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哲学
哲学を重んじてる人は日々どういう風に振舞えばいいのでしょうか?
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- 阿加井 凛悟(@neutral)
- ベストアンサー率29% (231/773)
こんばんわ。 まづ、振る舞いは結果なので、 わざわざ振舞わなくていいです。 ____________ 感じること・反応すること・ 働きかけること・まちがえること・ 思うこと・考えること・ 表現すること・学ぶこと・ また感じること、 などを、やめないことです。 別の言い方をすると、 古いものが排泄され 新しいものごとを吸収する、 という自然な循環を、 自然なままにしておくということです。
>日々どういう風に振舞えばいいのでしょうか? それを考えている毎日なののです。
- tackneko
- ベストアンサー率0% (0/1)
私は、哲学とは、 自分にとって大切な問いを見つけ、 それに答えようと考えることだと考えています。 あと哲学とは何か考えることも、 また哲学だと思います。 哲学を重んじ方というのも、 哲学について学ぶということだったり、 自分で考えるということだったり、 両方だったり、 色々あると思います。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
自ら恃むところを恃む、では、どうか。
- gadovoa
- ベストアンサー率28% (835/2909)
なるほど時間的余裕ですか。 あなたは哲学=探求と考えているみたいですね。 こういうことは青年期に悩み苦しみ一定の答えを見つけるものです。 その答えを見つけるために 一日中図書館にこもることもあるでしょう。 青年期の有り余る時間がある時にこれをやってこなかったら 社会人になってからは無理のような気がします。 もし青年期に一定の法則というか理論を掴んだ人は 社会人になっても、それを使って答えを導き出せます。 社会人になって探求は難しいので本を読んで理解するしかないと思います。
- tattaro
- ベストアンサー率19% (30/153)
逆に、質問したいが、 同様な振舞い方の配慮が必要な人って何を重んじてる人? 質問がおかしいし、これに応える奴もおかしいっしょ。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 はからひ を無くすことだと考えます。 ★ 哲学を重んじる / 日々どういう風に振舞えばいいか ☆ といった自己の意志行為やその思惟を無くす。 あるいは その意志のはからひを超える境地を思う。その境地があたえられることを思う。 ときを俟つ。(すべてのものごとには ときがある)。 これが はからひを無くすことです。 はからひを無くそうとするはからひもあるわけですから そこがむつかしい。 人間の知識が有限であることは分かっています。 では 人間の意志行為は どこまでちからがあるか? つまり有限な知識をもって そこここをつくろい辻褄を合わせることによるその説得において人を動かすという意志があんがい広く長くあり得ています。カリスマにまで成り得ます。 このカリスマとまで称される人間の意志行為の力は どこまでのものか? 北朝鮮でさえ一定の時空間においてつづいています。 ここでそれでは どのようにして はからひ――つまり人間の意志行為――によって突き進むのかといった問いにぶつかるはずです。 おそらく話し合い これは つねに用いられるべき方法であり 民主的な手立てとしてつねに用いられていると思います。 しかも それによって得られる以上の結果を求めるとき では どうするかの問題です。 哲学は むろん人間として・人間どうしとして 話し合いを持ち これをつづけます。と同時にです。 と同時に 哲学は人間の意志行為としてのはからひを無くす・もしくはそれを超える道をねがう側面を持つと考えます。 エポケーとも言われますが あるいは もののあはれを知るとも言いますが まづは 世界に何が見えて来るのか? 見ようとしていないとき何を人は見るのか? これをはからひに非ずして こころがけている。のが 哲学の徒だと思います。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
総てを疑うべきだと思います。 そのように振る舞うべきです。 本当に哲学を重んじるのなら、それだけの 覚悟が必要でしょう。 その為に狂人扱いされても、やむを得ないでしょう。 それが哲学を重んじる、ということだと思います。 私は哲学なんぞ遊びだと思っています。 面白いけどね。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
>どういう風に振舞えばいいのでしょうか? 先人の考えを参考にするために良く読書をすること。 そして、読書したときに、内容を丸のみせずに、よく考えながら自分の考えを構築すること。
人間らしく,あまりに人間らしく振舞い そして神の手によって≪モノ≫≪コト≫を見抜くのです. それが哲学の原点ではなかっただろうか. 日常を重んじない者が,果たして哲学を重んじることが できるだろうか.
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