね。 いい話を聞かせてもらいました。 ありがとうございました。

回答No.13

 ★(No.9お礼欄) 以心伝心でこと足りる、紙など要らぬ・・・という感じのようですが  ☆ 《以心伝心》だったことは ほんとうですが それは ここで書いても たわいのないタクシーの中でのわたしの心の中の出来事でしたから 大したことはなく 書かなかったのです。  おそらく書いても何ともないことです。  だから むしろ以心伝心と受け取ってもらうだけでよいと思います。  ただしもう少しきちんと言うとすれば 肝心のところは その運転手さんも決して自分が以心伝心で伝えようとしたわけではないということです。そういう現象が起きたということです。かれが わたしがタクシーに乗り込んで 坐っている雰囲気を受け取って その感じたところが反応として現われたというものだったと思います。  ですから すべては主観の中の問題です。そのあとの結果で判断するというかたちです。  ということは   ★ 人間卒業の話がありました  ☆ というだけの回答になってしまいました。申し訳ありません。  でも この種の話は そういうことだと思います。それを言葉で述べるというのは むしろその卒業=始まりを どこか落としめるところがありませんか?  言いかえると その時点に到るまでのいろんな出来事もあるといったその過程を話すことはあるでしょうが それもあくまで 卒業のあとの結果を自己表現したことにもとづいて何となく話すということのように思います。  そして おそらくそれでも卒業話を語るのだとすれば それは 一対一で話すというかたちを取るのではないでしょうか。  そういうふうに考えます。

noname#156094
質問者

お礼

>それは 一対一で話すというかたちを取るのではないでしょうか。 禅で言えば入室、密で言えば潅頂といったところかな。 人に語ることではない、といってしまえば終りですね。 教科書の棒読みの答えなど何の役にも立たない渡り合いの世界かもしれませんね。 一発で卒業試験をパスした優等生には、卒業証書は形だけのものかもしれませんが 落第に落第を重ねてやっと卒業した劣等生には、卒業証書は貴重なものだと思います。 当然のごとく貰った卒業証書もあれば、やっと貰った嬉しい卒業証書もあると思います。 そうした卒業証書を抱いてから始まる道のりも、いろいろと違ったものなのでしょう。 卒業生の寄せ書きから拾ってみました。 行脚事終り今日時節 柱杖子を折って 六月の雪を焼く この先輩の言葉を自己流に解読すれば・・・ですが 気が付けば、季節はずれの雪が落ちていた、卒業おめでとう・・・というように 自然との一対一の会話がそこにはあったのかもしれません。 白い雪が卒業証書だったのかもしれません。 自然が与えてくれた卒業証書です。 直観によるヒラメキという無形で受け取るものもあれば、五感を通した明瞭な形で受け取るものもあるということなのでしょうか。 とするならば、無形の証書もあれば、有形の証書もあるということになりそうです。 卒業生同士の会話なら証書はもはや不要かもしれませんが 先輩が後輩の卒業を認め、祝福する意味での証書は価値があると思います。 また、有形無形どちらにしても、そこには偶然に与えられたというべきではないと思います。 以前にBさんとの会話の中で ヒラメキとは、個人の存在状況の変化における一種のピークにおいてもたらされるもの、と言いました。 その事を自覚できなければ、ヒラメキとは偶然の産物に過ぎないものです。 しかし偶然ではないと見る時、それをもたらした何ものかを知る機会を得ることになるのだと思います。 この場合、もはや一対一といった感じではなく、一個人と個人の思量の及ばないものとの関係になる、といった感じがします。 その接点を了解して頷けるところに、印としての証書があってもいいように思います。 ちょっとまだまとまっていませんが、そんなところです。

  • MOG777
  • ベストアンサー率14% (20/139)
回答No.12

お礼ありがとうございます。 >やっと思い出しました、「拈華微笑」を 先輩が一輪の花をもっていたという、きれいな話でした。 「拈華微笑」の話は伝説ともいわれていますが、先達はあらゆるものから真理を見出し先達同士で阿吽の会話を行うというのは確かなようです。 ということは、私たちは死の瞬間まで、布団の肌触り、人の声等から真理を悟れる可能性があるということになります。 卑近な例でありますが、私が縄のような絵を見たとき、直感的に縄の強さは摩擦力にあると理解しました。もちろん対象は多寡が縄でありますが、プロセスにおいては即妙の智慧になると思われます。 ですから、私たちは日常(今)を生きなくてはなりません。 ちなみに、私の経験から言えば、(真剣なつもりでしたが)へらへらしながら行う三年の行は 死ぬ気になってやった三日に劣ると思います。 つまり、余命が短いというのはある意味でチャンスであり hetanosukeさんならばチャンスを活かせると私は思っています。

noname#156094
質問者

お礼

ありがとうございます。 激励を感謝いたします。 >直感的に縄の強さは摩擦力にあると理解しました。 感覚入力から直観検索の成功にいたったご様子ですね。 おめでとうございます。 余談ですが 縄といえば、昔は荒縄を作ったものです。 簡単な細い縄は、両手で稲藁をよじって作りました。 私の父は器用で上手でした。 少しの稲藁も無駄にしませんでした。 子供の頃、父の手さばきを見ていると魔法のように感じたものです。 稲藁で作った菰や莚もありました。 私の検索から浮かんでくるのは 田んぼの稲刈りから藁細工にいたるまでのことをしていた両親の姿です。 稲という植物と人の姿の関わり合いがそこにはありました。 今はもう見られなくなってしまった光景です。 父が言っていた言葉があります。 米作りは毎年一年生、卒業できないな・・・ その言葉には、米作りをやってきて幸せだったという実感がこもっていたのかもしれません。 少し脱線してしまったようです。 ありがとうございました。

  • ri-zyu
  • ベストアンサー率30% (184/611)
回答No.11

  学ぶ事がなくなった時。。  是非と底を自覚した時。。 自力を捨てたとき。。      哲学カテを卒業した時。。  こいう質問をしなくなった時。。m(T T)m   かもしれないですね。   

noname#156094
質問者

お礼

私もそろそろ卒業を期待されているようです。 ということは、卒業式の準備をしておかなくてはいけない、という事のようです。 まだ先があると思っていましたが 嬉しいような悲しいような・・・ですが 今度は落第生の質問でもしてみます。 ありがとうございました。

  • MOG777
  • ベストアンサー率14% (20/139)
回答No.10

卒業のことをあれこれ考えることと実際に卒業に近づくことは反比例の関係にあると思います。 「拈華微笑」と言いますように、真理は日常(今)に潜んでいます。

noname#156094
質問者

お礼

ありがとうございます。 やっと思い出しました、「拈華微笑」を 先輩が一輪の花をもっていたという、きれいな話でした。 きっと造花ではなく生花だったのだと思います(あたりまえ) どんなにきれいな造花でも、生花にはかなわないと思います。 なぜでしょうかね。 生花から伝わってくるものが、造花にはないからでしょう。 虚と実の違いでしょうか。 今という一瞬の花のほうが、たとえ壊れやすくとも美しいからでしょうか。 無常の命を共有しているという実感でしょうか。 比べてみれば何もかわらないという同一感でしょうか。 先輩のもっていた花は、きっと割合に小さくつつましい花だったかもしれない。 色あいも、案外に地味な色だったかもしれない・・・ などと余計なことを・・・ ありがとうございました。

回答No.9

 ★(No.6お礼欄) それでいい、という太鼓判を押してくれる人がどうしても必要だったのだと思います。  ☆ これは 必要だと思っていたわけではなく また卒業が終わりだとはまったく思わなかったので 復路(還相)としては 前へ進むのみと思っていたところ 思いがけなく 或る夜タクシーに乗ったら その運転手さんから 無言の内に 証書をもらった。分かったという受諾として。

noname#156094
質問者

お礼

以心伝心でこと足りる、紙など要らぬ・・・という感じのようですが 第一回目の卒業生があまりにも優秀であったために 後輩が中々ついてゆけないという悲惨な状況が今も続いているようです。 そんな中で、卒業名簿をめくってみると、めぼしい代表者の名前だけであとは、その他大勢と書いてあるようです。 或いは、その他大勢の人の方が証書をいただいているのかもしれません。 その一枚の紙を大事にかかえて一生を終る・・・というのも悪くはないと思いますが 良寛さんがそうでしたが 無言の証書も、紙の証書も、どちらも中々いただけないものだと思います。 また、卒業論文の提出はあったと思いますので、偶然ではなかったと思います。 卒業を目指すからには、そうしたのではないでしょうか。 おそるおそる出したか、自信をもって出したかは分かりませんが・・・ そんな感じがします。  

回答No.8

皆さんの一生懸命のご回答も少し読ませていただきました。分量が多いのはこの76のくそ爺にはむりでしたが。 そして皆さんのは当然ながらどの程度根本的に、どの程度根本的な自己性、どんな人間を卒業するかということのようですね。 ご質問も人間卒業ということば表現ですが、そういう意味の質問なんでしょうね。 まぁ成仏とか、見証とか改悟、解脱というのがどういう世界かなんでしょうね。 どうしても宗教性がともなう。 私達は、自己の中に顕現している自己意識の根源たる魂とその大いなる宇宙的魂に気付き、実現し、その魂として全宇宙の根源意識に結合し、その創造意識をでることを勉強し行を行じています。 Self-Realization Fellowshipというヨーガの教えです。 ここにURLを貼り付ける事はご法度ですので、ご興味があれば検索して見てください。 この団体は通信教育(英語版をお勧めします)もしており、バガヴァッド・ギータのコンメンタリもだしています。 ヒンドゥ的哲理からの宇宙科学も出しています。 つまり私達は人間卒業を目的としています。それはサイさんがいっている宇宙意識になること、それを超えることです。 ご参考になればと、投稿します。

noname#156094
質問者

お礼

卒業するためには、宇宙意識が求められる・・・ 20代の頃、チャクラがどうのとかクンダリニーがどうのとか読みました。 中々面白かったと思います。 意識の覚醒を目指すといった内容だったと思います。 Kさんのご精進を否定するつもりはありません。 人それぞれの卒業にいたる道があるのかもしれませんから お体を大切になさってください。 ありがとうございました。

回答No.7

『お葬式ではない、人間卒業』と云う事は、生きながら仏になると言う意味と思いますので、その線で書いてみます。 この世の中は『たった一つの世の中で出来ています。』言い替えるなら、この現実は真実で出来ています。ですが人間として見た場合には、この世の中が二つに見える場合があります。その二つの世界とは、一つは『虚』=『かりそめ』=『移ろいやすく、変わりやすい世界』で出来ていて、もう一つの世界は『変わらない世界』=『真実の世界』で成り立っていると言う世界です。 この変わらない世界から、目の前を見る事が出来た場合を『仏になる』=『成仏する』=彼岸に至ると表現していると感じます。 そうしてその二つの世界には『境目が在りません』どちらの世界も自由自在に行き来する事が出来ます。只本人が分っているのか、判っていないのかの違いだけです。 仮の世界の光景です。『自分の幸福を』美人の妻と沢山のお金や財産と、高い地位と背の高さや、見た目のよさと限定する場合です。そうした場合には『何か一つで欠けた場合には、たちまち不幸になってしまいます。』如何いう立場や境遇でも幸福感を持って生きる事が出来ないという足場です。 その反対の場合です、孤独で在りながら、お金がないままでも、たとえ死が迫っていたとしても、限り無い幸福感で満たされる場合です。迫り来る死に対しても、喜びを持って迎える事が出来る境涯です。 その意味は『人生と言うものの意味や、生と死の意味や、人生の幸福と言うもの』の意味が達観出来ている場合と思います。 くるくる変わる世の中や、人の気持ちにばかり『心を奪われる事ではない価値観』を身に付けた場合です。 有限の壁の前で立ちすくむ事によって、苛立ちを覚える人生を捨てて、永遠から有限を見つめる立場です。成仏と言う意味は『永遠からこちらの世界を見通していると言う意味が在ります。 それは『命の働き=仏性』が右脳の意識と言う意味ですので、右脳の意識を体験している動画を載せてみますので、堪能して下さい。 尚『見性』=『悟る』と言う意味は、左脳の意識の『我』が右脳の意識『仏や神』の前にしゃしゃり出なくなると言う意味ですので、『神にひれ伏して、(和解して)神の僕となる』と言う意味になります。 そうする事によって『罪悪感=心の違和感=漠然とした不安』から開放されて、心のざわつきが無くなって、『心が平安になる』=『涅槃』と言う意味になります。 右脳と左脳の二つの意識の間に『ホットラインという回路構成が完成した事を意味します。』 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM

noname#156094
質問者

お礼

ありがとうございます。 こちらも悟りっぽいお話とうけたまわりました。 阿字本不生に通じているのでしょう。 凡夫の眼には生じ滅したように見えても、仏眼から見れば不生の生なのであり、多根源の法は一つで生じも滅しもしない・・・といった感じですが そこから再びスタートできる人は幸せかもしれませんね。 おっしゃっているように「達観」の卒業かもしれませんね。 愚痴ですが、エリートでない卒業生はいないのでしょうか。 皆さんの答えを拝見していると、卒業を目指す優れ者の方達ばかりのように感じられます。 酒井雄哉さんが自らを、仏になった落ちこぼれ、と言いましたが そんな話もたまには聞きたい感じもします。 愚痴をいってすいません。 ありがとうございました。

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