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耐え忍ぶから
耐え忍んだり、許容してしまう人が 図に乗る人を生み出すのでしょうか?
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失礼しました。 僕の考えでは、他人が図に乗ろうが、耐え忍ぼうが、関係ありません。「自分はどうするか?」で考えます。『あいつを図に乗せるな!』、と策を弄したり、脅したりしたところで、思うようにならない他人のことでヤキモキするだけ損です。誰かが甘い汁を吸っているのを知ると、自分が損をした気分になりますが、それは合理的なことではありません。(誰かが得をすると、その分だけ自分が損をするという場合なら、その気分は合理的です。) 嫌なことは断ればいいだけの話です。断れないのだとしたら、自分の弱さでなくて、何だと言うのでしょう。嫌な仕事だとしても僕が続けているのは、生活の糧を得るためであって、仕事を辞めるよりはマシだと、自分で判断したからです。 テロリストに屈して要求を呑むから、テロリストがのさばるんだ!というのが世界の常識です。そういう面が有るのは否めません。しかし、自分としての最適な均衡を考えれば、耐え忍ぶのが最善の場合もあります。そいつが図に乗るかも知れないが、自分にとってはベターな選択ならば、妥協することもあります。 他人の不幸は蜜の味、その逆も然り。人間の感情とは不合理なものです。他人がずるく得をしようが、関係ありません。そういう奴は、嫌われるに決まってます。人間不信になるに違いありません。きっと不幸です。だから、僕は羨ましくありません。悔しくもありません。人は自分の人生を生きるのみです。
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そうかも知れないし、そうでないかも知れません。 精神的に幼い人ほど、物事の原因を自分に結び付けて考えます。『自分が下手〔したて〕に出るから、あいつはつけ上がるんだ』というように。しかし、実際のところは、「融通が利かない性格」だから、「相手に変わることを強要する」のかも知れません。 相手には相手の自由があり、自分には自分の自由があります。ふつうは喧嘩(になる可能性を残)してまで相手に何かを強要しないものです。喧嘩になってもいいから、嫌われてもいいから、自分を曲げたくない…そういう何かが(性格や人間不信?)あるのでしょう。 http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/deai/013kizoku.html http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/deai/014taijinninti.html http://park6.wakwak.com/~psychol/communicate/cbase/bubun.html 多くの場合、わたしたちは“現実”そのものを見てはいません。それに貼られた“レッテル”で判断し、考えているのです。 http://otsubo.info/contents/fail/shippai15.html http://www8.plala.or.jp/psychology/topic/assertion1.htm http://machii-shinrisoudan.com/ningenkankei-hitodukiai.htm 世の中、そう単純じゃありません。
補足
ありがとうございます。 私は資料を持って来てほしいのではありません。 せっかくですが、目を通しません。 あなたの素の言葉(回答)を聞きたいのです。
お礼
いいですね。ヒントを頂戴しました。 ありがとうございます!