• ベストアンサー

ブロック制は哲学カテには ふさわしくない。

Parinneの回答

  • Parinne
  • ベストアンサー率7% (14/187)
回答No.1

ここは質疑応答の板であり、議論ための場ではありません。 言葉遊びがやりたいならば、ご自身でその場を開設しましょう。

bragelonne
質問者

お礼

 ● ( OKWave 禁止事項ガイドライン) ~~~  【趣旨にそぐわない記述/投稿】  ■ 回答ではない回答    ○ 質問と関係ない内容や雑談、・・・(中略)・・・    ○ 個人的なメッセージなど、   質問に対する回答として成立しない内容を回答欄に投稿することは、ご遠慮ください。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

関連するQ&A

  • やはり宗教カテは残すべきであった

      かつて宗教カテは存在していました。 しかしある時期(2000年12月21日とされる)をもって宗教カテは消えたのであった。 その理由については、以下を見れば分かります。 http://okwave.jp/qa/q6616400.html 簡単に結論すると宗教に関する質問、議論、問題提起は口論になりやすく、管理上収拾がつかないので消されたということです。 つまり宗教一般には自浄能力が欠けているってことなのです。 神や仏を語る者に限って、自らを清める能力を欠いているって証拠なのです。 ではあるが宗教カテはやはり残すべきであったのではないか。 その理由は、宗教と哲学は厳然として異なるからです。 宗教は信じるものであって、神や仏を論じるもの、天国や地獄などあの世について信じ語るもの、その他これらに関連する奇跡とか終末とか末法とか戒名とか葬式事とかの儀式的なものの類です。 一方哲学は純粋に真理の探求であってその中心は人間と宇宙の正しい理解です。 宗教カテが存在しない現状においては、宗教は哲学とは無縁のものであるにも関わらず、あたかも哲学であるかのように錯覚して、神学やら仏教やらを哲学カテの中で論じているのですが、この状況は哲学にとっては甚だ迷惑なことなのです。 神や仏、天国や地獄、また奇跡や終末や末法や戒名や葬式事について語りたいのであれば、その共通世界の中で思う存分、徹底的に語ればよいのではないでしょうか。 その結果地獄絵のような議論が巻き起こるかもしれない。 しかしそれが宗教の本質を物語るのであれば、それはそれでよいのではありませんか。 それ故やはり宗教カテは残しておくべきであったと思うのですがどうでしょう。  

  • 哲学で人間や社会に貢献できるでしょうか?

    私が高3の頃 大学を受験するのに「哲学科に行きたい」と言ったら 父からあっさり却下さrました。お金を出すのは父ですからやむを得ず理学部を受けました。 しかし哲学への思いは捨てきれず ついに大学を辞めて家を出ました 私は大学の哲学という勉強ができなくても 自分で考え抜けば結論は出ると思ったのです その結論は存在性思想で検索して頂ければあるのですが 思ったほど いや思いもしないほど広がりませんでした 僕は現代社会で哲学が果たす役割は大きいと見ているのですが 皆さんはどう思われますか? 情報量ばかり多くて それを使う方針がない すぐ武力に頼ってしまう。 マザーテレサやガンジーのような人物もいないような気がします 在来の哲学も含めて哲学の果たす役割は何でしょう?何が出来るでしょうか?

  • 人びとは やる気があるのか 哲学。

     哲学をやる気が そもそもあるのだろうか 人びとは?  理由を添えて おのが結論を述べる。互いに。  推論の緻密さとうつくしさを言わば競うのではないだろうか?  そうではなく おまえのかあちゃん 出べそとたわごとを叫んだり  あの子が欲しい あの子ぢゃわからんという花一匁をやっているに過ぎない。  のではないか?   シコーテーシでどうしてこのカテなのか。

  • なぜ、男は哲学するのか?

    タイトル通りの質問なら、「大脳生理学」のようなジャンルで考えることだとは思いますが、このカテに普段出入りされてる方に敢えてお聞きしたいです。 古今東西、と言っても日常、日本人にとっての哲学は「西洋哲学」とほぼ同義語のことが多いと思います。 ソクラテス・プラトン・アリストテレスの時代から、デカルト・カント・ヘーゲル、そして最近ではニーチェ・サルトルに至るまで、みな男です。 そして、おそらくここのカテを出入りしてる方も圧倒的に男が多いと思います。 昔から、なんとなくその事に対する理由としては、「男は形而上学的なことに関心があり、女は現実に興味がある。」程度にしか思わなかったのです。 しかし、だとしたらなぜ男は「形而上学的なことに思いをはせるのか?」と今更ながら素朴に考えてしまいました。 「時間とは?」 「空間とは?」 「存在とは?」。 「認識とは?」 「理性とは?」 このような事に対して思いをはせてるのは、昔から男だけのようです。 もちろん、稀にそういう女性も居るでしょうが、微々たる数の筈です。 とっさに思いつく男女の差は「性欲」のことです。 そして、性欲というとフロイトを思い出します。 フロイトは、あくまで「性欲」と「人間の行動」の関連について考察しただけで、それ自体は「哲学」でも「形而上学」でもありません。 ただ、性欲求行動と哲学的思考回路はどこかで繋がっているのかなどと考えてしまいましたが、これはあくまで思いつきです。 思いつきですので、別にフロイトや性欲との関連に限定しません。 どうして男は哲学するのか? ご意見下さい。

  • ブロック登録とは何か? これを哲学しましょう

    今日、わたしは新たにブロック登録をされちゃいました(ポリポリ)。 3人目です。 わたしは、どうしようもなく底意地が悪く、また、矯正のしようがないほど屈折した性格をしているので、 「まぁ仕方ないか」と思っています。 初めてブロック登録をされた時は、結構、凹みましたが・・・。 質問者や回答者に対する個人攻撃、人格否定の発言や書き込み、非難中傷などは頻発する人ならば、ブロック登録は当然と言えば当然。 しかし、自身の考えと著しく違うなどの理由から、ある特定の回答者をブロック登録をするというのは、もったいないような気がします。むしろ自身と真逆な考え方の方が得るべきこと、学ぶべきことが多いと考えるからです。。 そこで、 哲学カテの皆さんに、お伺いします。  1 誰か、ブロック登録をしている人がいますか?  2 何故、そのひとをブロック登録していますか?  3 誰かからブロック登録をされた経験がございますか?  4 何故、ご自身がブロック登録されたとお考えですか? この哲学カテの人たちは、皆さん、心とお考えが広い持ち主の方ばかりでしょうから、 ご自身の考えを包み隠さず述べ、その結果、他の人からブロック登録されることがあったとしても、 ご自身が他の人をブロック登録するようなことはないと思いますが。 ブロック登録について、どのようにお考えですか? このことについての皆さんのお考えを教えてください<m(__)m> なお、 回答が削除される恐れがありますので、 くれぐれも、 個人名だけは挙げないようにお願いします。 せっかく回答をなされたのに、 削除の憂き目に会うというのはもったいないですし、 それ以上に、 社会的損失だと思いますので。 ヨロシクお願いします<m(__)m>

  • 病と哲学

    よろしくお願いします!とにかくなにか学びたい気持ちです。 私は昔から持病を患っています。 今の医学では治すことができない病気ですが、自然に治っている人もいます。 そこでなにが言いたいのかといいますと、持病に正直今かなり苦しんでいます。 しかし、このまま負けるわけにはもちろんいきませんし、自分自身の心で打ち勝つしか、光明はないと考えていますが、病気自体の作用が、精神的に影響が大きく(イライラしたり、反対に落ち込みまくったり、髪の毛が抜けまくったり、体力的にかなりダウンしたり)精神安定剤を飲んでないとやってられないという感じですが、今現在はひかえています。 私自身、哲学には興味が前々からありますし、哲学は病気に負けない心を築く絶好の学問だと思っていますが、毎日、病の辛さを繰り返す日々に少々疲れ、自分を見失っているのが本音です。 なにかアドバイス頂きたいです。

  • 哲学を学ぶことは精神にとってよいことか

    52歳、主婦。ずいぶん昔ですが大学の一般教養で倫理学を学んだ時に 知識が増えてとても楽しかった記憶があります。 最近教育テレビで「ツァラトゥストラ」を見て、その楽しさを思い出し 本を読んで勉強してみようかなと思いましたが 40代で一度トンネル内でパニックを起こして以来、ずっといつか心を 病むのではないかという漠然とした不安があります。 ニーチェ自身が精神を病んだと聞きましたが、ニーチェに限らず 哲学を学ぶことが精神にとって悪い影響を及ぼすことはありうるでしょうか。

  • 認識論は哲学ではない

       問う人: 認識論は意味が無いとゆー人がおるが、実際そーなのか。 「人の道」: はっきりゆーて認識論は哲学ではない。 問う人: なぜ認識論は哲学とは言えんのか。 人の道: 認識論とは、例えば次のよーな問いを発することである。   今わしが食っているこのおにぎりは果たして存在するのか、   今おにぎりを食っておるこのわしは果たして存在するのか、   今わしが生きているこの世界は果たして存在するのか、   今わしが死んだらその霊魂はどーなるのか、存在するのか、             ・             ・             ・ しかし、これらは哲学とは呼べない。 なぜなら、これらの問いを発しても何一つ価値ある答えは得られないし、何一つ価値あるものは生まれないからである。 実際、これらの問いは昔から行われているが、これらが何ら価値あるものを生み出した試しがない。 また、これらの問いには何等の思想も理念もない。 哲学と呼ぶには思想や理念がなければならない。 哲学と呼ぶにはもっと高い位置に立つものでなければならない。 これらは単に漬かろーとする心から自然に生まれるものに過ぎない。 どーやら宗教的精神は認識論が土台になっていると見える。 これらが長年にわたり哲学の進歩発展を阻害し、本来あるべき哲学を蝕み退化させた。 哲学における病巣とゆーてえー。 問う人: 認識論は単に漬かろーとする心から自然に生まれるものに過ぎず、哲学とは呼べないゆーこと、皆はどー思うか聞かしてくれ。    

  • 恐ろしいほどの自由

    心理的に理由や原因をもとめなかったら 生きることは恐ろしいほど自由じゃないだろうかと思いませんか。 哲学のカテで同じ質問をしたのですが、ここのカテではどんな風に見えるかと思い再度投稿させて頂きました。

  • 哲学の結論は何か?

     つまり人間は存在をせめぎ合っているわけですが そのせめぎ合いが生存競争のような弱肉強食のようなものになっては動物に逆戻りです。  人間は頭で進化するわけですから 教育 学習 再発見 勉強 適度な競争 試行錯誤 感動 発見 その他諸々の精神的な進化が求められるのです。  その為にはいずれにしても急速な発展進化はスピードの出すぎのようなもので コントロール出来ないのでむしろ危険です ゆっくりとした 真の目的を目標にした進化で 必要十分な経済活動で発展して行ければいいと思います。                      存在としては 存在性を求めて創意工夫していくのが人間ですから 人間とは存在性であると言うところの新しい人間が実現する事を願っています。  存在しなければ 何も無いのですから存在しなければ話になりません。命を絶つような人は もう一度考え直して もう一度人生をやり直せないかと考え直してもらいたいと思います。  日本の精神状況は複雑で辛いものがあります。しかし存在していればまだ生きる道はあります 治らない病気 末期癌と言われても 死ぬまでに何か出来るはずです 言葉を残すとか思い出を残すとか爪痕を残すとか。。。       存在性理論は存在性の追究が存在を勝ち取り 新しい未来を開くと述べています。心の問題 精神の問題をもっと踏み込みたいところですが 人間の心は自由でなければならない 人間は愛し愛されなければ生きる希望もなくなります。  ぜひ存在性理論を読んでその奥義を活かして下さい。100歳までも 孫子の代までも 存在し続けましょう 1千年後の人類が 幸せである事を祈ります。存在する事が目的であり、存在する事が価値であり、存在する事が意味の根拠であり、正義の根拠でもあり、存在する事にに意義があります。存在する為に生きているのです 存在肯定の哲学です。 これが僕のサイトの結論部分です。貴方の結論はどの様なものでしょうか? もうあまり時間がありません。世界に人口爆発と戦争と飢餓が迫っています。 是非分かり易く 今思うところの結論めいたものを教えて下さい。よろしくお願いします。