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古文・訳
口語訳を教えて下さい。 長文ですみません。 よろしくお願いいたしますm(__)m 「いかにも、暗さに、神おはしますとも知らで、過ぎはべりにけり。いかがすべき。」と、社の祢宜を呼びて問へば、その祢宜、ただにはあらぬさまなり。「汝、われが前を馬に乗りながら通る。すべからくは、知らざれば許しつかはすべきなり。しかはあれど、和歌の道を極めたる人なり。その道をあらはして過ぎば、馬、さだめて立つことを得むか。これ、明神の御託宜なり。」と言へり。
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古文を習ったのはかなり昔ですが、それほど難しい文ではないと思うのでチャレンジさせてもらいます。 「まことに暗かったので、神様がいらっしゃるとも知らずに、(乗馬のまま)通り過ぎてしまったよ。どうしたらよいだろうか」 と神社の祢宜(ねぎ:神主の下、祝の上に位する神職)を呼んで尋ねたところ、その祢宜は、ただごとでないようすだった。 「おまえは、私の前を乗馬したまま通った。当然、知らなかったのなら許してやるべきだ。 そうではあるが、おまえは和歌の道を究めた人間である。 和歌の道をすべて(奥義を)見せて通り過ぎれば、馬は、きっと立つことができるであろうよ。 これが明神(その神社の神様)のおっしゃっている言葉(お告げ)だ」と言った。 この文章に、馬が転ぶかなにか事故を起こしている記述があるものと思われますが?
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佳会のあらまし、かねてよりほの聞けるままに、今日は例よりも早く食にまかでて、ただちに彼の亭にまゐりあはんと思ふも、よろづ事しげくして、未の鼓うち過ぐるほどになんなりぬ。わたくしの事ならねば、いかがはせん。桜田を出てて、四谷といふ所にいたるころほひは、申の鼓聞こゆ。いと心いられにけれど、このあたりは馬決うたて多くてはかどらず。昨夜の時雨やいたう降りけん、道のぬかりはただ早苗とる田面のやうにて、いそぐ歩み心にもまかせず、夕やみならねど、いとたどたどし。さは、聞こえし人々の、今日は訪はでや止みぬると思ふも心苦し。 からうじて角筈にいたりぬ。畑うつ翁に、朝臣の別荘をとへば、「この道より」と教へぬ。路はただかたばり見ゆるに、小笹にまじる落葉ふかし。松・杉の梢しげりたる中より、紅葉の一木二木見えわたり、折りかこふ竹垣のかたはらに、尾花の枯れ立てるなど見どころ多けれど、心いられに立ちも止まらず。 たずね行くやどりはそこと教へしをまよふ枯野の百舌の草ぐき 落葉を分けてくる人に問へば、「あの松・楓の高き所よ」と指さす。垣を隔てて見入れたれば、朝臣の従者の簀の子のもとにゐたるうれしさ、言はんかたなし。彼の亭には調度などうち散らし、 箏の琴立てそへ、軒の松風のみ一人かよへり。「いづち」ととへば、「十二所にや詣で給ひけん」と聞こゆ。「さらば道しるべしてよ」とて、ともなひ行く。蕢(あじか)を負ひたるをのこに逢ひたり。「この上の別荘になん居給ひぬ」といふ。「さは、この道よ」とて、尾花の枯れふしたる細道を分け行く。柴の折戸ある所より入りて見やれば、木高き所の東屋に人々なみゐたり。保好はかたはらの芝生に酔いひふして、胡蝶の夢をむすぶなるべし。四方を見渡したれば、このもかのも木立いとけしき有りて、軒端に近き竹叢は、千尋の陰きよく、みどりの玉をつらねしさまなり。 呉竹のよの外ならで世のわざのうきふししらぬ陰ぞしづけき
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