• ベストアンサー

病と哲学

よろしくお願いします!とにかくなにか学びたい気持ちです。 私は昔から持病を患っています。 今の医学では治すことができない病気ですが、自然に治っている人もいます。 そこでなにが言いたいのかといいますと、持病に正直今かなり苦しんでいます。 しかし、このまま負けるわけにはもちろんいきませんし、自分自身の心で打ち勝つしか、光明はないと考えていますが、病気自体の作用が、精神的に影響が大きく(イライラしたり、反対に落ち込みまくったり、髪の毛が抜けまくったり、体力的にかなりダウンしたり)精神安定剤を飲んでないとやってられないという感じですが、今現在はひかえています。 私自身、哲学には興味が前々からありますし、哲学は病気に負けない心を築く絶好の学問だと思っていますが、毎日、病の辛さを繰り返す日々に少々疲れ、自分を見失っているのが本音です。 なにかアドバイス頂きたいです。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.2

[このまま負けるわけにはもちろんいきませんし、自分自身の心で打ち勝つしか、光明はないと考えています] それでいいんです。あなたは、誰よりも哲学者ですよ。厳しい肉体的環境の中で平静な心を標榜すること、難しいことですが、日々、の耐え忍びと前向きな心の持ちようを続けてください。必ずや大哲学者の域に達することが出来ます。厳しい環境を与えられたことに感謝してください、それはあなたに対する大いなる期待があるからですよ。私も、昨年大病をして今もリハビリ中ですが、この病気を通して、健康の時には考えもしなかった、更なる心の強さを磨いてます。耐えて耐えて耐え抜いてください、いつの日かその先にあるものが見えてきますよ。それは大哲学者が見る光明荘厳たる世界ですよ。

manabu3345
質問者

お礼

はい、とても勇気が沸きました。 本当にありがとうございます!mmkyさんも闘っているとのことですが、お互いがんばりましょう!経験者様の言葉、本当にありがとうございます^^

その他の回答 (11)

回答No.12

kaitaradouです。もとより、私は、パスカルのことは何も知りません。パスカルを専門に研究している人がたくさん居られると思います。私が言えることは、肉体的に虚弱だったパスカルは、それゆえ、肉体を通して瞬間瞬間の中に永遠を見ていたのではないかという想像だけです。もしパスカルが肉体的に頑健なひとだったら、永遠(時間に関係なく存在するもの)のことを考えることはなかったと思います。専門に研究している方からのご助言を期待します。

manabu3345
質問者

お礼

なるほど・・・ありがとうございます!!

noname#13805
noname#13805
回答No.11

「最高の哲学は、人を心身とも最善の状態へと導く」 今あなたが何らかの病気を患って、その病気のために自らの精神の平安を保てないとしたら、多分あなたは自分の人生の哲学をさらに求め究めていく必要があるのではないかと思います(この様な言い方は現在のあなたには酷かも知れませんが)。  実際的に、病気というものが我々の精神を苦悩さす原因は、(1)肉体的苦痛の存在 (2)日常行動への支障 にあるのではないかと思います。長くなりますので、ここで(1)の肉体的苦痛についてだけ考えてみましょう。  病気に罹った患部が痛むのはなぜか。それは言うまでもなく、自らの精神にその箇所が破壊されていることを知らせるためです。痛みの存在理由はそれ以外にないでしょう。ではそこで、我々の精神はそのことにいかに対応するか。痛みから生ずるあなたの苦悩は、まさにその対応の仕方が分からないことから生じていると言ってもいいのではないかと思います。痛みの目的が、我々にそれを感知させるためにあるのなら、その目的に応えてやれば良いのです。すなわちその痛みをジックリ味わうのです。気持ちを集中してその痛みをジックリ意識すると、痛みの発生理由(我々に組織の破壊箇所を知らせる)が消滅し、痛みそのものも無くなっていくはずです。普通、我々の精神は、痛みというものを味わいたくない、痛みというものを無視したいとするので、痛みがその目的を果たせず、いつまでも我々を追いかけてくるのです。痛みを実際にジックリ意識すれば分かりますが、意識し始めると痛みが消えて替わりに患部の血管がドキドキと脈打つの感じられます。その時にこれが痛みの正体であったのかと気づくのです。  ただ実際問題として、痛みを意識するにはあまりにもその痛みが大きい、あるいはこれまでその痛みを無視しようとし続けて来たのに急にその精神パターンを変えられない、などの問題があります。ではどうすれば良いか。あなたの精神を少しずつ変化さすことです。 痛みを意識するのに、最初は数秒の間だけ試してみる。それを何度もチャレンジして、次第に意識する時間を長くするようにしていきます。患部を手で触りながら行うとなおさら意識しやすいでしょう。しかし意識の途中で嫌になったらすぐ止めることです。あなたの精神を導くことが目的ですから、いやいやおこなっても意味がないのです。  補足として、患部を意識することが医学的にはどのような意味をもつかと言えば、意識すると肉体のその部分に血液が集まり新陳代謝が促進され、それによって患部の毒素が速やかに排除されやすくなる、ということでしょうか。意識の集中が肉体に影響を与えることを確認したければ、人差し指の指先を顔の目と目の間に近づければ分かるでしょう。目と目の間に血液が集まりむずがゆくなります。

manabu3345
質問者

お礼

>その病気のために自らの精神の平安を保てないとしたら、多分あなたは自分の人生の哲学をさらに求め究めていく必要があるのではないかと思います。 はい、保てません;;それがかなり悲しいです。 >痛みから生ずるあなたの苦悩は、まさにその対応の仕方が分からないことから生じていると言ってもいいのではないかと思います。 はい、ズバリそうです。とてもあいまいです。 なるほど。たしかに痛みから逃れようと、避けたりしていました。発想の転換で、味わうのですか、やってみます! どうもありがとうございました!

回答No.10

kaitaradouです。肉体的病というものは、人間を現在に固定するものであると思います。現在に固定するというのは、人間以外の生物が生きている世界へと戻ることになります。このことはいわゆる健康な人には事実上実感されないことだと思います。つまり普通人間は過去のことか未来のことしか考えていないからでス。たとえ、現在の課題と言ってもこれは未来のことを考えているわけです。又この課題を考えるのは過去の記憶を用いて行われます。肉体的病というものは、この意味で最も反哲学的なものだと思います。しかし同時に瞬間瞬間を生きていると言う実感を与えると言う意味では最も生きていることを深く体験しているということにならないでしょうか。歯痛に悩んだパスカルは、永遠を深く洞察していました。現在と永遠はパスカルにおいては肉体的苦痛を介して同一なものとされていたのではないでしょうか。

manabu3345
質問者

お礼

なるほど、深いですね~私みたいな人間にはかなり難しいです。でも、なんとなくわかります。本当にありがとうございました! もし良ければですが^^; パスカルは永遠を深く洞察していました。それはどんな風になんでしょうか?私もなにか参考にできることなら勉強してみたいのですが。

  • 8942
  • ベストアンサー率13% (188/1414)
回答No.9

 こんな本を見つけました。 私は読んでいませんが、ちょっと前にタレントの武田鉄也さんがこの本を読んでラジオで コメントしてました。それで少し覚えていたので検索をしたらヒットしました。  確か・・現代社会はあらゆる苦しみから、逃れられるように文明は発達してきた。 本当にそれよいのか? 痛みを避けて生きてゆく事は人間にとって本当に良いことなのか? 痛みなく死んでゆく人生に意味はあるのか?そんな内容の事を武田さんがしゃべっておりました。 かなりうろ覚えなんですが・・ 質問者さんの求めるものへの糸口が書かれているかも知れません。参考まで   無痛文明論 http://www.lifestudies.org/jp/mutsu07.htm

manabu3345
質問者

お礼

参考本の紹介本当にありがとうございます! はい、是非読んでみます。なにか私も糸口がみえそうな気がします! 本当にありがとうございました!

  • vesalius
  • ベストアンサー率16% (1/6)
回答No.8

素晴らしいことです。 哲学を始めるには何かのきっかけを必要とします。そのきっかけが 質問者様の場合たまたま病気であったというだけでしょう。自身の よい糧となることを期待します。 しかし他の方々がすでにおっしゃられているように、哲学というの は個人の思想です。ハイデカーもプラトンも、彼らが一個人として 考えたことを後世の人間が「哲学」と呼んでいるだけに過ぎません。 ただ、後世の人間としての私たちはそれらを参考にすることができ ます。それら優良な意見を参考にして組み合わせて並び替えもして、 咀嚼することで自分自身ただひとつきりの「真実」としての哲学を 見出すことができます。 それは他人にどういわれようとなかなか歪むことのない、強靭な一 本の柱です。著名な哲学者の考えにさえ劣らないものです。 見出すことに時間はかかりますが、是非とも時間を有効にお使いく ださい。 最後になりましたが、私的意見としまして以下の本をオススメしま す。哲学の基本的な内容をとても面白く紹介しています。 「パラドックスの面白さが分かる本」  著者:香川知晶 出版社:河出書房新社 これに飽き足らず、「おや」と思った本はすぐ手にとってみることも オススメします。

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309502067/249-4935401-2445168
manabu3345
質問者

お礼

>後世の人間としての私たちはそれらを参考にすることができ ます。それら優良な意見を参考にして組み合わせて並び替えもして、 咀嚼することで自分自身ただひとつきりの「真実」としての哲学を 見出すことができます。 なるほどたしかに。 >それは他人にどういわれようとなかなか歪むことのない、強靭な一 本の柱です。著名な哲学者の考えにさえ劣らないものです。 見出すことに時間はかかりますが、是非とも時間を有効にお使いく ださい。 はい、ありがとうございます。私もそう信じがんばります。 参考本の紹介ありがとうございます!是非必ず読みます!ありがとうございました!

回答No.7

全くの私見ですが、病に対する哲学的アプローチというのは病そのものをどのように考えるかを離れては行うことができないと思います。繰り返しですが、パスカルは虫歯を哲学的に考えたでしょうか。

manabu3345
質問者

補足

>病に対する哲学的アプローチというのは病そのものをどのように考えるかを離れては行うことができないと思います。 私もそう思います。どう考えればいいのか正直悩んでいました。たしかに捕らえ方によって、天にも地にもなるのは深く実感しています。なにかアドバイス頂ければ本当にありがたいです。 >繰り返しですが、パスカルは虫歯を哲学的に考えたでしょうか。 どういうことでしょうか?パスカルはどう考えていたんでしょうか?非常に興味があります。

noname#50219
noname#50219
回答No.6

病にあっても、尊厳を持つことができる。 それが哲学的な生き方がもたらす幸せではないでしょうか。 病にあって、自己の無力に苛まれ、生命に対して不遜になる。「なんで、俺が、生命の勝手で、このような目(苦)にあわなければならないのか?お前(生命)さえこのような態度を取らなければ、俺はうまくいっていたのに。」   孫悟空の話をしようと思います。 お釈迦様が修行の旅の途中、腰掛けた岩には霊力が宿り、お釈迦様が成道した後、そこから孫悟空が生まれました。 孫悟空は、ありとあらゆる術の使い手で、その上不死のいのちを持つ大妖怪になりました。しかし、その暴れぶり、孫悟空の在りのままに、他の皆は困っていた。だから、御釈迦さんが、彼の頭に金の輪を着け、玄奘三蔵のお供を言いつけました。 孫悟空の怒りは計り知れません。なんで俺が、坊主の付き人をせねばならんのか。しかし、ぎゃーとわめけば玄奘の呪文により、頭に掛けられた金の輪が、孫悟空の頭を締め付けます。仕方なしに、孫悟空は三蔵の天竺への旅の、お供を勤め上げ、聖天となります。   孫悟空は、自己という自由なるものを象徴しているのだと思います。彼はもともと聖なる者でしたが、在りのままでは、徳を積むという事をしません。 金の輪は、不自由の象徴です。今に置き換えれば病気です。自由を制する金の輪、釈迦の引導により、玄奘三蔵のお供を強要させられます(闘病生活)。   しかし結果を見れば分かるように、孫悟空は、金の輪(不自由)によって、活かされていたことが分かります。金の輪さえなければ只のカオスであった孫悟空は、金の輪という不自由を受けることで、仏に仕えるという徳を知ったのです。   病(金の輪)を抱えて生きると言うことが、本来は自由な貴方を活かす道であるというのが、西遊記から見た救済の解釈です。 孫悟空にとっては、玄奘が天竺へ行き着けるというのはどうでも良いことだったと思うのですが、それをしなければ仕方の無い状態だったと言うことです。 あるがままでよかった孫悟空は、あるがままであったが故に、仏の引導を受け、闘病生活をしなければならない状態になってしまったのです。   ただ、今、西遊記的救いに納得できない孫悟空が、哲学をしたら、己の金の輪にどう対処するか。 それこそ本当の、孫悟空になって歩む、西遊記だと思うのです。西遊記は、孫悟空VS仏の、闘いなのではないでしょうか。 生命と闘う人間が、活き活きと描かれているのだと思います。

manabu3345
質問者

お礼

>。「なんで、俺が、生命の勝手で、このような目(苦)にあわなければならないのか?お前(生命)さえこのような態度を取らなければ、俺はうまくいっていたのに。」 過去にそういう気持ちに何度なったことか・・・本当に共感します。 孫悟空のことは話だけはなんとなく知っていましたが、そんなに深いお話だとは知りませんでした。 とても興味が沸き、なにか学べそうな気持ちでいます。自分でもいろいろ調べてみます、教えて頂き本当にありがたいです。

noname#155689
noname#155689
回答No.5

哲学としての仏教、中でも「空思想」がイイのではないかと思います。 (私は仏教徒ではありませんし、神や神話・神秘体験を信ずる者でもありません。) とりあえず、コチラの本をおススメします。 ■「問い」から始まる仏教―南 直哉 (著) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4333020484/250-7320632-2976248 http://www.kosei-shuppan.co.jp/review/review01.html ちなみにこの本は、前2/3が哲学的問答、後1/3が修行への誘いになっていて 哲学問答の部分は個人的にヒットでした。 (座禅から始まる)修業の部分はやってみないと分からないことで 都合が許せば一度体験したいのですが、ちょっとハードルが高い・・・。

manabu3345
質問者

お礼

参考本の紹介感謝致します! 必ず読んでみます!楽しみです。 本当にありがとうございました!

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.4

#2さんおっしゃるように、既にあなたは十分哲学的生を生きていると思います。 あなたのように思考することが直接・間接的に人類を進化させていくのでしょう。 あなたの存在自体に多大な価値があります。 どうか強靭な精神で自己を養う術を実践流布していただきたいと思います。 ただし、精神も肉体も相互依存的な存在であり、また、存在するものである限り、緩急のメリハリは必要とされます。 十分な睡眠を心がけ、はやる心を制御し、ひたすら静の境地に着地する地平を求める事が、次の段階への大きなバネにもなりうるという事実も大事になさってください。

manabu3345
質問者

お礼

心強いお言葉本当に感謝致します。 >ただし、精神も肉体も相互依存的な存在であり、また、存在するものである限り、緩急のメリハリは必要とされます。 十分な睡眠を心がけ、はやる心を制御し、ひたすら静の境地に着地する地平を求める事が、次の段階への大きなバネにもなりうるという事実も大事になさってください。 はい^^ありがとうございます!真剣力になります。ありがとうございます!

回答No.3

パスカルは歯痛を忘れるために数学の問題を考えたという話を聞いたことがあります。パスカルは病弱でしたが、そのことをあまり苦にしていなかったように思います。全然外れているかもしれませんが、何かを手作りするというのはどうでしょうか。手作りしている時にいろいろなことを考えることが哲学するということにならないでしょうか。、

manabu3345
質問者

お礼

なるほど、そうなんですか。たしかになにかに集中しているときはあまり苦にはなりません。そういう人もいたんですか、本当に教えて頂き感謝致します。自分もそうやってがんばってみようと思えてきました!ありがとうございました!

関連するQ&A

専門家に質問してみよう