• ベストアンサー

昔の名前のつけ方

山田風太郎の小説を読んでいて、江戸時代の男性の登場人物で、采女という名前(苗字ではない)が出てきました wikipediaで采女を調べてみると、朝廷に使える女官の事だとわかったのですが それならば何故男の名前として采女という名前が出てくるのでしょうか また、その他にも江戸時代の名前と言えば、熊五郎だとか、八兵衛、お縫、修理ノ助など、 子供の将来への期待をこめて名前をつける現代の私から見ると何を考えているのかわからない名前がよくありますが その当時の人々はどういう理由で名前をつけていたのでしょうか 解答お願いします

  • yaSIOU
  • お礼率27% (156/569)
  • 歴史
  • 回答数5
  • ありがとう数5

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#163573
noname#163573
回答No.5

>大名や地位の高い剣豪などの名前と比べ、安直な名前に思えていましたが 幼名は竹千代、などやはり縁起や長寿を願ったような名前が付いていますよ? 家康はいみなであり、普段使う名前ではありません。 幼名以降の名前も変化しています 高い地位の人はいみな、字、姓や氏などかなり複雑な名前で 時期によっても変化しますので調べてみるとおもしろいですよ ここで述べると長ったらしい話になるので割愛しますが…。 いずれにしても親が長寿や立身出世、安定した願いをこめてつけたというのは 今の時代と変わらないのではないでしょうか。 今は生きること、食べることへの危機感がないので 愛されるような名前とか、風光明媚だったり人との関係とか自然を入れる人も多いですね。 心、愛、優、空、海…が近年好まれてると思います。 これも人とのつながりが生きていくのに重要な時代だからというのもあると思いますけど いずれにしても子供の幸せ、健康、安泰を願っていることとは変わりませんね。 昔はそれを病魔や悪鬼を避けるために縁起を担いだというだけで。 秀吉の子供などは、捨て子はよく育つという縁起をかついで捨丸としたところ早死にしたので 次の子には縁起物を拾ったという拾丸、という名前が付いています。 縁起だけじゃなくて実際にわざと捨てて拾う真似までして。 これも今の感覚で漢字だけ見ると捨てたの拾ったのってなんだ?と思うかもしれませんが やはり子の長生きを願った縁起が担がれています。 庶民でも厄年の子や病弱な子などを一度捨てて拾う形式を取る場合もあるというので そのあたりも庶民も同じじゃないでしょうか。 はたから見ると奇妙でも、現代でも画数が悪いといって奇妙な字を名前に使ってみたり 改名したり、普段使いに別の字を使ったりする人もいますから。

その他の回答 (4)

  • toshineko
  • ベストアンサー率44% (258/575)
回答No.4

このケースの「釆女」は、仮名(通称)と考えられます。 諱の使用を避ける為に便宜的に用いた代わりの呼称です。 武士は苗字と諱(本名)のほかに仮名(通称)を持っていることが普通でした。 例としては、石田三成家臣の島「左近」、忠臣蔵の大石「内蔵助」、必殺仕事人の中村「主水」が仮名にあたります。 釆女は確かに朝廷に仕える女官のことですが、それを支配し管理する役人は男で、宮内省釆女司に属する官僚です。 http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/o_shi_uneme.html 小説の内容自体は存じ上げませんが、おそらく朝廷から正式に釆女正や釆女佑に 叙任されたわけではないとおもわれます。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E5%90%8D_(%E9%80%9A%E7%A7%B0)
  • fumkum
  • ベストアンサー率66% (504/763)
回答No.3

采女は女官ですが、それを管理する采女司の職員は男性です。長官が采女正(うねめのかみ)。四等官のスケはなく、ジョウは采女佑(うねめのじょう)、サカンが采女令史(うねめのさかん)です。 では名前に采女と付くことですが、これは「百官名」と言います。武士などが名乗った官職風の名を言います。鎌倉時代以降武士も官名を名乗ることが徐々に広まり、また、官名を僭称したり自称することも多くなるとともに、疑似官名をつくったりしましたが、官職名の一部を略したものを百官名と言います。この采女は采女正(佑・令史)の「正(佑・令史)」の部分を省略し、ありそうでない官名風のなにしたものです。 質問の中の修理ノ助についても百官名です。修理ノ助の「修理」は「修理職(シュリシキ)」という令外の官庁ですが、この「スケ」は修理亮(シュリノスケ)で正式な官名は「亮」と書きます。「修理ノ助」はありそうでない官職名となります。 なおこのような百官名は、名字の次、諱(いみな)の前につけます。大名や上級の旗本などは正式な官職に任命され(官途-カント)、浅野内匠頭長矩(内匠頭が官途)のように名乗りますが、それ以下の階層の武士が権威づけや先祖からの代々の受け継ぎなどにより名乗ることが多かったようです。しかし、時代が下るにつれその傾向が拡大されていきます。 八兵衛の「兵衛」はやはり律令の武官である左兵衛府・右兵衛府の下部に実際にあった官名です。兵衛はともかく八兵衛となると百官名とは言い難く、庶民にも多い名となります。 熊五郎は5番目の男子で熊のように強くなってもらいたいとの気持ち、お縫は裁縫が上手な女性になってもらいたいとの親の気持ちが込められているように思います。 現代の名付がいろいろな理由でされるように江戸時代でも名前の付け方は千差万別な傾向にあったと思います。 なお、農民の名前が代々受け継がれる(世襲される)傾向があったのは、検地で耕作人の名が検地帳に記載されるために、権利関係の継承をはっきりさせるためとの説があります。この名前の世襲が商人、役者などにも広まったとも言います。 采女司 http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/o_shi_uneme.html#Shi 百官名(右弁官局の中に采女を記述。修理は令外官に記述) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%AE%98%E5%90%8D 修理職 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E7%90%86%E8%81%B7 左右兵衛府 http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/o_fu_hyoe.html#Hyoe

  • srafp
  • ベストアンサー率56% (2185/3855)
回答No.2

飽くまでも私見です。 > wikipediaで采女を調べてみると、朝廷に使える女官の事だとわかったのですが > それならば何故男の名前として采女という名前が出てくるのでしょうか  確か『采女』には別の意味合い(まじない)があってと記憶しているのですが、思い出せないので周辺知識を書きます。  今でも「男の子」は「女の子」に比べて生存確率が低いのですが、医療や栄養状態が今より悪い頃は、ワザと「女の子」の名前をつけることで、『この子供は女の子ですから、間違って男の子の様に早死にさせないで下さいね』と言う習わしはある。  同様に、昭和30年代まで残っていたまじないとして、7歳になるまではワザと女の子の格好をさせておくというものもあった[映画化で有名になった『3丁目の夕日』にも、どの回だったかは定かではありませんが描かれています]。因みに、私は祖母から聞いただけなので証拠は持っていないが、昭和天皇もご幼少の頃は女の子の格好をしていたという話です。 > また、その他にも江戸時代の名前と言えば、熊五郎だとか、八兵衛、お縫、修理ノ助など、 > 子供の将来への期待をこめて名前をつける現代の私から見ると > 何を考えているのかわからない名前がよくありますが ・とても変な名前 上記の続きになりますが、子供が早死にするのは魔(鬼)がくる為だという考えから、幼名に汚物の名称を付ける事があります。 ・動物系の名前 熊とかトラの様な強い動物の名前を入れることで、『その力(加護)を得て、丈夫に育て』という親心からつけられた名前がありますよ。 ・技能とか工具系の名前  技能名や工具名を名前に入れることで、『手に職をつけて、食事に困る様な事が生じないように』という親心から付けられた名前があります。『お縫』は多分、裁縫ですね。  また、『鍋』とか『網』の字は、「食事を作る鍋がある」⇒「食事を毎日作る」とか、「網がある」⇒「いつでも魚が取れる」といった感じて、食事や食材に困らないようにとの願いからつけられていることがあります。 ・数字系の名前  「太郎」「二郎」「三郎」「四郎」「五郎」等の全てがそうだとは言わないが、これは、いつ死ぬか判らないから多産となっていたので、一々考えるのが面倒だから番号を振ったという説が有力。

yaSIOU
質問者

お礼

糞や犬などのわざと下劣な名前をつけて魔を払う、という話を子供の頃本で読んだことがありましたが、江戸時代にもそれが続いていたとは知りませんでした 確かに三丁目の夕日でもそのようなエピソードがあったのを思い出しました しかし女の名前をつけることで生存確率を高めようとする、という考えにはいたりませんでした 回答ありがとうございます

noname#163573
noname#163573
回答No.1

詳しくはないのですが私が過去に読んだり聞いたりした話では 昔は乳幼児死亡率も高く7歳までは預かり物、というような時代だったので 男の子には「熊」「虎」「荒」などの強そうなものの名前を借りて病魔が近寄らないようにするとか 女の子のような名前をつけて、病魔に目をつけられないようにする… というおまじない的な意味もあったと聞いたことがあります。 八、は八番目の子供だったかもしれないし末広がりの八を縁起を担いでつけたのではないでしょうか。 兵衛は江戸より前から男の名前に付けるものとしてありましたね。 お縫なら縫い物がうまくなるようにとか、そういう願いがあったのでは。 また女は呼びつけやすいような短い名前が多いと聞いたこともあります。

yaSIOU
質問者

お礼

家康や政宗など、大名や地位の高い剣豪などの名前と比べ、安直な名前に思えていましたが、当時にもきちんとした理由があったのですね 回答ありがとうございました

関連するQ&A

  • 江戸時代の髷の名前が知りたいです

    江戸時代の髷の名前が知りたいという事に、なります これは水戸黄門等、時代劇を見てると感じるんですが 例えば、侍と町人では髷が違いますよね? しかも侍でも、普通に頭の上に 髷を載せてる方法も、あれば 一休さんの将軍や、新右衛門の様に 空中に浮かしてる(?)物も、あります その他、水戸黄門で言えば 助さんや格さんの髷と、弥七の髷では違いますし 八兵衛の髷も、また違ってます そこで聞きたいんですが 江戸時代の男の髷で 名前が分るHPは御存じ無いでしょうか? 自分で検索した結果では、こういうHPはヒットしました http://www.cosmo.ne.jp/~barber/kamigata.html しかし、イラストの為、分り難いんで 出来れば写真の載ってるHPを知りたいんですが

  • 昔の未来は?

    現代の人々が想像する未来(50年後ぐらい)は 近未来SF映画のようなものだと思いますが、 昔(江戸時代くらい)の人々の想像する未来は どんなものだったのでしょうか? 電気が無いので、劇的な変化は想像できなかったのでしょうか? 専門的な回答でも非専門的な回答でも結構ですので 教えてください。

  • 平安時代の女官~江戸時代の貴族

    平安時代は女官でなくても女性の名前は、本人と親と夫くらいしか知らなかったそうで、 宮中の女官の呼び名は、何とか式部とかになっています。 これはどういう風につけられていますか? 清少納言は、親の地位と苗字の一字から取られたそうですが、他にはどういう物があるのか教えてください。 また、江戸時代に貴族や皇族の女性が徳川家の男性に嫁ぐことが多かったようですが、 今に名前が知られていても、当時はやはり本名(○○子のような)は一般には知られていませんでしたか?

  • 「猫」はどうして人の名前にならないの?

    「利家とまつ」を見ながら思いました。  前田利家の若い頃の名前は「犬千代」ですよね。  江戸時代の女性に「お虎」「お熊」などという人はたくさんいました。男にも、熊五郎とか牛吉とかいう人は大勢いたでしょう。  幕末の吉田松陰の本名は「虎次郎」です。坂本「龍馬」という人もいました。  現代でも、渋澤「龍彦」とか星「飛雄馬」とか、動物の名前を入れた人名はたくさんあります。  ところが、「猫」はあんなに身近で、可愛いし姿も美しいし、人の名前になってもちっともおかしくないのに、「猫彦」も「猫也」も「猫一郎」も「猫子」も「猫江」もありません。昔の人の名前にさえ聞いたことがありません。  どうしてでしょうか??

  • 幻術使いはいたのか?

    皆さんこんにちは。 下記は『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用で、 山田風太郎の小説にもでてきる人物です。 果心居士(かしんこじ)とは、室町時代末期に登場した幻術師。 生没年不詳。七宝行者とも呼ばれる。織田信長、豊臣秀吉、 明智光秀、松永久秀らの前で幻術を披露したと記録されている。 実在を疑問視する向きもある。 もし他にも幻術使いがいたのなら教えてください。 実在がはっきりしないものでも結構です。 何卒よろしくお願いいたします。

  • 江戸時代の女性の名前

    江戸時代の女性の名前について質問させていただきます。 よく名前の前に「お」をつけた名前が女性の場合多いのですが、それは愛称だと聞きましたが、それ以外に「お」をつける理由はあるのでしょうか? また、江戸時代に女の子に名前をつける場合、どういう付け方をしていたのでしょうか?現代ですと名前をつける時、本で姓名判断をしたり流行の名前をつけたり等の選択肢がありますが、江戸時代の人たちはどういった経緯で名前を考えて命名していたのでしょうか? どなたかご存知の方がおられましたら、御回答の程よろしくお願いいたします。

  • 名字を名のる

    名字は明治時代になるとすぐに名のれたんですか それと江戸時代の墓に書いている名前は名字も書いていたんですか それとも名前だけですか

  • 戦国時代の人々の名前について

    司馬遼太郎の国盗り物語を読んだのですが、すこし感覚が掴めなかったので質問させてください。 戦国時代の人々の一般的な名前はどういったものなのでしょうか。 たとえば武将でいえば武田信玄、織田信長、明智光秀の呼び名は有名ですが、これらの名前って現代の人たちが理解しやすいように略した名前ですよね。 武田信玄は徳栄軒信玄 織田信長は織田上総介信長 明智光秀は明智十兵衛光秀 といった感じで、苗字+名前の形式ではなく、ミドルネーム?みたいなものはどういう規則であるのですか? ある人は御屋形、ある人は信玄公、ある人は信玄様とさまざまな呼び名で統一されなかったのには意味があったのでしょうか。 ある身分の人ならば織田様と呼び、ある身分の人は、弾正忠様と呼び、ある身分の人は信長様と呼んで良いなんていう規則もあったのでしょうか? また農民とかならば、個人を特定するような名前自体存在しなかったのでしょうか。 小説で読んだ中では志乃とかお清とか名前はみかけたので、名前がないということはあるでしょうが、人々の命名規則等は存在したのでしょうか。 (苗字は名乗ってはいけないとか、こういう名前を使ってはいけないとか言う規則はあると考えています) (また、将軍の姓を使った織田とかは名乗れなかったと思います) 苗字を名乗れるのは、どういう身分の人たちなのでしょうか。 小説の中で山崎屋とか商人の人々には名前があったと思うのですが、村里の人々での苗字はみかけませんでしたし。 質問がわかりづらいかも知れませんが、 1.身分によって相手を呼ぶときの名前に対し厳しい制約は存在していたのか。 2.庶民(農民、商人等)の人々の名前についてどういう命名規則があったのか。 (農民は名前のみ、商人は苗字(店の名前)のみ、武士は苗字+名前を名乗ることができたなど。) 3.また、命名規則があればどのような名前が多かったのでしょうか。 (農家の男なら五平、六平。女なら志乃、清など) の3つ教えてください。 よろしくお願いします。

  • 闇にひそむ「朝廷の裏歴史」とは?

    日本史の教科書・参考書どれを見ても武士の時代(鎌倉・室町・戦国・江戸)は 朝廷・天皇家に関する記述が極めて少ないです。 「天皇家の家系図」を見ても、江戸時代の天皇は聞いた事のない名前ばっかりです。 武士の時代における実質的な政権は、朝廷ではなく幕府にあり、天皇は名目上の 最高位でありながら、陰の存在だったという点は理解しておりますが、この時代、 朝廷内ではどんな動きがあったのか気になります。 幕府では新井白石・徳川吉宗・田沼意次などが活躍している間に 朝廷ではひっそりと血みどろの権力争いが行なわれていたのかもしれません。 摂政・関白の座をめぐって、あるいは天皇の擁立をめぐって、五摂家が覇権争いを 演じていたのかもしれません。 「次の関白の座はわが近衛家の物ぞ。一条の手に穢されてなるものか」 「近衛の横暴極まれり。いざわれら一条家の再興を」 みたいな感じで、何か面白そうなストーリーが闇に潜んでいそうな気がします。 私は権力争いの話が大好物で、戦国時代の群雄割拠、現代史で言えば 戦後の政党・派閥抗争なんか面白いと思っているので、江戸時代の朝廷でも 権力争いでもあれば面白いかと思ってみました。 朝廷の権力闘争の歴史についてのサイトや書籍を御存知の方はいらっしゃいますか? また、この歴史について何か御存知の方は何でも教えて下さいませ。

  • 名前は生誕したらつけますが、名字を新たに

     名前は生誕すると親等がつけてくれます。  名字は明治時代になって、全国民につきました。  それでは、新たに、名字を作ることは可能なのでしょうか?  昨日、たまたま、馬鹿な大人が、よく聞く”昭和以降”に新たに存在した名称の名字  で、その馬鹿な大人は昭和時代に作られたものと言わんばかりの発言をしました。    私は「それは違う!」 名字は、明治時代に作られたものであり、昭和時代に、新たに作成はできないはず!  と反論はしたのですが!法律・憲法にうとい、私は、説得力に欠けました。  私は、名字も万あるので、「たまたま、明治時代から付けれ名字が  現代風にマッチしているだけだ」としか考えれないと思います。    名字を新たに、昭和、平成時代に作ることは不可能ですよね!  以上、ばかな質問と思われる方もいらっしゃると思いますが、  日本の憲法・法律はどうなっているのか!知りたいです。  宜しくお願いします。