• 締切済み

虚無感

被害妄想や鬱状態,離人状態があり精神科で薬を貰ってます。 病的な症状や働けない現実にも苦しみ,漠然とした恐怖や不安におそわれ続けた結果,ひどい虚無感と無気力に陥りました。 死ぬまでせいいっぱい頑張ろう,,,と思いたいのに。 私の結論は,私がどうなろうが世の中には影響がない。私の存在に意味はない。世の中すべての存在は皆,皆死んで無くなるだけなのに。と言う結論にたどり着いてしまったのです。 1度その考えにたどり着いてしまった今,もう元には戻れなくなりました。 私はどうすればまともな人間になれますか。 虚無感,無気力,絶望,,,苦しいです。

noname#145030
noname#145030

みんなの回答

  • sheep67
  • ベストアンサー率28% (36/128)
回答No.12

すみません >生と死と言う宇宙があるとすれば,生へ落着いた時,それが現実だと思えれば良いと言う私なりの答え【とりあえず答えと言う言葉を使いました】が出ました。 と書かれていて、ほとんどわかっておられる、伝わってるように思ったので、もしかして先の投稿は余計な説明だったかもしれません。 でも詳しく書く分には悪いこともないですよね。

noname#145030
質問者

お礼

何度も丁寧にありがとう御座いました。

  • sheep67
  • ベストアンサー率28% (36/128)
回答No.11

こんばんは。 まだ開けておられるので補足いいでしょうか?勝手な話の展開だけれど・・ >死と比較しない生へ 僕もそう思います。 生というような概念やイメージですらない、事実の生、ですね。 先に投稿で書いたのは、そこへ行く前提としての現実分析についてなので・・ ーーー その生に行く前に、悩まされこだわってきたこの世の仕組みを見るなら、 どんないい人にも悪があり、どんな悪い人にも善があることを見ると、 へたな極論に到着することを避けられます。 この場合「見る」といっても、無理やりそう見るとか、自己暗示をかけるとかではなく、事実がそうなってることを理解することになります。 どうしても極論に依存したくなるとは思いますが、なんとか踏みとどまって、極論の裏にもう一つそれと矛盾しながらも対を成す別の側面の方も見てもらえたら・・ 極論は現実ではないので。 ただ、脳のキャパシティーのほうが問題です。 下の方も書いてますが、「いずれ死んでしまう」、と同時に、「今現在生きている」という裏の面があります。 質問者さんの、「いずれ死んでしまう」だけをピックアップし、「今生きている」を念頭に入れないスタンスは、現実の中から自分の好みのものだけを切り取って、「これだけが現実なんだ!」と言ってることになります。 2つが同時に頭に入りづらいのは分かるんですが、ちゃんと考えると、それが単に現実を誤認してることがわかります。 光も闇もある現実の中から、闇ばかり収集したらおかしくなります。逆に光ばかりも同じくまずいですが。 「皆死んでなくなってしまう」という本当は自分には辛い絶望的結論のはずなのに、何故か自分は、その絶望的極論が「単にわかりやすい、この絶望こそ真実なんだ」と思いたい、それだけの理由で、それにしがみついてしまってる心理を観想してみてください。 つまり 結論の絶望さのデメリット<結論が出てわかって安心できるメリット という不等式がありませんでしょうか? そのため、本当か嘘かわからない自分の出した答えから離れられなくなります。 実際には、この2つはどちらを捨ててもおかしい訳です。両方共事実です。両方共、同時にです。 両方同時に握ると、逆にもうどちらにも依存することが不可能になります。 2つを同時に実感してしまうと、いずれ死んでしまうんだ、とも思うことはできないし、まだまだ望みがあると思うこともできません。 ある種の無の状態に近づきます。 後はこれらの話が、机上の空論で単なる論理にすぎないのか、赤ちゃんの時から自分を取り巻く真の現実なのか? です。 ーーー また、極論にこだわっていると、先に書いたように自分の心はバラバラになりますが、 生と死や、光と闇が並び立ち、人の基礎が矛盾そのものだという事実に即した見方をするなら、逆に自分の心はひとつにまとまります。 現実をこう見てしまうと、恨みや葛藤や、その他のネガティブなものが介入する余地がなくなるのは理解されるでしょうか?矛盾の存在があまりに大きく、他のどんなマイナスもプラスもこの前では書き消えます。 矛盾が根本原因なら、誰の責任も追求できないことになるのは自明ですし。葛藤も負の感情も起きにくくなります。 というのもその見方のほうが事実に即していて、ありのままの現実を素直に見てることになるからです。だから気持ちはひとつにまとまります。 そうやって認知する世界はとんでもない矛盾となりますが、その矛盾世界を認知している自分の方は、一つに統一され、すごく安定すると思います。 それは矛盾世界こそが素直な現実の見方で、本当の現実の有り様だと思ってるからですが。 生とも呼べない生に飛び立てるのは、この事実認識が踏み台になる可能性もあると思います。 性格の差異もあるので、この話がそのまま質問者さんに当てはまるかはわかりませんが、書いてみました。

noname#145030
質問者

お礼

矛盾がある物事について答えを得ようとして【無】に陥ったのですね。 矛盾があると認識する事で現実が安定するのですね。 再度ありがとう御座いました。

  • sheep67
  • ベストアンサー率28% (36/128)
回答No.10

追加ですが、 ひどい抽象論になったので、ニュアンスが通じてるでしょうか。 ここで、もし下に書いたように、解決不能問題内の、2つの矛盾した比較構成要素を一つにまとめてすっきりした答えを出したい、と努力したらどうなるか?なんですが、 その時は、往復ビンタのように、善と悪を行ったりきたり、ハイとローを行ったりきたり、楽観と悲観を往復したりします。もっと進むと、エネルギーが切れて、落ち込み続けにもなると思います。 それは、まとまらない2つを無理に一人の自分の中でまとめようとすることの無理によって発生します。 言い換えると、絶対に一つにまとまってひとつの答えが出るはずのない問題を自分の内面に抱えると、 その問題に含まれる解けない矛盾によって、こちら側つまり考えてる人間側が、2つに引き裂かれます。 その問題を、矛盾だと思えないために、つまり相容れない2つの要素がひっついたものだと見ることができないために、逆に、その2つの要素のどちらかを無理やり筋を通すことによりこちら側が引き裂かれます。 例えば、善か悪か分からないのに善と決めつけて無理に筋を通したり、開くと無理やり決め付けることによって、こちらが逆に背負い投げをくらい、2つに引き裂かれます。 心がばらばらになる、といってもいいと思いますが。 これは、人の人格の統一性よりも、決して相容れない問題内の2つの要素の矛盾の存在のほうが、力が上だからです。 現実世界における、矛盾の確固たる存在は、人の人格を木っ端微塵にする力があります。それだけ矛盾は真理だからです。 矛盾の真実と比べたら、人間の人格は統一されてる一人である、という事実は吹けば飛ぶようなものです。 なのでそれに逆らって矛盾を解決するのではなく、なんというか、竹か柳のようなしなやかさと言うか、 問題を落ち着くところに流していく柔らかさがあると楽だと思います。 つらい目にあっておられて、歯を食いしばっておられるなら、なおさらそういう柔らかさを出すのは意識しないと難しいと思うので。柔軟性、可塑性のようなものです。 矛盾を矛盾として、自分の、問題をひとつにまとめて一つの回答を得たいという欲に逆らって、矛盾した現実をありのままに認めることは、大事かとも思います。 自分の現実にこうあって欲しいという欲を通すのではなく、こんな答えが出てほしいでもなく、現実はこうなってる、という冷静さを優先できたらいいのだけれど、と思います。これも慣れればできると思います。 宗教では、観想、といいます。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/03939700/ http://www.geocities.jp/suzakicojp/guide.html#_Toc182744747 大雑把に、解決不能問題と、それを考える自分との関係は、上にような概要になります。

noname#145030
質問者

お礼

再度ありがとう御座います。お礼も新しくします。 生と死と言う宇宙があるとすれば,生へ落着いた時,それが現実だと思えれば良いと言う私なりの答え【とりあえず答えと言う言葉を使いました】が出ました。

  • sheep67
  • ベストアンサー率28% (36/128)
回答No.9

6の方と似たようなことなのですが、 ーーー分析 言われるよな唯物論的な結論は全く正しいのですが、それは部分的現実ですし、限定的です。 正しい結論なので戻る必要も無いですが、そこで止まるのは途中下車です。 現実の一部ですが、現実全部じゃないです。つまり本当の現実じゃありません。 現実の一側面として当たっていますが、現実は他にもあります。 一解釈にすぎない、とも言える点も6の方と同じです。 そしてその唯物論的結論のもととなった問題についてですが、 ぱっとみ、質問者さんは、その解けない矛盾した問題に没頭することで、自分が散り散りに分解してるように見えます。 それは、解決不能問題に取り組んだ為ですし、一つにまとめられない問題をまとめようとしたため、回答のない問題に回答をだそうとしたため、虚しく空回りし、逆転背負い投げを食らって、自分のほうが分裂、そして集中力がダウンし、病気に至ったと思います。 まだ考えるエネルギーなどが残っておられる余力があるという前提で書いてみました。 以下はすべて心理的な問題としてです。 方法として ーーー1.まとめられない問題は分離し切る 抽象論ですが、 まとめ切れない問題、とは、ひとつの唯一の正解答えが原理的にでない問題を指します。 その場合は、その問題の構成要素である良いものと悪いものを分けてください。2つを別物として識別することが大事と思います。 なぜ問題の構成要素に2つあるのか、というと、善悪などの価値は、全て比較によって生まれる、つまり2つの要素の比較によって、ひとつの問題が生まれているからです。 普段は、被害妄想などがおありなら、おそらく良いものと悪いものを混ぜてるはずです。 具体的には、「あの人はあんなに素晴らしいのに、この人はなんでこんなにダメなのか?」と比較してるかもしれないですが、 これは、良い人と悪い人を連結して比較する作業です。 あるいは、一人の人間の中の、善の要素と悪の要素を比べてその矛盾に悩むとか・・ 恐れる自分は死を覚悟して、生きる自分は光に向かうことが大事と思います。 また、自分の中に、自分が2人いる、光の自分と闇の自分がいて、その2つは全く別人なんだ、と知ることも大事と思います。 人間はそもそも誰でも2人いるんです。言い換えると人は矛盾した存在ですし、存在していないとも言えます。 善と悪を統一はできませんし、光と闇もひとつに纏められません。 同じように、自分として2人存在する自分を、あるいは2人存在する他人をひとつにまとめることは不可能です。 上のように、闇と光を、無理やり一つにまとめようと連結すると、全く身動きが取れません。 闇は闇で、死に向かい、光は光で魂に向かうべきじゃないでしょうか? 闇の自分は死に向かい、光の自分は生に向かえるはずです。 2人の自分は、2人の他人は、全く真逆な方向に突き進んで、分離し切る必要があります。 また善と悪は、分離し切る必要があります。 そうしないと心が落ち着くことができないからです。 これを、2つをまとめてひとつの答えをだそうと努力したら、蟻地獄です。 この2つは、現実においては他人の中においても、自分の中においても、一切混じっていません。 混じってないこの正反対の2つを混ぜるのは、人間の脳みその中でだけであり、一時的なものです。 死者は死者に葬らせて、生者は生者として生きるべきです。 生と死の間には、因果関係はありません。光と闇の間にはなんの関係もありません。 善と悪の間にもなんの関係もありません。2つは別の世界、別の宇宙の出来事です。 だから2つを別のものとしてその比較によるつながりを絶ち切ってください。 善と悪は別です。 善人のあなたと悪人のあなたも別です。善人の他人と悪人の他人も別です。2つには全くつながりはありません。たとえ一つの体を共有していても、です。 自分が、宇宙が2つにわかれるまで、分け切ってください。善を残して悪を消す、とかではありません。 両方共善も悪も、光も闇も確かにあります。ただ2度と2つを混ぜることはしない、ということです。比較しないということです。 塩素系漂白剤と同じで「混ぜるな危険!」だからです。 この2つをひとつにまとめてなんとか筋道を通して理屈的に納得したい、というのは不可能である、と理解することはむちゃくちゃ大事と思います。 ーーー2.まとめることのできない問題は、矛盾という概念そのものであり、解決不能が本質だと見切って放棄する。 別の表現を使うと、質問者さんは、矛盾を自力で克服しようとしたので、おかしなことになったのだと思います。自分の経験でもありますが。 理不尽を解決しょうとしたことはありませんか? 光と闇、善と悪の相克矛盾理不尽を、なんとか解決しようと努力したのではないでしょうか? 矛盾とは、言葉の定義通り解けないから矛盾なのであって、この問題を解決しようと一度手を染めたら、一生悩むことになります。 この矛盾した問題の答えは、「解決不能」です。 つまり、問題が解決できない!ではなく、「解決不能」こそが、答えだ、というになります。 つまりそれらの問題は誰の責任でもなく、問題そのものが原因であり結果であり、問題の責任は問題そのものの上にあります。 質問者さんにとっても僕にとっても、周りの全ての人にとっても全人類にとってもです。 解決不能だという現実を認識して、それについて悩むのをやめてください。 諦めるべきところは諦め、整理できるところは整理し、解決できることは解決すべきだと思います。 そもそもそれは解決しない問題だ、と認識して、2つを別物として切り離すようにしてください。 そこの問題の整理が何より大事じゃないか、と質問文を見て思ったものですから。 僕も長らくやってしまってましたが、解決できない問題を、そうとはしらず解決に向けて努力するほど、圧倒的に虚しいことはありません。 確実に消耗してアウトになります。それが解決不能問題であることを見極めてください。 そうしたら一生悩まなくてすみます。 答えのある問題は答えがあります。でも答えのない問題は、答えがないんです。答えがないことが答えです。それはそれ以上動かしようがありません。 生と死を組み合わせ、善と悪を組み合わせて、問題があるかのように偽装するのを辞めることが大事だと思います。 矛盾という言葉の語源でもある、「矛と盾のどっちが強いか?」という簡単な問題でさえ、もし悩んだらそれで一生を使い果たすことになります。 この問題は、諦めることが答えです。解決不可能、というのは、この世の重要な構成要素であり、 この世は理不尽を材料に、矛盾を材料に組み立てられています。 人間は矛盾した生き物だというところまで見えてきたら、ずいぶん楽になるんじゃないかと想像します。 人は、善でも悪でもなく、その本質は矛盾ですから。 これにより精神的葛藤を減らし、無駄なエネルギー消費を減らせます。 矛盾が消えれば、極端な話、頑張らなくても何とかなります。 頑張る必要はあまりないと思います。理解してください。

noname#145030
質問者

お礼

余力のエネルギーで考えたいと思ってます。 死と生が分離した宇宙だと言う考えは解かりました。 解決を願ってるので解決不能だと諦める事は出来ません。が死と比較しない生へ進みたいです。 回答ありがとう御座いました。

noname#150036
noname#150036
回答No.8

こんにゃんは. ボクは,ひとつの物語を投稿することにしましたので, サラっと読んでみてください.(´ω`;) 昔々,あるところに,一人の若者が住んでおりました. 若者は,アスラトラという名前をもち,哲学に親しんでおりま したが,あるとき,ふと,生きる意味とは何か,について考え 込むようになりました. アスラトラは,ため息まじりに呟いた. 「ただ産まれ,死んでゆく,この人生に意味などあるのか」 そして無駄に青く広がっていると思われる空を見上げ,流れゆ く白い雲を目で追っていた. すると突然,後ろの方から声が聞こえた.振り向くと,そこに は白髪の翁が立っているではないか.アスラトラは,ハッと我 にかえり,思った.(はて,人が近づいてきた気配など感じな かったが.この人は一体・・・) すると,アスラトラが困惑している様子を察したかのように, 翁はこう告げたのである. 「私は貴方である」 突然,とっぴょうしもない事を言われたアスラトラは,余計に 困惑してしまった.しかし翁は,かまうことなく語り始めた. 「苦悩の人アスラトラよ,戦いを前にして無常の悲しみに囚わ れているのか.しかし,思い出してはもらえないだろうか, 自分が,かつて世界を治める王であったことを. 我々は,かつて世界を造り,社会を築き,それを治めてきたの ではなかったか.我々は,自然の循環から外れ,独自の社会を 形成したが,我々が形成した社会には,必ず欠陥が有り,循環 が滞ってしまうのだ.そしてそれは人心の腐敗を招き,生活を 怠惰なものにしてしまうのだ. それゆえに,我々は,意識的に循環を創りださなければならな いのだが,それは,我々が築いた社会を相手に,戦う行為にほ かならない.残酷ではあるが,我々が有意義に生きる為には, 創造と破壊という循環を,繰り返さなければならないのである. それは,我々が,自然という大いなる循環から脱してしまった がゆえの,宿命である. しかし,そこには私欲と無謀の介在を許すべきではないのだ. もし,私欲と無謀が介在するならば,更なる腐敗を招くからだ. そこで信仰の重要さを,認識することによって,善美がもたら されるのであり,戦いでありながら善であり,破壊と創造によ って,美がもたらされるのである. 我々は,大いなる創造主そのものであり,また,それを破壊する 使徒である.その繰り返しこそ,我々が生きる意味であり,全て である.さあアスラトラよ戦いの準備をするのだ. これが天使のテーゼであり,最少にして最大の循環である.」 翁が語り終わると,アスラトラは,自分の呻くような声に驚いて 目が覚めた. 「ああ,寝汗がひどい,シーツも洗濯しないといけないな」 そしていつものように,いそいそと着替えを済ませ,シーツをは がしてバスケットに放り込み,昨夜の残り物をあつらえて食事の 準備にとりかかりました. そして今日の空は,意味深げに,それでも無駄に青く,雲は白く 流れていきました.             (了)

noname#145030
質問者

お礼

私がいた社会には欠陥がありました。 今は,私欲と無謀が介在する事がない新たな社会を創造する時なのでしょうか。 ありがとう御座いました。

回答No.7

ちなみに、私はすまなそうな長老の本を少し読みましたが、あまりのレベルの低さに悶絶しました。

noname#145030
質問者

お礼

ありがとう御座います。

noname#145030
質問者

補足

すまなそうな長老の本,解かりやすいですか。 気になります。

noname#181697
noname#181697
回答No.6

その考え方は一応正しいです。ただし、いく通りもの見解のうちの、一つの見解に過ぎませんが。 物事はどの角度からも見る事が出来るものであって、そのうちのどれかひとつが正しいという訳では無いんですよ。例えば、コップやペットボトルは、見る角度によって全然別の物に見えますけど、そう見えたからと言ってコップやペットボトルが見たままに変化する訳では無いですし、一つの角度からの見方のみが真実であると考えるのもバカバカしい話です。 要するに、様々な経験の果てに、あなたが世界を虚無的に見る事を覚えてしまい、悪い事にそれが真実の姿であるかの様に錯覚してしまった、というだけの話なんですよ、これって。 自分がどうなろうが世の中には影響がないと言う事は、あなたの好きに生きて良いという事を保証しているという事でもありますし、自分の存在に意味がないなら、好きに存在理由をでっちあげても構わない訳です。それに、世の中すべての存在は死んで無くなるものであるからこそ、生存している事に意味や価値も出ると考える事も出来ますよね。 もう元に戻れないなら、もう一歩進めるしかないでしょう?本当に楽になりたいのなら、自らの固定的な思い込みを、一つづつ丁寧に、解きほぐしていけばいいんです。

noname#145030
質問者

お礼

結論はただ私にとっての真実だったのですね。 1歩進めるのは難しいです。 回答ありがとう御座いました。

回答No.5

 こんにちは。  医療以前の話を ふたつします。  ★ 私はどうすればまともな人間になれますか。  ☆ この問いによって すでにまともです。理論上とつけ加えなければならないでしょうか どうでしょうか? つけ加えるとしても あとは 実際上そうなるのも 時間の問題だと考えるべきです。  ★ 被害妄想や鬱状態,離人状態  ★ 病的な症状や働けない現実にも苦しみ,漠然とした恐怖や不安におそわれ続けた  ☆ これらの状態は あくまで社会における人びととの関係性や交通(まじわり)をつうじて起きています。  相手に道をゆづり自分を責めるまじめな人は 相手を責めないしその関係性を断ち切ってでも自分のちからでなんとかしようと努める傾向がありはしないか?  いいのですが 人間のちからを過信するまでにすすみかねません。という注意は どうでしょう?

noname#145030
質問者

お礼

☆本当ですか。苦しいままです。 ☆確かに私は対人関係をすべて切りひとりです。ひとりだと解決出来ない事なのですね。 回答ありがとう御座いました。

noname#156094
noname#156094
回答No.4

>私の存在に意味はない。世の中すべての存在は皆,皆死んで無くなるだけなのに。と言う結論にたどり着いてしまったのです。 この世界の傍観者になってしまったようですね。 この世界と自分を繋ぐものを見失ってしまったようです。 >私はどうすればまともな人間になれますか。 一度出た結論にもNOと言っているものがあるようです。 NOと言っているものが何かを求めているようです。 その何かが問題なのでしょう。 「この世界と自分を繋ぐもの」を見つける事ではないでしょうか。 結論に対してNOというのは、意識の統治性に対する感覚の反乱です。 意識における結論が感覚の了解を得られていない不安定な状態だと思います。 「感覚の飢え」とでもいうべきものでしょう。 感覚の求めに対するものが得られなければ、この状態が続くと思います。 「この世界と自分を繋ぐもの」 「感覚の飢え」 を満たすものは、ご自身で見つけるより他ありません。 その糸口とは案外簡単で、身近なところにある場合が多いものです。 もう一度、身近なところから、この世界を見つめ直すようになさってみてください。 お大切に。

noname#145030
質問者

お礼

NOと言うものは家族の愛かもしれません。身近にあるもの。 私は幼少期よりずっと私の殻に閉じ籠もり家族の愛を感じた事がありませんでした。 病気で無職になりずっと実家で過す間にNOが生まれました。 ありがとう御座いました。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.3

”私がどうなろうが世の中には影響がない。 私の存在に意味はない。 世の中すべての存在は皆,皆死んで無くなるだけなのに。 と言う結論にたどり着いてしまったのです。”  ↑ 殆どの人に当てはまると思いますが。 「中島義道」という哲学者が同じようなことを 言っています。一読したらどうでしょう。 人間など、他の動植物とどこが違うのでしょう。 生きている意味などある訳ないのです。 そんなのは、人間が勝手に造り上げたものに 過ぎません。 そんなものに振り回されるのは愚かなことです。 遅かれ早かれ、人は皆死ぬのです。 人は天地の塵ぞ。 塵なればこそのいのちをおもいきわめ、 塵なればこその重さを知るがよい。 塵となりつくして天地に呼吸せよ。 (上泉伊勢守)

noname#145030
質問者

お礼

皆,同じ結論に達するのですね。 塵として生存する強い意志がほしいです。 回答ありがとう御座いました。

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    日記を書いてみたいと思ってます。内面的な日記です。 私には対人恐怖や社会不安やコミュ障、被害妄想や鬱があります。緊張や不安感があり、無気力です。 日記を書いて変わる事ってありますか。

  • 劣等感は勘違いが多いのに...

    私はもうすぐ40歳です。 姉や周りと比べられ否定されながら育ったこともあり 劣等感の塊でした。 いろいろな経験の中で強くはなりました。 ...がやっぱり劣等感に押し潰されそうなことは今でもあります。 被害妄想が現実に感じて 他人を信用することが難しいのです。 劣等感は勘違いも多いとは言いますが 被害妄想だろう...と思うことは出来ても 不安と怖さと逃げ出したい気持ちでいっぱいです。 今 我が子のことで劣等感を感じてしまっています。 おかしな話です。 ある試験を子供が受けました。 一緒に受けた子たちは受かりました。 子供は落ちました。 それに対して私が劣等感を感じることはおかしなことだと思います。 でも 子供たちの親と密な関係にあったこともあり バカにされてる被害妄想に陥ってます。 その親御さんたちはバカにするような方たちではないんですけど 私がおかしな劣等感を感じて被害妄想に苦しんでいます。 劣等感に関しては勉強もし経験もし 勘違いしてることが多いのは 身をもって知っています。 第一 子供のことで私が他人に対し劣等感や被害妄想になること自体 おかしな感情だとは思ってるんです。 それなのに感じてしまうおかしな感情。 根本的な私の劣等感をなくさないことにはいけないのだとは思います。 でもどうしたらいいのでしょうか? 間違ってると思う感情に苦しむのは辛いです。 どうしたら間違った劣等感に潰されなくなるでしょうか? どなたか教えて頂けないでしょうか? 宜しくお願い致します。