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グローバル化か歴史の必然か
グローバル化は将来的に必然という意見があるが、いかなる多国籍企業もインフラ構築や治安維持、人材の育成を、経済合理性を求める故に自前で賄えない。もちろん、企業が国家化することはあるが・・。自前でできない以上、無制限のグローバル化はあり得ない。それを証明するように、グローバル化は冷戦後のアメリカ一極化と歩調をとっているわけです。さらに言えば、グローバル化とは世界に展開する軍事力と諜報力、軍事技術力を後ろ楯とした米国企業を通しての戦勝国の賠償金の回収ともいえる訳です。あくまで、米国あっての多国籍企業と言えます。ここで、多国籍企業や国際金融資本は米国を捨てるという反論があるかもしれませんが、組織と人員がいる以上、アメリカ、オーストラリアという地政学上、最も恵まれている土地を捨てるとかあり得ないわけです。 結局は、グローバル化という米国のピロートークに騙されている訳です。 真に受けて経済合理性に特化するとATM日本みたいになります。 以上、論理的に欠陥がないか添削お願いします。
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- masa2211
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価値観についてはノーコメントとします。あくまで論理だけ。 また、企業のグローバル化を論じるという1文が抜けていますが、これは黙認。 >グローバル化は将来的に必然という意見があるが、....いかなる多国籍企業も >....自前で賄えない。ゆえに、無制限のグローバル化はあり得ない。 最初の1文がNG。 「グローバル化は必然という意見があるが、無制限にはあり得ない。」 これが1つの文になっらないとダメ。 グローバル化は必然という意見があるが、......前で賄えない。 と、ここで文が切れると論理が破綻してしまう。 (読んだところまでで意味がわからない文は、非論理文の1つ。) で、グローバル化は必然という意見の人も、別に無制限にグローバル化すると言っているわけ でもないだろうし、全体として何がいいたいかもわかりません。 >それを証明するように、グローバル化は冷戦後のアメ リカ一極化と歩調をとっている 「それ」とは、無制限グローバル化はあり得ないことを指すはずで、それの証明なら グローバル化がペースダウンしたとか、グローバル化に対する反対論が起こっているとか、 そういったことを書かないと論理がつながらない。アメ リカ一極化と歩調をとっているとあれば、 グローバル化がガンガン進んでいることになり、無制限グローバル化はあり得ないことの 証明とは受け取ることはできない。 ついでながら、グローバル化とアメ リカ一極化が歩調をとっていたとして、 それが偽相関である場合もあるわけだから、だからといって何もいえないところ。 グローバル化は地球の炭酸ガスの増加と歩調をとっている。 と書いたのと、論理構造は同じ。 >あくまで、米国あっての多国籍企業。多国籍企業は米国を捨てるという反論 トヨタ、大成建設、吉野家、セブン&アイなども多国籍企業(国連の定義による)ですが、 アメ リカ有利になるように活動しているようには見えない企業なんだけど..... で、国籍企業は米国(母国)を捨てる、というのは、グローバル化を危惧する立場の人が 使うのが普通では?(母国の法律ではコントロールできなくなり勝手なことをやる、という文脈で。) >グローバル化とは米国企業を通しての戦勝国の賠償金の回収ともいえる訳です。 多国籍企業=米国企業である、という、論点の趣旨に戻ります。 どうしてそういえるのか説明が書いていません。意味はわかるけれど文章の論理上の不備です。 また、英国、フランス、ロシア、中国も戦勝国なので、米国企業を通して賠償金を回収 していることになるけど、米国のみが賠償金回収じゃなくで戦勝国。 グローバル化で得するのが米英仏ロ中豪、損するのが日独伊 (つまり、米国の1人勝ちではない) そういう解釈でいいんですね? ※冷戦を考えた場合、日本は得する側ですが、こう解釈すると全体の趣旨が破綻するのでWW2のこととする。 >アメリカ、オーストラリアという 前触れなくオーストラリアが登場した意味が不明。オーストラリアを母国する有名多国籍企業って 何かあった?(英仏日独より明らかに少ない。) 結論(最もマズイ点) 主題に対する展開が無いので、結論がわからない。 グローバル化を危惧していることはわかるが、最初に書いた「無制限のグローバル化はあり得ない」 ことがどう関係するのか(ある時点でグローバル化が止まるから心配ないのか、無制限にグローバル化しなくても米国に牛耳られるのか)わからない。 後者なんだろうけど、それなら、「無制限のグローバル化はあり得ない」と書いたのか、 その意図がまるでわかならい。
- thaurus
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添削というよりは、論理の前提についての質問をさせて頂きたいところです。 まず「グローバル化」という言葉についてですが、何がグローバル化するのでしょうか?あなたの文書を読む限りでは「企業活動のグローバル化」あるいは多国籍企業化のことを指しておられるように思いますが。 またそもそも「経済」とは何かということをどの程度まで踏まえておられるのでしょうか?「経済」とは企業活動のことであるという偏狭な考え方では今日の経済問題を考える上では不十分な視野しかえられないと思います。 「経済とは人類の生の再生産活動の総体を言う」。 この点を踏まえたうえで、再度論旨を立て直されべきではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 国境を越えることが容易な性質の産業と困難な産業があります。 この質問では、越境する企業の背後にある意図とそれに連動する流れを問うているわけですから、越境できない企業まで含めて議論する必要はないと考えます。
添削します。 >グローバル化か歴史の必然か →グローバル化は歴史の必然か >グローバル化は将来的に必然という意見があるが、いかなる多国籍企業もインフラ構築や治安維持、人材の育成を、経済合理性を求める故に自前で賄えない。もちろん、企業が国家化することはあるが・・。自前でできない以上、無制限のグローバル化はあり得ない。それを証明するように、グローバル化は冷戦後のアメリカ一極化と歩調をとっているわけです。 ↓ 一般的に言われる”グローバル化”は多国籍企業が現れて世界的レベルでの経済環境の一体化が進んできたことを言うのであろうが、これが将来的に更に進んで全世界が一体化するというようなことがあるだろうかといえば、これは世界的にそのための環境整備が無条件で進むという前提条件があるために、ありえないことであろう。現に、これまでの首記の急激な進展は、アメリカがソ連を退けて一極化を果たしてからなされたものであるということがある。 以下は省略します。TPP には反対なのですね。
お礼
美しい文章になりました。ありがとうございます。 TPPは日米安保と皇室を破壊するものであると憂慮しています。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
水中で生存競争していた単細胞生物が集まって多細胞生物になり、その個体の血縁(ファミリー)同士で縄張り争いしていた動物が集まって集落同士で争うようになり、農業を中心とした(土地の支配)封建制の中世になると県単位で「国」として戦争し、近代の工業化による大量生産=物流の拡大において国家が生存単位となった。 生物進化から社会発展まで、グローバル化への流れは、一企業や一国家が拡張する事によってではなく(局所的には、恐竜のように単位の巨大化も見られるが)、分業化において生産単位間の関係が競合から協力に移行し、ボーダレス化する事で、階層現象的な上位の単位が「生存単位」となる事でなされてきた。 (決して下位現象単位が消える訳ではない。今でもファミリーや県は残っている) 確かに「多国籍企業といえども人材育成までやらない」が、人材をグローバルに集める、あるいはその人材の流動化によるボーダレス化によって、単位は残ったままグローバル化しつつある。 単細胞生物から国家までくり返してきた階層現象的組織化において、国家だけが特別視される理由はない。 (日本人は国土と人種と文化が一致しているのでそれに固執しそうだが) 衣食住、我々の身の回りにある物の多くは海外由来であり(鎖国して生きられる人口は江戸時代の3千万程度)、既に物流はグローバル化しており、各国の株式相場を見れば分かるように経済もグローバル化し、インターネットによって情報もグローバル化している(残るは人の意識(政治を含む)だけ)。 歴史を見る限り(恐竜のように)、組織化の拡張に反対する動きは淘汰される事によって、自然にグローバル化は実現されるだろう。
お礼
回答ありがとうございます。 グローバル化の定義を明確にしておりませんでした。私の指すそれは、国籍を問わず企業が企業の意思のみで世界を活動する流れのことです。 仰るように、経済活動は広域化してきたのが歴史の流れでありますが、あくまで国家の安全保障の範囲内で国家の公共材を活用して経済活動をしてきたのであります。 米国の多国籍企業が穀物メジャーやコンピューターの基幹企業であることからもわかるように、国家と企業の分離というグローバル化は幻でしかありません。 ということは、米国の安全保障の都合により、食糧の輸出が停止したり、ウィンドウズにバックドアが埋め込めこまれていたりというのは十分過ぎる程ありうるわけです。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
観念や理念での範型グローバル化も、観念や理念での範型自国的な民族歴史性も現実には存立しないのでしょう。 二者択一ではない流れ原理、forceでしょう。どうも質問が必ずしも錬れていない気がいたします。 Mokuzo100nenn氏のせっかくのご指摘にタイトルが単純化されているとも思えません。本文の詳細化はもっと遠い懸隔となっているかと存じます。 申し訳ありません。理解力がなくて。
お礼
回答ありがとうございます。 >申し訳ありません。理解力がなくて。 いえいえ。 禅定に比べると思考というのは苦痛しかないのだなと反省しています。
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
>無制限のグローバル化はあり得ない。 要はこれが言いたいのですか? 自分を日本人、アメリカ人、イタリア人、中国人、と呼んでいるうちはグローバルとは言えないんでしょうね。 哲学のカテだからこういう回答でいいのかしら。
お礼
回答ありがとうございます。 まさに、そのとおりだと思います。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
グローバル化と歴史の必然を「か」をつかって二者択一にされているところから論理的に破綻しています。 AかBか、を問えるのは、Aを取ったらBが取れない、Bを取ったらAが取れないときです。
お礼
回答ありがとうございます。 おっしゃるように、タイトルは単純化、本文は詳細化というのが通常です。
補足
回答ありがとうございます。 他の方へのお礼のなかで定義を明確化しましたが、企業が国家の管理から離れて企業の意思で国境を越えて活動するという意味でのグローバル化は幻想であるとのべたかった訳です。 >グローバル化とアメ リカ一極化が歩調をとっていたとして、それが偽相関である場合もあるわけだから 実験科学と異なり、再現ができませんから、蓋然性の高い仮説を採用することに問題はないと考えます。 >トヨタ、大成建設、吉野家、セブン&アイなども多国籍企業(国連の定義による)ですが、 米国系の多国籍企業は彼の国の国家戦略に沿って活動していると述べた方が正確でしたね。 >米国のみが賠償金回収じゃなくで戦勝国 主として冷戦の勝利国としてのコストの回収ということです。中国を経済植民地と見なせば分かりやすいと思います。 >オーストラリアを母国する有名多国籍企業って 何かあった? そういうことを述べていたのではなくて、地政学的に観るとアメリカとオーストラリアは恵まれていて、それ以外の場所に米国系の多国籍企業が真の意味での中枢を移すことはあり得ないといっている訳です。