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被爆者団体の抗議行動について

この記事を読んで皆様はどう感じますでしょうか。 http://www.asahi.com/national/update/1213/009.html 私には被爆者団体の抗議は筋違いのように思います。 たしかにアメリカ人に原爆の悲惨さを分からせることは大切ですが、それをスミソニアンにやらそうというのはおかしいと思います。他人に無理やり展示させるのではなく、自分たち自らが原爆展示館などを作って啓蒙するのが筋ではないでしょうか。 こう考えるのは変でしょうか。 他の方々がどうお感じになっているか知りたかったものですから質問してみました。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.8

NO.5・6です。補足を読んだ上で回答を、と思ったのですが、 既にNO.7の方が簡潔に的確な答えを書いて下さっていますので、 私自身の回答の不足点を述べさせていただきます。 原爆=現在に至るまでの全ての核兵器の象徴、であると私は考えております。 その上で、B-29の中でも原爆投下したエノラ・ゲイである、ということが問題なのです。 鬼子扱いしているのではなく、エノラ・ゲイは、展示する側が望もうと望むまいと、 原爆の象徴ひいては核戦争の象徴としての側面を持ってしまっています。 >なぜ原爆を特別視するのでしょうか。 >一回の空襲の被害者数で比べれば東京大空襲のほうが多いはずです。 >焼夷弾であれば何人殺してもかまわない、といっているように聞こえます。 原爆を投下したからといって、特別視しなくてもよいのでは、ということですが、 さすがに、核兵器を通常の兵器と同列には考えてらっしゃらないと思うのですが。 そういった意味で確かに私は原爆を特別視していますが、だからと言って、 焼夷弾であればいいと言っている訳ではないことはわかっていただけるかと思います。 私の表現に至らない点があったばかりに、誤解を招いてしまい、申し訳ありません。 核兵器は特別な兵器として、その保有が制限されるようになりました。 しかし廃絶されるには至っておりません。いわゆる核抑止力のためです。 一部の国による特権的核保有、それに対抗するための違法な核保有・・・。 核兵器はその存在一つで、現在でも多くの問題を引き起こしていることは事実です。 そうした意味でも特別な兵器であることは間違いないと思います。 原爆の投下の是非は、過去の出来事として終わっているのではなく、 現在の、核兵器のような兵器をも利用した世界の均衡維持に対する 現在的問題としての側面も有しているのだと思います。 だからこそ、原爆を投下したエノラ・ゲイの展示は、現在でも特別な意味を持つのです。 >スミソニアンの航空宇宙博物館は、戦争を賛美するための博物館ではありません。B-29を展示したからといって無差別爆撃を肯定しているわけではないということは普通の人なら分かるはずです。 エノラ・ゲイを展示したからといって、原爆=核兵器を賛美しているわけではないということは 普通の人にはわかるはずだ、ということでしょうか? 何度も申し上げているように、望むと望まざるとに関わらず、既に一部の人には特別な意味を持っております。 現に、質問者様がこうした質問をすれば、さまざまな答えが返ってくるのですから。 私のような、航空機には疎いものでも名前を知っている、そのくらいエノラ・ゲイは特別なんです。 スミソニアンが戦争を賛美する博物館ではなく普通の博物館であることはわかっておりますが、 だからこそ、何故、そんな誤解を招く恐れのある展示をあえてする必要があるのかと思ってしまいます。 歴史的考証の一材料として取り上げるのであれば、その対象はあらゆるケースを考えて 厳選されるべきと思いますが、いかがでしょうか?

double_life
質問者

お礼

ありがとうございます。 納得は出来ませんが、被爆者団体がどう考えているのかが分かったように思います。

その他の回答 (7)

  • gokuh_
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回答No.7

> 一回の空襲の被害者数で比べれば東京大空襲のほうが多いはずです。 > 焼夷弾であれば何人殺してもかまわない、といっているように聞こえます。 何故、その様に思われるのかがよく分からないのですが・・・。 死者の数が問題なのではなく原爆が核兵器であることが問題なのです。(焼夷弾も現代の戦争で用いれば非難の的ですが) 第二次大戦後に「核の抑止力」等という言葉が用いられたり、東西陣営の核開発競争があったように、核兵器は広島長崎の原爆という以前に「特別視」されてきたものであり、今後も特別視されていくものだと思います。 「エノラ・ゲイ」はその象徴的存在です。 今回のスミソニアンの騒動は「エノラ・ゲイ」であることが問題だったのでは? 何故、「エノラ・ゲイ」だったのでしょう? > B-29はレシプロ爆撃機のなかで間違いなく最高峰の機体であると思います。 といった点について、今回誰も非難の声もあげず、抗議もされていないかと。 「B-29が原爆を投下した同タイプの爆撃機だから展示するな」と言うのならば言い掛かりかもしれませんが、何故、数あるB-29の中で、わざわざ「エノラ・ゲイ」を持ち出したのか? アジアの西と東で核兵器の開発疑惑までも持ち上がる物騒な最中、「エノラ・ゲイ」を持ち出せば誰もが原爆を連想するのはわかるはず。 第一号機でも最後の製造機でも、現存する機でも、構わないのを・・・。 せめて原爆の功罪両面を述べて原爆賛美の声が上がらないよう、またあたらめて原爆の怖さを理解して欲しいという願いが受け入れられなかった。というのが抗議団体が強く出てきた訳でははないでしょうか。 B29を鬼子扱いしているのではなく、優れた面とその功績・それがもたらした物、全てを展示し皆が考え理解して、初めて「博物館」が「博物館」の意味を成すのだと思います。

double_life
質問者

お礼

ありがとうございます

回答No.6

追加ですが、 「エノラ・ゲイによる原爆投下が戦争終結を早め、日本での地上戦を食い止めた」 という考え方自体、本当はアメリカが原爆投下を正当化するために広めたものらしく、 本当は原爆投下などしなくても、日本は降伏寸前だったようです。 詳しくは質問からずれてしまうのでやめておきますが、一応付け加えておきます。

double_life
質問者

補足

原爆の悲惨さは十分理解しているつもりですので語っていただかなくても結構です。 なぜ原爆を特別視するのでしょうか。 一回の空襲の被害者数で比べれば東京大空襲のほうが多いはずです。 焼夷弾であれば何人殺してもかまわない、といっているように聞こえます。 スミソニアンの航空宇宙博物館は、(分かっているとは思いますが)戦争を賛美するための博物館ではありません。B-29を展示したからといって無差別爆撃を肯定しているわけではないということは普通の人なら分かるはずです。 航空機に興味のない方にこんなことを言っても通じないと思いますが、 B-29はレシプロ爆撃機のなかで間違いなく最高峰の機体であると思います。 当時としては速度、高度、航続距離などずば抜けた性能であるからこそ数々の重大な作戦をこなすことが出来たのだと思います。原爆を投下したからといって鬼子扱いするのは航空機史上あってはならないことだと思います。

回答No.5

長文お許しください。 被爆者の方の抗議行動を説明した一文の中で、 「B29はたくさんある。なぜエノラ・ゲイでなければならないのか」 という一文に注目してください。 エノラ・ゲイというのは、初めて、非人道的大量破壊兵器である原爆を投下した機体です。 おのずと、他のB29とは違う意味合いを持ちます。 「エノラ・ゲイによる原爆投下が戦争終結を早め、日本での地上戦を食い止めた」 とする投下正当化論が、アメリカでは主流だからです。 アメリカの退役軍人の方などは、エノラ・ゲイを称えることを通して 原爆という兵器の絶望的なまでの破壊力、もたらす被害の凄まじさに目をつぶり、 戦争を終結するのに役立ったから、と歴史的に「正しかった」ものとしようとしています。 原爆がもたらす悲劇は筆舌に尽くしがたいものがあります。 万が一、原爆がその戦争の一側面で戦争終結を早める役割をしたとしても、 それによって、歴史的に「正しかった」としてしまうことは誤りだと私は思います。 なぜなら、そうした正当化は、今後同じような状況に直面したときにも、 原爆のような非人道的大量破壊兵器を使用することをも肯定してしまうからです。 だからこそ、被爆者の方々は、その記事のような展示により 原爆投下が単純に正当化されてしまう恐れがあるために、 見過ごすことが出来なかったのではないでしょうか? >他人に無理やり展示させるのではなく、自分たち自らが原爆展示館などを作って啓蒙するのが筋ではないでしょうか。 とありますが、これは非常に難しいと思います。それが被爆者の方々の苦労されている点です。 実際に、過去にスミソニアンで、エノラ・ゲイを中心とした原爆展が企画されました。 この展示自体は最終的にはアメリカの投下行動を正当化するものであったようですが、 それにも拘らず、アメリカの退役軍人団体の猛烈な抗議によって、 被爆による被害の展示は中止に追い込まれております。 原爆被害について知らせること事態が、アメリカではとても難しいようです。 被爆による被害の凄まじさ、悲惨さを知ることを通して、 「原爆を初めとした放射能兵器は、何があっても使用することは誤りである」 という考え方を持ってもらうこと、それが被爆者の方の望みではないでしょうか。 アメリカでは、正当化論が先にたち、こうした考え方が浸透しづらくなっている面があると思います。 最近の湾岸戦争で劣化ウラン弾が使われて問題になりましたが、 その劣化ウラン弾がもたらす放射能被害も、深刻なものです。 それを例えば「湾岸戦争の早期終結に貢献した」と考えて終わりにしていいものでしょうか? 戦争だから、という理由で何をやってもいいのでしょうか? 湾岸戦争自体は、どう考えても最初に攻め込んだイラクに非がありますが、 そのイラクからクウェートを救うという人道的目的のためならば、 非人道的兵器が使われていいものでしょうか? 被爆者の方々の抗議は、過去の出来事に対するものではなく、 むしろ現在から未来につながる問題提起なのではないかと私は思います。

double_life
質問者

お礼

ありがとうございます

  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.4

彼らは単に政治利用したいだけです。そもそも彼らには守るべき祖国などないでしょう。反対ばかり口にして、祖国の防衛などまったく考えないような者に耳を貸す必要など一切ないと思います。 そもそも兵器や戦法に、良し悪しはありません。そんなことを言ったら、それぞれの祖国のために命をかけて戦った将兵に失礼でしょう。 エノラゲイ号の生産にあたった工場従業員も、搭乗クルーもみな自分の祖国のために戦ったのです。もちろん日夜、防空の任務にあたった日本軍の将兵もです。 そこに、あいつらは悪いやつだというのは、彼らに対する冒涜です。

double_life
質問者

お礼

ありがとうございます

  • gokuh_
  • ベストアンサー率39% (89/226)
回答No.3

被爆者団体がスミソニアンに抗議活動をという点だけで見ると確かに筋違いかもしれません。 ただ、アメリカ人に原爆の悲惨さを分からせることは非常に難しいのが現実かと思います。 今回の抗議にはアメリカ国内からも出ている様ですが、国民の大半は「原爆が対日戦争を終わらせた」と考えているのでは?とも思える のです。 地道な原爆被害の啓蒙は過去からずーっと続けられているのですが一部の知識人には伝わっても国民一人一人に伝わらない。 軍関係の展示施設の土産物売り場では広島・長崎に投下された原爆をかたちどったピアスやペンダント・Tシャツ等が売られているのを観ると、そんな気が拭えません。 さて、この時期怖いのが「太平洋戦争も原爆で終わらせた。」「特攻も自爆テロも原爆には叶わない」等と原爆の威力を評価し「イラクやビン・ラディン一派も原爆を2~3発落としてしまえばカタが済む」といった暴走行為に出ないかなどと危惧さえしてしまう・・・。 「スミソニアンに原爆の悲惨さの展示をやらそう」という抗議ではなく原爆賛美の声が出ないように功と罪を展示して改めて米国民に戦争の悲惨さを考えて欲しいというのが被爆者団体の本当の意思ではないでしょうか・・・と、感じております。

double_life
質問者

お礼

ありがとうございます

  • hosana
  • ベストアンサー率27% (81/295)
回答No.2

このイベントはライト兄弟が初めて飛行に成功した日から100年という節目なので、飛行機の歴史を振り返るという趣旨です。 そこでエノラゲイがたまたま選ばれたわけです。 しかし飛行機の歴史とは必ずしも乗客、荷物の運搬だけではなく、戦争に使われました。 ダイナマイトと同じようなことです 歴史を振り返るという趣旨なのに戦争に使われどのような被害があったかに触れないのは絶対におかしいという被爆者の方の意見は筋違いでしょうか? 他人に無理矢理展示させる とありますが、無理矢理展示しているのは博物館のように思います。 ちなみにそこで被爆者の方が被害について講演していましたが、聞いていたアメリカの方は 「こんなにひどいとは今まで知らなかった」 などと驚きを隠せないようでした そしてその後そのアメリカ人はエノラゲイの前に立ちしきりに 「Don`t forget HIROSIMA」 と繰り返していました。 もし筋違いであれば誰がこんなことをしますか? あなたはこの質問をする前にどのくらい調べたのでしょうか? まさか参考URLの記事一つでこんな質問をなさったのですか? 被爆者の思いを軽んじる日本人と、被爆者の思いを受け止め必死に抗議するアメリカ人なにかさびしいですね

double_life
質問者

お礼

ありがとうございます

  • yomoba
  • ベストアンサー率21% (22/104)
回答No.1

中国の方が日本の首相の靖国参拝に抗議をしますね。 それと似たことではないのかと思うのです。 昔の行為を忘れて、戦犯(スミソニアンの場合はエノラゲイ)をヒーロー化してないか?反省してないんじゃないの?と、心配というか、怒りに近い気持ちなのではないかと。 この記事にスミソニアンは国立と書かれてますよね。アメリカの博物館が日本にとっては単なる「飛行機」ではないエノラゲイを説明もなしに展示することが耐えられなかったのでしょう。 ただし、この記事の途中の「B29はたくさんある~~」というところは??でした。エノラゲイでないB29の落とす焼夷弾で家族を失った人も多いはず。「B29にしろエノラゲイにしろ、何をした飛行機なのか展示せよ」と言っていただきたかったです。・・・それは政治家の仕事ですね。

double_life
質問者

お礼

ありがとうございます

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