• 締切済み

インターネット教育について

最近、小学生や中学生の間で PSPなどに音楽や画像を取り込む際に 無線のアクセスポイントを不正に使用したり、 Youtubeをダウンロードできるソフトを使用して 不正に取り込んだりしている光景を見かけます。 これは、違法である(違法となる場合がある)ということを 知らないまま使用している子供が多くいるのではないかと 思うのですが、実際はどうなんでしょうか? 親にパソコンやネットの知識がなくても 子供同士でいろんなことが広がっていきます。 親に知識がないと、それが悪いことなのかどうかすら わからなかったりすることもあると思いますし 子供がしていることがなんなのかさえわからないと 思います。 また、親に知識があったとしても、親が知らない間だったり 不用意に許可していたりということもあり得ます。 こういったデジタル化社会にあって、 学校ではインターネットなどの教育を 行っているのでしょうか? 個人的な意見としては、 デジタル化社会において きちんとした教育が必要だと思うのですが・・・。 皆さんのご意見等お聞かせいただけないでしょうか?

みんなの回答

noname#153189
noname#153189
回答No.5

もう1つ思ったことなんだけど、これは私の持論で、鍵がないコンテンツは盗まれるほうも悪いと思う。 ネット社会は世界に開かれたスペースだから、不正利用を悪と思わない国もあるし、明日の命さえわからないような国に住む人間にモラルを説いても仕方ない気がする。 無線のアクセスポイントも暗号化しておけばかなり不正利用が減るし、コンテンツもDRMをかけるとかサーバーの仕様を変えるとか、不正ダウンロードを難しくする仕組みはあると思う。 不正にアップロードされたコンテンツはすぐに削除する。 利用する側の教育も必要だが、運用側の教育も必要なんではないかな。 たとえばセキュリティのカテゴリーでは、対策ソフトも入れずにネットに繋ぐのは無茶という意見が多く、私も今時何も対策せずにネットにつなぎ、感染したと泣き言を言う質問者がいれば、身から出たさびとも言えるので、どうかしていると思う、無防備にネットに出て行けば感染は常識です。 ウィルスを作る人間は非難されてしかるべきですが、なんら対策をしない人間もおかしいとしか言いようがない。 アクセスポイントの不正利用やネット動画のダウンロードも同じ話で、不正をする側も罪はあるが、簡単に不正を許すシステム運用も罪がないとはいえない。 ネットは無法地帯だから、身を守るすべも教えるべきではないかと思っている。

-antsu-
質問者

お礼

貴重なご意見ありがとうございます。 おっしゃるように利用側、運用側の教育それぞれ 必要だと思います。 それとまずは教育者や子をもつ親がきちんと 理解すべきだと思いました。 教育する側に知識がないと正しい教育ができないと 思います。 今はパソコンだけでなく、PSPだったり携帯だったりと いろんな環境があって、それぞれに指導する必要が あるように感じます。 利用する側の指導が難しいのであれば、 運用する側がなんらかの対策をたててくれる。 ただ、対策をたてても新たな手段でいろんな 悪さを考えてくるのがネットの世界だとおもうので 常にそういったことに対応できるシステムにしてほしいと 思いますね。

  • 23tomo-u
  • ベストアンサー率27% (433/1565)
回答No.4

気になったので、再投です。 例えばブログとかで、芸能人とかどこからかの 画像を引っ張ってきて、貼っている方とかいますよね。 あれも基本的には著作権とか肖像権の問題で、 撮影したカメラマンに許可を得ないと貼れないようです。 (著作権相談室みたいなところで聞きました) ただ実際、そういうのってたくさんあって、 例えそのカメラマンが見つけたとしても、 その芸能人について、いいことが書いてあったりしたら、 わざわざ取り消しはしないと思うんですよ。 自分の画像がよい風に使われているなら。 動画も同じだと思うんですよね、 だいたいのテレビ番組はテレビ局(?)が削除願いだして 削除してると思うんですが(特にドラマとか)、 中には宣伝目的のため消さないケースもあります。 普通に芸能人の名前で検索すれば、テレビ番組の動画が出てくるのに 消さない(削除依頼を出さない)ものもあります、 これってある意味、宣伝として使っているから「あえて削除依頼を出さない」 と思うんですよね。テレビ局の「余裕の部分」というところでしょうか。 つまり違法でも、このようにユーザーと管理者で持ちつ持たれつの部分もあると思います。 まぁ、何を言いたいかというとネットってそれだけグレーゾーンが多いです。 質問とずれちゃいましたが、なんか書きたくなりました。 すいません。 しかし違法は違法で「いけないよ」と伝えた方がいいですね。

-antsu-
質問者

お礼

貴重なご意見ありがとうございます。 やはりこういったことををほったらかしにしておくのは 将来的にも大変危険なような気がします。 何か手を打つべきのような気がしてなりません。

noname#153189
noname#153189
回答No.3

私はデジタル化社会になったので、小学生のうちからきちんと教育はやっていくべきと思っています。 >PSPなどに音楽や画像を取り込む際に >無線のアクセスポイントを不正に使用したり、 >Youtubeをダウンロードできるソフトを使用して >不正に取り込んだりしている光景を見かけます。 ここでも同様なんですが、1つの考えとしてこの手の知識を教えないというものがあります。 一切触れない、子どもが何か聞いても理由も何もなく「違法なんだから訊くな!!」と叱って追い払う。 こうするとおそらく友達同士で情報交換してこっそりやって、ワンクリック詐欺などにも引っかかるんでしょうね。 私自身はこの手の質問によく回答しますが、なぜいけないのか、何がよいのかを書く前に、とにかく違法なんだから質問をするなという人たちが湧いてきて、まともなアドバイスも出来ない状態です。 こうなるともう行くところまで行って、これはだめだと思う人がルールを整備してくれるだろうと期待して参加しています。 著作権とはどういうものか、行き過ぎた権利の行使で、クリエーター自身も昔の名作をお蔵入りさせざる得ないし、価値の高いコンテンツを個人が死蔵して今回の災害のようなことがあれば永久に消えてしまう・・・・、最近この反省なのか「クリエーティブコモンズ」という著作権者が二次利用に関して意思を表明してYouTubeに投稿し、自由に使ってもらうという方向も出てきましたが、これも頭の固い連中と野放図にダウンロードしようとする連中もいるので、必ずしもうまくいっていない。 こういったルールをきちんと整備して、子どもたちに教えていかないと、妙に窮屈な時代になるような気がします。 それとデジタル化があまりに急速に進んだ結果、大人の思惑も入り乱れており、ストリーミングを宣伝に利用したいと思う人とか、単純に身の回りのことを多くの人と一緒に笑い飛ばしたいと思う人とか、ルールが整備されないまま混沌としてしまっている、子どもどころか大人の教育も必要な時代だと思う。 学校ではパソコンの授業はあるようで、小学生でもネットを利用していますが、先生自体が何をどう教えるということがないような気がします。

  • Shin1994
  • ベストアンサー率22% (551/2493)
回答No.2

知っていてのこの結果だと思います。僕も中学の頃には普通に知ってました。それでも時にはお世話になりましたよ。 著作権の話は講演で口酸っぱく言われていますが、学生的には表向きわかったつもりで、家という個人的空間に入ると態度を反転させてよからぬことを実行するものです。なので、いくら教えても根本的な解決は難しいでしょう。今の学生は、生まれた時から情報に囲まれて育って来ました。大人より情報に対する理解が高い事もあります。そんな人達に、違法性を説いても「知ってるけど、何か?」で済まされる可能性が極めて高いと思います。 個人的には、解決不可能とわりきって、いかに被害を最小限に食い止めるかを考えるべきだと思います。

-antsu-
質問者

お礼

確かに今の学生は生まれた時から情報に囲まれて 育っていますね。 やはり解決不可能なんでしょうか? 被害を最小限に食い止めるのも必要だと思いますが、 でもこのまま教育もせずに野放しにするのも将来的に 大変なことになりそうな気がしてなりません。 その前にまずは大人がきちんと理解することから始めないと いけませんね。 貴重なご意見ありがとうございました。

  • 23tomo-u
  • ベストアンサー率27% (433/1565)
回答No.1

子供がいないのに答えるなんなんですが、ごもっともです。 といっても毎週、デジタル機器について机上の講義を開くほど、内容もないのでパソコンの授業の時に一、二回はあるといいと思います、あと試験もあるといいですね。 (専門的にやるなら選択授業とか専門学校、大学になると思いますが。) ただ小中学校の先生も知識があるとも思えないんで、へたな話し、それをビジネスにして各学校(教育委員会)に売り込めば(外部委託)、結構いけるんじゃないかとも思います。 「年間を通じて毎週は必要ない」、というとこれがポイントです。 でも、まぁそれで不正利用が減るかというと疑問ですがやる価値はあります。 ついでに最近、自転車にブレーキをつけてない人もいるそうですが、それも講習してほしいですね(切符切られますし、なにより自分も相手も危ないです)。 ただこれは大人向けですが。

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