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東京-大阪間を初めて・・・

東京-大阪間を初めて「自動車(乗用車)」で一気に走り抜けることが出来た時期を調べていますが、いまいちよくわかりません。 なにか分かる文献・HPがありましたらご紹介下さい。 大河川や浜名湖など渡船で自動車を渡すこともあった時代時期もあると思いますが、橋が架かり自力走行で大阪まで行ける様になった時期を知りたいと思います。それは自動車走行に耐えうる道幅が整備された時期ということです。 明治31年に初めて四輪車が日本に輸入されています。 それから、昭和10年に東海道部分(旧国道1号2号)が全線舗装されたと文献で読みましたから、明治31年以降昭和10年以前のはずです。よろしくお願いします。

みんなの回答

noname#147286
noname#147286
回答No.2

ANo.1さんの御回答、大変苦労されましたね 私はそこまでの知識は持ち合わせておりませんが、「日本自動車会館」なる組織、御存知でしたか?こうゆう組織に当たってみるとANo.1さんのA(回答)が真か偽かが直ぐ判ろうとゆうもの、一度当たってみては如何? このページ、[お問い合わせ]にてメール交換されてみては?

参考URL:
http://jidoshakaikan.aba-j.or.jp/plaza.html
kan_emon
質問者

お礼

ありがとうございます。参考になりました。1さんの了解を得られたら一度やってみましょうか。 ただここは自動車の歴史技術史には強そうですが、地理的紀行的な資料はあるかどうかやや疑問ですね。

回答No.1

このHPは参考になると思います。 「東海道ルネッサンス 歴史とロマンをさぐる」 http://tokaido.canariya.net/1-rene-tokdo/index.html 「東海道箱根峠への道」を開いてください。 http://tokaido.canariya.net/1-rene-tokdo/6book/index.html 20章「関東大震災と西坂」に次の記述があります。 (以下引用) 昭和9年(1934)東海道の道路を視察・調査した報告書(関西道路研究会の委員12名が大阪市から東京までの国道1号を走破したもの)で国道1号箱根西坂道について次のように記述している。 未だ理想的な路線とは云い得ないが、往時の険路と比較せば、実に隔世の感あり。 (中略)ただ、憾(うら)むらくは、かくの如き急坂路なるもかかわらず危険防止の施設が甚だ不完全である。殊に夜間ここを通行して、その照明設備の必要なることを痛感した。 (引用おわり) 19章「国道箱根坂道改修へ」 クラシックカーの写真があります。 次に、トップページから「東海道 川を渡る道」を開いてください。 安倍川、大井川、天竜川、富士川の架橋の歴史が分かります。 大井川には、昭和3年3月に鉄筋コンクリート橋?が完成しています。 http://tokaido.canariya.net/1-rene-tokdo/5book/index.html 19章「天竜川」 昭和初期の木造、天竜橋を渡る車が小さく写っています。 なお、わが国の鉄筋コンクリート橋の建造技術は、大正年代に著しく発展しています。 例えば、京都の四条大橋、七条大橋は、ともに大正2年に鉄筋コンクリート構造で開通しています。 下記論文には、橋だけではなく道路についての記述もあり、大正末期に主要国道の改良工事に着手した、とあります。 京大リポジトリー「鉄筋コンクリート橋技術史」 http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/138480  ちなみに、前記の「関西道路研究会」が、東海道に続いて昭和11年に山陽国道を車で現地調査していることが、この論文に出ています。

kan_emon
質問者

お礼

あけましておめでとうございます。勝手な都合でご返事が大変遅くなり誠に申し訳ありません。 大変参考になりました。ありがとうございます。教えていただいた関西道路研究会の本を関西国会図書館であたって調べましたが、デジタル化されていますが、文字が潰れるデジタルボケで非常に読み辛かったです。 文字も細かく読みづらく拡大掛ければ速読性に欠け時間の都合で全編は読めませんでしたが、やはりクルマで東京大阪を駆け抜けることが出来たのは大正末期のような感じでした。しかし給油等のインフラはどうだったのでしょうか。クルマを持つ金持ちでも、綿密に計画を練り給油等の手配をしなければなりませんから、関西道路研究会のメンバーもしくは役人でないとこの計画は一般人ではなかなか実現しないと思いました。 重ね重ねありがとうございます。

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