夏目漱石「硝子戸の中」の意味とは?兄と女の関係について解説
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硝子戸の中
夏目漱石の「硝子戸の中」でよく分からないところがあるので教えてください。 (テクストについてはhttp://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/760_14940.htmlの三十六節を参照ください。) 「兄さんは死ぬまで、奥さんを御持ちになりゃしますまいね」 兄は病気のため、生涯(しょうがい)妻帯しなかった。 「いいえしまいまで独身で暮らしていました」 「それを聞いてやっと安心しました。妾(わたくし)のようなものは、どうせ旦那(だんな)がなくっちゃ生きて行かれないから、仕方がありませんけれども、……」 このやりとりがどういうことなのかよくわかりません。 そのあとの文章を読む限りでは、かつて兄と女は付き合っていた、という認識で正しいのでしょうか? 「仕方がありませんけれども、……」とありますが、 なにが仕方ないのか、そして、……の後にどのようなせりふが続く(はず)なのか、 ご教授いただけるかたは回答よろしくお願いします。
- choko33ju
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その 「兄さん」 は生涯妻帯せずに亡くなった。しかし生前にある芸者を馴染みにしていた。 芸者に旦那はつきものである。 芸者としては、職業柄、馴染みの客を持つ。その1人が 「兄さん」 であったようだ。 芸者としてはそうするのが当たり前なのだけれども、自分に入れ上げているお客が独身者でない場合には、少し後ろめたい思いもあったかもしれない。つまり、奥さんに悪いなぁという気持ちが。 それが気がかりで、今は決まった旦那を持っている (つまりお妾さんとしての地位を得ている) 女が、かつて自分に入れ上げていた人が亡くなったと聞いて、奥さんはどんな人だったのだろうかと気になったのかもしれない。 自分のような者は普通の結婚は出来ないのだから、それは仕方がないのだが、普通の奥さんがいらっしたとしたら、何だか申し訳ないように気がして・・・ といったふうなところではないでしょうか。 こんな説明など、漱石が生きていれば、それこそ 野暮だ と言われかねませんけれども・・・
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お礼
回答ありがとうございました。 芸者である「女」は兄さんに気を遣ってそのような発言をしたのに、その後の文で 「 私は時々この女に会って兄の事などを物語って見たい気がしないでもない。しかし会ったら定めし御婆(おばあ)さんになって、昔とはまるで違った顔をしていはしまいかと考える。そうしてその心もその顔同様に皺(しわ)が寄って、からからに乾いていはしまいかとも考える。もしそうだとすると、彼女(かのおんな)が今になって兄の弟の私に会うのは、彼女にとってかえって辛(つら)い悲しい事かも知れない。」 とあるのは一種の皮肉のようにも感じられて面白いですね。