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日本人は自分のミスでなくとも
会社で自分のミスでなくともみなさんは一回謝る人が多いと思います。それで終わりにするか、自分ではありませんが私も関わっていたので、関わることがあるので気をつけますみたいに補足する人もいると思います。私は海外のいろいろな国々で働きましたがどこの国でも自分のミスでなければNoとはじめにはっきり言って誤解を解くことに時間をさきます。日本のこの文化というんでしょうか。どう思いますか?
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議論すると日本では、その後の関係が、 互いに離反状態、敵対状態になってしまうのも 実に、不思議なことですね。議論になること自体で、 全人格を全否定されたと思ってしまう人も 多々見られます。 そうした状況を あるアメリカ人が不思議がっていました。 他で、不思議なのは、 自己過大評価と自己過小評価はするけど、 謙虚に、現実を直視した自己評価を避けたがる傾向が ありますね。ミスに関わる謝罪も、真の謝罪ではなしに、 ある種のジェスチャーっぽい印象があります。 多くの日本の職場では連帯責任だからではないでしょうか。 (シビアであると上司が指導性を問われたりしますので) ミスを認めたら釘を刺して、許し、上司が釈明して、仕事は 上にまわすみたいな……まぁ組織状況やミスにも因るでしょうが。 ただ、研究テーマとしては 大ざっぱな文化比較は、あまり意味がないので、 個々の事例を大量に収集してから考察することを お勧めします。 Good Luck!
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- kuku82
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はじめまして 個人的には、日本のスタイルが好きです。 良いか悪いかは、ケースバイケースですので、一概には言えないと思います。 「会社で・・・」と限定されているので解りやすいですが、そもそも、会社のスタイルが大きく違いますよね? 従って、そのコミュニティに属する人の行動スタイルも異なって当然です。 そこを、人の行動スタイルから逆読みしていくと、疑問が生じて当然です。 ご存知とは思いますが、海外でも小さな子供がやった事に対して、親が誤るのは珍しいことではありません。 つまり、ここのコミュニティ感というのは、比較的、日本と似てると思います。 どうでしょうか? 従って、質問文は、「日本の会社スタイルはどうですか?」と読みかえられます。 すると、何故このような独特のスタイルになったか?を考える必要があると思います。 これは、2つの要素が大きく関係していると思います。 まず、島国であること。次に、農耕民族であること。(後者には島国も深く関係してますが・・) この二つから言えることは、そもそも世間が狭いです。 狭い世間で生きていくには、順列や協調が重要になります。 この辺りの原点が、俗にいう海外の多くとは大きく異なる点です。 従って、なるべくしてなった・・というだけでしょう。 では、これは変わったほうが良いのか?となると、 個人的には、過去を捨て、単に海外を見習いソッチに向かって変わるのではなく、 必要であれば、従来の日本式に海外の良い所を加えていくような変わり方・・・ が好ましいと思います。 なぜなら、そもそも根底に流れているものが違うのですから、無理に変わったとしても それは表面的でしかなく、何か大きな事が起きれば、はがれ落ち裸になり右往左往して それこそ崩壊してしまうでしょう。 何か大きな事が起きた時に真に強いのは、原点回帰できるかどうか、ではないかと思います。 話がそれた感がありますが、 それぞれの会社のスタイルに合ったスタイルで対応できるよう、両方身に付け使い分けるのが、 このご時勢当たり前かと思います。
- t78abyrf9c
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「世間」があるから、そうなる。 というのが、私の率直な印象です。 「世間」があるから、他国に比べて治安が良かったり、大地震が起きても略奪が目立たなかったりといった面もあるので、裏腹なのですが。 http://www.quon.asia/yomimono/business/global/2011/03/31/2640.php http://indianaky.blog45.fc2.com/blog-entry-431.html 周囲が海に囲まれている、四季がある、湿度が高い、天災が多い、などといった気候や風土が、「世間」を形成する上で重要な役割を果たしたとも思えますので、その辺の関連性も考慮すべきではないかと感じます。 参考になると思われる書籍もご紹介します。 なぜ日本人はとりあえず謝るのか―「ゆるし」と「はずし」の世間論 http://www.amazon.co.jp/dp/4569795528 http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/34834995.html http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/34841225.html http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/34871531.html
- Nkfe
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日本の人の自己範囲の考え方が、よその国の人たちとかなり違うだけです。 *どこまでが自己犠牲の上守る範囲なのか、もしくは全然関係ないのかを、瞬時に判断して反応する習慣上の問題です。 *激昂しやすい、カッとなりやすい人間を 居合いの方法で押さえ込み、怒る気をなくさせる一種の対処法でしょう。 *本当に謝る気がなくてもとりあえず発言しておくその場しのぎです。 Sorryの一言はそこに自己への不利益が反映される非常に不都合な言葉です。 ですから日本の”御免なさい”とか”すみません”は、少し意味が違うと考えた方が本当は正しいかもしれません。
武士道の文化も影響しているかなと思います。 失敗したときに色々言い訳して責任回避しようとすることを潔く思わない人が多いですからね。 言い訳っぽくならないためにも色々理由があったとしても、 まず結果を出せなかった、または失敗したという事態に対しては関わっていた者として謝罪をする、 その上で事態の説明をする態度が好まれますね。 まとめると、 責任転化を許さない文化だと思います。 また、個人の責任は皆の責任でもあるという考え方もあると思います。 悪い面は責任の所在がはっきりしなくなりやすいこと。 良い面は集団になった時の職務遂行能力は多分他国と比較してもダントツに高いことです。
- histrie22
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社内で上司などからミスを責められる場合ですよね? 「自分にも非がある」と謝るか「自分のミスではない」とはっきり言うか、 どちらがより自分にとってプラスになるか、マイナスにならないかを考えての対応の違いであって、 結局は「自分にとって有利」な方を選んでおり、国の違いは無いと思います。 日本では謝罪せず、「自分ではない」とはっきり言うことが「美徳」に反するという土壌があります。 上司の指摘が的外れであると言っているも同じですし。
- mimazoku_2
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まずは謝って「相手の感情を抑制する」というのが、心髄にあると思います。 だから、「すみません」で始まると思いますよ。 特に苦情の電話とかは、相手が興奮していて、「こちらに問題はありません」と言えば、火に油を注ぐのごとく、怒りをぶちまけて来ますからね。 なので、まずは「一旦、受け止める」意味で、すいません、から始まるのでしょう。 裏を返せば、相手を想いやる信条と言えるでしょう。
- nabituma
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確かにそういう面はありますね。 かならずしも悪いこととは思いませんが、海外では誤解されることも多いです。 外にでたら切り替えなければいけないかもしれませんね。 私は、あまり切り替えられませんが。
お礼
みなさんの回答はどれも大きな違いはない中でピースを埋めることができました。 納得です。ありがとうございました。