フィギュアの美について

このQ&Aのポイント
  • フィギュアは日本の新しい文化輸出の目玉となっているが、その魅力が理解できない
  • フィギュアの価格や見た目が未成熟さを感じさせ、美的快楽を引き出せるのか疑問
  • フィギュアの美はアニメやマンガを楽しむための補助的な道具としての存在であり、独立した芸術とは言えない
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フィギュアの美?

世の中には、フィギュアなんて言うものが出回っていて、日本の新しい文化輸出の目玉になっていると聞く。フィギュアというのは、アニメのキャラクターの模型のことを言うらしい。これが高いものでは十万円くらいし、果ては十六億円するらしい。私は、正直に言って、何がいいのか、さっぱりわからん。わからん点を整理すると以下のようになる。 ・大人が玩具をいじっているように見えて薄気味悪い(未成熟の証しに見える)。 ・何でそんなに高いのか? ・どういった類の美的快楽をフィギュアから引き出しているのか? 最後の点については、私は、アニメという二次元の世界のモノが、三次元の手に触れられる形で現前するのが嬉しい――ということに思えているが、こういう単純なことで良いんであろうか。しかし、現物を手にできる喜びだけだとすれば、フィギュアとは、アニメを楽しむための補助の道具ということなんだろうか。とすれば、アニメだとか、マンガが分からないものには、価値のないモノということにならないだろうか。こうなると独立した「芸術」と呼べない気がする。というのも「芸術」とは、作品のみで成立する造形物だからだ。 しかし、村上隆の十六億円したフィギュアは、特に何かのアニメのフィギュアではないらしい。となれば、どうやら、フィギュアにはフィギュアの美があると認められているようである。となると、それはなんであろうか。色やツヤなどからすると、「生き人形」の方が、私には余程、いいような気がする。何がいいんだろうか? フィギュアを愛好するものは、生身の異性に嫌気がさしていて、フィギュアが生身の人間を想起させないところがいい――という話なんだろうか? わからん奴はわからんでいいというのは、美を扱う時の基本で、こういう喧嘩論法のようなものに答えたい人もおらんかもしれない。だが、こういう率直な議論の仕方にしたのは、話を手短にし、焦点を先に浮かび上がらせたいからだ。そういうわけで悪気ないものと思って、誰か親切な方、教えてくださらんだろうか? もちろん、私は、ある程度はフィギュアの現物を観たことがあるし、美術史の知識もあると思う。ついでに言えば、フィギュアの作り方もサイトで調べて、一通りわかっている。しかし、今一つ、十六億円払うほどに、何がいいのかが分からん。美術の問いとしてもよいが、美学を扱うつもりなので、哲学カテにした。 あー、それから、現物を写真でしか観たことのない御仁は、投稿せんでくれ。どう考えても、話すだけ、時間の無駄であるから。

noname#146566
noname#146566

質問者が選んだベストアンサー

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  • taiat
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回答No.5

>大人が玩具をいじっているように見えて薄気味悪い(未成熟の証しに見える) 数万円もする、手のひらサイズの木彫りの彫刻を好んで買う人が世の中にいますが、それと似たようなものです。 フィギアはオモチャではありません。手のひらサイズの「彫刻」と思ってください。 ある人はインテリアにし。(部屋のインテリアもそれの類になるが・・・) ある人にとっては癒しのアイテムになり・・・。 ある人にとってはコレクト品になり・・・。 彫刻には造形美と言うものがありますが、フィギアにも造形美があります。寧ろ、下手な彫刻よりも良質なフィギアの方が、人体的デッサンや適切なデフォルメがされている時もあるくらいです。村上隆の十数億円は私も信じられませんが、「彫刻」の芸術作品が十数億円で売れたなら、万人に理解できるでしょう。それと同じと思って頂いて誤り無いと思います。 >・何でそんなに高いのか? 確かにお高いですね。 人気があるから高いというのは見も蓋もないので置いておきます。 例えば、フィギアの多くは少数生産で、1万円前後のものが多いのですが、そのフィギアがヤフーオークションで10万円。何てことも良くある話です。 これは数が少ないからプレミアが付く。と言うのもそうですが、多くのプレミアフィギアは、「カスタマイズ」しているからです。 カスタマイズとは、既存のフィギアに一工夫入れて、もっとクオリティの高い商品にすることです。手作業なので、一点ものになるのでプレミヤが付きやすいのも特徴です。 カスタマイズはどのようにカスタマイズするかにもよりますが、ポーズを変えるだけでも、既存のフィギアをまずカッターなどで切ってしまい、それをスカルピ粘土やパテなどで造形していくので、素人ではとても出来る芸当ではありません。そして「着色」も値段を分ける大きなポイントで、ペイント技術もある程度ないと出せない代物です。 とは言え、これくらい手の込んでいる一点モノでも、全然値打ちにならないものは世の中に数多くあり、フィギアだけ何故そんなに高く取引されるかと言うのは、その商品に魅力に感じる人が多いからとしか言えません・・・。 >どういった類の美的快楽をフィギュアから引き出しているのか? ペットを可愛がる気持ちに近いのではないでしょうか。 つまり、フィギアは「彫刻」と同じような美しい造形を見た感動という快楽、 ペットに接する時の癒しと言う快楽。 その二種類の快楽があると思います。

noname#146566
質問者

お礼

どうもありがとう。カスタマイズは、一応、知っていた。大量生産されたものを一点モノにする技術にお金を払うということは納得できる。それから、キミは、「人形」の区分じゃなくて、「彫刻」である、とフィギュアを考えているんだね。キミはいいことを言ってくれた。私も彫刻との比較をしてみたかったんだ。実際、二メートルある村上隆のフィギュアは、オブジェというより、彫刻だと受け取られているだろう。キミのいうことは、概ね、正しいように思える。 しかし、フィギュアを彫刻と言ってしまうには、いくつかの点で問題がある。それを説明してみよう。彫刻の要件を、まず、箇条書きにしてみる。 ・素材は白の大理石であること。 ・彩色されていないこと。 ・人間をテーマとし、その本質を人間そのものよりよく表現すること。 大理石というのは、硬い素材であれば、不朽の存在として美を残せると考えられたからだ(不朽性という意味で、金属製の彫刻も珍重される)。彩色を避けたのは、影が落ちる効果を最大限引き出すためだ。つまり、ロダンなんかを思い浮かべてほしい。目が空洞になっているね。影が落ちることで、リアリティが増すような仕掛けになっている。三点目の本質を浮かび上がらせるというのは、人それぞれ、本質と考えるものが違うから、まぁ、話をあとに回した方がよい。ともあれ、人間をテーマにしているという点は共通点がある。 さて、フィギュアの場合、プラスチックをメインとする素材でできており、非常に弱い。彩色されており、陰影も、光の加減ではなく、塗料の濃淡で表現されていることが多い――そういうわけで、彫刻の表現と、大幅に違う。大理石というのは、必ずしも重要ではないと思う。というのも、木製の彫刻などがあるから。それに考えようによっては、プラスチックも自然界にない物質であるという点で、愛玩の対象としてよい物質なのかもしれない。しかし私は彩色という点は、特に重要だと思っている。彫刻ってのは、いうなれば、光の影を操る芸術だ。フィギュアは色なんかつけて、この点がお手軽すぎるような気が、私にはしているんだ。色を塗るのと、影の落ちるのを計算して彫り込むのとでは、どっちが習熟に苦労するかと言われたら、私は、どう考えても後者だと思う。しかし、彩色されたフィギュアも、一つの手段として尊重するべきだとは思っている。 もしキミが答えられるのなら、私は次のことを知りたい。 (1)フィギュアは、いかなる人間の「本質」を表わそうとしているのか? できれば具体的に作品を品評してもらいたい。フィギュア全般は星の数ほどあり、不幸にして、私が実物を見ていない可能性がある。このスレッドを覗く他の人のためにも、できれば写真のリンクを張ってもらいたい。 (2)その本質を表現する手段は、フィギュア以外にも、さまざまあるに違いない。イラストを書いてもよいだろう。人形にしてもいいだろう。ペット的というなら、抱き枕でもいいかもしれない。なぜフィギュアが最適であるといえるのか? フィギュアならではの魅力とはどこにあるのか。 それから、ミニチュア版のレプリカとして十万円くらいで売られている彫刻は、もともと別に存在する大きなオリジナルの作品の「模写」だよね。どんなに高額でも「芸術」とは呼べないと思う。私はここで、フィギュアが「芸術」とみなすに値するのか、それとも、ただの「玩具」の粋を抜けないのか、考えてみたいわけなんだ。ミニチュアの彫刻と同じ程度のものであるというなら、残念ながら、「芸術」とはみなされない。しかし、「オモチャ」と異なる造形美が何かあるんだろうから、それを上手く説明してくれないかね?

noname#146566
質問者

補足

えーと、とりあえず、様相が分かった気がしたので、早いけれど、締めます。ここでわかったと私が思った(思いこんだ)ことは、別の問いに反映しました。いろいろ意見がありましたが、フィギュアの造形の質問をしたんであって、造形美に関して忠実に答えようと努力してくれた問いをBAに選びます。みなさん、どうもありがとう。

その他の回答 (4)

回答No.6

>じゃあ、子供のものを「文化」と呼べる段階までに高めてやろう、それによって心の穴を埋めよう、ってことかな。  違うな。 いわゆるがつく「大人」の文化を胸を張って「文化」と言ってのける精神性はもはや羞恥だと感じるんだよ。今の社会なんてもの体たらくには、吐き気さえ覚える。結果を見てみろ。 「大人」であることなんぞもはや恥なんだよ。   「大人」が「忌み」を感じる「萌え」はいわば「大人」がその反作用として作り出したものだろう。「子供」のままを肯定しているんじゃなくて今の腐った「大人」の裏にある美学なんだ。ガハハ。爽快にぶちまけるザーメンは16億円でいいじゃないか。

noname#146566
質問者

お礼

キミは、ですます調で書かない方が面白いと思うねぇ。文化じゃなければ、あれは何なんだろう?ともかく、既存の文化の一つに数えられたくないという気持ちだけはわかったが、説明として論理的じゃないと思う。キミが反吐を催しても、言葉ってのは数に限りがあるから、他の用語を見つけない限り、「文化」とカッコつきで呼ぶことになるんじゃないかな。そうでなければ、変てこな造語を作る他ない。この哲学カテに、そういう人、たくさんいるでしょ。あれじゃ困るんじゃないのかな。 >ガハハ。爽快にぶちまけるザーメンは16億円でいいじゃないか。 ふーん。あれに破壊的な快感をキミは感じるわけか。確かに、場違いであることによって、既存の価値観を冷笑する力はあるね。しかしザーメンではあるから、生殖のシンボルでもある。何かしらの生産性があるのかもしれない。だが、それが女の子宮で受胎することはないだろう。しかし、キミによれば、「いや、それでも構わない。自分たちはオナニストでいい」ってことか。確かに、あのフィギュアは、萌えの信奉者の生き方を象徴的にあらわしているみたいだね。そういう意味で価値があるのかもしれない、と思えてきた。 どうもありがとう。

回答No.4

>・どういった類の美的快楽をフィギュアから引き出しているのか? いわゆる「萌え」である。萌え文化の立体造形がフィギュアである。  多数から忌み嫌われ、差別を受け、他方からは熱狂的に支持される「萌え」文化だが、この「忌み」の裏側にある理想が「萌え」へと繋がっているのである。  政治経済の物質主義、拝金主義による支配、教育の荒廃、宗教や哲学への閉塞感などなど中で醸成された必然。 >・大人が玩具をいじっているように見えて薄気味悪い(未成熟の証しに見える)。  未成熟に見えるというその「忌み」の裏にある精神活動にあたる。 >・何でそんなに高いのか?  その精神活動のレベルが高いからである。

noname#146566
質問者

お礼

どうもありがとう。ふーん。「萌え」ね。萌えっていうのは、いろいろ定義できるだろうし、「日本古来の云々に遡る」という学問的に怪しい話もある。しかし、キミのいう要点は、社会から疎外された感覚に対する癒しってことみたいだね。社会から疎外された結果、いわゆる「大人」の文化に入って行けず、子供の状態に留まることを余儀なくされた。じゃあ、子供のものを「文化」と呼べる段階までに高めてやろう、それによって心の穴を埋めよう、ってことかな。 方向性については、何となく了解した。で、フィギュアのどこがいいのか、もうちょっと具体的に教えてくれんかな。ちなみに、精神活動が高い=価格が高い、は納得しなかった。メンドウだから手を抜いたのか知らんが、拝金主義的な論理じゃないだろうか。

noname#146566
質問者

補足

あー、それから。精神活動が高い=価格が高いについて。私が納得しないのは、最高額の村上隆のフィギュアが念頭にあるから。「マイ・ロンサム・カウボーイ」って、知ってるよね? ジャンプのマンガに出てきそうな金髪で神がツンツンの少年が、オナニーしていて、股間から白いものがぶしゅって飛び散っている。白いものは精液らしい。しかし、この精液が、ブリーチに出てきそうな奇抜な武器の形をしており、少年は剣を構えているようにも見える。少年は晴れやかに澄み渡る顔をしている。村上は「すっきりした感じ」を表現したかったらしい。これ、十六億円に値する精神性なんだろうか? http://www.kirei40.info/archives/cat_6/_16/ オナニー=萌えと言っていいのかしら? 言っていいなら、そういうものか、へ~、と認めるけれど。人それぞれ感覚が違うってことだろうからね。しかし、村上は皮肉で、射精していたり、母乳で縄跳びしている少女のフィギュアを作ってるんじゃないかしら?

回答No.3

 邪魔するよ。  次のような質問をしたことがある。  【Q:《オタク》は 他者性を避けているか】  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5021239.html  趣旨のまた骨子としては こうだ。  ○ (人は 他者の他者性が分かるか?) ~~~~  人にとって他者の他者性などということは 分からない。捉えられない。  捉えられるのは せいぜい自分にある人間の性質や性格などの広い意味でのクセくらいで いくらか自分とは違ったところがあると分かるのも それが類似としてでもまた多少とも自分にもあるからである。    だとすれば オタクが他者性を仮りに避けているとしても それはオタクだからではなく・またオタクだけではなく みんな同じだということになる。  果たして どうか?  ~~~~~~~~~~~~  もしフィギュア・ファンが そのフィギュアの趣味に落ち入っていたり あるいは 閉じこもっていたりするとしても そこからただちにそれは自己満足の世界であるに過ぎないと言って規定し それですべて事足れりと済ますわけには行くまいという気遣い。  自己満足に浸るのは みなやはり同じだと見られて来る。  むしろそのあたらしいひとつの特殊な傾向についても 将来へ向けての何らかのあたらしい動きを先取りしているのではないかというくらいの眼で見て行ってもよいのではないか?  答えになっていないだろうけれど はすかいからの視点を導入します。  禁止事項をやぶっての投稿でした。

noname#146566
質問者

お礼

>自己満足に浸るのは みなやはり同じだと見られて来る。 ものわかりがいいんだね。誰しも似たり寄ったり、五十歩百歩と言いたいらしいね。 ありがとうね。キミにしては、めずらしく、簡潔で要点が分かりやすかった。

noname#146566
質問者

補足

キミの質問欄だが、個人的に、No6が、正しいと思った。 >普通人もオタクもそれらの基本においては同じだろうと思います。ただそのアプローチにおいてオタクが極力他者の中の類似性を最重点において探索をしていることは間違いないでしょうね。これは程度問題であって、彼らが男らしくないとか意気地が無いとか社会通念上の問題がなくもないことは否定できないにせよ、おおっぴらに非難するようなものではないとは思います No6は上品な人らしく、直接的な物言いを避けている。しかし、要するに、大澤って人は、何も言っていないって、こっちゃ。つまり、言いたいことはわからないでもないが、特にわざわざ指摘してもらうほどのことでもなかろうに、ってことだと思う。私もそう思う。 大澤ってのは、バカだねぇ。キミも、ベンヤミンを読まないで、こういうくだらない本は読むんだねぇ。うーん、キミは自分をもっと有効活用したまえ。

noname#149266
noname#149266
回答No.2

こんにちは。 私は一体も持っていませんが予想して回答してみます。 造形美はあるだろうけど、所有(保有)する満足感ではないでしょうか。 あと、手に入れるまでの気持ちも味わい深いものがあるかと。 昆虫の標本やミニカーでも所有する喜びは共通していると思います。 アニメのフィギュアの場合、実際に存在しないキャラクターであり、 特に男が意のままに操ることが出来る女性型の玩具は性的な欲求も加わり、 集め、所有し、触ろうとする気持ちを高ぶらせるでしょう。 より空想世界に酔いたい欲求は、映像や紙媒体だけでなく、手に持って触りたいのが自然じゃないでしょうか。 ヒーローの握手会や使う武器のレプリカ玩具が人気あるように。 PS 質問文の文章表現は、結構回答に影響します。 皮肉を返したくなる物言いというのがあって、答えやヒントを知ろうと思ったら、無駄な回答を避けるべく 標準的な文章にした方が良いと思います。 ちょっと上から的で自分の考えを主張・押し付け感があります。(実際そうかどうかは別として)

noname#146566
質問者

お礼

こんにちは。どうもありがとう。 所有欲ね……。私が質問文で書いていた、アニメをもっと楽しむ媒介の位置付けとして、フィギュアを捉えているってことだね。ヒーローものの超合金ロボとか、ピストルの模型を持ってなりきっている子供がいたねぇ。その延長線上、ということなのかな。 とすると、次のようなことになるね。フィギュアは独立した「芸術」じゃないし、それでいいって、おまえさんは確認してくれたわけだ。 しかし、これが五百円の人形とかだったら、おまえさんのいうことは、私も分かるんだよ。気軽な収集欲を刺激されたってことでね。しかし芸術だと言って、果ては、十六億円するんだよ。これはおまえさんにとっては、常識的に見て、普通のことなのかね。まぁ、人それぞれお好きにっていうのは、そうなんだが、ここでは、そういう折衷案は置いておくとして、不思議じゃないかね。ブランド物のバッグを二十万円出して買うくらいの感覚なのかねぇ。 確かに、文体は影響するかもね。フィギュアファンは若い人が多いだろうから、偏屈な年寄りにガミガミ言われてまで、会話したくないと思っても当然だ。だが、偏屈なのは事実だからねぇ。下手にへりくだって、「若先生、教えてくださいませ」とやったところで、結局、私の中身は変わりはしない。フィギュアの美が分からないと言っている時点で、結局は、「コイツめ」と思われて当然なんだ。文体で化粧するだけ、いやらしくないだろうか。 それに私は「何となくフィギュアが好き、あんまり突っ込まないでね?!突っ込まれたら楽しくなくなっちゃう」っていう程度の手合いとは話したくなくて、「生意気な奴め、おまえの言ってることを論破してやろう」ってくらいに、ちゃんと考えている方とお話ししたいんだ。 そういや、このカテには、中身がないのにやたらと敬語を駆使して、くどくど書くお年寄りが多いね。こうして怒られるところをみると、連中はへりくだって、若い人の気を引いてるわけか。しかし文章としては丁寧でも、中身としては傲慢なんだよねぇ。若い人を惑わすだけの罠じゃないのかねぇ……。 私の好みを言えば、おまえさんも好きな文体で、普段話している調子で、テキトーに書いてくださいな。肩の力を抜いてください。

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    私は、この前に、フィギュアの美と題して質問をしました。ここまでで私が、複数の回答者の投稿から、理解したこ と、推測したこと、想像を膨らませたこと、を書いておきます。その上で、最後に質問を書きますので、長文の最後まで、たどりついた方で、ご意見がある方 は、よろしくお願いします。 (1)萌えの定義 フィギュアとは、萌えの精神を表わすものである。萌えとは何か?――その定義は様々あるに違いない。しかし、私は次のような意見が、的確だと思えた。萌え とは、現代生活で生じたストレスを癒そうと希求する、若年者の精神様態を示す言葉である。このストレスとは、親、友人、学校、社会などの抑圧・排 除によって引き起こされた。ストレスの内実については、必ずしも、統計学的に論証できることではない。しかし、次のものが予想される。異性 との交流を禁止し、受験勉強をさせる親や学校。コミュニケーション不足になった家庭、また交友関係によって引き起こされた孤独。こうした孤独を潰す遊びとは、子供のベビーシッター代わりで作られたアニメや漫画なのである。 ストレスの結果、本来なら、子供の玩具を卒業し、大人の「文化」に接すべき年齢になっても、萌えの信奉者らは、子供のためのものに留まらざるをえなかっ た。敢えて言えば、萌えとは、「敗け組」のカルチャーである(※ここで説明の便宜上、「文化」を上位概念とし、「カルチャー」を下位概念とする)。しかし、彼らにも意地がある。「子供のためのもの」を「文化」と呼べるまでの段階として、提示して みたいという自尊心があった。子供っぽいなら、子供っぽいでよい。子供の玩具と言われるものにも、それなりに快楽がある。ならば、この快楽を汲みつくし、 日々の心の癒しとしようではないか。いっそ、子供らしいもの、未成熟なものを愛好しよう。そうした開き直りが、「萌え」である。 (2)フィギュアと萌え 「萌え」の象徴が、高値で取引されるフィギュアである。なぜ高値なのか。仮に「大人」と言われる連中の仲間になり、大金を稼いだとしても、大人の文化にお金を落とさず、子供の玩具とも揶揄される「カルチャー」にお金を落とすことで、かつて自分たちを排除した社会や「文化」に対する反骨精神を見せているのである。たとえば、ダンヒルなど のブランド物を買って、格好つけようとは考えないのである。もっとも、多くの者らは、そこまで考えてはいないかもしれない。しかし、 実質的に、彼らの「カルチャー」を牽引しているのは、実質的に「大人」に仲間入りした者らである。この者らとは、評論家だとか、スポンサー になりうるお金持ちのことである。敗け組から勝ち組に移行した者らが、萌えを取り仕切っているということは留意しておくべきである。 なぜ、フィギュアは、プラスチックで作られ、彩色されなければならないのか。それは、プラスチックが、プラモデルや、人形といった玩具を連想させるからで ある。大理石などでできていても、全然、面白くはない。童心と言うべきノスタルジーを刺激しなければならないのであって、あくまで、玩具の延長線上にある ということが明示されなければならないのである。 (3)萌えの文化的認知とオナニー 萌えが下位概念の「カルチャー」ではなく、一つの「文化」として認められた最大の事件の一つは、村上隆の「マイ・ロンサム・カウボーイ」なる巨大フィギュアが十六億円で売れたことである。十六億円とい う額で比較すれば、古典主義の彫刻や絵画よりも、場合によっては高い。価格的に、文化として、認められたということができる。 しかし、この村上のフィギュアは、一つのことを逆説的に証しだてた。この彫刻とは次のものである。ジャンプのマンガに出てきそうな金髪がツンツンの少年 が、全裸で、股間に手を当てている。股間から白いものがぶしゅっと飛び散っている。白いものは精液らしい。彼はオナニーしているのだ。しかし、この精液 が、少年漫画に出てきそうな奇抜な武器の形をしており、少年は剣を構えているようにも見える。少年は晴れやかに澄み渡る顔をしている。村上 は「すっきりした感じ」を表現したかったのだという。――では、萌えはオナニー文化なのだろうか?という疑問が思い浮かぶ。しかし、先に、このフィギュアの持つ効果を記述しておこう。 オナニー青年のフィギュア「マイ・ロンサム・カウボーイ」は、場違いであることによって、既存の価値観を冷笑する力がある。フィギュアの青年がすっきりしているのは、既存の価値観をぶち壊しにするというダダイストじみた快楽があるからなのかもしれない。しかしザーメンではあるから、生殖のシンボルでもある。何かしらの生産性があるのかもしれない。だが、それが女の子宮で受胎することはないだろう。しかし、いや、それでも構わない。自分たちはオナニストでいい――このような開き直りをフィギュアは示しているように思える。 無論、萌えが常に、オナニー的な不毛さに終始するとは限らない。しかし、村上隆のフィギュアが少なくても、次の一点を示した。すわなわち、萌えはオナニー文化である、と時として、説明せざるを得ないということである。 そもそも、萌えは元々敗け組の「カルチャー」であった。しかし、十六億円も支払える勝ち組みらの前に引き出されてきた時、自嘲的にも、「我々はオナ ニーしているし、オナニーで結構だと開き直っています」と自らを説明することでしか、認知を求めることができないのである。 (4)オナニストと敗け組 こうした開き直りは、古典的な意味での「崇高さ」とは無縁であって、精神性と呼ぶことに抵抗がある。しかし、オナニーを見せつけるとは、自尊心に邪魔され、そう簡単に獲得できる境地でもない。かくして、ある意味、村上が提示するのは、稀有な境地に達した青年の内面なのである。 そして、プライドが高く、自己弁明ができない、敗け組の萌え信奉者らに、村上の彫像は、結果的に、次のように呼びかけていると思われる。「勝ち組の連中にあれこれ言われたら、開き直りたまえ。我々はオナニーしている。それで何が悪いか?そうすると、勝ち組の連中らは、キミを恐れるだろうし、キミに十六億円の価値を見出 すかもしれない」と。この言葉は、フィギュアの少年のように、晴れ晴れとした顔で宣言されなければならない。取り付くしまがないくらい、快活な表情をして いなければならない。 この時、フィギュアによって象徴された「萌え」の果たす役割とは、勝ち組に対する自己弁明であるというだけのことではない。それ以上に、勝ち組と自らの階級差を明示し、溝を穿つ装置として機能する。たとえ、誰かが、社会と没交渉だと批判して来ようが、一向に構わないのである。なぜならこれは、階級闘争というべき社会的溝の反映なのだから。確かに、フィギュアの王となった十六億円のオブジェは、萌えの信奉者の生き方を象徴的にあらわしているのである。 【質問】萌えは、どのような階級闘争か? さて、上記のように見る時、萌えの信奉者らは、某かのルサンチマンを抱えているには違いありません。つまり、次のようなことです――「自分たちは、敗け組である。勝ち組からすれば、所詮は、オナニストというレッテルを貼られる に違いない。しかし、こうした屈辱をいつか、晴らしてやろう」と。だが、萌えの信奉者がためているルサンチマンは、最終的に、どのような形で社会に現れてくるのか。革命なのですか? どうも違う気がするのです。この問いは予測を立てるためのものですから、萌えの信奉者以外の方も答えてください。

  • 恋した人はヲタクでした。3次元の女性を愛せますか?

    28歳女です。 恋した男が、ヲタクだということが分かりました。 彼とはジムで会いました。 今ではお互いの来る日を合わせることもあり、 私のことを気にかけてくれているようです。 Facebookでも友達になってくれました。 彼はアイドルやゲームをこよなく愛するヲタクです。 Facebookでも2次元の女の子(ロリ系‥)の話でヲタ仲間と盛り上がったり、 私には理解できない単語を使って投稿しているのを見ます。 ヲタクの中には自分の趣味を隠す人もいるけれど、 彼はむしろ、ヲタであることにとても自信を持っているように見えます。 それもそのはず、彼はサブカル系ゲームで有名な会社で ゲームの開発をしているのです。 ただ、私も彼がそんな風に独創的だから好きになったと思うんです。 私はゲームやアイドルやアニメにはそれほど詳しくないのですが、 芸術全般が好きで、日本のサブカルチャーは素晴らしいと思っています。 それを作っているヲタクもすごいなって尊敬します。 信じられないかもしれませんが、私は彼と出会った瞬間に、 「彼はとっても純粋で、自分の世界を持っていて、芸術や、独創的なものや、 すべてのサブカルチャーを愛している人に違いない。」と直感しました。 そして、そんな彼のことを、なんて純粋で素敵な人なんだと思い、一瞬で恋に落ちました。 彼と会うたび、その直感は確信に変わり、好きになってゆくばかりです。 彼をもっとよく知って、付き合いたいです。 でも、実際のところ、彼とどのように距離を縮めて良いのか分かりません。 まず、彼は自分自身のことについて、あまり話してくれないのです。 彼がヲタクだということは、勤め先やFacebookや、 彼と一緒にジムに来ている友達(完全にヲタ)を見て知っただけです。 いつもジムで友達とはゲームの深い話をして盛り上がっているのを聞きますが、 私は会話に入れず(入ってゆくのもうるさがられそうで‥)、近くで黙って聞いては、 話がひと段落したときに彼に「トレーニングに関すること」で話しかけるだけです。 (ジム仲間ですから‥。) ぜんぜん個人的な話を共有できず、距離が縮まりません。 そもそも、ヲタクは2次元やアイドルしか興味が無いと聞きます。 現実には手の届かない相手に対して理想を抱くことが楽しいのであって、 裏を返せば究極の自己愛です。 そんな彼が自分以外の人間に興味を持つことはあるのでしょうか? さらに、生身の女性なんてものは、欠点も欲もあって、 身体もアニメみたいに綺麗じゃないのです。 そんな生身の女性からアプローチされたら、引かれるんじゃないでしょうか? 彼に幻滅されるのが怖いです。 とにかく綺麗にしてなきゃと思い、顔もこわばった笑顔でぜんぜん素直に話せません。 切なくて涙が出ます。 彼も大人なので、私と距離があるうちはクールで常識的な対応をしてくれますが、 もし私がその境界線を越えて、彼の個人的なところに近づこうとすると拒絶するかもしれません。 ヲタクは3次元の女性を愛せますか? 彼にどうやったら受け入れてもらえますか? 自分がヲタ、もしくはヲタと付き合ったことがある人限定でアドバイスをください。 (いろんな方からご意見をいただけるのはありがたいのですが、 こういう場で多様な立場から意見を言われると情報過多で迷ってしまうので、 ご回答いただく方の立場を限定させてください。すみません。) よろしくお願いします。

  • 自分がアキバ系であることを誇りに持つことは変ですか?

    私は秋葉原が大好きで、やや遠い所に住んでいますが、それでも月に1、2回は交通費を奮発して秋葉原に行きます。それだけ大好きです。 もともとは中3のときに、偶然親に連れられて来たのが秋葉原と私の出会いで、当時PCにハマっていた私にとって、そこは絵に描いたような夢のオアシスでした。なにせ、自分が欲しいと思った商品がなんでも売られていて、しかも安い。こんな素晴らしい所は他にないと思いました。 高校時代はほとんど秋葉原を隅から隅まで探索していました。今ではよい思い出です。それから15年以上たち、現在の秋葉原は、あの頃とだいぶ変わりました。はっきりって軟派というか随分エロい街になりました(笑)。とはいえ、この程度の街の変化で私の秋葉原が好きだという気持ちに変化はありません(本当は少し動揺していますが)。 が、近年「電車男」の影響もあって「アキバ系」という言葉が広く普及し、美少女ゲームやフィギュアに没頭する変態男の生息地という悪しきレッテルが貼られ、変態見たさにわざわざ用もないのに秋葉原に来る人が増えたらしいです。 私は美少女モノが好きなら好きで、それは別にいいと思いますけど、そんな人ばかりを強調し、秋葉原を2次元ヲタの生息地という偏った評価、アキバ系はすべて2次元美少女好きの犯罪予備軍みたく評価されるのは、はっきりいって心外です。 自分は「秋葉原が大好きで、この街と出会えて本当によかった」と胸を張って周囲の人たちに言えるようになりたいのですが、やはり世間一般の人からみて変に見られるでしょうか?