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日本の英語教育がいつまでたっても改善しない理由。
何故日本の英語教育はこれほどまでに意味がないのでしょうか?少なくとも学校の英語ではまともに会話ができるようにならないばかりか、何も残りません。やはり明治の初めに、日本が英語教育を導入する際に正しい方法(つまり読み書きではなく、聞く話すに力を入れる事 に特化した教育方法を)取り入れなかったため、そのままズルズルと今に至っているのでしょうか?仮にそうだとしたら、日本国民は国の犠牲者ですよね?中には、日本人の性格が英語を話しずらいものにしている、などというとんでもないことを言っていたひともいますが、そんなわけないだろう!!皆さんの「日本の英語教育、ここがおかしい」、お願いします。
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Merci beaucoup pour votre commentaire à ma réponse stupide. Je pense que vous avez raison. Evert temps que j'explique quelque chose de dificult de manière simple et en japonais, ils ne me font confiance. Mais, si je l'expliquer de nouveau avec quelques temns anglaise diffucult, ils me font confiance, même si elles ne peuvent pas comprendre ces choses. Malheureusement, de nombreux Japonais pensent que si ils font juste une légère parler whilie erreur en anglais, ils pensent que l'erreur comme une honte sérieux dans leur vie entière. Ces gens ne seront jamais parler anglais. Penser à ces problèmes, il semble que les professeurs d'anglais dans shcools sont responseble pour les problèmes. Les enseignants toujours gronder leurs élèves trop. Ensuite, ces étudiants venus à l'idée erronée que les erreurs sont des péchés ou crimes.
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C'est le répondeur du numéro 14. Merci pour vos commentaires genre. Ma réponse est oui. Je peux lire un peu le français. J'ai été inquiétant de constater que vous êtes toujours comme un enfant à la puberté. J'ai storngly vous recommandons de grandir, être un adulte. こちらの言語でよろしかったでしょうか。ご自愛を。
お礼
Merci pour la réponse. Franchement parlant, je ne prends pas tellement au sérieux sur ce sujet. Seulement je pense que beaucoup de Japonais surestiment l'importance de l'anglais. Les Japonais aiment l'anglais. En France il y a peu de gens qui préfèrent l'anglais au français.
フランス語で回答者様に返された文章なども踏まえて、ようやく今回の英語について提議された問題点の第一プライオリティの部分が分かりました。 それは、我々を取り巻く教育を含めた環境ではなく、質問者様ご自身の内部にあります。 たとえば平易な英文にも許せないものを感じる、それは質問者様内部から発するモノですし、さらにそれは英語に対するコンプレックスに根差す、牢固として抜き難いモノなのでしょう。 しかし、内部要因を認めるのは誰しも難しいことです。心理的な障壁は思いのほか高い。 さりとて、質問者様が英語についての自己同一性の齟齬、つまりできるはずというイメージの自分と現実とのずれ、これは質問者様で調整して頂くほか、ありません。 その一応の解決(世界が一人に合わせるはずもなく、自分が変わらねばならない自己同一性問題の典型例が今回なのですが)をみてから、改めて疑問点を問題化して、提議されると、きっと良い建設的な方向で何らかの解が見えてくることが期待できるでしょう。 臨床心理にも携わる者として、老婆心から申し上げました。
お礼
ありがとうございます。 >フランス語で回答者様に返された文章なども踏まえて、ようやく今回の英語について提議された問題点の第一プライオリティの部分が分かりました。 Vous comprenez le français? まあ、大したことは書いていないんですけどね。しかし、なぜ、その人はいつも英語で回答するのでしょうね? 相当英語が出来るんでしょけど、その人みたいな「英語かぶれ」も真の国際人とは言えないと思います。 その人の英語を読むと、時々滑稽に思えてきます。アメリカで釈迦に説法するようなものかもしれませんが。
- SPS700
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これまでには下記など、同じような質問があったようですから、これは余計です。 http://okwave.jp/qa/q2244851.html 一口に言えば、過去と現在では事情が違っているのが一つの原因でしょう。 1。明治から1945年まで、英語は「死んでいた」。西欧に留学した人は古典語(=死語、だから話す人は皆死んでいる)解読の方法を持ち帰り、英学生はその読解法を学んだ。需要と供給は一致し、成功。 2。1945年英語を喋る人間に占領されて「ありゃこりゃ生きてるよ」と気づくが、1世紀近く溜まった牡蠣ガラは落とせない。需要が急に多様化し、オロオロするだけで「いつまでたっても」供給は追っつかない。 3。1次的牡蠣ガラの例 英語検定試験、入試、予備校、参考書、問題集。 4。2次的牡蠣ガラの例、 採点を容易にするが、英語力には無関係な問題、例えば、文の単語をメチャクチャに並べ換え、もとの順序に変えさせる問題、穴埋め問題など。英語の「え」の字も知らない小学生でも正解表があれば採点できる問題はすべてこの範疇に入る。 さてご質問ですが 5。やはり明治の初めに、日本が英語教育を導入する際に正しい方法(つまり読み書きではなく、聞く話すに力を入れる事に特化した教育方法を)取り入れなかったため、そのままズルズルと今に至っているのでしょうか? 当たらずと言えども遠からず。 6。仮にそうだとしたら、日本国民は国の犠牲者ですよね? それほどでもないんじゃないですか、頭のいい人(有名大学の入試に通ったという意味ではありません)は、学校教育とは無関係にいろいろ勉強する訳ですから。 7。日本人の性格が英語を話しずらいものにしている、などというとんでもないことを言っていたひともいますが、そんなわけないだろう!! 僕もそんな訳は無いと思います。 8。皆さんの「日本の英語教育、ここがおかしい」、お願いします。 簡単に纏めますと上にあげた牡蠣ガラを取り除く事、でしょうか。
お礼
ありがとうございます。 >1。明治から1945年まで、英語は「死んでいた」。西欧に留学した人は古典語(=死語、だから話す人は皆死んでいる)解読の方法を持ち帰り、英学生はその読解法を学んだ。需要と供給は一致し、成功。 たしかに。しかし、それは漢学や蘭学が礎になり、ラテン語の解読法を参考にして改良したといった方がいいかもしれませんね。
- mota_miho
- ベストアンサー率16% (396/2453)
開隆堂の「Jack and Betty」で英語に初めて触れた世代のものです。 中学から高校、そして大学、と英語が学科にあったおかげで、新聞程度の英語なら辞書なしで読めるようになりました。しゃべるのは苦手ですがそれで困ることはありません。従って、私は日本の英語教育が悪いと思ったことはありません。 ところで、質問者さんは、いわゆる「ゆとり世代」ですか? 過去にされたご質問によると今20歳くらいでおられるようですが。 http://okwave.jp/qa/q6499208.html 日本の英語教育は意味がないのと思われるのは「ゆとり教育」を受けられた影響かもしれませんね。
お礼
ありがとうございます。 >開隆堂の「Jack and Betty」で英語に初めて触れた世代のものです。 わー、私のおじいちゃん位の年代ですね。
- kimaba2279
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日本では、様々な英会話学校が濫立していますが、率直に言えば、どんな英語教育方法を導入しても日本人には欧米人並の英語力は修得できないというのが結論です。そもそも日本語はアルタイ語族に属し、英語はインドヨーロッパ語族のゲルマン語系に属しますから、言語の系統がかけ離れています。英語的発想は、帰納法(Inductive approach)であるのに対して、日本語的発想は演繹法(Deductive approach)です。また、日本の英語教育は、受験英語又は翻訳英語中心なのに対して、欧米の英語教育はコミュニケーション養成目的です。ちなみに、TOEFLの平均点は、東洋では北朝鮮に次いで下から2番目と最低のランクです。
お礼
ありがとうございます。 >そもそも日本語はアルタイ語族に属し、英語はインドヨーロッパ語族のゲルマン語系に属しますから、言語の系統がかけ離れています。 これも大きな要因ですが、スペイン人やロシア人のように日本人よりも英語の苦手な国民もいるので 一概にそうとばかりは言えないでしょう。
- ID10T5
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この手の話題って何度も繰り返されますね。納得のいく答えが得られないのでしょうか。 ボクは日本の英語教育はそんなにおかしくないと思っています。ボクは英語でのコミュニケーションなら日常会話もビジネスコミュニケーションも多少入り組んだネゴシエーションも自分では問題なくこなせると思っていますが、それもすべて日本での英語教育を礎にしています。 確かに改善点はあると思います。例えば、英文和訳、和文英訳に時間をかけ過ぎること。ここのカテの質問も「和訳してください、英訳してください」ばかりですよね。何でも日本語を通じてでないとできない。その点は英語の勉強としてはどうかなと感じます。 もう一つの問題は、多くの人が自分がどうやったら英語の力を伸ばせるのか分かっていない。教育なんだから今後の人生における道しるべを示す機能があってもいい。もしあなたが学校の授業で英語に興味を持ったならば、この後こういう勉強をしていくと英語の力を伸ばせます、という示唆があってもいいかなと思います。 でもそれ以外は問題ないですよ。文法や語彙をしっかり学んでおくと後でハイレベルの英語を操ることが要求されてきたときにとっても楽になります。仮定法を会話で使いこなすノンネイティブのAdult Learnerなんてそうそう出会いません。比較級や関係代名詞ですら口語ではあまり使いません。日本人のハイレベル英語話者はこういうのがとってもうまいです。I wish I could.とかThe problem we have...なんてすらすら言える人たちいっぱいいます。ボクはこれも全部日本の英語教育のおかげだと思ってます。 英語が話せるかどうかは最後自分がどこまで頑張るかどうかであって学校教育のせいじゃありません。 If you are not conversant in English, don't blame the public education. Blame yourself!!なんですよ。 それにしても日本人のよくない点は、何かにつけ国や社会について自虐的な態度をとること。そのくせ自分のことは責めない。これは改めないといけないですね。ないものねだりをし始めたらキリがないです。そんなことよりもいい点に着目して、そこを手掛かりに自分の力を伸ばしていった方が得だと思うんですけどね。
お礼
ありがとうございます。 >例えば、英文和訳、和文英訳に時間をかけ過ぎること。 これには同意します。というか、中学の英語の教科書が和訳されるのを前提にしているのか、若干ぎこちない表現が目立ちます。 >比較級や関係代名詞ですら口語ではあまり使いません。 これは比較的口語でもよく使うと思いますが。 >それにしても日本人のよくない点は、何かにつけ国や社会について自虐的な態度をとること。 これは朝日新聞のせいでしょうか。
まず、明治期の英語教育導入ですが、確かに、多数向けには読む力に重点を置いた方向付けであったように思います。その中でも留学に向いた優秀な一部には、他の聞く・書くがあり、相互でリアルタイムの話すも、教育が施されたようです。 おおむね、明治期の指導者層は、よく昭和期の指導者層と比べられ、明治期の指導者層に軍配を上げることがよくあるように思います。一部の議論では行き過ぎもあるのでしょうけれどお、このまず高等教育を受ける全員向けとしては、読む力というのは、当時の状況としては正しい選択であったろうと思います。 と、申しますのも、大学院はおろか大学4年間の教育についても、学会を通じて発信したい論文はもちろん、さらに参考書籍も、そして基本的な教科書も英語で書かれたものが必要であった時代は、戦後だけを考えても、かなり最近まで続いたと言っても言い過ぎとは言えないかと存じます。 ましてや、明治期という日本が発展途上のスタートラインから始める状況としては、まず先進国から学ぶにも、どこか先進国の言語で書かれた教科書を読む力の修得が必須であったことは、想像に難くありません。なお、選択するとすれば、英語の他に、ドイツ語、フランス語などが候補となったかと思われますが、偶然なのか考慮の末か、英語が第一として選ばれたことは、今に至るまで、幸運だったといえましょう。 先も申しましたように、戦後からかなり長期間は、特に大学以降の教育においても、読む力がまずなければありませんでした。 こういう状況からやっとのこと、ほぼ解放されて、まだ間もないという感想を抱いております。実は、私自身興味でする学問がありますが、余程にこだわらない限り、日本語で書かれた充分な教科書が手に入るようになったのは、平成となっても、さらに時間が経過したのちと思います。そこまでは、どうしても読めることから始める教育思想は、必要であったのでしょう。 そして、これを現在の英語教育に不利でないように考えるとして、読むことに特化せずともよくなったのを、10年ほど前と考えてみます。その当時ですと、会話も意識されるようにはなっておりました。データとして残しているわけではありませんが、10年前を原点としての、その前後で義務教育、または高校教育の後の会話能力、及び書く能力で、特段の変化は見られないようです。 さらに10年前という原点をを、後ろへ後ろへと、ずらしてみても、やはり特段の変化はないようです。大学については、既に英語が読めるものとして、また教授を欧米から招待しているような大学でも、加えて聞けることを学生に求める場合でも、特に英語を含む外国語教育に力を入れておらぬようですので、除外して考えております。もっとも、大学では語学以外でも、学ばないものを救済する企図がないのが、普通でありますが。 英語教育が変化したにせよ、特段の変化がなく、では義務教育や高校教育修了しても、英語でのコミュニケーションが、特に書くを含む発信能力ですが、できないのか。知っている限りでは、少し会話の手ほどきをすれば、後は急速に能力を向上するケースが、ざっとした見積もりで8割ほどに上ると、経験及び得た情報の範囲では、そうらしいと考えております。 一から始めて、そのように急速に伸びるとは考えにくく、潜在的には伸びしろをすぐに伸ばせるだけの知識はあったのでしょうけれど、経験がないため、能力が顕在化していないものと思われます。このことは、文法等の表現に気を付けるケースの多い書き言葉より、それらがゆるい会話能力で、急速な伸びがあることを感じます。なお、書く能力は、一定の会話能力習得後は、伸びやすいようにも感じます。 日本は英語に関わるチャンスが多いにも関わらず、なぜか始めれば自然にといっていいくらいのコミュニケーション能力が伸びていません。英語圏外国人が比較的多いところで観察しておりますと、ごく簡単な"Where is [地名]?"と尋ねられても、逃げるようにする日本人がほとんどです。地名はしばしば、もうそこにいる場所で、単語だけ、"Here!"なりなんなり、どうとでもできるような場合でも避けてしまいます。 この原因の一つは「言語はほとんど間違わずに扱えるようになるまでは、一切発信に使ってはならない」という奇妙な信念が共通してあるように思えてなりません。事実、そんな信念お構いなしの状況になって追い詰められると、無手勝流に単語を並べ出て話し、やがて一応の話ができるようになっています。 まずは、40点レベルなら文を話せ、それ以下なら単語だけでも言え、というところを補強すれば、ずいぶん状況は変わるように思います。 それでも、大きな問題は残っています。こちらこそ英語以前の問題ではないかと存じます。 それは、議論能力の欠如です。英語でなくてもいい、日本語でいい、雌雄を決するような激しいものでなくてもいい、協調して問題を考えて行くことだけでもいい、そこまで譲っても、議論ができるのは10人に1人程度のように思います。 英語圏では、教育か言語の特性か(論理思考のベースが言語であることは知られています)、議論能力の高さはともかく、割合においては欧米、おそらくは他のヨーロッパ諸国でも、はっきりと勝っているようです。 英語圏での評価基準としては、簡単な議論もできないようでは高い評価は得られません。表現巧みに流暢でも、話す内容が的外れ、低レベルでは通用しないようです。 日本語の議論においてすら、議論と喧嘩の区別のつかない者が多数派、残りも議論に入ると主張を論理的に、平易に述べられず、反論に適切に応じられず、揚げ足取りや言い逃れ、論点ずらし、果てはねつ造に走るなど、なかなか議論を活かせていないようです。 そういうことなく、普通に問題点を話し合える人間が10人に1人で、そういう人は何故か、たいてい英語でのコミュニケーションが少なくとも基本はできています。こういう相関関係はあるようなのですが、因果関係については、私ではよく分かりません。 コミュニケーションは、少し背中を押してやれば、大丈夫のようですが、この議論する能力について、いかがしたものか、教育と直接かかわる立場でない者としては、ただ憂慮するのみなのが、歯がゆい所です。
お礼
ありがとうございました。
- tsuyoshi2004
- ベストアンサー率25% (665/2600)
とりあえず日常会話+αくらいの英語は使えると自覚している者です。 日本の英語教育は少なくとも30年前までは立派だったと思います。 私自身、大学は理系だったので習った英語は高校の授業レベルのものしかありませんでした。 が、アメリカに留学後1年でほぼ日常会話は不自由なくなるレベルになりました。 その要因は思えば、文法力と単語力が元々備わっていたからだと思います。 (日常会話で使う文法とか単語なんてほとんどが中学校で習う範囲です。) 英語教育で良くない部分があるとすれば、簡単に○と×で採点することくらいでしょうか? 言語は最終的には理解できるのか理解させられるのかだけだと思います。 例えば英作文の問題で、丸っきりの白紙と三単現のSが抜けていたり時制一致ができていないだけの回答が共に同じ×であるわけがないのです。私が採点するならば後者は90%は○でいいと思います。 (個人的には英文和訳や和文英訳はある程度からはやめるべきだとも思いますが・・・・・) あとは、高校くらいになったら英語の知識を実践する場を授業で少し設けたりすればいいのではないでしょうか? ちなみに話したり書いたりする力は最終的には言語力なり説明能力になります。基本的に日本語の下手な人(何を言いたいのかがわからない説明下手な人)は結局英語でも同じことになります。 なので、限られた時間数の授業で英語が使えるようになるようにするとすれば、まずは最低限の日本語での読む書く聞く話すを先に習得するのが近道と思います。 そうするとやはり英語の授業は中学くらいからが妥当なような気もします。 それで中学生くらいになるとそれなりに知能が発達してくるので、やはり知能で論理的に言語を学ぶ(文法などの習得)方が感覚的に言語を学ぶよりも近道でしょう。(幼いときは知能が発達していないので、感覚的に学ぶほうが近道だと思います。) 冷たい言い方をすれば、英語が話せないとかいう人のほとんどは、持っている英語の知識を使おうとしない人か中学校の英語の授業ですらまともに理解できていない人です。 余談ですが、 言語なんていうのはコミュニケーションツールの一部分に過ぎません。 言葉なんてわからなくてもボディアクションや表情で意思の疎通ができることも多々ありますし、 逆に言葉が通じても意思の疎通には至らないことも多々あります。 コミュニケーション能力の高い人は僅かな英語力でも英会話はできますし、コミュニケーション能力の低い人は高い英語力でも英会話はできません。
お礼
ありがとうございました。
- P0O9I
- ベストアンサー率32% (693/2146)
今の英語教育を知って、言っていますか? ちょっと前、関西ローカルの番組ですが、かなり変わって、会話中心になってきているようなことをやっていました。
お礼
ありがとうございます。
- y_ryou1
- ベストアンサー率41% (54/131)
>国の犠牲者 それを言うなら、今呑気に英語教育について考えをめぐらす余裕があるのは国のおかげですよね。 大した犯罪にも巻き込まれず、今生きているのも日本の治安レベルがあったからかもしれませんよ。 他の国だったら、成人する前に廃ビルに挟まれた路地裏でBANG!とやられてたかもしれないし、また違う国では10歳にも満たないうちに長銃を抱えて爆煙と銃弾の中を走り回っていたかもしれないし、さらに違う国では5歳未満で栄養失調で飢えのうちに命尽きていたかもしれません。 とりあえず、自分の環境では英語を話せなくても苦労も不便もないので、国の犠牲になったとは思っていません。 自分の進んだ道の上で必要であるなら、自分の意思で習得するよう努力すればいいんじゃないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。
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お礼
C'est très gentil à vous de m'avoir répondu en français. >Evers temps que.... Je suis d'accord avec vous. Et cela explique que ce fameux monsieur NOT alias la Salamandre Texane, il s'obstine à répondre uniquement en anglais sur ce site. >Malheureusement, de nombreux Japonais Il faut la patience et un l'optimisme pour apprendre des langues étrangères. La patience, les Japonais l'ont suffisament, mais l'optimisme, ils ne l'ont pas, ils ont le pessimisme à la place. あと、cozycubeさんはあまりフランス語が あまり得意でなさそうだし、 他の人にも読んでもらうためにも日本語で書きます。 私は一応、3ヶ国語が話せます。日本語とフランス語と上海語です。 日常会話は 普段は日本語ですが、海外のニュースを聞いたり、小説や雑誌を読んだりするのはフランス語が多いです。ウェブの閲覧は日本語とフランスが半々で、時々英語のページも読みます。上海語に関しては、ご存知の通り 中国語の方言ですが、主に母や母方の親戚と話すことが多く、また 読み書きは殆ど習っていません。 パソコンはフランスで覚えたので、タイピングは日本語よりもフランス語の方がやや得意です。 私の使っているOSとキーボードもフランス仕様だし、日本語だと漢字変換とか、入力モードの変換とか若干煩わしいですね。 特に、日本語の文章に英文を挿入するのは少し面倒です。また、一部漢字で文字化けする字があります。 私は英語は主にフランスで覚えました。それで、日本の英語は中学レベルしか知りません。それで、「仮定法」とか用語は聞いたことがあるんですが、よく理解できておりません。 参考書とか読んでも、簡単なものを何故わざわざややこしくしてしまうのか理解に苦しみます。日本語だって同じでしょう。連用形とか未然形とかいちいち意識していませんよね。 しかし、テキサスの山椒魚のようにいつも日本語の質問に英語で答えるのは違和感を感じます。例えば、日本語で 「荷物を忘れてきたの?」 と聞かれた場合、イエスの時は 「Yes, I did.」 になるのか「Yes I have.」になるのか、「Yes, I had.」になるのか、どれで答えてもおかしいような気がします。 それから、日本人同士がわざわざ英語を使うと変な時もあります。cozycubeさんは ひな祭りの歌をご存知ですよね。 お雛様がimperatriceで、お内裏様が emperor, 雪洞はlanternで、 桃の花は peach blossom、 笛はfluteで、太鼓はdrum、三人官女は the court girls trioで 五人囃子は the quintet band とやったら、情緒がなくなっちゃいますよね。まあ、外国人に説明する場合は止むを得ませんが。 それと、「正座する」 というのも わざわざ英語で説明する必要はないと思うんです。フランス語だと " s'asseoir tout droit par terre les jambes repliées parallèlement et les genoux rapprochés de telle sorte que les talons les fesses se mettent en contact verticalement" みたいな説明になりますが、 フランス人でも「正座」を知っている人同士なら "se mette en seiza" みたいに言います。 テキサスの山椒魚なら英語でどのように言うんだろうか。 それじゃ、また。 À bientôt.